5話「半間ニナと修験者」
「そういえば──君の名前をまだ聞いていなかった」
地下鉄の終点、そのさらに先。
封鎖されたはずの廃通路をニナと男は歩いていた。
「──半間ニナ」
その瞬間、男の眉がわずかに上がったのが見えた。
「半間ニナ、ね。了解。それでは次にご年齢と電話番号を──」
「‥‥もういいでしょ。そっちの名前は? こっちが名乗ったんだから教えて」
男は錫杖をわざとらしく鳴らす。
「──修験者。そう呼んでくれ」
「そうじゃなくて、名前を」
そう言うと、修験者は困ったような笑みを浮かべる。
「分からないんだ。僕の本当の名前。だから、そう名乗ってる」
「そう、なのね。ごめんなさい、分かったわ」
「大丈夫さ、気にしていない。それより──」
目の前の男、修験者は封印札の貼られた鉄扉に手をかざす。
紙片は燃えもせず、崩れもせず、文字だけが宙に溶けた。
「着いたよ」
開いた扉の先には広大な空間が広がっていた。
全体的に仄暗く、地下のはずなのに、天井が見えない。
周囲の壁には幾何学模様。
古語の羅列。
術式だ。
「ここが──」
「異世界教の神殿だ」
そこは異世界教の信者が集まる施設だった。
中央には透明な柱のような構造体が立っている。
構造体の中では光が流れている。
血管のように。
神経のように。
それは『生き物』だった。
「術式と魔力を集約させている」
構造体を囲むように信者が整列している。
修験者と同じように黒装束に身を包み、魔術を詠唱している。
彼らの間を通り抜ける。
「まずは魔術が何かをおさらいしよう」
修験者は徐に語り出す。
「──始まりは異世界からの転生者。転生者によって魔術や魔物という概念が『上書き』された」
「それは‥‥。入社した時に研修で聞いた」
魔術や魔物。
それらの起源については諜報軍、つまりは日本貿易会社に入社した際に聞された記憶がある。
「そんな教科書や理論じゃなくて、もっと本質の話さ」
二人は信者の列を通り抜け、中央の柱がある祭壇へ歩みを進める。
「例えば、転生者が異世界から持ち込んだ未知のウイルス。それによって本来この世界史じゃ起きえないパンデミックが上書きされた」
「え? でもそれは別の原因だったはずじゃ。確かニュースでも‥‥」
それはニナも知っている。
大学生になった年、世界は止まった。
だが、その原因が転生者だとは教えられていない。
「これこそが教科書には載らないリアルだ」
祭壇の階段を一段一段上り、中央にある柱へとたどりつく。
「ウイルスと同じだ。転生者によってこの世界に魔術が『上書き』された」
柱の内部の光が波打つ。
滝を逆流するように下から上へと流れる。
「さっきから、上書きって。どういうこと?」
修験者はわずかに口元に緩める。
「火を起こす魔術があるとしよう」
修験者が目配せする。
すると、信者の一人がこちらに来る。
彼は静かに詠唱を始めた。
『太陽の子が地を舐める』
『乾いた枝は燃える運命にある』
詠唱が終わる。
すると、空間の一点に火が灯る。
「これは‥‥」
「自然と『契約』した」
修験者は闇の見えない天井を見上げる。
「──魔術とは契約だ。火をどうやって燃やすか。その理屈を、自然が合意する形で語り、対価として魔力を支払う」
「そういう意味だったら、それこそ研修で聞いた。大事なのはその原理を理解して説明できることって」
そのために、文系だったニナは高校生ぶりに物理の教科書を引っ張り出した記憶がある。
だが、それを笑うように修験者が続ける。
「大事なのはストーリーだ。必ずしも数式や定理は必要なわけではない」
信者は杖を取り出し、軽く振る。
さらに火が複数個、一斉に灯る。
「杖や魔導書は媒介だ。ほら、よくあるだろう? ファンタジー映画で魔法使いが使うやつ。あれは自然が理解しやすい形にあらかじめ物語を整えたもの」
そう言われれば理解できる。
ニナも任務で装備していた魔導銃。
撃つ時に詠唱をしたことはない。
「だから、私あんまり原理を分かってなくても魔道銃を使えたのね」
「そう、それこそが本質だ。魔術は才覚ある者だけの特別な専売特許じゃない。契約さえすれば誰でも魔術は使える。──そのように『上書き』されたから」
修験者の視線が別の信者へ向く。
「じゃあ魔物とは何か」
一人の信者が前へ出る。
「こっくりさんを知っているか」
ニナは小さく頷く。
信者が紙を広げ、その上に十円玉を置く。
信者が問いを投げると、十円玉がわずかに動く。
「空間に意味を与える。紙、硬貨、円環構造。それが『契約書』となり、合意される」
十円玉に触れる信者の指。
目を凝らすと、それとは別の黒い影のようなものが硬貨に触れている。
「何か、いる……?」
「──魔物」
間違いない、あれは魔物だ。
「これが魔物召喚の原理。──魔物との契約」
ニナが諜報軍として対応していた魔物討伐。
異世界教はこうして魔物を召喚していたのだ。
「だが、それも魔術と同じく特別なことじゃない。人が人にする洗脳なんかも同じ。香り、音楽、光。それを通して合意形成が図られる。大事なのは、『契約』だ」
修験者は目を細める。
「僕たちは、無情との契約を『白魔術』、有情との契約を『黒魔術』と呼ぶ」
「契約、ね……。まるで、会社の仕事みたいね」
「面白い解釈をするね、君。でもまぁ、自然や魔物は甲乙なんて言っても通じないから。契約する相手が理解できることが重要なのさ」
「……まるで世界に対するプレゼンテーションね」
「ふっ。やっぱり君は面白いね」
ニナは理解する。
魔術とは、納得させるのだ。
自然を。
他者を。
あるいは自分自身を。
「じゃあ、どうして僕らは術式と魔力、言いかえれば契約を集約しているのか」
中央の柱から光が漏れる。その光が二人を包み込む。
「全知全能の器を創造するため」
ニナは息を飲む。
「知識、感情、欲望、魔力、因果。あらゆる情報を保有する構造体」
修験者は続ける。
「その物語が完成したとき、器は名を得る。人はそれを、魔王と呼ぶ」
──魔王。
唐突な言葉に萎縮する。
魔物が出るようになったこの社会ですら、『魔王』なんてものはおよそ現実味がない。
報告書にもそんな存在は見たことがない。
だが、ここではそれが当然のように語られる。
「どうして魔王を?」
ニナが問う。
「世界は行き詰まった。秩序は暴走し、企業は数字を信仰し、人は考える葦ではなくなった」
彼の声音がわずかに低くなる。
「ならば、強大な物語で行き詰まった世界を『上書き』するだけだ」
魔王は破壊者ではない。
『上書きする』存在だ。
ニナの胸がざわつく。
壊して、やり直す。
「器の完成には物語が足りない」
修験者が言う。
「この世界で一番惨めな奴を探す」
「なぜ惨めな人を?」
「魔王は物語を欲しているから」
修験者は柱とは逆方向、信者が並ぶ列を見つめる。
「絶望した者が、世界をぶっ壊す物語を」
遠くで詠唱が重なる。
詠唱が一つ、また一つと重なり、この巨大な空間を覆いつくし、反響する。
ニナはぞくりとした。
ここにいる者たちは狂っているのかもしれない。
だが、理屈は通っている。
無差別爆破よりも。
目撃者処理よりも。
よほど筋が通っているように聞こえてしまう。
それが、何より恐ろしかった。
柱の中を流れる光が一瞬、脈打つ。
まるで巨大な心臓の鼓動のように。
──これが完成したら、本当に何かが起きる。
そう確信してしまう自分がいた。
「……気味が悪い」
ニナは小さく呟いた。
修験者は否定しない。
「正しいものほど、不気味に見えることがある」
と、修験者は先ほどまでの不敵な笑みとは違って口元を大きく開けて笑みを浮かべる。
「と、いうことで、まずは信者勧誘からしようか」
「……は?」
ニナは間抜けな声を出す。
ここに来て急な提案に戸惑う。
「……もしかして、やるの?」
「何を?」
「駅前で『世界を壊しませんか』って?」
「ははは。それ、いいね。やってみよう」
「本当なのか、冗談なのかわかんないわよ……」
「大丈夫。もっと、インパクトがあってやりがいのある方法がある。ついてきて」
修験者の後に従うと、エレベータが見えた。
無言のまま、二人は古いエレベーターに乗り込む。
ガコン、と扉が閉まる。
昇る。
地下神殿の重い空気が徐々に薄れていく。
やがて到着音。
扉が開く。
そこにあったのは──重厚な装飾品のある儀式場ではなかった。
壁一面のLEDパネル。
照明機材。
配信用カメラ。
そして中央に巨大なディスプレイ。
場違いなピンク色の髪の3Dモデルが、こちらを向いた。
瞬間、軽快なBGMが鳴る。
画面の中の少女が跳ねる。
「泡沫の夜に歌はいかが? リリィちゃんの配信はじまるよー!!!」
ニナは三秒、完全に停止した。
「……は?」
修験者は真顔で言う。
「彼女が信者勧誘担当だ」




