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労働哀歌  作者: 錫 蒔隆
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おせちの製造二日間

 朝が早い。暗い。眠い。寒い。私は後悔していた。

 年の瀬に、おせちをつくる労働。三つ向こうの駅に集まり、マイクロバスでの移動。私は後悔していた。

 こんなものに応募しなければいまごろは、優雅な年末を布団のぬくもりのうちに噛みしめていられたはずである。私と同じ派遣労働者が、百人ばかり。バスに乗るのが、点呼代わり。人見知りのあいだに会話はない。彼らの誰かと仲良くなれればあるいは、この苦役もやわらぐにちがいないのだ。話かけることはなく、私は本を繙く。無駄な時間は、有効に費やされなければならない。

 時給1000円。8時30分から19時。実働9時間半。最後の2時間は残業あつかい、二割五分増しの時給1250円。二日連勤で3000円のボーナス。そういう契約である。電車賃は出ないが、3000円のボーナスで釣りが来る。それで納得する。

 バスが現場に着くころ、さわやかな朝が始まる。この工業団地は、トラックで集荷に来ている見知ったところ。自宅から車で直行したほうが近い。面倒くささもない。そういうルールなのだから、いたしかたない。朝の冷気の下、私たちは整列させられる。列をなす奴隷よろしく、工場へと歩いてゆく。

 私たちはナイロン畳の大部屋で白衣に着かえ、私物をべた置きする。白帽とマスクをつければ、個性は消える。没個性の一団は消毒され、工場のなかへ。そして整列。おせち製造のライン。そこへぎゅうぎゅうに詰めこまれたわれわれに、仕事が割りふられる。

 私は運がよかった。おせちに具材を詰めこむラインからははずれ、出荷用の段ボールをひたすら組みたてるという仕事があたえられた。おせち弁当を梱包するラインの最後尾のために、ひたすら組みたてた段ボールを補充する。なんとも地味で単調な仕事。誰にでもできる地味な仕事。

 だがこれでも、ラインに組みこまれるよりはよほどいい。ラインの連中はずっと立ちっぱなしで、流れてくる弁当箱に具材を入れる。1時間の昼休憩をはさんで、これを9時間半。それにくらべれば、この段ボールを組みたてる仕事は自由度がある。段ボールを組みたてるのに、しゃがむことがゆるされる。組みたてた段ボールを補充したり、結束された段ボールを取りに行くのに動きがある。ある程度の裁量が求められる。その裁量が、極楽と地獄を分ける。同じ9時間半の流れかたが、まるでちがうはずだ。

 ライン作業をこなすためには、身も心も機械のようにならなければならない。マスクで顔はわからないが、ラインの連中は苦しげであった。ひたすら、手だけを動かす。澱んだ時間が、彼らを殺しにかかるのだ。私であれば、とても堪えられないにちがいない。この段ボール組みたての仕事を得た僥倖に、私はひたすら感謝していた。時間はそれなりに流れる。時計は見ないようにする。見れば、澱んだ時間に襟首を掴まれてしまうからだ。

 どうにかこうにか、昼休みを迎える。食品工場らしく、弁当と茶が出る。味はまあまあ。無料なので、文句はない。休憩は泡沫のように、あっという間にすぎる。休憩時間とて拘束時間なのだから、それを長く感じてよろこんでしまうのはおかしなことと言わざるをえない。そうして、午後からの6時間半へ突入する。

 段ボールを組みたてながら、私は憂鬱になっていた。翌日のことを考えたからである。きょうはこの段ボール組みたての仕事を得て、やりすごせた。だが、あしたはあの地獄めいたラインに組みこまれるかもしれない。きょうを生きのびたとしても、あしたを生きのこることができない。そう思うと、この段ボール組みたての仕事に愛着がわく。

「1時間半残業できるかたは、のこってください」

 マイクパフォーマンスよろしく工場長が宣告した。それに応じることにしたのは、あしたをやりすごせそうにないという絶望からである。この楽な時間経過のうちに、1時間の残業で稼いでおこう。だがそれは、失態であった。

 1時間の追加残業は、無事に終えた。だが派遣会社の段取りがよくなく、送迎のバスを四十分ちかく待たされたのだ。家に着いたのは、22時ちかく。あしたも早い。夕飯を食べてシャワーを浴び、そうそうに眠る。


 後悔だらけの二日め。早朝のつらさ。また集められた百名ばかりの兵士。死地へ赴くのだ。死を覚悟していたというのは過言だが、この苦役の時間が終わる想像ができなかった。あのラインに組みこまれて、ほんとうに終えることができるのか。魂は永遠に、あの澱んだ時間のなかに囚われてしまうのではないか。

 工場の駐車場に着いての選別で、私は欣喜雀躍したくなった。きのうと同じポジションで、作業がおこなえる。工場側としても、一日やって慣れている仕事を同じ人間にまわしたほうが効率的と考えたのだろう。まさしく僥倖であった。そうこうして一日と同じように時間は流れ19時、大団円を無事に迎えた。

「おつかれさまでした」

 工場長のマイク。解放のとき。二日間の苦役のなかで、もっとも輝くとき。ナイロン畳の大部屋で白衣を脱ぎすて、到着しているマイクロバスに乗りこむ。きょうを生きのびた。あしたは大晦日。夜は毎年恒例、地元の仲間との忘年会である。心は弾む。


 人の食ふ 御節を詰めて 銭を得る この年の瀬に 懐の冬



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