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8話「半間ニナは現実を知る」

 初配信から数日経った事務所。


 モニターにはアーカイブ画面。

 あれから何回か配信を重ねたが、再生数は伸びていない。


 ニナはヘッドセットを机に置いた。


「……なんか、違う」


 誰に向けたわけでもない言葉が零れる。


「違う?」


 ソファに座る修験者が視線を上げる。


「私は世界を壊す覚悟でここに来た」


 修験者は何も言わない。


「なのに、やることは……なにこれ。笑って、媚びて、コメント拾って。これじゃまるで──」


 喉の奥がひりつく。

 これ以上は言ってはならないか。

 だが、感情を抑えられない。


「まるで、ご機嫌取りじゃない」


 修験者は腕を組んだまま動かない。

 じっとニナのことを見つめている。


「契約を増やすには理解が必要だ」

「理解?」


 その視線から逃げるように俯く。

 今は真っ直ぐに彼を見返すことができない。


「理解って何。コメントくれた人に合わせてキャラ変えろって? 性格を捻じ曲げて、明るいテンションで笑えって?」

「視聴者が何を求めているかを知れと言っている」

「そんなの無理」


 即答だった。

 俯いた視線を上げられない。


「私はあの人たちの人生なんて知らない。何を抱えているかも知らない。求めていることを知れって言ったって、全部想像じゃない」


 もちろん配信データを分析することはできる。

 視聴者の性別、年齢、好み。

 だが、そんな表面のデータだけじゃ彼らが何を求めているかなんて分からない。


 彼らからのコメント欄を思い出す。

<声好き>

<救われました>


 ニナは彼らの本当の名前すら知らない。


 修験者は一瞬だけ目を細める。


「恋人はいるか?」


 唐突だった。


「は?」

「いるのか、いないのか」

「いないけど」


 言いながら苛立ちが混じる。

 ニナに恋人がいないことと配信に何が関係あるのか。


「でも、今の時代普通でしょ。別に困ってないし。一人で生きていけるし」


 実際その通りだ。

 ニナは同世代の世間一般の女性よりも稼いでいる自負がある。

 自分で給料を稼ぎ、マンションを借り、家事をし、自分一人で生活ができている。


 それに、好きなことを誰にも咎められたりもしない。

 その点においては今の生活で満足していた。少なくとも恋人などいらなかった。


 だが、修験者はゆっくりと首を振る。


「その『普通』は、数十年前なら普通じゃなかった」


 ニナは眉を寄せる。


「昔は、共同体の中で役割があった。家族があった。結婚は前提だった」

「だから何」

「だが今は違う。孤立は自己責任とされ、恋愛は市場に委ねられる」


 事務所の空気が少し重くなる。

 修験者の言ってることは時代錯誤かも知れない。

 だが、その意図はニナにも分かる。


 確かに今のニナは一人で生きていける。

 それは心の内から出る本音。

 だが、それとは別に、このままでいいのだろうかという名のない焦燥感があるのも事実。


 好きなことをして、好きに生きる。

 今はそれでもいいかも知れない。

 だが、それだけではだめだと囁く何者かがいる。


「君が画面越しに見ている彼らは、ただの『弱者』じゃない」


 修験者は続ける。

 その表情からはニナの心情をどこまで察しているのかは分からない。


「彼らは社会との契約に失敗した人間たちだ」

「……」

「だから代わりの契約を求める。疑似恋愛。承認。擬似共同体」


 ニナは拳を握る。

 社会との契約。

 ニナは言うならば社会との契約に成功した人間だろう。

 一方、配信を見ている彼らは失敗した人間。

 だからこそ、彼らからの無関心はニナの自尊心を傷つけた。


「それを利用しろってこと?」

「理解しろと言っている」

「どっちも同じよ」


 修験者の言うことに素直に賛同できない。


「私は世界を壊すために来た。なのに、孤独な人の寂しさに寄り添って、疑似恋愛で縛る? それって救いじゃなくて依存じゃない」


 修験者の声が少し低くなる。


「依存もまた契約だ」

「そんなの嫌」


 依存は、向き合いじゃない。

 今のニナにもそれは理解できる。

 依存に逃げるようなことはしたくない。


「私は、誰かの穴を埋めるための存在になりたいわけじゃない」


 沈黙が場を支配する。

 きゅーちゃんが足元で小さく鳴く。


「キュ……」


 修験者は立ち上がる。


「君は視聴者を見下している」

「見下してなんか──」

「理解する努力を拒否している」


 修験者の目が冷酷だった。

 ニナの全てを見透かされたようだった。

 今まで見たことがない表情だった。

 それは少し、怖かった。

 だから、自分を奮い立たせるためか、声が荒くなる。


「うるさい!」


 思わず口から出る。


「わかってる。配信者として、視聴者を理解するのは必要だって。でも……」


 言葉が詰まる。


「でも、無理なものは無理」


 声が震える。

 配信をするのが怖い。

 本当は自分が弱者だと、何もない人間だと思わされるから。


 ニナは自分に自信があった。

 だがそれはニナの内面から来るものではなかったのかもしれない。


 Vtuberとして配信するということ。

 それは今までの自分がリセットされることでもある。

 会社というステータス、年収というカタログ。

 それらの肩書を引っ剥がされたら、ニナには何も残らないのではないか。

 そう思ってしまった。


「全部こっちにぶん投げて、マニュアルもなくて、やれ理解しろって……言い方も腹立つし」


 修験者は何も言わない。

 ただ見ている。

 目は、合わせられなかった。


 そのときだった。

 事務所のインターホンが響く。


「来客」


 ニナはインターホンを覗く。

 そこに立っていたのは、スーツ姿の男二人。


「突然すみません。少々お時間よろしいでしょうか」


 修験者の方を見る。

 どうやらアポがあるわけではなさそうだ。


「だ、誰でしょうか?」

「失礼、私たちはこういうものです」


 言うと男の一人が名刺をカメラ越しに見せてくる。


 名刺を見た瞬間、胃の奥が冷える。

 決別したはずの『肩書』が、そこには立っていた。


──日本貿易会社、営業部の文字。


 男が計算された笑顔で微笑む。


「単刀直入にいいます。当社と貴方達の事務所で、コラボしませんか?」


 沈黙が場を支配する。

 ニナの視線が、修験者へ向く。

 修験者は、薄く笑った。


「……ほう」


 隣できゅーちゃんが、小さく鳴いた。


「キュ?」

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