9話「半間ニナと日本貿易会社」
「日本貿易会社が、うちとコラボ?」
ニナはインターホンの映像を見つめたまま言う。
モニターに映る二人の男。
そのうちの一人を見た瞬間、喉が詰まった。
「……あの人」
諜報軍の作戦室。
短期プロジェクト。
廊下ですれ違っただけの先輩社員。
直接言葉を交わしたのは一度だけ。
だが忘れない。
諜報軍の目だ。
「どうしよう」
営業部と名乗る男。
間違いない。彼は諜報軍の社員だ。
とすれば、この訪問も何か裏があるはず。
どうすればよいか決めあぐねていると、背後から修験者が声をかける。
「とりあえず、応接室に案内してくれ」
「ま、待って! 多分、あの人諜報軍」
「……。なるほど」
ニナの警告に修験者は考え込む。
しかし、いつもの軽口交じりの表情に戻る。
「まぁ、方針は変わらず。とりあえず案内してくれ」
「え? でも、それだったらあなたが案内したほうが──」
相手が諜報軍な以上、ニナは下手げに出ない方がいい。
だが、修験者は黒装束の袖をひらりと見せびらかす。
「この格好で挨拶しろと?」
「……」
それだけはまずい。
今の修験者の恰好で人前に出たら、それだけで不審者として通報されかねない。
仕方がない。
ニナは自分が応対することに決める。
「大丈夫。スーツに着替えたら僕も合流する」
「……早くしてよね」
ニナは玄関に足早に歩を進めた。
※
「間もなく担当の者が合流します。お待たせして申し訳ありませんが、もう少々お待ちください」
月笑プロジェクト、応接室。
泡沫リリィのポスターやグッズが並んだこじんまりとした部屋。
そこに日本貿易会社の男二人を案内する。
「いえ、お気遣いなく。むしろ、こちらこそ突然の訪問ですみません。こちら、名刺です」
営業部を名乗る男が名刺を差し出す。
ニナは視線を落としてそれを受け取る。
できれば長い時間顔を合わせたくない。
「……」
男が怪訝な目を向ける。
さすがに挙動不審だったか。
一瞬だけ目線を上げて男を見る。
その目からは何を考えているのか見当がつかなかった。と、
「お待たせしました」
スーツ姿の修験者が入ってくる。
「久々にスーツを着たので少し手間取りまして」
黒髪を無造作に流し、ネクタイは緩い。
伸びたウルフの後ろ髪は、スーツを着こなすには少々チャラすぎる。
だが、その姿はいつもとは一変しており、ギャップを感じる。
黒装束以外の服装をした修験者は初めて見た。
少し見とれてしまう。
「さすがクリエイティブ職。うらやましいですね」
営業部の男は笑みを零しながら名刺を差し出す。
「改めて、私日本貿易会社、営業部の『枯草ほまれ』です。こちらが──」
営業部の男、枯草はそばにいるもう一人を紹介する。
「広報部の『故田中シンゾー』。よろしくお願いします」
枯草の紹介に合わせて、もう一人の小太りの男が会釈する。
にやりと見せる笑みに少し嫌悪感を覚える。
故田中は席に座るや否や鼻息荒くしゃべる。
「ここでリリィが配信しているんだね。リリィの中の人はいるの?」
空気が一段冷える。
枯草の目がぴきりと冷たくなるのを感じる。
「あいにく、今は配信のリハーサル中で」
修験者が目も合わせずあしらう。
故田中は残念そうに肩を落とすが、すぐに身を乗り出す。
「いやぁ、ほんとに毎回見てるんですよ。スパチャも一番上にいるはずなんだけどなぁ。ほら、『コタ』って名前、見覚えない?」
にやりと歯を見せる。
ニナの背中に嫌な汗が滲む。
「配信終わった後の雑談、あれ最高なんですよね。ちょっと疲れた声でさ。ああいうの、守ってあげたくなるっていうか。あ、もちろん健全な意味で」
ニナは嫌悪感が表情に出る。
全く意に介さないのか、故田中は続ける。
「この事務所、意外と狭いんですね。防音ってどのくらいなんです? 隣の部屋にいれば声、聞こえたりします?」
距離が近い。
目が笑っていない。
ニナははっきりと理解する。
──こいつは、厄介オタクだ、と。
枯草が静かに咳払いをする。
「失礼。さて、本題に入りましょう」
空気がわずかに戻る。
「先ほども申した通り、用件は御社とのコラボ企画の提案です。具体的には御社所属の泡沫リリィさんに当社の食品部門のCMキャラクターをお願いしたい」
枯草が資料を差し出す。
修験者がそれを受け取り、淡々と目を通す。
「悪くない条件だ」
「ありがとうございます。前向きに検討いただけると理解しました」
両者ともに営業スマイル。
だが枯草の視線は資料ではなく、部屋の奥の機材へ向いている。
「……で、用件はそれだけかい?」
あっさりとした修験者の言葉。
「以上だったら、詳細はメールで」
だが、それを聞いた枯草は蛇のような笑みを漏らす。
「……いえ。もう一つ、お伺いしても?」
構わないと、身振りで意思表示する修験者。
「御社はVtuber事業を展開されている。──顧客データの管理はどのように?」
ニナの指先がわずかに強張る。
配信のデータは魔術契約となり、神殿へと吸い上げられている。
やっていることは完全に黒。
深く追及されたら悪事がバレる。
「顧客データ、とは?」
「視聴履歴、課金管理、チャットログ。昨今はそれらをクラウド管理し、マーケティングに活用するのが主流です」
「一般的な解析はやっている。うちはオンプレ信者でね。全部自前で構築している」
修験者が問いを躱す。
だが、枯草の視線がより鋭さを増す。
「なるほど、それは大変ですね。今時御社の事業形態で自前で構築するなんて珍しい」
枯草の顔は平常のように見える。だが明らかに目は探っている。
まるで、その裏で何かしているのか、と問うようだった。
「君は何を確認したい?」
「いや何。セキュリティや費用面を考慮して、当社システム子会社のデータセンターをご利用いただくのもいいかと。最新のクラウド基盤もご用意があります」
修験者は背もたれに寄りかかる。
「ありがたいが、余計なお世話だ。データは外に出さない主義でね」
「ほう、随分秘密主義で。何か表に出せない情報もあるのでしょうか」
修験者と枯草は何も言わない。
二人の視線が絡む。
ニナは思う。
これは挑発だ。
言外での意図をお互い理解しながら会話している。
だが、先に枯草側が舌戦を終える。
「失礼、過ぎたことを言いましたね。ではコラボ企画のみ、前向きに進めさせていただければ」
「ああ、それなら問題ない」
「では、今日のところは失礼いたします」
枯草と故田中は席を立ち上げり、応接室を退出する。
ほっと胸をなでおろすニナ。
だが、帰り際、ニナとすれ違う瞬間、枯草の視線が一瞬だけニナの目を射抜く。
「……こんなところで会うとは」
瞬間、ニナの中で体温が急上昇する。
まさか、勘づかれたか。
全身がこわばる。
だが、振り返って、弁明をしようとしたときには応接室の扉は閉じられていたのだった。
※
日本貿易会社の二人が去った事務所。
時間が進みだした空間で、ニナがゆっくり息を吐く。
「……絶対、あれ探りだったよね」
「ああ」
修験者は窓の外を見ている。
「Vtuber事業を通して何をしているのか。そこが知りたいらしい」
「配信データを魔術利用していること、気づかれた?」
「確証はないんだろう。ただ勘は働いている」
諜報軍の嗅覚。それはニナも身をもって知っている。
「データセンターの提案も囲い込みだろう」
「うちの裏を覗くための?」
「あるいは逆だ。こちらを利用するための」
ニナは唇を噛む。
「配信がうまくいっていないっていうのに、面倒が増えた」
修験者がゆっくり振り向く。
「こっちはこっちで裏を取る」
「え?」
「日本貿易会社の意図。向こうが探るならこちらもやり返すまでだ」
淡々としている。
修験者の言っていることは正しい。
だがどこか距離がある。
「……配信は?」
ニナが聞く。
一瞬だけ、間が空く。
「手は足りているだろ」
冷たいわけではない。
だが踏み込まない声音。
ニナは理解する。
──まだ、喧嘩中だ。
だから距離を置く。
手伝わないのではなく、踏み込まない。
その微妙な線引きが、少しだけ腹立たしい。
「勝手にしなよ」
修験者は薄く笑う。
「そのつもり」
修験者が部屋を後にする。
だが、それとすれ違うようにリリィが顔を出す。
「ねぇ、ニナ」
いつもの軽い笑み。
「ちょっと、お話しない?」




