6話「半間ニナは勧誘する」
軽快なBGMが室内に弾けた。
ニナは瞬きを忘れたまま、巨大ディスプレイを見つめる。ついでに口も開いたまま。
ピンク色の髪の毛を揺らす3Dモデルの少女が、完璧な笑顔でこちらに手を振っていた。
「ぶ、Vtuber‥‥」
完全に予想外だった。
魔術を使うカルト教団の勧誘活動。
何があるかと警戒していたが、目の前に広がるのはVtuberの配信スタジオだった。
隣で修験者が真顔のまま答える。
「彼女が信者勧誘担当。信者からは『性愛の使徒』と呼ばれている」
「いや、そうじゃなくて。あの人、有名Vtuberの泡沫リリィじゃん」
しかも、ただのVtuberではない。
泡沫リリィ。
フォロワー数百万人を超す王道アイドル系Vtuber。
仕事が忙しく、世間の流行に疎いニナですら彼女の名前は知ってる。
「よかった、知っているんだね。布教活動の甲斐があったよ」
「いや、なんで異世界教に泡沫リリィがいるのよ。それにこの設備、完全にプロのVtuber事務所レベルじゃない」
LEDに照らされた配信ブース。
いくらカルト教団とはいえ、これだけの設備は専門の知識がないと説明がつかない。
だが、答え合わせと言わんばかりに、修験者はいたずらな笑みを浮かべる。
「よく分かったね、泡沫リリィの所属事務所『月笑プロジェクト』は異世界教が抱えるフロント企業だ」
配信画面には次々とコメントが流れ、色付きのスーパーチャットが弾幕のように飛ぶ。
金額の桁が一瞬目に入り、ニナは目を細める。
「──なるほど、信者勧誘ってそう言うことね」
画面が配信終了の表示に変わる。
直後防音ドアが開いた。
「はーい、お疲れさま」
ヘッドセットを外しながら現れたのは、3Dモデルとは違い、落ち着いた雰囲気のある女性だった。
黒髪を肩で揺らし、しかしその口元には画面と同じ営業用の笑みが浮かんでいる。
「あら、新入り?」
修験者が彼女の言葉に頷く。
「ああ。半間ニナ。日本貿易会社の諜報軍上がり。今後こちらに協力してもらう」
修験者の紹介に従って、軽く一礼する。
「へぇ」
彼女はニナを値踏みするように見た。
配信中のコメント欄を読み切るように。
相手の素性、反応、警戒、それらを一瞬で判断しているようだった。
「初めまして、泡沫リリィ、の中の人よ。でも、この姿でもリリィと呼んでくれていいわ。よろしくね。ええと、半間さん?」
「よろしくお願いします。私もニナとかで大丈夫です」
「あら、いいわね。じゃあニナちゃん、よろしくね」
声音が柔らかく変わる。
リリィは手を差し伸べる。
細く整った指先。ネイルで整えられている。
ニナもその手を握り返す。
体温を感じる。
当たり前のことだが、画面の向こうの存在ではなく、現実に存在する人間なのだなと思う。
「じゃあ、早速君にも信者勧誘を手伝ってもらおうか」
修験者は握手を見届けると二人を奥へ案内する。
ニナとリリィも修験者の後に続く。
歩きながら、リリィがくすりと笑う。
わざと修験者の一歩後ろから、揶揄うように猫撫で声をあげる。
「あら、修験者。あなたはニナちゃん呼びじゃないんだ」
「いや、僕はそんなんじゃ──」
リリィは横目で修験者を見上げる。
その視線は配信で培った人心掌握の技術が垣間見えた。
相手の反応を引き出し、その場の流れを主導するような。
「あらあらー、照れちゃって。ねぇニナちゃん。彼からなんて呼ばれているの?」
「え、ええと……。そういえば、ちゃんと名前では呼ばれたこと、なかったかもです」
そういえば、修験者からニナの名前を呼ばれたことはなかった。
出会った時も、ここに来るまでも。
ただ、君、とだけ。
「‥‥でも、君呼びよりは名前の方がいいかもです」
「だってさ、修験者さん」
「うるさい、余計なお世話だ」
修験者は視線を逸らし、足早に歩を進める。
『いじられ』に困っている様子の顔だった。
そんな修験者を見て、リリィは満足げに笑っていた。
なるほど、だから『性愛の使徒』なのか、とニナは思った。
リリィは人の感情を引き出すのが上手い。
これまでニナをあざ笑うような態度をとっていた修験者。
彼にこんな一面があったことを初めて知った。
「なんか、意外かも……」
ニナは思わず独り言のようにつぶやいた。
その言葉をリリィに見透かされている気がした。
三人は奥のモニタールームへ入る。
壁一面のディスプレイに配信データが映し出されている。
視聴者数の推移、コメントの感情分析データ、スパチャ総額。
そして、ディスプレイの中央、巨大なガラスの下に先ほど地下神殿で見た巨大な構造体があった。
「あれは、地下神殿の──」
このモニタールームは地下神殿の上階にあたる部分であった。
配信データが推移するごとに、光の粒子が柱の構造体に流れていく。
コメントは琥珀色の光に。
赤いスパチャは深紅の光に。
まるで感情が抽出されているようだった。
「配信によって魔術を集約している」
修験者が言う。
「孤独な人に、居場所をあげる。承認をあげる。疑似恋愛をあげる。配信を通して、彼らと魔術を契約しているのよ」
リリィは操作盤をタップする。
「そんなこと、どうやって」
修験者が代わりに答える。
「さっきも言った通り、大事なのはストーリーだ。彼らと合意さえすれば、コメントやスパチャで魔術を契約できる、ほら」
モニターに表示される一文。
<一生推せる>
<今日の配信最高だった>
<リリィしか勝たん>
その文字が淡く光り、術式へと変換される。
文字はただのテキストではない。『合意』だ。
推すという宣言。
好きだという誓約。
それが契約書となり、光の粒子となって柱へと送られる。
「これが魔術の集約」
ニナは息を呑む。
こうして異世界教は魔術を集約しているのだ。
現実世界に侵食するように。
魔術という非現実と思えるものが、知らずのうちに紛れ込み、力を蓄えているのだ。
ニナがこれからしようとしていること。
改めて狂気の片棒を担うのだと再認識した。
「それで、私は何をすればいいの?」
だが、それでもここまで来た。
異世界教の中枢、魔術の集約構造、その仕組みまで見せられた以上、後戻りはない。
自分はもう、日常の側には戻れない。
ならばせめて、主体的に狂気を選ぶ。
「覚悟はできてる。勧誘でも、裏工作でも、必要なら何でもやる」
声は思ったよりも落ち着いていた。
胸の奥のざわめきを、無理やり押さえ込む。
修験者はしばらくニナを見つめていた。
その視線は、値踏みというより確認に近い。
「……本気のようだね」
「ええ。中途半端は嫌いなの」
地下神殿の柱が低く唸る。
まるで誓約を聞き届けたかのように、光が一段強まる。
重苦しい沈黙。
世界の裏側に踏み込む儀式のような空気。
ニナは次に来る言葉を予想する。
社会への工作。
あるいは、魔物との黒魔術契約。
どれも覚悟の範疇だった。
修験者は一歩、ニナに近づく。
そして、あまりにも事務的な声で言った。
「──デビューしてもらう」
修験者の声は、あまりにも平坦だった。
一瞬、聞き間違いかと思う。
だが彼の目は真剣だった。
「‥‥は?」
「二十代女性。職なし。つまり、需要があって、いつでも配信可能。うってつけだ」
まるで履歴書を読み上げるような口調だった。
「ちょ、ちょっと待って。なんで私が! Vtuberデビューなんて無理無理!」
ニナは両手を広げる。
地下神殿の柱は、相変わらず淡く脈動している。
「誰でもいいならあなたでも」
反射的に修験者を指差す。
「僕がデビューなんてしてみろ。リリィのファンから灰になるまで燃やされる」
真顔で言う。
一拍遅れて、その意味を理解し、ニナは思わず吹き出しそうになる。
リリィが堪えきれず、くすっと笑った。
「ふふ……確かに。私のガチ恋勢は熱量高いから。物理的にも精神的にも燃やしかねないわね」
軽やかな声音だが、その奥にうっすらと冷たいものが混じっている気がした。
「君はまだ完全にこちら側ではない。だからこそ、今やるべきだ」
モニタールームの光が、彼の横顔を青白く照らす。
さっきまでの軽口とは違う、冷えた声だった。
「仮面を被って配信するということは、自分の内面と向き合うことになる。演じるためには、自分を理解しなければならない。視聴者と契約するには、物語を語らなければならない」
修験者の声は、冗談の色を失っていた。
「でも、私は元諜報軍だったし表舞台ってよりは、裏方寄りで」
言いながら、自分でも弱い言い訳だと分かる。
裏で動く方が楽だった。
顔も名前も出さず、命令に従うだけでよかった。
「いつまで前職を引きずってるつもりだい? 何かを変えたくてここに来たんだろう?」
ニナは言葉に詰まる。
変えたかったのか。
壊したかったのか。
まだ自分でも分からない。
視線が、ガラス越しの巨大な構造体へと吸い寄せられる。
コメントの光が流れ込み、脈打つ。
誰かの「好き」が、誰かの「推し」が、魔術として蓄積されていく。
自分も、その物語の発信源になる。
契約する側に。
「まぁ、駅前でビラを配るよりはマシ、か」
小さく呟くと、リリィがにやりと笑った。
「ようこそ、Vtuberへ。ニナちゃん」
巨大ディスプレイに、新規プロジェクトのウィンドウが開く。
《新人Vtuber 企画立案》
モニターの向こうで、光の柱がもう一度、脈打った。
まるで、新しい燃料を歓迎するように。
※
物が散らばった薄暗い部屋。
小部屋を圧迫するようなデスクトップPCとモニター。
その中で、ブルーライトを一心に浴びる影。
「今日の配信、俺が一番スパチャした」
影は日課である泡沫リリィの配信アーカイブをチェックしていた。
「ん? この音は‥‥」
と、ヘッドホンから低い声音が発される。
再度そのシーンを巻き戻す。
「‥‥男の声、か? もしかして、リリィの──」
影は震えてる手を動かし、ブラウザを立ち上げる。
リリィの配信チャンネル、SNS、彼女に関する掲示板、あらゆる情報をチェックする。
「嘘だ、ありえねぇ。──それは、『契約』違反だろ!」
クリックする音が部屋に響き渡る。
カチ。
カチ、カチ。
カチカチカチカチカチ。
それは、狂気が産声を上げた音だった。




