第1節 エステル
魔法律――それは、世界を支配する四人の大精霊の言葉
この世の理、客観的に存在する唯一の秩序
全てのものを従える絶対的な法――
だが、大精霊を敬い、魔法律を尊重することで
世界に干渉する権利を手に入れた者がいる――
それが、魔法律家である
「あぁ~! もう、今日の授業つまんなかったな!」
大理石でできた長い渡り廊下を歩きながら、一人の少女が不満を口にする。
「しょうがないよ……基礎の授業だもん。復習だと思って、ガマンしようよ」
隣を歩く少女が諭すように言う。
「それにしても、当たり前のことしか言わないんだもん! 世界の秩序なんて、私たち魔法律家の卵じゃなくたって知ってるよ。『魔法律』『四大精霊』『六法』に『賢者』! 耳にタコができそうだよ……」
少女は歩きながら、顔を上に向ける。長い金髪がふわりと風を含んだ。
「でも、私には新しい内容も多かったな。もう、この世界には、新しい魔法律なんてほとんどないと思ってたけど、実際は今でも結構、発見されてるんだね『魔法律書』」
「発見されてるよ~! おじいちゃんの調査官の人たちだって、月に一度は、『魔法律書』を発見するために、遺跡とかに探索に行ってるもん。たまに、発見してるよ」
「へぇ、やっぱりすごいんだね。バークリー校長の調査官の人たちは。ほとんど、実務家なの?」
「ううん、みんな研究者だよ。だから、本当は外に出て『魔法律書』探しに行くのイヤなんだって! 研究させてくれって、いつもブツブツ言ってるよ」
「ふふっ、でも、探索に行かされちゃうんだ」
「そこで発見してくるから、おじいちゃんも調子に乗るんだよね~!」
少女たちは顔を見合わせて、大きな声で笑った。
廊下を行き交う数名の学生が神経質そうな目で睨むが、全く気が付かない。
「じゃあ、私、次この教室だから。『時空法』がんばってね、エステル」
そう言うと、栗色のショートカットの方の少女は、エステルと呼ばれた方の少女へにこっと笑顔を向けた。
「うん! クレアも『精霊学』がんばってね! また後で!」
エステルもクレアへ笑顔を見せる。
クレアが教室へ入るのを見届けると、エステルもまた、次の授業の教室へ向かって歩き出した――
ここは、魔法律を修めようとする者がこぞって集まる名門校『中央アカデミー』。光の賢者バークリーが校長を務める、大陸一の実力を有する魔法律の学園であり、学園都市の機能を担う政治的な組織でもある。校長であるバークリーを頂点とし、数十名の教授・準教授、数名の講師、数百人の魔法律騎士団員で構成される。
魔法律とは、四人の大精霊が定めた世界の理である。光の法、闇の法、火の法、水の法、大地の法、風の法の基本六法をメインに、時空法、召喚法など、様々な魔法律が発見されている。客観的に存在するこれらの法は、数千年前に大精霊が記したとされる魔法律書の形式で発見されるのが通常であり、現在でも古代遺跡や未開の森の中など、様々な場所で確認されている。
魔法律家は、魔法律を扱うプロである。魔法律の研究を主に行う者を研究者、魔法律を実際に操り、直接それを社会の役に立てる者を実務家という。アカデミーを卒業した者は、全員、魔法律家の称号を得るが、卒業後の進路は様々である。教授等の教員職につくものもあれば、魔法律騎士団に入る者もいる。ギルドという職業組合に属し、市民の依頼を魔法律で解決することを生業とする者も多い。
そして、そんな魔法律家のトップに君臨するのが、世界に十五人しかいない『賢者』である。賢者は、大精霊から直接、その教えを受けた者として強大な力を有する。そして、その賢者を補佐するエキスパートは『調査官』とよばれる。
エステルは、今年中央アカデミーに入学したばかりの十五歳の少女である。母親譲りのキレイな碧い瞳をした可愛らしい女の子だった。彼女はその可愛らしい外見からは想像もつかないような努力家でもあった。今年最年少の合格者の一人となれたのもその賜物である。祖父であり、校長でもあるバークリーは、そんな彼女が何よりの自慢だった。
「時空法、楽しみだなぁ」
ミニマム六法を両手で抱え、エステルが小さく呟いた。
時空法は選択科目の一つである。数ある魔法律の中でも難解なその法は、学生には敬遠されがちで、選択科目に選ぶ者は少ない。しかし、エステルは魔法律の中でも、この時空法が一番好きだった。難しい課題の方が燃えるという彼女の性格もあるが、何となく肌に合っていると感じられるのがその理由だ。それに、担当のテレサ先生も優しい女性の教授で、質問にも丁寧に答えてくれる。イライラしながら授業をする教員も多い中、女神のような対応の彼女は、学生からとても人気があった。
(あ、もうみんな座ってる)
教室に到着すると、すでにエステル以外の受講生全員が着席していた。それは、教室をパッと見渡すだけでも分かる。受講生の数はエステルを含めて、全員で七名しかいないからだ。時空法、魔道具学、精霊学の三つの選択科目がある中で、一学年約百名いる学生のうち、七名しか集まっていないことが、時空法の不人気さを物語っている。
教壇とは反対側の扉から教室に入ったエステルは、いつもの席に向かって階段を降りていった。
教壇を囲むように扇状に並べられた長机は、二十列あり、通路によって三ブロックに分けられている。列は教壇から離れるにつれ、少しずつ高くなっており、階段一段ごとに、長机が一列設置されるという構造だ。
エステルは、いつも真ん中のブロックの前から三番目、右端の席に座っている。あまり遠いと授業が聞きづらいし、かといって、真ん前のど真ん中に陣取る勇気はない。ここが、エステルの定位置であった。ほかの学生も、各々、適度な距離をとって座っている。後期の授業も三回目となると、誰がどこに座るかは大体決まっていた。
(またこの人、私を睨んでるような……)
左斜め後ろから軽い殺気のようなものを感じてエステルは萎縮した。
エステルと同じブロックの前から五番目、左端を定位置としているその学生は、ダンテという青年だった。黒い短髪で、左耳にゴツいシルバーのピアスを付けている。身長は約一九〇センチあり、一五五センチしかないエステルにとっては、その存在だけで威圧感がある。ちなみに学年はエステルと同じだが、年齢は五つ上の二十歳だった。しかし、これは中央アカデミーでは若い方である。アカデミーは、学生の年齢制限を設けておらず、実力のある者が入学を許可される結果、平均年齢は三十歳という、一般の学校では起こりえない事態が普通に生じている。
(あぁ~、もう席変えようかなぁ……でも、今更あからさまだしなぁ)
自分は全く悪くないのに、加害者に気を遣っているような不愉快な気分になりながらも、エステルはいつも通り、授業の準備を始めた。
(ま、授業始まったら、気になんないし、いっか)
六法を机の左側に置き、ノートを広げて札箱をその上にポンと置く。
教壇の上に掛かっている時計を見ると、授業の二分前だった。
(おかしいなぁ、先生、いっつも五分前に来るのに)
テレサ先生は、時空法の教授だけあって、いつも秒単位で自らのスケジュールを管理しており、教室にも五分前ちょうどに現れる。受講生は全員それを知っているだけに、いつもと違うこの状況は、教室の空気を少し神経質にさせた。
キーンコーン、カーンコーン――
始業のチャイムが鳴った。
(遅刻じゃん、先生……)
コツコツコツ――
廊下から革靴の音が聞こえる。
(あ、来た来た。ん? でも、いつものヒールの音じゃない……)
何かが違うというのは、エステルだけでなく教室にいる全員が感じていた。
ガラガラガラ――
教壇側の扉がいつもよりも勢いよく開く。
(えっ!?)
学生たちは現れた人物を一斉に見た。
一瞬にして不穏な空気が漂う。
扉の先にいたのはテレサ先生ではなかった。
そこにいたのは、エステルと同じ位の年頃の年若い少年だった――