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造花百合 - 男の娘が親友を女装させる話

▽side渚


 立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花。

 そのことわざが散華さんげ知佳ともよしを表すぴったりの言葉だとオレは考えている。


 オレは夢咲ゆめさきなぎさ。中学2年生。夏休み明けでまだまだ暑い昼下がり、渡り廊下の屋上から中庭で知佳を眺めていた。


 小柄な体格ながらスカートから伸びる足はスラリとしていて、さんさんと降り注ぐ日光に長い髪が粒のような輝きを放つ。真っ白な肌はほのかに赤が差しているのは、暑いからか今の出来事のせいか。


 知佳は手をサンバイザーのようにしながら、屋上にいるオレの方を向いた。照れくさそうにはにかむ。教室へ戻ったかと思えば、いつの間にか屋上に来ていた。



「渚クン、またヘアピンもらっちゃいました」



 知佳の髪にはすでにヘアピンがしてある。金色のトーン記号のヘアピンだ。実はこれ、1日として同じものを見たことがない。なぜならヘアピンは誰かが知佳を好きだという証なのだ。男女から人気があり、ほぼ毎日のように告白されて断ってきた。いつしか断られることを前提に、でも想いだけでも伝えたい人がヘアピンを送るようになったという。


 存在が少女漫画だと言われているが、オレは少女漫画を読まないのでよくわからない。まあ、少なくとも現実離れした人間ということは分かるけど。



「もー、聞いてます? 渚クン、どっちがいいですか?」



 知佳が両手を差し出し、もらったヘアピンを2つ見せた。

 青くてネオンっぽいヘアピンとリアルなヒマワリのヘアピンだ。



「別にどっちでもいいだろ。お前はどっちがいいの?」


「ん〜、ボクはこっちかなぁ?」


「いいんじゃねーの」


「だよね!」



 知佳が満面の笑みを浮かべる。

 オレが学校一の人気者の知佳から慕われているのは未だに分からない。でも、きっかけはあった。そして不登校だったオレが学校に通うのも悪くねえと思うようになったのもこいつのせいだ。



「ボクの顔に何かついてます?」


「女みてえな顔」


「この顔は元からです!」



 かわいい顔でぷんすかしている。

 まあ、大抵の男はこれでドキッとしちゃうんだろうな。


 でもオレは恋なんか落ちない。



 こいつが男だと知ってるから。



「でも、率直に言ってくれるの。ボク嬉しいです……。あの時からずっと感謝してますよ。ありがとうございます!」


「はいはいお前のありがとうございますも聞き飽きたわ」


 あの時とは去年の文化祭の時のことだ。




▽side知佳


 1年の秋、文化祭。ボクは生徒会役員として受付をしていました。生徒会の腕章を学ランの袖に付けて委員会活動です。

 来校されるのはほとんど生徒の親御さん。あるいはOBOGの先輩方です。たぶん大学生でしょうか、男の人がボクに近づいて口を開きます。



「あれ? 君、男装してるの?」



 ……ボクは女みたいな自分が気持ち悪くて大嫌いです。


 理性で感情を殺して生きています。消え去ってしまいたい。ボクは役員の仕事を終えた後、一般開放されていない校舎2階を無心で歩いていたら、誰かとぶつかってしまいました。


 これも情けないことですが、非力すぎて盛大に尻もち。

 床の触り心地から今ボクがいるのは1階屋上につながる渡り廊下の屋上のようです。あまり掃除されていないからザラザラとした感触が指に伝わります。



「いたた……」


「ンだお前?」



 え? ソプラノボイスの割にドスを利かせた声が聞こえました。驚いて顔を上げるとそこにはイライラした表情の生徒がボクを睨んでいます。

 間違いありません、不良です!



「ひっ」


「女が学ラン着てんのか?」



 ま、またです……。

 ボクはうんざりしました。



「男です……」


「は?」


「だから、ボク、男です!」


「うっせ馬鹿」



 近くにあった薄緑色のバケツを蹴っ飛ばします。雨風にさらされてもろくなっていたのでしょう、簡単に破けてしまいました。

 ボクがあのバケツみたいにボロボロにされてしまう未来が見えます。痛いのは嫌いです。なんとかしないと……。



「うう……。気持ち悪いですよね」



 ずばり、同情を誘う作戦です!



「あ?」



 おっと、うまく伝わってないみたいですね。訂正です。



「いえ、その、ボクこんな見た目ですし……」


「ああ? なんでお前が俺の考え決めてんだよ。女が学ラン着てるって言っただけだろーが」



 ……まずい。

 逆に怒らせてしまった。



「すいっ、すいませっ。あとあとっ、ボク、男ですから……」



 ボクが男であることは譲れません。



「あ〜……、分かったよ男な、男。女みてえな顔した男」


「すいません……女みたいな顔で……」


「は? なんで謝ること何にもねぇだろ」


「え?」



 不良は何を考えているのかよく分かりません。

 ボクたちとは違う価値観で生きているからでしょうけれど、なんとなく間違っているのはボクの方なんじゃないかとさえ感じてきました。



「だからお前が女みたいな顔してるのは謝ることじゃねえだろ」


「で、でも、気持ち悪いですよね……?」


「おいオレがいつ気持ち悪いって言ったんだよ? ああ?」



 片目を大きく開けて、キレイな二重の目を向けます。意外と瞳も美しいです。なんといっても声変わりしていないソプラノボイスですからね、迫力は感じません。



「じゃっ、じゃあ、気持ち悪くないんですか……?」


「……ん? ああ。別に普通だよ」


「……普通、か」



 あれ?

 なんだか嬉しい。



「お前なにニヤついてんの?」


「にっ、ニヤついてましたか!?」


「いやいい。直さなくて。たぶん、つまんなそーにしてるより、笑ってる方がいいだろ」



 そうして彼は文化祭を遠巻きに眺め始めます。

 中庭では焼きプリンを市販の1.5倍の価格で売っていました。


 いや、そんなことより。



「あのっ、ボク、1年1組の散華知佳って言います!」


「うわっ、いきなりなんだよ」


「すいっすいませっ……」



 反射的に謝ってしまうのは争いごとが嫌いなだけです。


 不良少年は目を合わせないでつぶやきます。



「オレは2組の渚」


「……渚クン!」


「わっ、声でけえよ」



 耳に指を入れて面倒くさそうにこっちを向きました。

 渚クン。ボクは、ボクを普通って言ってくれたこと、絶対に忘れませんよ。



「ありがとうございます!」





 家に帰ったボクは洗面所で鏡を見ました。両親が売れてる芸能人なので無駄に豪華な洗面所で、まぶしいくらいにウォールランプを点灯させます。



「ボク、やっぱり男には見えないよね」



 中性的といえば中性的です。かわいいか格好いいかでいえばかわいいです。男か女でいえば、さてどちらでしょうか。


 風呂場で姉が歌っています。帰ってたんですね。いつもはモデルや番組の仕事で外でシャワーを浴びているみたいですが、今日はオフのようです。


 ……洗濯用の竹籠に姉の脱ぎ捨てた高校の制服がありました。



 ボクはまだ体温が残るそれをつまみます。姉はボクと背丈がそんなに変わりません。多少、ボクの方が骨が太いかな、って気はしますけど、もしかしたら。


 試しに姉のブラウスを着てみました。ボタンが逆なんですね。慣れなくて苦戦してしまいました。ブラウスはシャツみたいなものですから余裕です。でも次は赤いリボンです。やっぱり抵抗があります。


 ごくり。

 生唾を飲み込んで、ボクは決意しました。



 姉の脱ぎ捨てた制服を一式着たボクは鏡の前に立ちます。

 人生でいっとう驚きました。


 鏡に映るのは、どこからどう見ても女の子に疑いようがなかったからです。



「ボクって女の子の方が普通かも……」





▽side渚

 1年生の文化祭後の最初の登校日の朝は冷気が家の隙間から忍び込んでくる。

 オレは学校を休むことに決めた。

 小6の妹が玄関前に「にぃにの友達いる!」って騒いでいる。



「オレ、友達いねぇし」



 無視しても妹はうるさいので仕方なく玄関に出る。

 家ではブカブカのスウェットで過ごしているし、別に見られても困らない。


 出てみたら知佳がいた。しかも後ろには黒塗りの高級車がある。



 ……いや、意味わからん。



「渚クン! 一緒に登校しませんか?」


「は? なんでオレがお前と……」


「友達は一緒に登校するものだと思います!」



 道徳の教科書みたいなことを言う奴だ。

 それにしても昨日とはぜんぜん態度が違うことに、正直オレは警戒していた。



「お前とは1回話しただけだろ」


「はい! だから友達です!」


「……。あのなぁ、オレは今日は休みなんだよ」


「えっ!? どこか体調が優れないんですか?」


「まあ、そんなところ。オレは学校行かないから。じゃあな」



 本当は違う。中学に上がった途端に勉強についていけなくなった。夏休み前の成績が悪く、学校主催の「受験は集団戦」を謳う夏期講習に参加することになり、勉強と学校が嫌いになった。気づけば週1で登校するくらい。



「……そうですかぁ。お大事にしてくださいね?」


「ああ……」



 少し胸がチクリと痛んだ。



「ではまた明日!」



 知佳は運転手の女性がドアを開ける黒塗りの高級車に乗り込んだ。



「ん? あいつ、また明日とか行ってなかったか?」





 案の定、次の日も、その次の日も知佳はやってきた。そうやって2ヶ月が過ぎる頃、オレは週1しか行かなかった学校に週3で通うようになっていた。


 朝の支度を終えてテレビを見ていると、妹が「にぃにの友達こないね〜?」とつぶやく。



「うっせ。別にオレは知佳を待ってるわけじゃねぇし」



 チャイムが鳴る。オレが玄関に行くと、運転手の女性がいた。この人は知佳の家の執事も兼ねる。端的に言えば家事、運転、ボディガード、マネジメントまで何から何までこなすプロの従者だ。



「おはようございます、渚様。知佳様は今日はお先に登校されました。学校で待っているから絶対に来ていただきたいと伝言を承っております」



 ……ちっ。2ヶ月経ったこのタイミングで、か。



「分かったよ」


「それではお車に」


「歩いて行くから大丈夫」


「さようですか」



 女執事は立ち去る。


 妹が「いいの? 遅刻だよ?」と時計を指す。


 オレは乗っておけばよかったと後悔しつつ学校へ走った。



 毎日迎えに来る知佳が今日は先に学校へ行った理由。きっと知佳が「そろそろ自分の足で登校したらいいと思います」みたいに思ってのことだ。これで学校を休むのは癪に障る。



 なんとか教室に到着したが、誰もいない。教室の後ろの黒板を見ると、今日は生徒会選挙の演説会だと分かる。オレは体育館へ向かった。



 息を切らして到着した体育館で生徒会占拠の演説会が開かれている。

 生徒会長の立候補者は2人いて、片方が演説を終えたところだった。立候補者のマニフェストは「挨拶をたくさんした人やボランティアをした人を表彰して、一人ひとりの頑張りが分かる学校にする」というもの。「ゲームみたいでおもしろい」など生徒の興味を集めていた。


 オレは自分みたいな奴は表彰されないだろうな、と思う。



 次に司会が呼んだのは「散華知佳」だ。

 知佳は立候補者の応援演説として女子制服を着て登壇した。オレは驚くが、驚いたのはオレと一部の教師だけ。まあ知佳が男であることを知っている人は少ない……、というかこいつの女子制服姿が見間違うことなく女子そのものすぎるのだ。



「こんにちは。ボクは散華知佳、男です」



 一瞬、シンとした。

 揺れ戻しのように生徒が一斉にどよめく。



 静まるのを待ってから、知佳が演説を続ける。



「今、この学校には教師陣が勝手に決めた校則にないルールがたくさんあります」



 堂々とした物言いに、ざわついていた生徒たちも知佳の演説に耳を傾けている。



「校則によると生徒は学校指定の制服を着用することとありますが、男子が女子制服を着てはいけないとは書いていません。もし、今の校則のままならボクは教師陣の独自ルールによって罰せられるでしょう。皆さん、教師陣の勝手な裁量で苦しんだ経験がありませんか? ボクの応援する立候補者は、学校の掲げる『自由な校風』を取り戻します」



 司会すらも聞き入っていたのか、動揺しながら進行を続ける。


 この後、生徒会長の立候補者にバトンタッチし、マニフェストの演説が始まった。そのうちの一つがこれ。



「例えば、成績の良くなかった生徒を対象に夏期講習の参加を強制することをなくします」



 オレは自分が学校に通わなくなった原因をなくしてくれるのなら、願ってもないことだと思った。


 そうして知佳の応援した立候補者は絶大な指示を得て生徒会長に就任した。代わりに毎朝の自習時間や宿題が増えたりしたが、髪の長さや靴下の長さを指定されなくなったり新しい同好会を作りやすくなったり、束縛からの解放は生徒たちにとって素晴らしいことだった。更新された学校のホームページを見る限り、自由な校風を大々的に宣伝されている。





 そうして今に至る。渡り廊下の屋上でぼんやりと知佳を眺めた。

 現在では知佳は女子用制服を着て毎日登下校をしている。オレと一緒に通うことは時々あるくらい。これはオレが送迎を辞退しているから。だって学校中の人気者と同じ車で登校するなんて良い注目の的になる。


 また、知佳は自由な校風を象徴する存在として理事長からお墨付きをもらっていて、学校のホームページの中で女子制服を着た知佳の姿が見れるほどだ。もはやオドオドしていた知佳の姿はない。


 ここまで完璧になるとは思わなかった。



 知佳は誰かに「副会長!」と呼ばれる。

 てへ、とウインクをしてきた。



「行かなきゃ。またお話しましょう、渚クン」


「おう」


「……あっ、渚クン! 世界史の宿題ちゃんとやるんですよ?」


「へいへい」



 今は同じクラスだから何かと世話を焼かれている。

 オレは未だに自分が落ちこぼれな生徒であることを自覚しながら、「……はあ」とため息をついた。





▽side知佳


「……はあ」



 熱い吐息を漏らしながらボクは鏡に映った自分をうっとりと眺めます。



「ボクってかわいいかも……」



 白いワンピースを着て夏の装い。いつもは後ろで留めている髪も学校じゃなければ、留めないでゆるくパーマさせて遊べます。今日は休日。ボクはこっそり女装を楽しんでいました。


 ちなみに学校に女子制服を着ていくのは学校公認の女装なわけで、姉の服を着た時のようなドキドキは今では感じられません。みんなの扱いは男でも女でもなく副会長という性別で扱われていますし。


 でも、今は本当に女装したい気持ちから服を選んで着ているのでとても楽しいです。家の中では女装を楽しんでいました。


 執事がやってきます。彼女はボクの女装姿を見ても表情ひとつ変えず、柔和で優しい顔つきのままです。


 ええ、実は女装は親公認なんですよ。まあ、姉にバレてちょっとした家族会議になったんですが、女優の母がボクの女装をもっとかわいいものにする奮闘をし始めてから成り行きで公認になりました。



「似合ってますか?」


「はい、とても」



 彼女はちょっと儚げな感じのする面持ちで微笑みました。



「ありがとうございます!」


「そうでした、佳乃様からこちらを預かっています」


「母さんが?」



 ボクは包みを受け取りました。包装を綺麗に剥がすと化粧箱に入ったリップが出てきます。けっこう有名な化粧品メーカーのものだと思いますけど……。

 今まで化粧をしたことがないから分からないのです。



「私が付けましょうか?」



 ボクは執事にリップを塗ってもらいました。

 鏡を見ると見違えた姿があります。



 どうしてでしょう、なぜだか無性に出かけてみたくなりました。

 今まで女装姿で外出したことはなかったのに。



「これで外に出たら変ですかね……?」


「女の子が普通にお出かけをしているように見えると思いますよ」


「そう、ですよね……。うん、ありがとうございます!」



 ボクは人生で初めて、女装で街に繰り出すことに決めました。家から街までは執事が送ってくれるので安心です。



「お時間になりましたらお迎えに参ります。それまでどうぞお楽しみください」


「はい! ありがとうございます!」



 ボクは街を歩きます。

 車で来たせいか、女装しているという実感が今さらになって湧いてきました。


 喫茶店の窓ガラスに映った姿は女装した自分の姿でドキドキが止まらない。


 ……本当に女装してるんだ。



 なぜかチラチラと視線を感じます。


 まさか、どこか変なのかな。



 気になったらいろいろ調べてしまうのがボクの癖です。

 ポーチを開いて手鏡を取り出し、全身をくまなく調べ尽くしていました。





▽side渚


 街。昼。いつものパーカーを着てゲーセンの帰り。ゲームを買ってもらえないのだ。仕方なくお年玉を崩してゲーセンに来ている。


 暑いのでアイスでも買おうと思って喫茶店を覗いていたが、財布に余裕がないので諦めた。


 ふと、足元に金色の棒が転がってくる。

 たぶん口紅だ。母親がこんなの持っていたのを見たことがある。


 拾った後、持ち主を探そうと顔を上げた。



 隣で手鏡を持ってキョロキョロする女の子がいた。思わず呼吸を忘れるほど美人で、胸が締め付けられるような感じがする。今まで感じたことがなかった感覚に戸惑った。


 我に返って渚は女の子に口紅を差し出す。



「お、オイ。これ落としてねぇか……?」


「あっ、はい! って、なぎ……!」


「え?」



 女の子はあたふたしている。急にどうしたのだろう。

 もしかして、ぶっきらぼうな話しかけ方をしたせいで怖がらせてしまった? どうしよう……。って、なんで嫌われたくないなんて思ってるのか? 意味がわからない。


 目が合う。ごちゃごちゃ考えていたが、何も考えられない。吸い込まれるように彼女の瞳を見つめてしまった。

 世の中にこんなキレイなものって存在するのだろうか?



「それじゃボクはこれで!」



 女の子はビシッと手を上げて挨拶した。



「え?」



 女の子は通りをダッシュする。



「ちょっ、ちょっと待って!」


「むっ無理です!」


「ええええっ!?」



 なんで!? そんなに怖がらせたの? いやいやいやいや、勘違いだからそれ! まだ口紅を渡してないんだよ!


 オレは全速力で追いかける。



「ち、違うんだ! って、超早ぇぇ!!」



 ランニングのフォームが完全に短距離走選手のそれだ。ワンピースの裾が! ひるがえってぇ……、太ももがアフンアフン!



「キミと話すことは何もないです!」


「ええっ!?」



 そんなこと言われるなんてショックだ。そんなにイヤだったの?



「なんで! 初対面なのに!」



 女の子が足を止める。



「待ってくれ、オレとお前は初対面だろ? オレ、何かしたか?」


「……ショタイメン?」


「そ、そうだろ?」



 女の子は背中を向けたままほっとする。振り向いた。

 おずおずとした表情にドキッとする。



「じゃ、じゃあボクの名前は?」


「知らねえよ。むしろこっちが聞きたいくらい……」



 いや、聞いてどうするんだよオレ。

 急に走ったせいもあって頭が回らない。



「そ、そっか。ボクの名前は……、と……。いや、ええと……。チカ、です!」



 彼女にふさわしい控えめでかわいらしい名前だ。



「……チカ」



 そう名前を復唱すると女の子の顔が真っ赤になった。

 なんだかこっちまで顔が熱くなってしまう。



「――!」



 女の子は声にならない叫びを上げて、ワンピースの裾をぎゅーっと握った。



「ではこれで!」



 すごい勢いで走り去っていく。さすがに追いつけそうにない。

 なんだったんだ、あの子。それにしてもかわいかった。未だに顔のほてった感じが抜けない。胸も高鳴っている。こんな感情も感覚も初めてだった。


 ああ、ドキドキが収まらない……。





▽side知佳


 ああ、ドキドキが収まらない。走ったからじゃなくて、渚クンに女装を見られたから。学校の誰かにすれ違いくらいはするだろうと思ってましたが……。


 でもそれが渚クンだなんて。


 渚クンは憧れの男子です。あんな風に物事を真っ直ぐ見られるようになりたい。そんな人に隠れて女装をしていることがバレたら?


 ひねてるんです、ボクは。渚クンは思ったことをハッキリ言うから少し怖い。変だって言われたらボクはもう立ち直れないかもしれない。渚クンはこのボクの普通だと思ってくれないでしょう。



 でも……、初対面に見られました。


 それくらい変われたんだ、ボク……。

 名前を訊いてきたのは女の子に見えたからでしょうか?

 もしそうだとしたら、親友に女の子だと思われていることがこんなに……。

 ああ、どうしようもなくボクは裏切り者です。



 こんな感情も感覚も初めてでした。未だに顔の火照りが抜けない。いけないことだと分かっているのに、ボクはまた渚クンに見られたいと思っている……。





▽side渚


 いけないことだと分かっているのに、オレはチカにまた会いたいと思っている。

 性懲りもなくチカの走り去った方を歩いていた。

 たぶんこれってストーカーだ。いや、でも女の子は見つけていないし。まだストーカーになってないはず。それにまだ口紅を返してないし!


 そう言い聞かせているが、白い服の人を見かけると視線が向かう。これでもないあれでもないと繰り返していた。



「ばっかじゃねーの。見つかるわけ……あ」



 公園を挟んで向こう側をチカが歩いている。この公園を渡ったら完全に犯罪だと分かっていながらも、オレは足を止めることができなかった。


 チカは大きなお屋敷に入っていく。



「あれ……。この家って……」



 前に1度だけ来たことがある。知佳の家だ。親が映画監督と女優で豪邸に住んでいて、姉もモデルをやっていると聞いたことがある。ということはさっきの女の子は知佳の姉だったのだろうか。モデルをやってるなら美人なのもうなずける。


 オレは迷いなくインターホンを押した。



「はい」


「こんにちは、知佳の友達の渚です」


「ああ、こんにちは。何かご用件ですか?」


「たぶん、忘れ物を届けに」



 口紅を見えるように掲げた。姉とは会ったことないから。



「わかりました。では通用口からお入りください」



 大きな門は車用ということだろう。通用口が自動で開き、半年ぶりくらいに知佳の家にきた。広い庭があり、綺麗に整備されている。家かと見間違う建物はガレージだ。その建物の倍はある屋敷が本当の知佳の家である。玄関の前で執事の女性が待っていた。



「ありがとうございます。中でお待ちいただけますか?」


「はい」



 エントランスに通される。高い天井にシャンデリアが輝いていた。絨毯は毛の倒れる方向すら整えられている。2度めだけどスケールの違いに驚きを隠せない。



「知佳様をお呼びしますので、少々お待ちいただけますか?」


「……知佳? お姉さんじゃなくて?」


「はい。このお届けいただいたリップは知佳様のものですから」


「え?」



 ちょっとよくわかんないです。



 ま、まてよ。万が一ってこともある。なぜなら知佳は学校に女子の制服で来るような男だ。そんな奴が休日に口紅塗ってお出かけしてるってことは、ありえる。じゃあ今までのドキドキは? オレがときめいたあの女の子って?



「オイオイオイオイ! 嘘だろ知佳ィ!」


「あっ! 渚様!」



 オレは渚の部屋に走った。前に一度来たから覚えている。2階でいちばん日当たりの良さそうな南側の部屋だ。ドアには「TOMOYOSHI」と書いてある。間違いない。



「知佳ィ!!」



 勢い良くドアを開けた。




 そこには着替え中のチカ……、もとい、知佳がいた。





▽side知佳


 勢い良くドアが開いた。

 血相を変えた渚クンが部屋に入ってきます。



「な、渚クン……?」



 どうして渚クンがここに? このタイミングで? ボクって気づいてなかったんじゃないの? え?


 疑問で頭がパンクしました。



「知佳がチカで? チカが知佳で?」



 頭がパンクしているのは渚クンも同じみたいです。

 ドアが開いたせいで、内股をスーッと風が通り抜ける。



「渚クン……、その……。ドアを閉めてくれるとありがたいです……」


「お、おう」



 渚クンはその場でドアを閉めました。そのままドアの前に立ち尽くしています。

 ボクは半脱ぎのワンピース姿と女性用下着を晒していました。

 なぜか2人きりになった室内に静寂が流れます。


 ……あれ? 廊下で待ってて欲しいって意味だったんだけど。


 さすがに下着を脱ぐわけにはいかないので半脱ぎのワンピースを着なおして、乱れた髪を手櫛で簡単に整えました。その間、ずっと渚クンに見られていたのです。恥ずかしくてどうにかなりそうでした。


 いや、もうどうにかなっていますよね。心臓は爆発しそうだし、頭は何も考えられないし、手足の感覚からすべてがおかしくなっていました。なんとかもとに戻らなきゃ。だって、渚クンの前なんですよ。憧れの人に剥き出しのボクをさらけ出すなんて……。


 なんとか平常心を取り戻そうと躍起になってみるもののドキドキが収まらない。

 ああ、背徳です。

 とにかく今は落ち着くためにも話をしましょう。



「渚クン、えっと……。準備できました……よ?」


「えっ、何の準備?」


「話す準備ですけど……」


「おっ、話す準備。おう、いいぜいいぜ、話せ」


「じゃあ訊くけど……、なんで渚クンがここにいるんですか?」


「これを届けようと思ったんだ」



 渚クンはリップを見せてくれました。



「これ……。ありがとうございます! 母さんからもらったんです。なくしてなくてよかった……。あれ、じゃあ、話しかけてきたのってこれを拾ってくれたからですか?」


「うん」


「そっ、そうでしたかぁ〜。じゃあ初対面っていうのは」


「この家にたどり着くまで気づかなかったからな」


「……あれ? もしかして」


「う……。すまん!」



 渚クンはその場で頭を下げました。



「お前の後を付けた。その……、気になってしまって。いや、言い訳は言わん!」


「頭を上げてください!」



 憧れの人に頭を下げられたくなんてないです。

 渚クンは頭をゆっくりと上げました。すごく申し訳無さそうな顔をしています。


 そうか、ボクは渚クンに後を付けられていたんだ。なんだか裏切られたみたいで少しショックだけれど、どうしてでしょう。肩に重くのしかかっていた罪悪感が薄らいでいきました。



「渚クンも同罪ってことですよね……。うん、きっとそうだ……」


「同罪?」


「ボク、渚クンのことを許したいです」


「わかった。なんでも言え」



 渚クンは完全に謝罪モードです。



「……なんでも言っていいんですか?」





▽side渚


 おずおずと進言するチカ……、じゃなくて知佳は法外に可愛かった。この人には絶対に敵わないとさえ思う。身長差もあるし、体格差もある。なのに敵わないなんて感じるのはどういうことだろうか。


 でも、知佳は男だ。友達をストーカーして秘密を知ってしまった。それはとても罪深くて客観的に考えれば絶交したっておかしくない。それを知佳は「許したいです」と言ってくれた。最大限の譲歩には最大限の力で返したい。



「なんでもはなんでもだ」



 学校にふたたび通えるようになったのは知佳のおかげだ。知佳は成績優秀、運動神経抜群、品行方正、家も裕福でオレとは比べ物にならない。何かしてやれることなど最初から思いつかなかったから、なんでもやってやるという気概は本当だ。



 知佳はしばらく呻くように考えて、知佳は隣の部屋にオレを呼ぶ。そこは部屋というよりは倉庫で、女性用の衣服が向こうの壁まで整然と並び、壁の棚にはカバンやポーチ、靴がショーケースのように配置されている。ここは部屋すべてがクローゼットになっているらしい。



 知佳は衣服の中からサイズが大きめのワンピースを取り出した。知佳が今着ているものと比べるとふわっとした生地で、袖も長くて夏に着るような感じではない。知佳の部屋は冷房が利いているので問題なさそうだが。


 知佳はルンルンと瞳を輝かせてこう言った。




「渚クン! ボクと一緒に女の子になりませんか?」





▽side知佳


「は!?」



 渚クンが素っ頓狂な声で驚くのも無理ないですよね。



「女装しましょうってことです」


「うん、いや? いやいやいやいや! オレが! 女装!?」


「女みたいなボクを気持ち悪いと言わなかった渚クンならいけると思います!」



 そう、ボクが女子の制服で学校に通い始めても、接し方が変わりませんでした。ボクをしっかり認めてくれているからだと思います。



「自分がやるのとはまた別の話だぜ?」



 う……。それはそうなんですが。



「な、なんでもやるって言いましたよね?」


「うぐぐ……。わかった、好きなようにやれ!」



 体を大の字にして渚クンは観念しました。

 ボクは渚クンに手にしたワンピースを着せ、ウィッグや小物で男性的特徴を感じ取れる部位を隠していきます。


 なぜだかボクはその過程にひどく興奮しました。男として憧れていた人がどんどん女の子になっていく。まるで渚クンを征服しているような感覚がしたのです。



「さあ、できあがりです!」



 ボクは渚クンの両目を後ろから塞ぎます。



「んあっ?」


「見てのお楽しみです」



 二人してよろよろ歩いて姿見の前に立ちました。ボクはパッと手を離します。

 渚クンは鏡に写った自分を眺めて目を白黒させました。



「これが……オレ?」



 巻き毛のウィッグで頬のラインをスマートに見せて、元々の二重が功を奏してフェミニンなウィッグが似合っています。日焼けした腕と男っぽくなりつつある角ついた手の甲を隠すために萌え袖を採用。166cmほどの身長はスラッとしたシルエットに見えるように黒いワンピースで整えました。ボクはこの1年で女装に関してかなりの知識を手に入れたと思っていたけれど、それを誰かに実践できるほどまで成長していたというのでしょうか。



 何より、ボク好みのかわいいが詰め込まれています。ボクはシンプルなデザインが好きだけど、肌が白くて童顔だから女の子っぽくて派手なデザインの方が似合うんですよね。でも、渚クンは男の良さとまだ未成熟な体の二面性があるから少し大人っぽいデザインがしっくりきました。



「渚クン! とってもかわいいです!」



 ボクは居ても立ってもいられず渚クンを抱きしめました。

 渚クンは顔を赤らめています。


 まあ、誰だって恥ずかしいものです。ボクも初めて姉の服を着た時は恥ずかしさで心臓が爆発しました。わかります。



 ……というか、ボクよりかわいい。それには妬いてしまう。だから思う存分、恥ずかしがればいい。





▽side渚


 頭がおかしくなった。


 鏡に映るのはスラッとした女の子が耳まで真っ赤にして棒立ちする姿。彼女に抱きつくかわいらしい白ワンピの女の子。しかも白ワンピの女の子はいたずら好きな狐のようにニンマリとしている。女の子同士がじゃれ合っているように見えた。



 そう、こういうのを百合って言うらしい。たしかに異性同士がイチャイチャしているのはいけない花園を覗いているような感じがする。



 オレは鏡に笑いかけてみた。

 背の高い女の子がぎこちない笑みを浮かべる。



 ……ああ。この百合な光景、どっちも造り物なんだよなぁ。



 オレは夢咲渚。男だ。隣で人懐っこそうな笑みを浮かべているのが散華知佳。男。顔のほてりや服の締め付け具合が嫌というほど現実感を訴えている。オレたちは男なのに犯罪的にかわいかった。





 この日を境にオレと知佳は女装会を開くようになる。女装会とは二人で一緒にかわいくなろう、という会だ。主催は知佳。


 別に参加しなくても良かったのだが、あいにくチカの姿を拝めるのは女装会だけ。オレは仕方なく女装会に参加して、様々な格好をしてくれるチカに何度も心を射抜かれていた。男だと分かっていたが、かわいいは別なのだ。それは残念ながら、オレ自身にも言えることで……。


 つまり、オレは新しい扉を開けた気がしたのだ。


 ……いや、開けた。

 間違いないね。



 そうして今日もオレと知佳のヒミツの遊びが始まるのだ。

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[良い点] びゃあああああ!良き! 大変良き! これは短編としてあのシーンで終わるべきだったかもしれませんが二人の今後を思わず想像しちゃいますね。 そして最後に渚君サイドを入れてくれるとこが憎い! チ…
[良い点] ああああああ!ホモ百合大好きですッ!
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