# 第六話 道場主の娘
少女が駆け寄ってきた。
刀を地面に置いて、空いた両手を、虎鉄の方に伸ばしかけた。途中で、その手は宙で止まった。何をするつもりだったのか、自分でも分からなくなった、というふうだった。
「ありが——ありがとう、ござい——」
声が、震えていた。声というよりは、息が震えていた。
少女は、両手を、自分の身体の前で握り直した。膝が、ゆっくり、地面についた。
湊が、少女の脇に膝をついた。
「立てるか」
「は……はい」
「怪我は」
「ありません」
「水を、飲め」
湊は、自分の腰の竹筒を、少女に差し出した。少女は、両手で受け取った。受け取る手も、震えていた。
虎鉄も、近寄った。立っているしかなかった。少女の震えが、止まるのを、ただ待つしかなかった。
トミ彦は、虎鉄の脇から、少女を見ていた。
「女子なのに、勇敢であるな」
トミ彦は言った。
「うむ」
虎鉄は答えた。
「すごいな」
少女には、トミ彦の声は、聞こえていなかった。虎鉄が頷いた相手も、見えていなかった。少女は、ただ、虎鉄の方を、見上げていた。
少しずつ、震えが、引いていった。
少女は、水を飲んだ。一口、二口、それから、息を吐いた。
「妙、と、申します」
少女は、ようやく、自分の名前を、口にした。
「タエ」
虎鉄は、繰り返した。
「ええ」
「俺は、虎鉄だ。鍛冶屋の倅だ」
「鍛冶屋……の」
「ああ」
「あの……あの剣さばきは、鍛冶屋の倅の、ものでは……」
虎鉄は、答えに困った。
「俺は」
その時、トミ彦が、虎鉄の脇で言った。
「困ってるな」
虎鉄は、トミ彦の方を、見た。
「助けてやろうか」
トミ彦は言った。
「いい歳の女子に、剣さばきが、と聞かれて、即答できぬのは、男が悪いぞ」
「……何を」
「適当に、それらしいことを言え。我に聞くな。我は、お前の口の中までは、動かせん」
虎鉄は、もう一度、妙の方を、向いた。
「剣の心得は、少しだけ、ある」
虎鉄は言った。
「父の鍛冶場で、刀を打っていた。打った刀を、振らせてもらうことが、あった。それくらいだ」
「それくらいで、あの動きが、できるのですか」
「……」
「私の父も、剣の道場を、開いておりました。父の弟子達でも、あのような動きは、できませんでした」
「……」
「失礼ですが、虎鉄様は」
「様、はいらん」
「虎鉄、様は、武の名門の、ご出身では」
「……鍛冶屋の倅だ」
「では、流派は、どちらに」
「流派は、ない」
「では、ご師匠様は」
「いない」
「ですが、あの動きは——」
虎鉄は、湊の方を、見た。
助け舟を、求めた。
湊は、目を逸らした。
「我が、横で笑っている」
トミ彦が言った。
「頑張れ、虎」
「……」
「我は、いいぞ。お前が答えろ」
虎鉄は、もう一度、妙の方を、向いた。
「分からん」
虎鉄は、それだけ、言った。
「……」
「自分でも、よく分からん」
妙は、しばらく、虎鉄の顔を、見ていた。
何度か、口を、開きかけて、閉じた。
「……はい」
妙は、納得したようだった。
納得した、というよりは、それ以上、訊いてはいけないことだと、感じ取った、というふうだった。
湊が、ふっと、息を吐いた。
「分からんで、通すのか」
湊は、虎鉄に、小声で言った。
「他に、言いようがない」
「まあ、嘘では、ない」
「嘘では、ない」
トミ彦が、虎鉄の脇で、肩を上下させた。笑ったのだろう。
虎鉄は、立ち上がった。
妙も、立ち上がろうとした。よろけた。湊が、肘を支えた。
「ゆっくり、立て」
「はい」
虎鉄は、村の方を、見た。
燃え残った家の前に、村人達が、いた。
数えれば、十人と少しだった。男も、女も、年寄りも、いた。何人かは、燃えている家の前で、水桶を渡し合っていた。何人かは、燃え広がりそうな板を、引き剥がしていた。声を上げる者は、いなかった。皆、無言で、手を動かしていた。
倒れている者も、いた。
道に、何人か。家の前に、何人か。動かないことは、見れば分かった。
虎鉄は、しばらく、その光景を、見ていた。
「再建するのか」
虎鉄は、村人の一人に、訊いた。
老いた男だった。煤で顔が黒くなっていた。手の甲も、焼けたのか、皮が剥けていた。
「するさ」
男は、短く、答えた。
「ここしか、住む場所がない」
「ああ」
「あんた方、神主様と、若いの。助けて、もらった」
「……」
「礼を、したいが、何もない」
「いらん」
虎鉄は、首を振った。
「家も、半分、焼けた。米も、麦も、奪られた」
「いらん」
虎鉄は、もう一度、言った。
老いた男は、虎鉄の顔を、しばらく、見ていた。
それから、頷いた。
何かを、訊くこともなく、頷いた。
「行きなさい」
老いた男は、言った。
「うちの娘も、世話になった」
「娘」
「妙のことだ」
「……」
「あれは、道場主の、娘だ。腕は、まだだ。だが、気骨は、ある」
「ああ」
「親が、殺された。仇を、討ちたいと、言うておる」
「……」
「止められるなら、止めたい。だが、止められまい」
「……」
「あんた方、神社へ、向かうと、聞いた」
「ああ」
「連れて、行ってくれんか」
虎鉄は、湊の方を、見た。
湊は、すでに、聞いていた。
聞きながら、燃えている家の方を、見ていた。
「村の再建は、いいのか」
湊が、訊いた。
「いい」
老いた男は、答えた。
「村は、わしらに任せろ。再建してみせる」
「……」
「妙を、連れて、行ってくれ。あれは、ここに、残れんよ」
湊は、頷いた。
「ならば、付いてこい」
「……はい」
妙は、頷いた。
トミ彦は、虎鉄の脇で、ふん、と鼻を鳴らした。
「賑やかになるな」
トミ彦は言った。
虎鉄は、刀を、鞘に納めた。
血が、まだ、刃に残っていた。鞘に入れる前に、袖で拭った。
「行こう」
虎鉄は、言った。
山道の方を、向いた。
-了-




