表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
労働哀歌  作者: 錫 蒔隆
3/22

初体験の派遣 時給830円

 本業の貴重な土曜休みをつかって、会社の近くにある産廃処理業の会社へ派遣された。10時から18時、実働7時間。日当は5000円にみたず、一日は潰れる。じつに割りにあわない、ばかげている。そんな仕事に応募した当時の心境を、思いだすことはできない。朝は多少ゆっくりできると思ったのだろうか。それにしたって、割りにあわない。そんな不合理に身をゆだねなければならぬほど、当時の私は切羽つまっていたらしい。

 派遣労働者としてのデビュー。私は緊張した。時間10分まえに到着し、事務所らしきところへ行く。この瞬間が、なによりもきつい。私はあがり症なのだ。

「おはようございます。○○○○から派遣されてきた者なのですが」

「ああ、ご苦労さまです。こちらでお待ちください」

 事務員らしき若い女性にそう言われ、用意された椅子にすわる。

「おはようございます。○○○○から派遣されてきた者なのですが」

「こちらでお待ちください」

 私と同じ文言を弄して、もうひとり入ってくる。年のころは、当時の私よりも少し若いくらいだったか。この現場に派遣されたのは、私と彼のふたりだった。「きょうはよろしくおねがいします」と、たがいに名のらずに挨拶する。一日かぎりの縁であるのだから、たがいの姓名を知ったところで益はない。きょう一日をやりすごすために、仲よくしておく。

「きょうが初めてなんですよ」

「ああ、そうなんですか」

「入られて長いんですか?」

「一年くらいですかね」

 などと話をして10時をすぎたころ、作業着を着た中年の男性が現われる。「お待たせしました」と、私たちは現場へと案内される。現場はまあ、きれいでもなく汚くもない。家電の緩衝材につかわれていたような発泡スチロールが、現場の片隅に山積みされている。10メートル四方の一画が、2メートルくらいの高さの発泡スチロールに埋没している。

「あの発泡あるでしょ。ふたりであれを細かく砕いて、このゴミ袋に入れていってほしいんだ」

 ケースに収納された、50Lのゴミ袋。それを何十枚つかえば、あの発泡スチロールの山が消えるのか。誰にでもできる単純な仕事だ。830円(もうひとりの彼は880円)という時給は、この仕事内容に合致している。ただひたすら発泡スチロールを割って砕いて、ゴミ袋に詰めてゆくだけだ。こういった黙々とこなす仕事は、私の性にあっている。

「これ、時間までに終わりますかね?」

「終わらせましょうよ」

 私は燃えていた。この作業を時間内で終わらせることに、私の真価が問われている。知力と体力を、この単純労働に注ぎこむ。発泡スチロールは細長い棒状をしている。そのまんなかに膝蹴りを入れて割る。割れたそれに膝を入れて四分割。そうしてゴミ袋に詰めこむ。ただひたすら、それをくりかえす。

「ふだんは、なにされているんですか?」

「工場で働いているんですよ」

「へえ、どこですか?」

「G町です」

「G町ですか。ちなみになんて会社です? もしかしたら知っているかもしれない」

「□□□□って会社です」

「ああ! 知ってます知ってます。集荷でたまに行ってますよ。入り口のなかに、小さい神社ありますよね?」

「ははは。ありますあります」

「×××って運送屋なんですけど、見たことないですか? 緑色のトラック」

「見たことあるかもしれないですね、今度注意します」

「ところで、お名前うかがっていなかったですね」

 ここでようやく、たがいに名のりあう。まるで、映画の長いタイトルシーンのように。諜報インテリジェンスの世界における人的諜報ヒュミントよろしく、派遣労働の先輩である彼から情報を引きだそうと試みる。

「おれ、おせちの仕事で応募したんですよ。行かれます?」

「おれも行きたかったんですけど、仕事で行けないんですよ」

「S町の時給1000円の家具倉庫って、△△△ですよね?」

「そうですそうです」

「入ったことあります?」

「ええ、何度か。やっぱほかにくらべて時給がいいんで。ほんとはきょうもそっちに行きたかったんですけど、枠が埋まっちゃったんですよね」

「△△△って、どうなんですか? やっぱきついですか?」

「そんなでもないですよ。日勤しかやったことないんで、夜勤とかほかの時間帯はわからないですけど」

 たいした情報は引きだせていないように思えるが、そうではない。インテリジェンスの世界においては、一般情報の蓄積に意味がある。経過観察における「変化なし」という報告もまた、重要なのである。そんなにきつくない、何度かリピートして働きに行っている。これは重要な情報と言えるだろう。


 そうこうしているうちに昼休憩をはさみ、定時の18時を迎える。時間内に終わらせるという目標があったので、時間はあっという間にすぎた。作業は30分まえに完了した。私たちでなければ、こなすことはできなかったはずだ。ほかの粗忽者や怠け者だったりしたなら、絶対に終わっていない。

「おつかれさまでした」

 労働管理票という小さな紙きれがあって、それが派遣労働の証明となる。それに派遣さきの担当者からサインをもらう。先輩の彼から、そのやりようを教えてもらう。

「管理票って、事務所行けばもらえるんですか?」

「もらえますもらえます」

「給料も事務所で手渡しなんですよね? 車、めんどくさくないですか? 停めるところないし」

「おれは市役所の駐車場停めて、駅の反対まで歩いて行きますよ。そこで金つかいたくないじゃないですか」

「なるほど。じゃあまた。おれも△△△行ってみようと思っているんで、会ったときはよろしくおねがいします」

「こちらこそ」

 私の差しだした右手を、彼の右手が固く握りしめる。そうして私たちは別れた。

 それから一度として、彼に会うことはなかった。一度きりのであいであった。


 かりそめの 友とたのみし 彼はいま 一期一会の 空に思ふ



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ