惨めな道化
――今現在、僕は魔物の集落へ護送されている。
少し時間を戻そう。
街の人々は、……僕が、魔物と共闘し、兵士を皆殺しにした時点で生きていた者は神父達によって治療され、『奇跡』の行使、及び薬草の効果により、皆、一命を取り留めた。
しかし、この街の名は地図から消えるであろう。
王命であったのだ。この街は魔物に滅ぼされた、ということになろう。間違いあるまい。このままではどの道、皆死ぬことになるだろう。
兵が帰還しなければ、当然再度兵が送られる。彼の死を伝えられるまで、怯えた王は繰り返すかもしれない。街の人々にはそこまで確信も情報もあった訳ではないが、今まで通りには行くまいということだけはわかっていた。
そして、魔物達は。僕らと同じ言葉を話す、魔物達は。
まず治療が終わるまで、何一つ邪魔をしなかった。それどころか、怪我人や物資の搬送を手伝っていた。街の人々が怯えるので、できるだけ刺激せぬよう。しかし兵士からの攻撃から護ってくれたことを知っているので、街の人々は困惑気味ながらもそれを受け入れていた。
僕はそれを、街の人々と魔物、そのどちらにも混じれず、サムさんの肉屋―――今や瓦礫となってしまったが―――その一角に腰掛けて見ていた。
そも、この街は、少なくとも僕が生まれてからは一度も襲撃されていないのだ。
王国が魔物の領地を欲したことに端を発した戦争状態にあり、また森に入り王国に無断で領地拡大を行おうとした者が帰ってこないことはあれど、実際に戦闘といえるものは発生していない。勇者候補も最終試験に合格すれば王都に召し上げられるので、例え僕があの……あの試験に合格していても、別に僕がここの尖兵となることもなかったはずだ。
だから、実際には彼らの姿形を知っていたのは、ほとんど残っていない老人達を除けば僕と……教育係の一人、そう、彼女だけではあるまいか。
そういえばあの人はどこに行ったのか。
そうだ、そもそもそこがおかしい。この街は彼女の管轄でもあったのに、何故こんなことになったのだろうか。彼女は王国でも割と高い位にあると聞いていたが……。
そこで、彼の現実逃避じみた思考は途切れた。声を掛けられたからだ。
無論、剣呑であった。
「…何故、帰ってきた」
「どうして死んでこなかった」
「なんで、私たちがこんな目にあうの!」
「あんたのせいで!」
勝手な断罪である。彼は愚鈍ではない。それを判別する程度に知恵はあった。
――――今まで誰の為に努力してきたと思っている。
誰がつい先ほどまで全滅の危機に瀕していたこの街を救ったと思っている。
事ここに至り、全てを内罰に向けるほど彼は痴愚ではない。
しかし。
「なんで、おかあちゃん死んじゃったの……?」
涙目でこちらをなじる、幼子の前で怒りを晒すこともできない。
この子は事情を知るまい。ただ周りの様子を見て、母の死の原因が彼であると判断しただけだろう。
だが、それは貫く言葉である。
何より彼は街の人々の善性を今でも信じていた。そして、たった今現れた怒りすら彼が酷く疲弊している事を表していた。
彼の精神はここにきて限界に至り、己が身を守るために、自己に向いた怒りをよそに向けようと働いた。それなのにそのことを自覚しようとしない。
己を傷つける事を忘れた事を恥じ、再び自己嫌悪の海を泳ぎ始める。
街に入る前、自分は何を考えていたのか忘れたか。人殺しめ。今また人を殺し、それで人を救ったと嘯くつもりか。屑め。下衆め。
そして何より彼は、自分が悪いという事を否定できないのだ。自分がいなければ、この事態は起きなかったと、その思考を消すことができないのだ。
突発的な怒りは萎れ、後に残るのはただただ深みを増す罪悪感である。
前言は誤りである。彼はやはり、愚かだった。
詰れば良かった。己に何でもかんでも擦り付けるなと、騒ぎ、泣き喚けば良かった。
今ここで。あるいは彼の人生の中で、これまでにその様子をただの一人にでも見せてきたなら、彼も一人の人間であると街の人々も気付けた。
しかし、彼はそうしなかった。そうしてこなかった。
唯一見せた涙は、煌びやかな王都の中で処刑を彩るエッセンスとして嘲笑の中に飲み込まれ、ここにそれを知る者はない。
いたとしたら、それは彼が殺した兵士の中のみである。
よって、人々は気付けない。
人々は安心して彼を罵るのだ。彼は只人ではない故に、人々は、石を投げる。
石を投げる。石を投げる。何かを投げる。
今頭を過ぎて行ったのは誰の遺品であったのか。
『お前なんか、はじめから生まれてこなければ良かったのに』
この恐ろしい言葉が頭をよぎる。
否定できない、そう自分に信じ込ませる頑なさ。あるいは強さ。
これが彼の不幸だった。
そして、故に。彼は、贖罪の言葉を口にした。
そこに魔物たちが現れた。
街の人々は、口をそろえて、あんたらは引っ込んでてくれ、と言う。
勇者候補を育ててきた、街の者たちは。
目の前に立つ、魔物たちを駆逐する尖兵を育んできた、彼らは。
……それでも否定できないのは、街の彼らの殆どが善良な者であるということだ。
日々を慎ましく生き、朝から晩まで汗水垂らして働き。
貧しい街である。皆が皆、手を取り合って生きてきた善良な人々である。
ただ、彼を、勇者と成り得る者を、人ではないと定義してしまったのみである。
ただ、魔物は駆逐すべき敵である、という文化で育ったのみであったが、そちらは多少払拭された。
なのに。しかし。ああ、だけれど。
彼らは、魔物達、そう、新たな隣人になりうる彼らに向かい、こう告げる。
「この鬼子を始末してやる」
ああ、ああ。かくも人は、このように敵が恋しい。
あまりに愛しく手放せない。
目を皿にして探し、もしいなければ、作らずにはいられない。
人が人である故に。彼らが彼らである為に。
では、魔物は?
リーダーとみられる、赤いマントを羽織った若い魔物が一歩出る。周囲の魔物に人々からの投石を無理やり止めさせ、こう聞いた。
「近隣の集落にいた、我らが同胞の亡骸は?」
街の人々は、呼吸を含め、一切の活動を一時、停止した。
「弔ってやりたい。場所を知っているなら、案内を」
その言葉を受けて、彼は立ち上がる。彼が知っているのだから、いや、他の者も知っていようが、関係ない。
彼が行くべきだ。
彼が魔物の糾弾を受けるべきだ。
そのような空気が蔓延する。そしてそれとは関わりなしに、彼は真っ先に動く。魔物達の、街の人々の悪意の矢面に立つ。
ふらふらと、案内のため、歩きだした。
そう習った。それしか知らない。
今までの人生。人の為の人生。
『ごめんなさい』
自分の人生を謝罪した。
これまでやってきたことは、全て間違っていました。
つまりはそういうこと。
彼は、己の全てを謝罪した。
英雄の物語を他の子供の寝物語以上に聞かされて。
強くなると。人を護りたいと。そう輝く目で語ったあの日を。己の足で踏みにじった。
自分。
それをたった今失い、足場も持たない彼の足取りは、見るも無残なものであった。
広場に辿り着いた。
よくよく考えれば、自分はこのような開けた場所ととことん相性が悪いのではなかろうか。
気まぐれで見逃してみた魔物の仔達は目の前で殺され。
王都の広場では処刑されそうになり。
成程、自分の如き矮小なものが衆目に晒されるようなことはあってはならん、との神の思し召しであろうか。
自分の如き者に、未だに、たとえ悪意であっても意識を向けられているということに感謝した。
その滑稽さに笑いが漏れ――当然自嘲の色を含む―――いよいよ限界である。
なに、そもそも英雄になるなどと嘯いていたが、土台無理な話であった。
それはなるほど全く正しく、土台を組む時点で人から放逐されようというのだ。人を護るどころの話ではなかったではないか。
世間知らずの無責任の――――井の中の蛙が、太陽を掴むなどといった如き放言―――
ただただ己をあらゆる語彙を尽くして罵倒する試みを見透かしたわけでもあるまいが、頃合い良しと見たか赤マントがこう述べた。
「もし」
「もし彼らを、晒し者になどしていたら」
「持ち上げて落とすようで気分が乗らぬが、―――貴様らを皆殺しにしていた」
自分の肩越しに振り返り、背後に集まる街の人々を睨み付けながら―――息を呑む音が、間違いなくあちらこちらから―――赤マントが、ぽそ、と、呟いた。
そこは、広場ではなく、墓場というのがふさわしい様相を呈していた。
見慣れぬ墓標が立ち並び、そう、まさに蛮族の遺跡の如き、こういうのもなんだがエキゾチックな雰囲気を呈している。
墓標の一つには、焦げ付いて最早襤褸切れとなった青マントがはためいていた。
王都の神官、神父達が見たら卒倒するであろう。異教徒の住む地として魔物と同様に扱われるようになるかもしれない。
現に、この地で神事を司っている神父は、初めて気がついたのか、眉を顰めている。
彼らの中で、特にこの場で殺された子たちを弔った覚えがある者はないようだ。
弔うにしても、魔物たちの文化を知る教育係たちは、殆どが兵士との戦いで死んでいる。彼らだろうか。いや、しかし……。
そう、そういえば教育係の彼女は―――もしかしたら彼女が。
そこで、また声がかけられる。
「どの様な事情であれ、不文律とは言うものの、休戦地帯であるこの地で卑怯にも不意打ちを仕掛けて同胞の命を奪ったことは許せん」
「……が、彼らが大地に帰れる様、今ここにおいてこれ以上この地を血で汚すつもりもない」
「何より、我々は元々報復に来たのだ。なのに気付けばこのような事態。解せぬ」
つまりは説明を求めているのだ。
しかし、随分朴訥な。話してしまってよいのだろうか、そんなことをあけっぴろげに。
街の人々が、こちらを見やる。
わかっている。あぁ、わかっているつもりだ。
自分は愚物だが、わかっているつもりです。
そう、始まりは。全ての始まりは。
「僕が、殺しました」
つまりはこれが落とし所である。
魔物の住まう集落を襲い。青マントを、魔物の幼生たちを……殺そうとし、結局死に至らしめたのは。
街が襲われたのは、そして今、人々を魔物―――人間の敵と向かい合わせているのは。
………そうか。
そう、そうだ。まだできることがある。
街の人々を護るために、僕にはできることが……いや、僕にしかできないことがあるんだ!
恰も全てを明らめる救済の光のように、それは僕の脳裏を照らし出した。
今こそ、今こそまた僕には価値がある。
今度こそ、此処こそが、僕の……『死に場所』を此処に!
「全部、全部僕がやりました! みんな殺しました。ちゃんと皆殺しにしました!
逃げる者も戦う者も護る者も怯える者も。皆みぃんな、僕が殺したんです!
あっははは、あはっはっはは。ごめんなさい、ごめんなさぁい。
いひはははははっはは」
ごめんなさい。
謝罪でなく、打算を孕んだそれは、汚れた言葉。
涙は見せない。それは彼の地で流しつくした。
今は笑うところだ。そうしてこそ、街の人々は笑顔で僕の『死』を見送ってくれる。
英雄になりたかった。でも、それはもう。
英雄になれなかった。だから、せめて。
人々の命を護るんだ。
人々の笑顔を護るんだ。
僕なりのやり方で。
………全てを捨てても、「人の為」の人生を否定しても。
彼は人を愛することをやめられない。
それが彼の不幸だった。
絶対的な理性で、自分から全ての情動を捨てて。
全ての罪と悪意を自分に向けようとあまりにも拙い道化を装う彼を見て、街の人々は何を思ったのだろうか。
それを記すことはできない。何故なら人は、一人一人、異なる考えを持つ故に。
一括りにはできるまい。すべきでもなかろう。ただ、結果だけを記す。
埒が明かぬ彼の説明とも言えぬ説明に加え、兵士が此処を襲ってきた理由を街の長が述べた。
仕方のないこととはいえ、それは推測交じりであったものの、大要を掴んでいた。
生き残った街の人々には選択肢が与えられた。
このまま街に残るか。魔物の集落に入り、労働力や知恵を与えるか。
幾人かの老人を除き、殆どが後者を選択した。
彼には選択肢が与えられなかった。
即ち、全身を縛られ、荷物のごとく纏められ、冒頭に戻る。
「……あれ?」
想定外だった。