14話「半間ニナと修験者の覚醒」
修験者は静かに耳元へ手をやる。
「物語には、『転調』が必要だ」
黒髪に覆われた耳をかき上げ、チェーンピアスを引き抜く。
瞬間、修験者の右腕が膨張する。
骨が軋み、筋繊維が裂け、黒く変色する。
皮膚がひび割れ、その隙間から赤い光が漏れ出す。
「……っ!?」
ニナが息を呑む。
修験者の右腕は、人間の形から外れていた。
血管が脈打ち、爪は刃のように伸びる。
それは、魔物だった。
「なるほど、お前は『魔力蔵』か」
九條はペットボトルの蓋を再度開封する。
いつでも戦えるように体制を整えている。
「お前の体内は魔力が無尽蔵に湧き出ている。魔力はいわば生命力。魔力が細胞を強制的に分裂させ、傷を治しているのか」
修験者は九條の言葉に返さない。
だが、それは九條の言葉が正しいという裏付けであった。
修験者は術式を持たない代わりに、無限の魔力を有している。
生命力たる魔力が細胞分裂を引き起こし、傷を回復させていたのだ。
「普段はそのピアスで意図的に裂傷させているな? 再生すべき傷がなくなると、今度は進化する。行くあてのない細胞分裂が体を増幅させるんだ」
「ご名答だよ。さすがは日本貿易会社。いつもはこれで抑えている」
耳から滴る血。
ピアスの裂傷。
常に自傷することで、自動回復を制御し、暴走を止めていたのだ。
ニナは震える。
「そんな……そんな無茶な……」
「大丈夫、ニナ。僕は暴走しない」
修験者はこちらを見る。
魔物となった右腕、こちらを振り向く姿は異形だった。
だが、彼の眼は人間だった。
「じゃあ、ネクストバトルを始めようか」
修験者が踏み込む。
その瞬間、サーバ室の床が砕ける。
九條が水をまき散らし、爆発で応戦する。
それをモロに食らう修験者。だが、たちまち再生が追いつく。
修験者は敢えて食らっているのだ。
強行突破。巨大な質量による攻撃。
それに対して、九條が舌打ちする。
「避けろって、マジで。効かねぇ攻撃するなんて非効率だと思われんじゃねーか」
修験者の右腕の拳が九條の腹に直撃する。
その衝撃によって九條が吹き飛ばされる。
壁に激突した衝撃で付近のサーバラックがゆがむ。
「おいおい、サーバ壊すんじゃねーよ。マジで、一個でも壊れたら障害だっての」
「じゃあ、こんなところでやるんじゃなかったね。これ、『計画』の考慮不足じゃないのかい?」
壁の横たわる九條に向かって、修験者が追撃を仕掛ける。
大きく振りかぶった攻撃が九條の顔面をすりつぶそうとして──
「バカが。これも『計画』のうちだ」
それは叶わなかった。
修験者が九條を殴ろうとした瞬間。
パンチを繰り出そうと息を吸った一瞬。
その合間に九條はペットボトルの水滴を修験者の口に流し込んだ。
「バン」
九條の叫び声と同時に、修験者の体内で爆発が起きる。
腹部が内側から破裂する。
だが、すぐに再生する。
また、爆発が発生する。
だが、それも再生する。
永続ループ。
体内に入れられた水分が、
九條の能力で連鎖的に起爆される。
「……っ!?」
九條が冷たく言う。
「お前の異形化は無傷が故。水の無限爆発。お前の体を常に傷つければいい。魔力は回復に割かれ、異形化に間に合わない」
九條がゆっくりと立ち上がり、爆発で突っ伏す修験者の頭を足で抑える
「『物語』? 笑わせるな」
修験者の右腕の異形化が収まる。元の人間の形に戻る。
「『計画』の前じゃ、『物語』なんて何の役にも立たん」
修験者が歯を食いしばる。
「大事なのは数字。物語? ばかばかしい。白魔術だか何だか知らねーが、無情も圧倒的な数字の前ではひざまずくしかない。ちょうど、お前のようにな」
「……やっぱり、術式が必要か」
修験者はニナを見る。
「ニナの術式が、必要だ」
修験者に見つめられたニナは固まる。
「でも、私……できない。術式、知らないし……」
声が震える。
喉から絞り出すような声音が漏れる。
「九條が、怖い」
脳内で光景がフラッシュバックされる。
会議室。
感情のない人型アイコン。無機質な機械音声。
そこから放たれる言葉。
「お前は、ダメだ」
ニナの体は完全に動かなくなっていた。
「ニナ……」
修験者の見つめる目。それを直視できない。
「さて、お前の物語ではあの若手がキーだったみたいだが。残念、すでに機能不全なようだ」
ニナは動けない。
足が床に縫い付けられたようだった。
視界の端で、サーバラックのLEDが点滅する。
赤。
黄色。
緑。
『要改善』
『期待未満』
『戦力外』
まるで、ニナへの評価のように感じた。
修験者の体内で爆発が続く。
爆発。
血が飛ぶ。
再生する。
爆発。
それでも修験者は顔色を変えない。
これだけの状況でも絶望しない。
ニナだけを見ている。
それは、期待している目だった。
だが、それが一番、怖かった。
「やめて……」
声が出ない。
「やめてよ……」
自分のせいだ。
「私なんかが、できるわけ……」
九條が肩をすくめる。
「そう、それでいい。それも合理的判断だ。勝てない相手とは戦わない。次にやるべきは、敗戦処理」
その言葉が、まるで首切り通知のように響く。
だが、その言葉に、修験者が小さく笑う。
血を吐きながら。
「……違うね」
爆発。
再生。
爆発。
それでも目は死んでいない。
「不確実なピース。想定を超えた想定外。これを乗り越えてこそ、『物語』だ」
九條が舌打ちする。
「まだ言うか」
修験者は、ニナを見る。
震えている。
目を伏せている。
「ニナ。君は恐怖を知った」
爆発。
肉が裂ける。
「──絶望を知った」
爆発。
骨が軋む。
「それは『魔王の素質』だ」
その瞬間。
修験者の瞳の光が変わる。
理性のブレーキが外れる。
修験者の右腕が再び膨張する。
だが今度は右腕だけではない。
左肩、背中。肋骨。
全身が異形化を始める。
九條の目が細くなる。
「……おい、待て」
爆発。
だが再生が止まらない。
内側で爆発が起き続けているのに、
外側への増殖が止まらない。
魔力の出力が、爆発の消費を上回り始める。
「お前、傷があるうちは異形化しないんじゃねーのかよ!」
「──確かに、僕の描いた物語は破綻してるかもしれない」
修験者は全身が魔物と化す。
サーバ室の天井が軋む。
九條の額に汗が滲む。
「──でも、面白くなるのはこれからだ」
魔物と化した修験者は九條を押しのける。
黒く肥大した腕が空間を裂き、床に叩きつけられた九條の足元に亀裂が走る。
その瞬間──
修験者の体内からあふれ出た魔力が、形を失ったまま空間へ漏れ出す。
「……っ、やめろ」
九條の声が、初めてわずかに低くなる。
魔力が渦を巻く。
サーバ室の空気が歪む。
LEDの光が波打つ。
爆発。
だがそれは水の起爆ではない。
純粋な魔力による空間破砕。
ドン、と重低音。
衝撃波がラックを揺らす。
「おい、待て待て待て!」
九條が立ち上がる。
「ここでそれはマズい! サーバが壊れる!」
修験者は答えない。
瞳は虚空を見ている。
理性が薄れ、ただ膨張する出力だけが残る。
再び爆発が発生する。
今度は天井近くで弾ける。
配線ダクトが裂け、火花が散る。
「やめろって言ってんだろ!」
九條が叫ぶ。
その声には、計算ではない焦燥が混じっている。
三度目の爆発。
今度は至近距離。
サーバラックの扉が内側から弾け飛ぶ。
ストレージユニットが床に転がり、回転音が異音へ変わる。
アラート音が鳴り響く。
「クソ……!」
九條が歯噛みする。
「一台でも落ちたら障害報告書だぞ……!」
しかし、止まらない。
修験者の全身から放出される魔力が、空間そのものを震わせている。
「最悪だ……!」
九條が舌打ちする。
計画が崩れる音が、現実の破壊音と重なる。
その時、サーバの一角から、異質なノイズが走る。
LEDが不規則に明滅する。
モニタ画面が乱れ、文字列が崩壊し、再構築される。
その崩壊と同時に、ニナの視界の端で乱れが生じる。
『……ナ……た……て……』
「リリィ?」
サーバがノイズを上げて制御を失う。
そして、同時に、リリィも制御を失ったのであった。




