第1節 召喚法
「よう、調子はどうだ」
「あ、ダンテ。おはよう!」
エステルは後ろを振り返ると、廊下を歩いてきたダンテに笑顔を見せた。
「昨日、ユーリに『賢者の法』の本、紹介してもらったそうじゃねぇか」
「え!? ユーリ君に聞いたの? 情報、早いねぇ!」
「だって俺、アイツと寮で同室だし」
「そうだったの!?」
初めて知った事実に、エステルは驚く。その割には、あんまり仲が良くないなぁと思ったのは、秘密にしておいた。
「あ、そうだ! これ、ありがとう!」
「ん? あぁ」
ダンテはエステルから差し出されたノートを受け取った。
「すっごくキレイにまとまってたね! 私、これからは授業中はしっかり集中して聞いて、後からダンテにノート借りることにしようかと思ったよ!」
「ふざけんな」
二人は、二限目の授業である『召喚法』の教室へと向かっていた。『召喚法』も選択科目である。クレアはこれを選択しておらず、代わりに『古代語』を取っている。いつも気の合う仲良しのエステルとクレアだったが、魔法律の趣味は全く違っていた。エステルが実務的な法を好むのに対し、クレアは学問的な法を好んでいた。魔法律だけなら、ダンテの方が気が合いそうだな、とエステルは思った。
教室に着くと、すでに三十人余りの受講生が席に着いていた。しかし、これで全部ではない。後、十人は受講生がいる。時空法とは正反対の人気っぷりである。それもそのはず、召喚法は、誰もが一度は憧れる魔法律であった。自分たちにとって雲の上の存在である『大精霊』の住む世界から、精霊たちを呼び寄せ、契約を結び、使役する。これだけでも、とてもワクワクするものであったが、呼び出される精霊の姿がものすごく個性的で、『精霊大名鑑』なるものが発売されるほど人気があるのだ。
「ねぇねぇ、一緒に座ろうよ!」
エステルがダンテを見て、ニコニコしながら言った。
「ハァ? ……別にいいけどよ」
ダンテは一瞬、エステルにからかわれたのかと思ったが、全く悪意のない笑顔に拍子抜けし、自然と同意していた。
この授業は週に一回しかなく、後期に入ってまだ二回目だった。そのため、受講生が定位置を決めておらず、どこでも気にせずに座ることができる。そこで、勉強熱心な二人は、比較的前の方の席を陣取ることにした。
キーンコーン、カーンコーン――
チャイムと同時に、眼鏡をかけた神経質そうな中年男性が入ってきた。真っ黒の髪は後ろに向かって丁寧に撫でつけられ、少しの風では乱れそうにもない。ケーラーも、同じような髪型をしているが、こんなに固い印象はない。
エステルは、髪型も人を表すものだと感じた。
「授業を始める」
固そうな男――召喚法のドルバック教授は、挨拶もそこそこに授業を開始した。
「今日は、前回に引き続き、召喚の基礎をしっかり学んでいきたいと思う。だが、その前に復習だ。そうだな……ダンテ・サルヴァトーリ、召喚の際に、最も気を付けなければならないことを教えてくれ。前回、やったところだから簡単だろう」
ドルバックは、ダンテを指名した。何気なくプレッシャーをかける。しかしダンテは、それで萎縮するような学生でもなかった。
「召喚とは、精霊界にいる精霊を、物質界に強制的に呼び出すことです。精霊界では実体のない彼らが、物質界で実体化したときに生命を維持できるようにするため、その環境を確保することが最も大切です」
「よろしい」
そう言うとドルバックは口角を少し上げた。彼はできる学生には優しかった。反対に、何度言っても同じ間違いを繰り返す学生には、とても辛辣だった。――カーライルへの対応がそれであった。
「では、その隣の……エステル・バークリー」
「はい!」
自分が次に指名されるのを予想していたエステルは、何を聞かれるか大体検討をつけていた。
「召喚の失敗例を、一つ挙げてくれ」
「はい! 例えば、水の下級精霊マーメイドを『水』のないところで召喚することが挙げられます」
検討が当たっていたエステルは、頭の中で用意していた回答を自信満々に答えた。
「うん。その通りだ。他にもいくつかタブーがあるが、それは精霊を個別に検討する際に学ぶとしよう」
ドルバックは満足げに目を細めた。
「では、次。その後ろの……ジョン・カーライル」
教室中がビクッとした。ここまで、順調に回答が進んできたのに、ストッパーがかかってしまった。カーライル以外の全員が心の中でため息を吐く。
「適切な環境を与えられなかった精霊は、どうなる?」
「えー……その点に関しましては……」
カーライルがあからさまな時間稼ぎをする。
「精霊に……適切な環境を用意していなければ、いけないのですが……それは……召喚において、最も基本的なことであるからして……」
「それは今、ダンテとエステルに答えてもらった。適切な環境で召喚しなければどうなるかを聞いてるんだ」
ドルバックがイライラし出す。
「えー……その点に関しましては……」
「もういい。その隣、ドミニク・ヴァレリー」
カーライルが悪いのに違いないのだが、あまりにも容赦のない切り捨てに、教室中の空気が凍る。
「はい。精霊は、物質界における実体をコントロールできなくなり、モンスター化します」
ドミニクが淀みなく答える。
エステルは、ドミニクがこの授業を取っていたことに驚いていた。彼も時空法受講者の一人なので顔は知っていたが、召喚法も一緒だとは気付いていなかったのだ。きっと陰が薄いからだろうと、エステルは失礼な納得の仕方をした。
「そうだな。これは召喚の基礎中の基礎だ。これを知らなかったのは、おそらくこのクラスに一人だけだろう」
ドルバックがストレートな嫌みをぶつける。
「モンスター化した精霊は、物質界での実体を消滅させれば、再び精霊界に帰って行く。召喚に失敗した召喚者は、精霊をあるべき場所へ帰すために実体を消滅させる責任がある。……最近は、その責任を放り出す人間が多く、モンスターの数が増加しているがな」
ドルバックは、その後も総論的な話を続けた――
一度当てられ、今日はもう当てられることはないだろうと安心したエステルは、授業を聞きながらも、ロックの『宿題』について考えていた。
そして、自分でも驚くような、突拍子もない『答え』を思い付いていた――