初体験の派遣 時給830円
本業の貴重な土曜休みをつかって、会社の近くにある産廃処理業の会社へ派遣された。10時から18時、実働7時間。日当は5000円にみたず、一日は潰れる。じつに割りにあわない、ばかげている。そんな仕事に応募した当時の心境を、思いだすことはできない。朝は多少ゆっくりできると思ったのだろうか。それにしたって、割りにあわない。そんな不合理に身をゆだねなければならぬほど、当時の私は切羽つまっていたらしい。
派遣労働者としてのデビュー。私は緊張した。時間10分まえに到着し、事務所らしきところへ行く。この瞬間が、なによりもきつい。私はあがり症なのだ。
「おはようございます。○○○○から派遣されてきた者なのですが」
「ああ、ご苦労さまです。こちらでお待ちください」
事務員らしき若い女性にそう言われ、用意された椅子にすわる。
「おはようございます。○○○○から派遣されてきた者なのですが」
「こちらでお待ちください」
私と同じ文言を弄して、もうひとり入ってくる。年のころは、当時の私よりも少し若いくらいだったか。この現場に派遣されたのは、私と彼のふたりだった。「きょうはよろしくおねがいします」と、たがいに名のらずに挨拶する。一日かぎりの縁であるのだから、たがいの姓名を知ったところで益はない。きょう一日をやりすごすために、仲よくしておく。
「きょうが初めてなんですよ」
「ああ、そうなんですか」
「入られて長いんですか?」
「一年くらいですかね」
などと話をして10時をすぎたころ、作業着を着た中年の男性が現われる。「お待たせしました」と、私たちは現場へと案内される。現場はまあ、きれいでもなく汚くもない。家電の緩衝材につかわれていたような発泡スチロールが、現場の片隅に山積みされている。10メートル四方の一画が、2メートルくらいの高さの発泡スチロールに埋没している。
「あの発泡あるでしょ。ふたりであれを細かく砕いて、このゴミ袋に入れていってほしいんだ」
ケースに収納された、50Lのゴミ袋。それを何十枚つかえば、あの発泡スチロールの山が消えるのか。誰にでもできる単純な仕事だ。830円(もうひとりの彼は880円)という時給は、この仕事内容に合致している。ただひたすら発泡スチロールを割って砕いて、ゴミ袋に詰めてゆくだけだ。こういった黙々とこなす仕事は、私の性にあっている。
「これ、時間までに終わりますかね?」
「終わらせましょうよ」
私は燃えていた。この作業を時間内で終わらせることに、私の真価が問われている。知力と体力を、この単純労働に注ぎこむ。発泡スチロールは細長い棒状をしている。そのまんなかに膝蹴りを入れて割る。割れたそれに膝を入れて四分割。そうしてゴミ袋に詰めこむ。ただひたすら、それをくりかえす。
「ふだんは、なにされているんですか?」
「工場で働いているんですよ」
「へえ、どこですか?」
「G町です」
「G町ですか。ちなみになんて会社です? もしかしたら知っているかもしれない」
「□□□□って会社です」
「ああ! 知ってます知ってます。集荷でたまに行ってますよ。入り口のなかに、小さい神社ありますよね?」
「ははは。ありますあります」
「×××って運送屋なんですけど、見たことないですか? 緑色のトラック」
「見たことあるかもしれないですね、今度注意します」
「ところで、お名前うかがっていなかったですね」
ここでようやく、たがいに名のりあう。まるで、映画の長いタイトルシーンのように。諜報の世界における人的諜報よろしく、派遣労働の先輩である彼から情報を引きだそうと試みる。
「おれ、おせちの仕事で応募したんですよ。行かれます?」
「おれも行きたかったんですけど、仕事で行けないんですよ」
「S町の時給1000円の家具倉庫って、△△△ですよね?」
「そうですそうです」
「入ったことあります?」
「ええ、何度か。やっぱほかにくらべて時給がいいんで。ほんとはきょうもそっちに行きたかったんですけど、枠が埋まっちゃったんですよね」
「△△△って、どうなんですか? やっぱきついですか?」
「そんなでもないですよ。日勤しかやったことないんで、夜勤とかほかの時間帯はわからないですけど」
たいした情報は引きだせていないように思えるが、そうではない。インテリジェンスの世界においては、一般情報の蓄積に意味がある。経過観察における「変化なし」という報告もまた、重要なのである。そんなにきつくない、何度かリピートして働きに行っている。これは重要な情報と言えるだろう。
そうこうしているうちに昼休憩をはさみ、定時の18時を迎える。時間内に終わらせるという目標があったので、時間はあっという間にすぎた。作業は30分まえに完了した。私たちでなければ、こなすことはできなかったはずだ。ほかの粗忽者や怠け者だったりしたなら、絶対に終わっていない。
「おつかれさまでした」
労働管理票という小さな紙きれがあって、それが派遣労働の証明となる。それに派遣さきの担当者からサインをもらう。先輩の彼から、そのやりようを教えてもらう。
「管理票って、事務所行けばもらえるんですか?」
「もらえますもらえます」
「給料も事務所で手渡しなんですよね? 車、めんどくさくないですか? 停めるところないし」
「おれは市役所の駐車場停めて、駅の反対まで歩いて行きますよ。そこで金つかいたくないじゃないですか」
「なるほど。じゃあまた。おれも△△△行ってみようと思っているんで、会ったときはよろしくおねがいします」
「こちらこそ」
私の差しだした右手を、彼の右手が固く握りしめる。そうして私たちは別れた。
それから一度として、彼に会うことはなかった。一度きりのであいであった。
かりそめの 友とたのみし 彼はいま 一期一会の 空に思ふ