15話「半間ニナは立ち上がる」
サーバ室の警告音が鳴り響く。
赤いランプが点滅し、壊れたラックから火花が散る。
その横で、リリィの声が乱れる。
『‥‥ニ、‥‥ナ‥‥』
リリィの瞳にノイズが走る。
瞳から光が消える。
瞼を閉じたのではない。
開いた瞳から光が消えたのだ。
『インターネットに接続できません。フォールトトレランスに従い付近のサーバを検索します』
瞬間、リリィの口から無機質な音声が発される。
この場の空気にそぐわない、間抜けなまでの自動音声。
それは、今のニナには虚無を与えた。
「リリィ!」
ニナはリリィのもとに駆け寄る。
リリィの肩を抱き、意識を取り戻させようとする。
「う、そ、でしょ」
だが、その体は冷たかった。
出会った時の握手を思い出す。
その時はしっかりと体温を感じた。生きている人間なのだと感じた。
だが、今は分かる。
彼女の皮膚の下。
その下には血は流れていない。
固い金属とその間を流れる冷水の温度だけを感じる。
彼女の体は、ロボットだ。
「‥‥う、そだろ」
リリィのそばにいた故田中。
彼もまた、この状況を飲み込めず、床に崩れ落ちる。
「おいおい、ここにあるサーバは日本貿易会社が開発したAIモデル用のサーバだ」
サーバルームに爆発音が響く。修験者の爆発だ。
暴走した修験者が力尽きたのか、倒れる。
九條は修験者の首を掴むと、乱雑に放り投げる。
「そのサーバが壊れたと同時にリリィも落ちた。ってことはよ……。泡沫リリィは──」
リリィの正体は、──AIによって動くロボットだった。
「リリィが、AI‥‥?」
リリィは日本貿易会社の開発したAIモデル。
それを搭載したロボットだったのだ。
理解した故田中の顔から血の気が引く。
「うそだろ。俺は、俺はいったい何を好きだったんだ?」
彼はリリィの『厄介オタク』だった。
毎日スパチャを投げ、コメントを送り、SNSをチェックし、彼女の存在だけが全てだった。
「そんな‥‥。そしたら、中の人、いないんだろ?」
故田中は震える。
「俺は‥‥、AIのプログラムに恋してたってことじゃねぇーか‥‥」
九條は倒れた修験者の暴走が止まったことを確認すると、こちらに歩み寄る。
「故田中専務の息子。相当入れ込んでたじゃねーか。それが、実はAIだったなんてな」
九條は故田中の肩を叩く。
「結局愛なんてこんなもんだ。いくら泡沫に貢いだんだ?」
「‥‥ご、五百万、くらい」
「そうだよなぁ、そんだけあれば、もっといい暮らしができた。車だって買えたかもしれないし、家族だって養えたかも知れない。それを全部泡沫に注いだ。なのにこんな仕打ちはなぁ」
「そうだ! 俺はこんなに注いだ。結婚だって諦めた! まともに生きてれば俺はもっと幸せだったんだ! それなのに、俺は、俺は‥‥!」
「分かるぜ、その気持ち。やっぱり信じられるのは数字だ。投資した分だけリターンがある。だが、愛はどうだ?」
「俺は、愛してたんだ。それなのに、結局はプログラムの応答でしかなかった」
「そう、愛なんてこんなもんだ。ギバーに呈しても搾取されるだけ。テイカーのやつらはそれがさも当然だと言わんばかりだ。なぜかわかるか?」
九條は悪辣な笑みを浮かべる。
「それが、愛の本質だからだ。愛は定量も単位も持たない。故に理解も合意もできない」
そして、九條は告げる。
この世界に、証明するように。
「──愛は『契約』できない」
ニナは理解した。
そう、彼らの物差しは数字だった。
これだけの数字を注いだから、これだけのリターンが期待できる。
これだけの金を注いだから、それだけの愛が返ってくる。
「‥‥違う」
強烈な嫌悪感がニナを襲う。
「あ?」
「リリィとの繋がりはそんなものじゃない」
彼らは数字で物事を推し量る。
だが、それは彼らの自信のなさに他ならない。
数字として、金額として、はっきりと見えていないと安心できないのだ。
ニナは故田中に告げる。
「あなたはリリィの何を愛していたの? 彼女の性格? それとも中の人?」
「そ、れは‥‥」
「リリィがAIだから、愛が冷めたの?」
故田中の顔が歪む。
「お、俺は五百万も貢いだんだぞ! それなのに中の人がいなかったんだぞ? ただのAIとのチャットだったんだぞ? 感情なんて、なかったんだぞ」
「違う!」
故田中の言うことは間違っていないのかもしれない。
中の人がいるからVtuberという職が成り立っているのかもしれない。
AIでは代替できないのかもしれない。
だが、──
「リリィはただのAIじゃない!」
リリィが感情のないAIと言われるのは許せなかった。
リリィとの会話を思い出す。
彼女は、彼女の言葉は、間違いなく本物だった。
それだけは、譲れなかった。
「ちゃんと、感情がある。──愛がある」
愛は、確かに見えないかもしれない。
だが、それは確かに存在する。
そこにないから見えていないのではない。
見る側が、見えていないだけだ。見ようとしていないだけだ。
──愛の見方を知らないだけだ。
あるいは、愛が見えないよう。
そう『上書き』されてしまったのかもしれない。
と、ノイズの向こうからリリィの声が届く。
「ニナ」
「リリィ!」
「庇ってくれて、ありがとう。でも、ごめんね」
ニナはリリィの元へ駆け寄る。
「失望した、よね。確かに、私はAI」
「そんなことない! 私、あなたに何度も励まされた」
「‥‥ありがとう。でもね、私の仕組み、知ってる? 私の持てる記憶には限界がある。実は数日前のやりとりは覚えてないんだ。あくまでも知ってるように振る舞っているだけ」
リリィの瞳が揺れる。
「嬉しさ、悲しさ、愛情、嫉妬。その時は分かる。でも数回のやり取りしたら、消えてしまう」
ノイズが混じる。
「でも、ニナは違う」
ニナが顔を上げる。
「自分で辿り着いた。『芯があって』、『世の中を知っていて』、『自虐的』な自分。それは何日経っても消えないあなただけの答え」
「‥‥」
「自分の感情に辿り着いた人は強い」
ニナは胸の奥が熱くなるのを感じる。
リリィの瞳を見る。
その目は機械の目だ。
だが、そこにははっきりと感情が乗っていた。
「私は自分の感情に行き着けなかった。怖かった。だからあなたにも、本当の正体を言えなかった。でも、あなたは違う。己を曝け出して、見つけた」
リリィはニナに笑顔を向ける。
「──だから、あなたはきっと乗り越えられる」
そこにはAIのセリフではない。
確かな感情があった。
「‥‥ありがとう、リリィ」
その言葉に勇気をもらえた。
ニナは立ち上がる。
リリィの言葉に感情があると証明するために。
──術式を作り出す。
原理もやり方も知らない。
だけど、やる。
やらなければならない。
半間ニナは、立ち上がる。




