第2節 出発
「本当に、もう行くからな。忘れ物とかないだろうな?」
馬車の中で向かい合いながら、ダンテがエステルに最終確認をする。
「大丈夫! 上着も買ったし、バッチリだよ!」
「そうだな……お前に聞いても意味ねぇよな。アレで行くつもりだったんだから……」
「――!? しつこいよ、ダンテ!」
「ハァ!? お前の危機感の薄さを心配してやってるんじゃねぇか!?」
「なぁ、お客さん、もう出していいのかい?」
「結構です……よろしくお願いします」
馬車はメインストリートを抜け、パンデクテンの街の門をくぐると、広大な平原を真っ直ぐに走っていく。
「わぁ! 気持ちいい! 街の外に出るのなんて、何年ぶりだろう!」
エステルが、馬車に取り付けられた小さな窓から外の風景を眺める。
広い平原の向こうには、雄大な山脈が連なっていた。
「エステルさんは、あまり街の外には行かないのですか?」
「はい、あんまり。光の神殿での儀式のときに、おじいちゃんと一緒に外に出たっきりです」
「……めちゃくちゃ近けぇじゃねえか。徒歩圏だろ」
「――!? でも、外は外だよ!」
「はははっ! まぁ、街から出る用事もなければ、出ないに越したことはありませんからね。この辺り一帯は、光の賢者の加護を受けているとはいえ、モンスターが出ないとは限りませんからね」
「ケーラーさんは、結構、街の外に出られるんですか?」
「最近は、アカデミーの授業が忙しいので全然ですが、ずっと旅をしながら見聞を広めてきましたからねぇ。外に出ること自体は、結構、普通のことです」
「へぇ、ダンテは?」
「俺も入学してからは全然だな。けど、俺の育った村は、賢者の加護が受けられる範囲内にはなかったから、常にモンスターの襲撃を受けてた。村の中にいたって、外と大して変わらなかったな」
「……そうなんだ」
「何、引いてんだ。当たり前のことだ。お前の育った環境が恵まれ過ぎてんだよ」
「引いてなんかいないよ……でも、大変だったんだなって思って」
「適当なこと言うな。大変の『た』の字も分かってねぇくせに。お前は目の前で、友達がモンスターに八つ裂きにされたところを見たことがあるって言うのか?」
「…………」
「ダンテさん……ちょっとイジメすぎですよ。エステルさんが悪い訳ではないんですから」
「そうだな。過保護な周りが悪いんだろうな。じゃ、俺ちょっと寝るから。モンスターが出たりしたら起こしてくれ」
そう言うと、ダンテは自身のコートを被って睡眠の態勢に入った。
「…………」
「……気にしなくてもいいんですよ。徐々に知っていけばいいことですから。エステルさんも、寝られるなら寝ていて構いません。まだ、結構かかりますからね」
「……はい」
エステルは、買ったばかりのコートを脱いで、頭からすっぽりと被った。しかし、ダンテに言われたことが頭から離れず、なかなか眠気が襲ってこなかった。『過保護』という言葉は、実は今までに何度も言われたことがあった。だが、エステルはその言葉の意味をあまり深く考えたことはなかった。せいぜい「大切にされている」という程度のことだと聞き流していたのだ。何がどう過保護なのか、はっきり指摘されたのは初めてだった。
エステルは、何も知らず、何も考えず、ただ周囲に守られて生きてきた自分が、急に恥ずかしくなった。自然と涙が溢れてくる。『力の承継』のことだって、誰も教えてくれなかったと拗ねるのではなく、自分で気付けばよかったのだ。自分で気付ける環境には十分あった。そう思うと、ますます情けなくなってくる。
ポロポロと涙をこぼしながら、エステルはいつの間にか眠りに落ちていた――
「眠れたようですね……」
「…………」
「本当に、エステルさんは素直ないい子ですね。校長が大事にしたくなるのも分かります」
ケーラーはフフッと笑った。
「なぁ……」
「何ですか?」
「あんたはさ、この世界に賢者が必要だって思ってんのか?」
「そうですねぇ……それは人間が、自分の環境にどれだけ納得できるかに関わってくるのではないでしょうか?」
「納得?」
「あなたは、お友達が亡くなったとき、納得できましたか?」
「……できる訳ねぇだろ。あいつは、何も悪くねぇのに死んだんだ」
「では、あなたにとっては必要かもしれませんね。あなたの村が、賢者の加護を受けられていれば、お友達は亡くならずに済んだのでしょうから」
「だけど、別に賢者じゃなくても……あのときは……俺にもう少し力があれば……」
「だからアカデミーに入ったのですか?」
「…………」
「立ち入ったことを聞いてしまいましたね……すみません。あなたも眠ってらしてください。私は、寝溜めできるタイプなので、今は眠くないのですよ」
「何だよ、それ……」
ケーラーはそう言うと、鞄から六法を取り出して最初の方のページを開いた。
(『賢者とは、大精霊にその力を認められた者である(賢者の法一条)』ですか……なるほどね……私は、長い間、大きな勘違いをしていたのかもしれませんね。本当に……長い間……)




