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血風

 ――――いい風だった。

 

 青い空。白い雲。自分の表現力のなさを痛感すると共に、これ以外で表現する必要すらない、ただ泰然とある自然。

 いつものように、荒く舗装された道を歩き、朝の散歩を楽しむ。今日も、いつも通り朝食のパンを買ってきたのだろう、すれ違った近所のお姉さんが挨拶をしてくれた。


「おはよう、今日も頑張ってね」

「おはようございます。はい、ありがとうございます」

 

 勝手に街の者と口を利くなと教育係達は言うが、挨拶も出来ない人間にだけはなりたくなかった。たった一つ。自分が彼らの言いつけを守らないのはこれだけのつもりだ。


 英雄になり、人々を魔物から護りたい。それが今年十八歳になった、彼の夢であった。 


 これは、そんな彼の願いを容赦なく叩き潰す物語である。


 散歩を終えて家に戻った。質素ではあるが、むしろ自分に合っているとお気に入りの小屋。

 いつも通り稽古をし、教育係たち――彼らが僕に向ける表情も常と変わらない――から魔物について学び、神へ祈り、日々の糧に感謝しつつ食事を取り、いつも通りの一日が終わると思っていた。


 夕方のことであった。旧き言葉では黄昏時、逢魔が時とも云う時分。普段であれば、祈りの時間となる筈であったが、教育係の一人が外に出よというのだ。

 一体なんであろうか。常があまりに規則正しい生活であったので、何がこれより起こるのかは全く想像が及ばない。


「呼びましたか」

「ああ。ついて来い」

 

 常の如くぶっきらぼうに、来い、と。普段の算段を狂わされる文化を持たぬ彼は困惑しながら、目の前の背中を追う。


 かなり歩いたように思う。彼は英雄となるべくしてこれまで生きてきたからかなりの健脚であった為に、疲れはさほども感じぬが、一体どこへ向かうのか。


 街を出て、草原を抜け、湿地帯も抜け……森に入る前、流石に気になって聞いてみた。

 此処より先は魔物の住まう地であると、そう目の前の男から習ったはずだ。


「何をしろと言うのですか」


 彼は愚鈍ではない。意味なく連れて来られたとは思わず、ならばこれも稽古の一環であろうと思う。

 よって何故ではなく何をするべきかを問うた。


「ここより先に、貴様が滅ぼすべき敵がいる。忌むべき彼奴らを前に、貴様はどうするか」

「是非もありません」


 つまりはそういう試練であろう。殺してこいということか。

 彼奴らめを相手に、と言うか目にするのは初めてであるが、殺生は初めてではない。日々の糧にウサギや家畜をしめたことは何度もある。

 ただ、此度はその相手が少し大きく、こちらに害為すものであるというのみだ。ならば躊躇う必要はない。なにより、今日までの訓練もこのようなことの為に行ってきたのだから。


「足跡を見逃すなよ」


 教育係の言葉を瀬に受け、歩き出す。

 基礎だ。追跡術の講義で初めに学んだことである。

 一匹たりとも逃さぬ為に足跡を見逃すな。警戒を与えぬ為に、こちらの足跡は残すな。


 急ぐ必要はない。見逃さねば、いずれ追い付ける。


 ――驚くほどに近い場所に、奴らは生息していた。岩陰に身を隠し、彼奴らの集落を窺い見る。これまで接触がなかったのが不思議なくらいであるが……休戦中であるからさほどでもない、か。

 そう、休戦中である。離れた地域ではまだ戦闘地帯もあるようだが、僕たちが住んでいる街、そして人を拒むように広がる、魔物が住まう深い森。僅かな草原と沼地をはさみ、人と魔物は驚くほど危うい均衡を此処数十年保っている、とのことである。


「つまりだ」


 休戦中である。だが、殺してこいという。

 さすがに開戦の火種を作れということではないと思う。ならば。


「一匹も残すな。痕跡も残すな……と」


 こういうことだ。挑発をする。しかし反撃は許さない。

 敵の数は減る。だが、証拠も無い上開戦すればこちらが勝つ故、泣き寝入りである。

 そう、元々今すぐ開戦しても、間違いなく人間側が勝つであろう。数が違う。技術が違う。

 なにより、神の加護が我々にはあるのだ。奴ら如き獣共に敗れる道理はない。今の時節は、単に他国との折衝に時間が掛かっているだけである。

 我らが王国は長き年月をかけ、確実に魔物を滅ぼせる準備をしているのだ。

 王が即位した当時から粛々と行われている魔物討伐の仕込みを、僕如きの一動で崩すわけには行くまい。要は、失敗すれば命はないということだ。いつも通りだ。


 よし、行こう。

 深呼吸など必要ない。気を落ち着かせる必要はない。常どおりである。


 ―――驚くほど容易かった。

 

 誰も刃向かわない。ただ逃げ惑うだけだ。

 やはり所詮は獣である。いや、獣以下だ。こちらに逃げれば行き止まりになることは、土地勘のない僕ですら予想が出来るのに、何故態々退路を己で断つのか。


 話にならない。稽古にもならない。


 どいつもこいつも、雄は特にその体格に見合った頑強さはあったが、それだけだ。手間が掛かることこの上ない。

 真正面から来ればもっと早くに終わったものを。彼奴らにしてみれば理不尽であろうが、こちらからそんなものを斟酌することはない。


 ……しかし、一つ解せないことがある。


 成体しかいない。ここは小さいとはいえ、集落である。であれば幼生がいないのは不自然だ。どこへ行ったのか。

 辺りは小汚い死体、糞便と血の臭いで溢れており、咽返りそうであった。濃厚に過ぎる。

 これほど汚してしまいはしたが、救援を呼ばせないことが最優先だ。

 

 さっさと終わらせて、後始末をし、帰ろう。

 そう思い、足跡を探す。敵の程度は知れた。拙速で良い。だが、基本どおりに追い詰めよう。


 ――――重ねて、容易かった。

 

 一匹の個体が先導し、幼生達を逃がそうと、森の奥へ奥へと進んでいた処を捕捉した。

 そして今、獣の分際で過分にも上等な青いマントを羽織った、先導役を務めている若い雄を引き倒したところである。

 辺りを見渡すと、七匹ほどの幼生が、こちらを見ている。

 震えている。

 足元を見ると、青マントが震えている。こいつも震えている。しかし、その目からは、なお。


 ……腹立たしく思う。そのような目を、獣が。それは人の目である。貴様が持つには、その背に羽織る物の如き過分であると、そう感じた。

 抉り出してやる。然る後、弄る趣味はないから、幼生共々苦しまぬよう殺してやる。


 そう思い、手を振り上げたところ、目の前の青マントが叫んだ。


「   ろ!」


 今のこの世では、かつての様に人は神の怒りに触れてはいない。故に、あらゆる二足歩行者において意思の疎通に難は無い。


 が、獣の言葉を解する気はない。


 「  く。  ろ……!」


 聞く気は無い。


「なにしてる、早く逃げろ!」


 聞こえた。

 ……畜生にも情はある。犬猫が、己の仔を護る様も知っている。だが、同属であっても、血縁の無い他者を命懸けで護る畜生はいない。

 馬鹿な。獣が何を言うのか。

 ―――ぎりり。何の音かと思えば、己の歯ぎしりの音であった。


 賢しらな………人間の情を装い、隙を窺っているのか。

 そう思っていると、右腕に噛みつかれた。


 良かった。


 ………良かった? そう、今僕は、良かったと…………そう考えた。

 何故。

 予想が当たって、自分の状況推察力に満足がいったからか。

 奴の目を見てみろ。こちらのことより、まだ幼生に目を向けているぞ。

 子供を、護ろうとしているぞ。自分の身を省みずに。


 馬鹿な。

 ――まだ気付かないか。先ほどもそうだっただろう。僕が殺した成体達。時間稼ぎをしてただろうが。そりゃ向こうは勝つ気がないもの。僕の目を引き付けるのが目的なら、あんな動きになるね。


 馬鹿な。

 ――さっき、良かった、って思ったよな。何が良かったんだ。やっぱり所詮は獣だ、人とは違う……そういう意味じゃなかったかい……?


 馬鹿な……。


 いくら否定しようとも、教育係たちが仕込んだ洞察力、記憶力、ありとあらゆる知識と経験は、愚かにもそれを是とした。否とするのは己の感情のみである。


 はっとした。意識が無くとも、訓練どおり体は動いていた。結果、既に青マントは、ほとんど抵抗も出来ずに再び地面に縫い付けられており、間抜けにも僕は、今それに気付いた。

 しかし、次の動作に移行できない。後は首を踏み抜くだけであるのに。それだけなのに。

 自分を何が苛んでいるのか。もしやこいつは妖術使いか。

 益体も無い考えがめぐるその時、足を掴まれる感触を覚えた。咄嗟に振りほどこうとするが、目に映るものを見て、言葉を聞いて、その時まさに思考も身体も完全に停止した。


 魔物の幼生が、己の父母達の血で塗れた僕の足を掴み、こう言ったのだ。


「にーちゃを、殺さないで」


 私が、代わりになるから。


 泣きながら、聞き取り辛い鼻声で、目の前の幼子は。

 そう、言ったのだ。


 なんだこれは。この光景はなんだ。魔物だろう、お前たちは。近くにいるものを盾にしろよ。理性を捨てて襲い掛かってこいよ。お前らの親は時間稼ぎしかしようとしなかったぞ。


 ――魔物なんだろうが!


 神に拒絶された、汚らわしい生き物なんだろうが。なんで……なんで……。


 僕は……お前らは……魔物は……。



 僕は。



 一切合財振り切るように、血塗れた両手を振り上げた。

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