出会い
しかし、自分の人生で二度目の馬車であるが、やはりなんとも乗り心地の良くない物である。
一度目も処刑への道程であった。しかも今と同様に縛られていた。
良い印象を持ちようがないことに気がついたので、考えないことにした。思考を無意識に遊ばせるのは、この数日間で最も得意となったことである。
現実逃避とも言う。
幾許か時は過ぎ、あの森に差し掛かった。
僕が、先ほど口にしたとおりの蛮行を晒した場所である。
そこかしこに、……当然であるが、先日の僕と彼奴らとの戦闘の後が見られる。成程、やはり証拠の隠滅は間に合わなかったらしい。
しかし、死体がない。代わりに、街で見た、一風変わった、というか、なんとも自分の感性では名状しがたい墓標が立っている。
当然、ここに来る前にやったのだろう。彼奴らは眉間にしわを寄せ、痛ましい表情でそれを見やる。声など掛け様がない。そも、街から此処まで会話もない。
当然であろう。僕はこれから処刑されに行くのだ。
ただし、王都でのこととは違う。正しく処刑されに行くのだ。
あの場で首を飛ばされなかったことは不思議極まりないが、成程僕は魔物らにとって重罪人であろうから、見せしめにする心算であろう。この扱いは全く以っておかしくない。
それに、街でまた……兵士達を殺した際の
「ぅげぇッ、げ、っげっ」
突然嘔吐した僕を見て、同乗した魔物らは慌てて桶を口元に当ててきた。
『乗り物酔い』というものがあり、馬車に乗っている最中に吐くことは珍しいことでは無いらしいため、その備えに助けられた。しかし、僕のは恐らくそれではあるまい。
しかし、嘔吐の原因となった思考は止まらない。
兵士を殺した際の僕の動きを見ていたからであろう、赤マントによって金属、あるいは尖った物の類は一切奪われ、両手足が胴体に絡められて縛りあげられた。あまり表現したくはないが卑猥な縛り方である気がする。
しかしまぁ、それはどうでもいい。
とりあえず僕に全く抵抗する気などないという、僕のみにわかる事実があるだけだ。
当たり前だ。今後街の人々が共に生きていく、らしい、魔物たちの出した条件とは僕の身柄である。
恐らく、僕の首で手打ちとなろう。ならば僕が暴れる筋合いなどあるまい。
未だにこいつらは僕を警戒している。当然だ。
未だに僕はこいつらを警戒している。当然だ。
こいつらは神の祝福を受けず、おぞましい野蛮な文化に任せ、生贄を奉じると、そう習った。
そのような者たちが、街の人々と共に生きるなど、それはあまりにも……。
しかし、自分の中で湧き上がる疑問からも目を逸らせない。
彼らは確かに、先ほどの――最早昨日の事であるが――戦闘の中で、紳士的であった。
そこを否定するほどには己は視野狭窄でないと信じたい。
そして現在、拷問も受けず、街の人々を私刑にもかけない。
まだ言葉の上のみ、口約束の段階であるが、市民権も与えるという。
なにより。僕は、僕の頭の中から、敵の筈の人々を避難させ、また僕から子供を護る為に捨石になった彼らの姿、そして青マントとあの幼生の必死な自己犠牲を、掻き消すことができないでいる。
これらは、矛盾する。教わったことと違う。
彼は気付けない。
教わったことが間違っている、などという可能性には、一片たりとも気付けない。
間違いなく、彼は視野狭窄を患っている。
しかし、この点に関して、彼は愚かと言えない。
彼はその文化の中で、そのように生きてきたのだ。
そして、謝罪と共に、それらを捨てたのだ。
知識の矛盾が彼を苛むが、彼の根幹は既にへし折れている。
故に、この程度の困惑で済んでいる。
馬車が深い深い森を抜け、最初の集落にて街の人々は下ろされた。今後の対応は追って沙汰が来るとのことであった。
街に来た者達はこの集落から来たのではないかとも思ったが、ここは農地であり、殆どが農夫であるとのことであった。
街の人々からは、別れの言葉も、一瞥もなかった。
その後も集落を幾つか抜け、尚進み、幾度か昼夜を越えた。縛られたままである。
用便には難儀した。食事は赤マントに雛鳥のごとく与えられた。
そして、森を抜けて暫く過ぎ、見えてきたのは広場だった。
いや、広場が悪いとは言わないが、己にとってあまり縁起の良いものではない。
早いところ抜けて欲しいと思っていたところで、馬車が停止した。
「降りよ」
赤マントにそう言われ、成程此処が人生の終着点かと納得したものの、どうも様子がおかしい。周りの雰囲気がぴりぴりしている。いやそれはいい。
周囲に整列している魔物たちは、彼らの軍装に身を包み、帯剣し、やや空を見上げ、歯を食いしばっている。どうもこちらでなく、何か別のものに気をとられているようだ。
赤マント自身も緊張している。でなければ縛られたままの者に降りろなどとは言わないはずである。
こいつは責任感の塊の如き、十知れといわれたら二十を学ぶような、子守に神経を使いすぎてノイローゼになりそうな、つまりはそんな女性であった。
たった五日だ。
たった五日で、僕が彼女をそのように分析できる程、彼女はその様な性質であった。
たった五日で、その様な人格判断の如きを行ってしまうほど、僕は彼女らを人に近しく感じてしまった。
いや、そうだ。彼女という、女性と言う表現を用いることこそが、その証左であろう。
それを自覚してから、頭痛が酷いのだ。今までの常識と真っ向からぶつかるこの事態に、正直これ以上耐えられそうもない。
どうせもう首を落とされる。重い頭が軽くなるのは良い心地であろうと楽しみにしている位であった。
僕に先ほどの旨を指摘され、鉄面皮の筈の者がやや頬を赤らめつつも縄を解いていく。
冗談であった。まさか解かれるとは。正気かと彼女の顔を見るが、一睨みを返されるのみである。
そも、過日の振る舞い故に正気を疑われているのは僕であった。成程怒るのも道理である。
――――と。まさに驚天動地が目の前で起きた。
目の前に城が、いや、己の常識とは一致せぬ形態ではあるが、間違いなくその規模の建物が現れた。先ほどまでは遥か先に森が見えるのみの、ただの、広場であったのに。
正門と見られる、彼らなりの文化においてだろう、絢爛たる装飾を施された入り口から、一人の女、そしてそれに付き従う幾人かが現れた。
途端、自分の周囲が全員傅く。赤マントが僕の頭を抑えてそれに慣わせようとし、もはや抵抗の意味を持たない僕も従おうとした。
が、目の前五歩程度の距離を開けた、先ほど現れた女―――彼らなりの文化において豪奢であろう衣服を纏い、王冠の如き何かを頭に載せた―――彼女が、よい、とでも言うように軽く手の平を向けると同時、頭の圧力は消えた。
魔物でありながら、その動作の優雅さに一瞬見惚れた。
早く殺して欲しい理由が増えた。
「はじめまして、人間。私はアイル。あなた方が魔物と蔑む者の……女王です」
鈴を鳴らしたような、透き通った声であった。
白金に輝く長い髪を持つ、神話に出てくる女神の様な顔の造詣をした女。
自分と同じか、やや年上か。その程度の年の差しかないであろう。
魔物の成長の程度など知らぬ。習わなかった。
いや待て。
女王。王だと。こいつは今、王と名乗ったか。
「魔物に王だと……王とは、神に認められた、『統治する者』ではないのか」
「それは、人間たちの間に流布している御伽噺ですね」
「違う。何故なら、神、そう。神だ。神が居られるのだから」
「……神、ですか」
「そうだ、神だ。魔物を駆逐し、人々に祝福を与える、か……み…………」
気付いた。彼女の、透き通った目を見て、気付いてしまった。
神の御業が、此処にもあった。
先ほどこの目で見たばかりであった。
彼らの頂く女王を隠し護る、城。あれこそ、魔物たちに祝福を与えている証左である。
いや、手品だ。そうに違いない。
でなければ。でなければ。
「……貴方は、此処に来る時……不思議には思いませんでしたか」
「何がだ」
「馬車、ですよ」
「馬車がどうした」
「失礼ながら申し上げます」
赤マントが遮った。
「此奴は馬車に乗った経験がこれまでなかったようです」
もしや……あれか。嘔吐したことを言っているのか。見当違いな予測である。
とはいえ、確かに乗った回数は僅か二回だが、それがなんだというのか。
「……馬車を、良くご覧になってください」
馬車だ馬車だとくどい奴だ。
「馬車がなんだというのだ。その仕組み位は習っている。車輪をつけた籠を馬が……」
目の前の女がじっと不躾に覗き見てくる。
またあの目だ。透き通りすぎて、そこに映る自分しか見えなくなる。
この目は駄目だ。己に己の蒙昧さを問いかけずにいられなくなる。
駄目だというのに、気付いてしまう……。
振り向く。そうだ。車輪をつけた籠を馬が引っ張る。
舗装された道を、精々均された土の上を走る道具だ。
樹木立ち並ぶ森の中など走れるわけがなかった。走れぬものを走らせたなら、それは。
「彼女の力です。……まだ信じられませんか?」
赤マントの方へ首を僅かに傾け見やり、そんなことを、口にする。
こちらの方が規模は小さかれども、二つも『奇跡』が此処にあった。
城の方は、自分の意識を疑えば済む。
しかし、馬車に関しては、いつから自分を疑えば良いのだ。
いや、己を疑う方がまだ楽である。己は愚物であるとの確信は最早揺るぎはない。
だが、これが事実であるならば神は、目の前の、魔物達のことも見ていたのだ。
僕などには見向きもせず。
そう、僕は『奇跡』が行使できない。
神は見ておられた。見透かしておられた。
僕の如きが英雄になろうなど。
虚栄心か偽善心か。あるいはもっと醜い何かで構成された汚物。
そのような者に与える奇跡はない。
貴様の罪悪のみを見つめている。貴様の全てを祝福せぬ。
そう仰っておられるのだ。
素晴らしい。死ぬにはいい日だ。
装うまでもなかった、僕は真に道化であった。
「あなた方の信じる神と、我々の信じる神は、恐らく異なるものでしょう」
「……なに?」
「あなた方の神は、名を呼ぶにも憚られる、天にて全てを照覧する唯一にして偉大なる一柱と伺いました。我々の奉じる神は、母にして父なる大自然そのものです」
見透かしたような間で、そんなことを言う。
魔物にも、神が存在すると。
そうだ、別に異なる神を奉じていても、それが迫害する理由とはならない。
神は、寛大である。たとえ信仰する者でなくとも、遍く全てを愛していらっしゃる。
人と魔物の違いとは、つまるところ、なんだ。
奉ずる神が異なるだけか。見た目が僅かに異なるだけか。
いや待て、何故その様に考える。
馬鹿な。
馬鹿な。
馬鹿は、僕か。
盲目的に魔物が悪と信じた。
周りの皆もそうだったじゃないか。
――周りは関係ないだろう。己が自分で考えて出した結論でないということが問題なのだ。
周囲に合わせなければ生きていけないだろう。一人で生きてきたつもりか。
――今はその様なことは本題ではない。己で解っているだろう。
それに待て。此奴らは怪しげな儀式を用い、生贄を捧げているというぞ。
――彼らが、そんな野蛮に見えるか? 頭使ってちゃんと考えてみろよ……。
馬鹿な。
馬鹿な……。
何故人と魔物は――――――。
彼は愚かであると既に何度も結論付けた。
しかし、回転が悪いわけではないからこのように考え続ける。
が、空回りが得意である。
故に愚かであるとの結論に変更はない。
「信仰心が強ければ、それが神の―――我々は精霊と称しておりますが―――御力となる。その様に我々は信じています。そして、寛大なる御心をもって、この地に奇跡を顕していただくのです」
いや、神の違いなど、どうでも、いやどうでもよくはない。ないが、しかし。
「お、お前達は、お前達は生贄などを捧げてその様な怪しげな力を……」
「その様なことは行いません」
「人間を捕らえて食べると」
「その様なことは行いません。しかし、この場では何を言っても信じては貰えますまい」
そういって、彼女は一歩下がる。
「彼に湯浴みを」
そう言い、振り向き、城内へ入っていく。
「待て、まだ聞きたいことが……」
女王は足を止め、僅かにこちらを見やり、囁く様に。しかし、それは耳元で為されたかの様に近く聞こえた。鳥肌が立つ。何故かはわからない。
「また、後ほど」