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原罪

 ガタン、ゴトン。

 

 揺れるものであるなあと、初めての馬車の乗り心地にそのような感想を持った。

 馬車に乗せられ街を出発し、三日後。やたら揺れる馬車に縛られたまま放り投げられ、食事も与えられぬまま、到着した。妥当な扱いだと思う。

 

 煌びやかな王国の中心、王都。僕のいた街より垢抜けた雰囲気の建物が立ち並ぶ街道を抜け、馬車は走る。

 

 かつて幼いころ、馬術の練習がてら王都には来たことがある。そも、僕は此処の産まれであるとも聞いていた。

 勇者候補は、彼女の占いにより、素質のある者が見出されるとのことであったが。

 

 何でも知っているかの様な彼女でも、僕の如き、愚か者が度を過ぎた者の未来は見通せなかったということであろうか。今、現状は彼女の予想に沿っているのであろうか。だとしたら尚滑稽である。

 

 そう、昔此処に来た時。兵士達の訓練風景を見せてもらった覚えがある。掛け声にあわせて規則正しく行進し、武器を存分に振るい、そして気迫十分なその様子は、僕の英雄願望を殊更に高めてくれた。

 

 兵士の一人と会話もした。あの時、


「お前、勇者候補かぁ! 頑張れよ、坊主」


 そう言い、励ましてくれた彼の事は未だに覚えている。

 強くなって俺達のこと護ってくれな、と話に落ちをつけた事も。

 自分の夢が認められた気がして、嬉しかった。


 ……ごめんなさい。約束、守れませんでした。


 馬車は広場に入り、止まった。そこで兵士に引き渡され、後ろ手に縄で縛りなおされ、槍で囲われ、処刑台に進む。ああ、随分と沢山人が集まっている。

 誰も彼もが、僕のことを、ああ、魔物を見るように………。


 彼は自分の罪状(魔物と通じていた、などとでっち上げられた)が高々と読み上げられるのをどこか遠くの出来事のように聞いた。


 そして、彼の目の前に二人の男女が引き立てられた。酷く憎悪のこもった目でこちらを見ている。それは、周囲を囲む人々より、なお色濃い。


「この裏切り者をこの世に生み出した、罪深き者達だ」


 王が高らかに宣言した。


 男性が、怒りをこめて、


「貴様のせいで、貴様の……!」


 こちらを罵倒しようとするが、猿轡がかけられ、唸る。女性は涙目で首を振り、抵抗する。


 そして。

 林檎が木から落ちるように、容易く二つ、首が胴から落ちた。


「穢れた血の源泉は絶たれた。後はただ一つの首を落とせば良い」



 ――オオオォオォォォォー………!



 放心していた自分は、その歓声で初めて気が付いた。


 二人は自分の両親だったのだ。


 会ったこともない、かつて夢想した温かい家庭、それを与えてほしかった……相手。


 自分にもいたのだ、父が。母が。

 いたのだ。

 そして最早いない。


 名も呼んでくれず、罵声を上げたのみでただのタンパク質となったそれらは、二つ揃って、………偶然であろうか、今もガラスの瞳でこちらを見ている。


 表情は先ほどと変わらない。そこには……そこに映るのは……!


 頭が真っ白になって、ただ呆然としている彼に対し、王が、威風堂々告げる。


「見よ! 己が父母の死を見て、この傲岸不遜! 最早人に非ず、奴等魔物と同じ、情をもたぬ獣よ」


 これに最前列の兵士達が同意を叫び、周りがそれに巻き込まれて一つの意思を形成していく。即ち。


「殺せ! 殺せ!」

「あんたのせいだ。あんたのせいで家の息子は殺されたんだ!」

「父ちゃんを返せ! この魔物め!」

「殺せ」

「殺せ!」

「さっさとそいつを」

「殺せぇぇ!」


 民衆は熱狂している。もともと大した情報は伝えられていない。ただ、裏切り者という言葉だけが与えられているのだ。

 彼がどれほど努力してきたか、彼が何をし、何を考えていたか。それは彼らの斟酌するところではない。

 

 ただ、鬱憤を晴らす対象が与えられた。それも公にだ。

 

 日常の不満、魔物に対する恐怖、それらから発生した抑鬱を溜め込んだ民衆は熱狂した。

 祭りなのだ。

 

 皆が価値観を共有し、正しき行いを為していると確信し、断罪し、また、明日からの辛い日々を生きていく活力を手に入れるのだ。

 今日はいい日だ。

 裏切り者が死に、世界がより良くなる。

 明日もきっと、いい日になる……!


 

 それでも彼は知っている。

 

 人は、世界は、かくの如きばかりではない。

 

 胸にパンを抱え、笑顔で挨拶してくれた娘を知っている。

 日に焼けた顔で、励ましてくれる農夫のおじさんを知っている。

 厳しい栄養管理から、甘い物を食べさせられない自分を不憫に思い、貴重な飴を分けてくれたおばさんを知っている。

 教育係に街の者と勝手に口を利いたことを咎められ、楽しみにしていた飴を取り上げられ、目の前で踏み潰されたとしても、彼は人の善性を知っているのだ。


 今、自分を取り囲む全ての顔が、自分の死を願っているのだとしても、自分は……………。


 せめて死ぬときも前を見ていようと思い、歯を食い縛り、顔を上げたその時。

 聞こえてきた。



「お前なんか、はじめから生まれてこなければ良かったのに」



 頭を殴られた心地がした。いや、それでは足りない。かつてない衝撃だった。

 足が震える。


 カチ、カカ、カチ。カチチ。そんな、耳障りな音がする…………五月蝿いはずだ。己の、歯の根の合わない音であった。逃れられない…………!


 愕然とした。

 自分の、自分の根幹を否定された。

 あなたたちを助けなければ、そう教わってきた。

 あなたたちのために生きていきたいと、そう思ってきた、つもりだ。

 それすらも駄目なのだ。願うことも、許されないのだ。

 そして今、最早死ぬことだけが、それこそが彼らに勇気を与えることだと。

 そう思っていたのに、それすらも!

 駄目だった。これで全て否定された。

 自分の全てがなくなった。



 ―――――――――――っぅ。



 初めて、彼は、泣いた。

 今までどれほど辛くとも。孤独を感じても。人を助けたいと、その目的を自分が忘れない限り、その誇りを胸に抱いている限り。

 そう、例え孤独であっても!

 自分は悲しくはない、辛くはないと。そう言い聞かせてきた。そしてそんな時期が、悲しさを振り切ろうとした日々があったことすら忘れて久しい。


 彼は今まで人前で泣いたことは一度もなかった。

 ただの一度も。


 そして、その気高い涙を見た人々は、笑うのだ。

 笑うのだ。


 見ろ、魔物の手先が死ぬぞ。

 死ぬのが怖いか、泣いてやがる。

 いい気味だ。いい気味だよ!

 うちの子だって死にたくなかった筈さ! あんなに惨たらしく殺したくせに!

 刑吏! 何をやっている! 早く殺せ!

 そうだ、早くしろ!


 殺せ!

 殺せ!

 殺せ!



 彼の淡い誇り。それを誰もが省みない。


 価値が無いのだ。彼の誇りには価値が無いのだ。


 意味とは、価値とは。人々が共有し、そこで初めて人の世で産声を上げる。故に、誰も知らぬ彼の努力、誇り、生き方。今ここに至って、彼のそれは全くの無価値であった。

 この王国の広場に集まった二万三千六百四十一人、その全ての人間にとって。

 ただ彼の死だけが、王にとって、王国にとって、施政に有利であるという事実だけがあった。

 国費を用いず良民の鬱憤が晴らせるという。『奇跡』も起こせぬ、たかが民草の二人と勇者候補の一人という箸にも棒にも掛からぬ程度の者の死で、それが為せるのだ。

 

 幸運なり。幸運なり!

 

 王はほくそ笑む。彼の行いは為政者として決して間違っていない。

 賢王として、彼は近隣諸国に名高いのだ。


 そして彼は泣く。泣いて、泣いて。泣きながら己を捨てる。彼らが己を畜生と為したのではない。

 己が自分で堕ちるのだ。

 それだけを忘れぬよう、彼にとってのみ価値があった昨日を捨て、為すまいと思っていたことを為し、畜生として明日を生きる覚悟を決めた。

 即ち。



 ――――最も彼に近い位置にいた刑吏が、異音に気付いた。

 コキン、ペキンと。小さくも、やけに耳障りな音であった。


 そこで音源はどこかと首をめぐらせて探した所、どうもあの裏切り者の方からする様である。

 特に考えもなく、おい、と声をかけ槍を突きつけた所、彼は不思議なことに気付く。


 確かに縛った筈なのだ。奴の手首を後ろ手に、きつく、きつく。

 何故、両手が空いている。あ、今縄が落ちた。

 そして、最後。視界から奴が消え………


 首に体温を感じて、刑吏は眠りに付いた。入眠において欠片の苦痛もなかった、永い眠りだ。

 最早誰も覚ますことなき、安らかなる。


 後ろ手に縛られていた縄を、関節を外して抜け出す。その動きを見て槍を突きつけた刑吏を、槍をつかんで引き寄せ、首を折る。

 辺りは騒然となり、王を一瞬見て、民衆のほうに駆け出す。その一瞬の端倪で、訓練された兵達は狙いが王にあると見て王の方に向かい、結果民衆は護られず。

 彼は警備の薄い方向へ逃げ出した。そして彼は、立ちはだかった二名の警備兵、刑吏と合わせて計三名の死者のみにて、その場からの離脱に成功した。


 しかしこの場における死傷者は計百二十四名と発表された。


 逃げ惑う者達が将棋倒しになった結果であった。無論、犯人は彼となった。



 ――――走る、走る。森を走る。獣道を走る。即ち己が通るべき道を。畜生となった己が通るべき道を走る。

 当然だ。この近辺の街道には兵が配備されているだろう。人目につかぬためにはこれしかなく、そしてもはや自分は獣であるのだ。この道なき道を通るのに何を躊躇することがあろうか。

 

 とはいえ、地理学は学んでいない。今後の正式カリキュラムには入っていたであろうが。故に、自分は自分が住んでいた街と王都、加えてそれをつなぐ道周辺しか知らないのだ。

 あるいはこのような事態を予想し、地理を学ばせてくれなかったのかもしれない。

 

 既に日が翳る時分であり、森は優しく辺りを闇で閉ざし始めた。

 

 ………長い夜が来る。

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