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7話「半間ニナはVtuberデビューする」

「はい」


 Vtuberデビューを決めたニナ。

 早速と言わんばかりに、修験者から渡されたのは、黒い立方体のボックスだった。


 手のひらに乗るほどの大きさ。

 表面には細かな紋様が刻まれている。

 地下神殿の柱と同じ文様の術式だ。


「これは?」

「幼体魔物の媒介だ。魔力を込めれば、君のイメージに適合した個体が生まれる。Vtuberのモデルを作るうえでの参考になる」

「そんな、なんちゃらモンスターじゃないんだから……」


 軽口で返しながらも、ニナは箱を見つめる。

 イメージに適合した魔物。

 とすればこれは黒魔術。

 魔物との契約によって、自分の内面が反映されるということか。

 だが、


「魔力を込めるって、どうやって?」


 至極当然のことをニナは問う。

 魔力の仕組みなど知らない。

 諜報軍でも魔導銃などを使っていたが、魔力を込めるなんて意識したことがなかった。


「……まぁ、あの会社はそうだよね。魔術知識がなくてもいいように『設計』されている。効率化とコモディティ化。良いんだが悪いんだが」


 修験者は少し困った顔をする。


「呼吸と同じだよ。まぁ深く考えずに触れてみなよ」


 そう言われても分からない。


 ニナは箱を両手で包み、目を閉じる。

 呼吸を整え、地下神殿で見た光の柱を思い出す。

 光の粒子。あれがきっと魔力だ。


 じっと目をつむり、光を意識する。


──だが、何も起きない。


「……うんともすんとも言わないんだけど」


 修験者が眉をひそめる。


「おかしいな。普通は微量でも反応する」


 再度ニナに触れさせる。

 だが、箱は冷たいまま。

 修験者の指先が止まる。


「……もう一度。今度は何も考えずに」


 ニナは言われた通りにする。

 だが、やはり何も起きない。

 修験者の表情から、初めて余裕が消えた。


「……ゼロだ」

「え?」

「魔力の反応が、完全にゼロだ」


 リリィから笑顔が消える。


「ちょっと待って。それって……」


 修験者は一瞬だけ黙る。


「元々、人間には必ず微量の魔力がある。意識していなくても、体温のように滲んでいる」


 箱を持ち上げる。


「だが君は違う。滲みすらない」

「それ、悪いこと?」


 修験者は答えない。

 ただ、じっとニナを見る。


「やはり、君は面白いね」


 小さく、そう呟いた。


「仕方ない。僕の魔力を媒介にする。イメージの生成には影響ないだろう」


 修験者がニナの背後に回る。

 肩に手が触れた瞬間、冷たい電流のような感覚が背骨を走った。


「ちょ、近い」

「じっとして」


 修験者の低い声。

 彼の細い首筋がゴクリと上下するのが見える。

 次の瞬間、箱の紋様が青白く発光する。


 ぱきん、と小さな音。

 内部にある鍵が外れたようだ。


 蓋がゆっくりと開く。

 中から、ふわりと白い光が溢れる。


 そして、光の中から転がり出たのは──


「……え?」


 手のひらサイズの、ふわふわした生き物だった。


 狐のような金色の毛並み。

 切れ長で、吊り上がった大きな瞳。

 そして、背後に揺れる九本の小さな尾。


「キュー!」


 可愛らしい高い鳴き声。


「九尾……?」


 それは手のひらサイズの九尾の魔物だった。


「君のイメージはこれか」


 修験者が淡々と言う。


「かわいっ……!」


 九尾の幼体を見るや否や、リリィの目が星に変わる。

 即座に抱き上げ、頭を撫でまわす。


「キュ、キュー!」


 九尾の幼体は、小さな舌で空気を舐めるように鳴く。


「何この子かわいー! 名前はどうする?」


 リリィから九尾を渡される。

 落とさないように、九尾を両手で包み込むようにする。


「キュー?」


 つぶらな瞳でこちらをみつめている。

 正直、かわいい。

 学生時代の実家の部屋がぬいぐるみまみれだったことを思い出す。

 お迎えしたぬいぐるみには特徴に応じて名前をつけていた。


この子の場合は──


「……きゅーちゃん、とか?」


 キューキュー鳴いてる九尾のきゅーちゃん。

 うん、これがいい。


「安直だね」


 修験者は呆れたように言う。


「だ、だめかな?」

「いいんじゃない。こーいうのはわかりやすいのがいいのよ」

「‥‥まぁ、名前なんてなんでもいいよ」


「キュ!」


 きゅーちゃんは嬉しそうに鳴いた。

 こうして、ニナの『相棒』は決まった。


「幼体魔物のイメージをもとにして、魔術で3Dモデルを作った」


 きゅーちゃんを召喚してから数時間。

 魔術で作成した3Dモデルを三人と一匹は確認する。

 モニターに映るラフデザイン。

 ニナは完成したモデルをまじまじと確認する。


「すごい……! こんなに簡単にモデルが作れるなんて」

「魔術の本質さえ理解できていればこんなこと簡単さ」


 モデル作成は順調だった。

 Vtuber計画において最も心配だった『ガワ』。

 意外にもリリィと修験者の協力ですんなり進んでいた。


「それにしても、我ながらめちゃくちゃ可愛いと思う」

「キュー!」


 完成したモデルは九尾モチーフ。

 きゅーちゃんと同じ、金色の髪、そこから生える細長い耳。

 さらには九つの尾。

 素人目でも分かるくらい完成度が高いモデルだった。


「世界観は『魔術を使う九尾』とかですかね?」


 モデルのイメージに合わせて設定のアイデアを出す。


「重いわよそれ。もっとシンプルでいいのよ」

「そ、そうですかね……?」

「それこそ、九尾なら『人の子らよ』みたいな感じでちょうどいいのよ」

「そ、そんな人を手のひらで転がすようなキャラ、私できませんよ」

「まぁ、確かにニナちゃんっぽくはないわね……」

「それに、私どうやって喋ればいいんですか」


 しかし、モデルや衣装が決まっていく一方で、設定やトーク内容などは真っ白だった。


「はいこれ。Vtuber配信のマニュアル」


 見かねたのか、修験者から渡されたのは数枚の資料。

 だが、中身を見たニナは肩を落とす。


・笑顔を意識

・自己紹介

・趣味の話

・視聴者への感謝


「こんなマニュアルでどうやって配信しろっていうのよ」

「そうかい? リリィなんてこれすらない状態でデビューしてたよ」

「そ、そりゃそうかもだけど……」


 ニナが肩を落とすと、リリィがくすっと笑った。


「ねぇニナちゃん。マニュアルってね、『安心するための紙』なのよ」


 リリィは資料をひらひらと振る。


「でも配信は生もの。予想通りのコメントなんて来ないし、来たところで全部のパターンをマニュアル化するのは無理。結局、その場でどう呼吸するか、なの」


 そう言って、指でニナの胸元を軽くつつく。


「大丈夫。何かあったら私がいるから安心して」

「でも、こんなやり方……。あまりにも非効率すぎる。諜報軍の時はもっとしっかりとしたマニュアルがありました」


 ニナの不安に修験者が小さく息を吐く。


「言いたいことはわかるが、ここは日本貿易会社じゃなくて、月笑プロジェクト。異世界教のフロント企業だ。腐っても向こうは大企業。スタートアップ企業のうちと比べるものじゃない」


 修験者の言葉にニナは胸が詰まる。


 日本貿易会社。


 効率化された業務。

 整備されたマニュアル。

 階層化された責任構造。


 迷えば参照すべき手順があり、判断基準があり、最悪の場合は上司が責任を取る。


 理不尽も多かったが、仕組みはあった。

 守られている実感も、確かにあった。


 それに比べてここは、あまりにも未整理で、感情任せで、危うい。


 ニナはマニュアルを握りしめたまま、不安を飲み込めずにいる。


「それに、初回はどうせ何をやっても一緒だ」


 修験者の軽い口調。だがその裏に、妙な確信が見えた。


「適当すぎない? 初配信で炎上したらどうするのよ」

「まぁ一回やってみたらいい。仮に炎上したとしてもかまわない」

「なんで?」


 ほんの一瞬だけ、修験者の目が細まる。


「その時は契約が増える」

「怖いこと言わないで」


 ニナは冗談めかして言うが、修験者はそれ以上何も言わなかった。


 初配信当日。

 ニナは配信ブースで準備を進めていた。


 待機画面。

<まもなく配信開始>


 心臓がうるさい。

 喉が乾く。


 日本貿易会社の時のプレゼンとは違う。

 あれは任務だった。

 今回は、自分で全部考えて、自分を売る。


「大丈夫よ。死にはしないわ」


 そばにいるリリィがヘッドセットを調整しながら声をかける。


「それ基準おかしくないですか?」


 リリィの軽口に思わず笑みがこぼれる。


「緊張が少し解けたようね。じゃあ、がんばってらっしゃい」


 カウントダウンが始まる。もうすぐでニナの人生初配信が始まる。


3、2、1──


 画面が切り替わる。

 九尾の少女が画面中央に現れる。


「は、はじめまして……!」


 声がわずかに震える。


「新人Vtuber、九尾の『玉藻ミコ』です……!」


 沈黙が走る。

 当然だ。これは配信。対面の会議じゃない。誰かが声で反応してくれるわけではない。

 ニナは横目でコメント欄を確認する。だが、


……流れない。


 カーソルが点滅している。

 まるで、何かを言えと催促するように。


「えっと、その、今日は自己紹介を……」


 マイクに乗った自分の呼吸音がやけに大きい。


視聴者数:12


「その……趣味は読書で」


視聴者数:10


 誰かが去った。

 理由もなく。

 言葉もなく。

 ただ数字だけが減る。


「キュ……」


 きゅーちゃんが画面端で鳴く。

 ようやくコメントが流れる。

 ニナは早々に確認する。


<モデルかわいい>

<尻尾すご>

<絵師誰?>


「え? え、ええと……」


 喋りへの反応は、ない。

 コメントはモデルの話だけ。


<リリィの後輩?>

<ガワ強いな>


 誰も、自分を見ていなかった。

 3Dのガワだけが評価されている。


視聴者数:8


 また、減った。

 何かしゃべらなくては。

 だが、何も言葉が出てこない。


視聴者数:7


 喉がひりつく。

 叩かれることを恐れていた。

 炎上を想像していた。

 だが現実は違う。


──無関心。


 誰も、こちらを見ていなかった。


「……キュ」


 ブースの端で、きゅーちゃんが不安そうに鳴く。


「……そうか、そりゃそうね」


 画面の向こうにいるはずの誰かは、

 こちらを必要としていない。


 配信終了ボタンが、やけに赤く見えた。

 これが現実。


 魔術以前に、まず『誰にも見られていない』。


 ニナはそこで初めて理解した。

 契約は、合意があって初めて成立する。


──だがその前に、見つけてもらわなければ、何も始まらないのだと。


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