第8節 エリック
「はぁ……」
天蓋付きの大きなベッドの上でエステルはため息を吐いた。しかし、そのため息を突っ込む相手はいない――
ここは寮ではなく、学園の敷地内に設置されているバークリー校長の自宅である。エステルは、ほんの半年前までここで祖父と二人暮らしをしていた。だから、自室はそのまま残っているし、鍵も持っているので自由に出入りできる。
エステルに両親はいない。彼女がまだ幼い頃、事故に巻き込まれて亡くなったと聞かされている。しかし、それを寂しいと感じたことはなかった。祖父はエステルにたっぷり愛情を注いでくれたし、祖父の弟子の調査官の人たちもとても優しかった。それに、そもそも、両親がいた記憶がないので、寂しいのかどうかもよく分からなかったのだ。
「賢者か……」
物心付いた頃から、魔法律を学び、賢者である祖父と一緒に暮らしてきた彼女は、自分がこんなにも賢者について無知であったことにショックを受けていた。
ダンテやケーラーだけでなく、自分と同い年のクレアでさえ『力の承継』について知っていたのだ。それがどれだけ魔法律家にとって、当たり前のことだったかを思い知らされる。
「どうして誰も教えてくれなかったの? おじいちゃんも、調査官の人たちも……すごく大切なことなのに……どうして……」
エステルは、祖父や弟子の調査官に対して不信感を抱いている自分がイヤでたまらなかった。
「ねぇ、私どうしたらいいのかな……エリック」
エステルは、ドラゴンの形をしたモコモコの親友に語りかけた。
「エステルちゃん、元気出して!」
「うん! ありがとう、エリック!」
「……一人で何をやってるんだ、お前は」
「っ! キャーーーーー!」
自分以外、誰もいないはずの家で、突如聞こえた声に、エステルは恐怖の悲鳴を上げる。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさい!」
「おい、落ち着け。俺だ。ロックだ」
「私を食べてもおいしく……って、え?」
エステルが顔を上げると、金髪金眼の少年が呆れた顔をして、部屋の入り口に立っていた。
「え!? 何で!? 何でロック先生がウチにいるんですか?」
「何でって……しばらくここで生活させてもらってるから……お前こそ、何で実家に帰って来てるんだ? クレアとケンカでもしたのか?」
「え! 違いますよ! 今日はちょっと一人になりたい気分だったから、ウチに帰って来てただけです」
「そうなのか? じゃあ、悪かったな。俺がいるから一人にはなれんぞ」
「……そうみたいですね。でも、何でウチに住んでるんですか?」
「俺、いきなり来たから、研究者用の部屋、まだ空いてないんだ。だから、取りあえず、ここを借りている。丁度、あいつもいないしな」
ロックは昼間と同じように全く顔色を変えずに話し続ける。どうやら、これは彼の癖のようだ。
「あの……何でおじいちゃんのこと『あいつ』って呼ぶんですか? 仲いいんですか?」
「ん? あぁ、親友だ」
「親友!?」
「あぁ、お前とクレアみたいなもんだ」
「え……でも、結構、歳離れてません?」
どう見てもおじいちゃんと孫くらいの歳の差はある。
「そんなことはない」
「え……」
エステルは一瞬、自分が聞き間違えたのかと思った。
「おい、今から夕飯作るけど、お前の分も作ってやろうか?」
「え!? いいんですか?」
「あぁ、何か苦手なものとかあるか?」
「何でも食べます!」
「年寄りみたいだな」
ロックは少し眉を顰めると、キッチンへと消えていった。
「わぁ~、何作ってくれるんだろう! 楽しみだねぇ、エリック!」
「うん、そうだね、エステルちゃん!」
「……言っとくけど、二人分しか作らないぞ」
「キャーーーーッ!?」
ロックが入り口から顔を出す。
「ちょっと、行ったんじゃなかったんですか!? 早く作りに行ってくださいよ!」
エリックとの会話を一度ならず二度までも見られてしまい、エステルは、恥ずかしさで死にそうだった。
「作ってくれる人に対して、えらい言いようだな……それと、そのヌイグルミ、たまには虫干しした方がいいぞ。ダニが沸く」
「っ!」
エステルは、ベッドの上に置いてあったエリックを掴むと、出窓の内側にそっと移動させた。