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報い

 牢。地上にこそあるものの、まるで獅子を囲うが如き鉄造りのこの牢は、普段は犯罪者、あるいは性質の悪い酔っ払いなどが入れられる所である。これまで様々な懲罰は受けたものの、ここに入るのは初めてであった。

 

 …………まったく綺麗な月である。この様なことにならなければ、こんな美しい月すら見上げるゆとりもない生活であったが、それももう終わりか、と。

 

 最期の景色としては上等だと、彼なりに思っていた。

 

 無論心残りはある。彼には夢があった。


 『勇者候補』と呼ばれる、近々行われる魔物の総討伐戦の最前線で戦うべき戦士。

 その制度の歴史こそ浅いが、王国は彼らの育成にここ十数年ほど非常に力を入れていた。

 勇者候補となり、魔物を倒せば倒すほど、人々が喜ぶのだ。

 そして、王国最高の戦士となった者こそ、真の『勇者』として、称えられる。

 

 それはなんと望ましい未来だろう。


 皆の笑顔が待っている。例え志半ばで倒れたとしても、彼らのその表情を胸に土に還るなら、なんと誇らしいことだろう。


 彼は勇者に、英雄になりたかった。

 金銭に興味はなかった。栄誉にも興味がなかった。

 ただ、皆が喜んでくれるなら。この身をそれに捧げたいと。

 そう、思っていた。


 ……思わず自嘲する。思っていたのではない。今も思っているのだ、狂おしい程に。


 なのに、自分が為したことはどうであろうか。それに真っ向から矛盾している。


 英雄など、所詮僕には。



 ――ガタン、と。

 後ろから物音がして、思わず振り向いた。どこまで気を抜いているのだ。たとえ先のない命だとしても、惰弱をさらすな……。

 思わず己を叱咤し、暗闇に目を凝らすと、朝、いつも挨拶してくれるお姉さんがいた。


「…こんばんは………気の毒だったね」

「こんばんは。いえ、……いえ」


 今や、僕如きが何を語れるというのか。全ては言い訳だ。


「あのね、あの……ごめんなさい。私には何もできないけど、せめて……」


 彼女はそういって、手に持った編み篭をこちらに差し出した。

 中には、質素ながらもおいしそうなパンと、クッキーが入っていた。


 彼女はその後も何事か言っていたが、己の耳には入らない。

 ただ、申し訳なく、情けなかった。

 彼女達を害する魔物を、倒す。その為に自分はこれまで生きてきたのに。

 裏切った相手は己ではない。その様なものは些事である。僕は、彼女達を裏切ったのだ。

 涙だけは流さぬよう、歯を食い縛って耐えた。


 どれほど下を向いていたかわからない。が、前を見やるともう彼女はいなかった。

 礼儀のできている人であるから、きっと声は掛けていってくれたのであろう。よほど長く自分はその様にしていたのか。


 ……ああ、せっかくの頂き物だ。残すなど罰が当たる、頂くとしよう。

 うん、おいしい。おいしい。

 物を食べるときは笑顔でいるように常より努めている。今もそのようにしていた。




 半分ほど口にしたところで――――ズ、と。


 激痛が走った。腹だ。

 焼けるような刺すような、とかく耐えがたい痛みであった。

 何かが食道を駆け上がるのを感じた。ああ、せっかく頂いたものを戻すなど………。


 血だ。口の中に鉄錆びた味が広がるのを感じて流石に耐えきれず、またこれまでの教育の成果か、胃に残っていた内容物……恐らく毒も含めて、全て吐き出した。




 ――っぜ、ぜぅ、ぜっ、ぜ、はぁ、は……ああ…………はは。


 固まった笑顔のまま、言葉も出ない。

 無様な四つん這いから、ただ、落ち着いた腹をさすり…………なお美しい月を見上げる。



 酷薄であった。







 彼は知らない。


 差し入れた彼女は、毒の存在を知らなかった。

 かつて。この地が休戦となる前、魔物との小競り合いで夫を亡くしたのは彼女の祖母であった。

 


 彼女らの住む家は、先の広場を臨める位置に建っている。先程の騒ぎはおよそ見ていた。

 

 敵といえども、子供まで手にかけることはない。少女は、そう思っていた。

 王国に住む若者の平均的思想である。

 

 魔物は皆、死ね。

 奴らを見逃すものも、皆、裏切り者だ。

 王国に住む老人の平均的思想である。



「いい月ね、ほんとに」

「そうだねぇ」


 少女は知らない。今相槌を打った、先の編み篭を共に作った優しい祖母が、己の差し入れに何をしたか。


 彼はその事情を知らない。

 知らないが、少女を恨むなど考えもつかない。

 全くもって彼女は正しいと、そう思っていた。自分は正しく裏切り者である。

 むしろ、罰を与えてくれたことに感謝せねば。

 神の慈悲とは、かくの如きを指すのだ、と。


 彼は、人を愛しているのだ。愛しくて仕方がない。


 それが彼の不幸であった。

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