13話「半間ニナとラスボス」
サーバールームの冷気が肺を刺す。
九條はゆっくりとペットボトルの水を口に含み、喉を鳴らした。
「社員番号AL-2061。半間ニナ」
なぜだが、彼は酔っているようだった。
頬が赤く染まり、瞳孔が定まらない。
だが、その声音は人を刺すような冷たさがあった。
「そいつを知るにはそいつの作った成果物を見ればいい。お前の作ったプロジェクト計画書を確認した」
その言葉はかつての『トラウマ』を想起させる。
言葉の一つ一つが、ニナの心臓を強く打つ。
「──落第点だ」
瞬間、ニナの息が止まる。
「予定時刻を過ぎた時に何をするべきか、魔物が召喚された場合に誰が対処するか。最悪の場合、何を決断する必要があるか」
九條は淡々と語る。
これは、指摘ではない。
その瞳の奥には明確な悪意が存在した。
だが、その言葉は真実だった。
「──何も書いてねぇ」
諜報軍に所属していた時代。
深夜の静まりかえった時間帯。
明かりがまばらのフロアで煌々と光る会議室。
長机の向こうに並ぶ上司たち。
「想定が甘い」、「何かあったときにどうするのか」、「お前のせいで信用が落ちる」。
そんな言葉が思い出される。
「対してお前が失踪した案件。あれは良かった」
ニナの心拍が一気に急上昇する。
思考が一瞬にして真白になる。
何も、考えられない。
それはまるで支配のように、言葉一つでニナの五感を乗っ取っていく。
洗脳のように、魔術のように。
「魔物と目撃者を各個処理するパターンA」
視界が揺れる。
九條に焦点が合わない。
「行き詰ったら即パターンB。区域閉鎖と無差別爆破」
サーバから響く低音。当時の警告音と重なる。
視界にあの時の光景が思い出される。
逃げ惑う人々。悲鳴を上げる人々。
見えないところで人が殺されていく光景。
「最悪の想定。影響範囲はどこまでか、誰が、いつまでに、何を決断する必要があるのか。インシデント案件であったにも関わらず、被害は区域一つで収まった」
九條は長く息を吐く。
「──あれが会社のあるべき姿だ」
異世界開拓事業部、事業部長。
その肩書から発せられる言葉は重かった。
ニナが抱えきれるような重さではなかった。
彼の言葉は正しい。
だからこそ、ニナは屈するしかない。
体が、心が、完全に委縮するのを感じる。
ニナは九條の言葉に完全に動けなくなった。
だが、その威圧をはねのける声音が響く。
「このご時世に、その態度。それ、完全に『パワハラ』でしょ」
隣を見る。
そこには修験者が立っていた。
「そんなんだから会社辞められるんだよ」
修験者はニナの背に手を添えた。
その手は温かく、包容力があった。
いつもの彼らしくない、力強いものだった。
「ニナ、落ち着いて。呼吸を整えるんだ」
小さく修験者が話す。
「んあー? ……お前が『異世界教』、か」
九條がペットボトルの水を飲みながら、定まらぬ瞳孔で修験者を見つめる。
まるでその価値を値踏みするように。
と、その瞬間。
目の前にペットボトルの水が吹きかけられる。
「──バンッ!」
九條が破裂音を口にする。
それと同時に周囲が爆発した。
水滴一つ一つが弾丸のように炸裂する。
それはまるで水の原子が反応するように、世界の理が呼応するように。
「ニナ!」
とっさに修験者がニナを庇う。
爆発が連鎖する。
水滴一つが爆発するたびにそれらが鎖となり、爆発が広がった。
「う……。何が、起こって──」
ニナは何が起こったのか把握ができない。
だが、ニナの頭を腕が覆っていた。
修験者だ。彼がニナを庇ったのだ。
だが、
「! 修験者!」
見ると、修験者の背中が爆発で皮膚がえぐれていた。
背中一面が爆発によりえぐれ、皮膚の下にある赤い鮮血がにじみ出ていた。
「くっ……、大丈夫? ニナ」
「あなたこそ! これ、火傷がひどい。このままじゃ、呼吸すら」
肉の焼ける匂いがする。
ニナは瞬時に理解した。
ただの火傷ではない。生命に影響するほどの大怪我だ。
修験者は痛みをもらすように苦痛の声を上げる。
「ニナは、君は平気なのか?」
だが、そんな傷を負いながらも修験者はニナを心配していた。
「わ、私は大丈夫。あなたが守ってくれたから」
「それなら良かった」
九條が酔いを覚ますようにペットボトルの水を飲む。
「ほぅ。今ので人の形が残ってるのか。痛くねぇように一瞬で灰にしてやったつもりだったんだが。俺らは政府公認の優良法人だ。人道とコンプラを重視してやったつもりなんだがな」
「お前らに人道を語る筋合いはない。……でも、お気遣い感謝する。すぐに君の尊重どおりになるさ」
修験者は笑みを浮かべる。
すると、彼の背中の傷がたちまちに回復する。
「! 修験者の傷が、治っていく……!?」
ニナは彼の背中に手を回す。
あれだけ深かった傷が瞬きする間に元通りになる。
「ほぅ。再生持ちか」
九條は目を細める。
「……ニナ、ありがとう。少し、立てる?」
修験者はニナに目配せする。
その目はいつもよりも少しだけ柔らかだった。
ニナと修験者の肩を借りて立ち上がる。
「え、ええ。でもあなたこそ」
「僕は平気さ。この通り」
修験者は背中を見せびらかすようにする。
確かに背中の傷は何事もなかったように完治していた。
「今のは挨拶として理解するよ。今度はこっちの挨拶を受け取るといい」
言うと、修験者は錫杖を地面にたたきつける。
同時に大量の魔力が錫杖から放出される。
「くっ。なんだこの魔力量は!?」
高濃度の波が九條を襲う。
九條はとっさにペットボトルの水をまき散らし、爆発で相殺を試みる。
「まだだよ」
修験者はその隙に九條に向かって一気に距離を詰める。
九條の頭に向かって蹴りを食らわせようとする。
「ッ痛ぇな!」
九條はそれを間一髪のところで肘を上げて防ぐ。
が、修験者の蹴りによって肘が悲鳴を上げる。
九條は一歩よろける。
修験者はさらに追撃する。
錫杖自体に魔力を込めて、九條の頭部めがけてたたきつける。
「甘ぇんだよ!」
しかし、九條は自身から飛び散った汗を目視すると、それを爆発させる。
「バン!」
爆発が修験者を襲う。
爆発をもろに食らう修験者。
顔面が火傷に覆われる。
「ハァ、ハァ。さすがにやれる性質か。『異世界教』」
火傷の顔面がたちどころに再生する。
すぐに元の顔に戻る。
両者の実力は拮抗していた。
だが、何かを確信したように九條は黒い笑みを浮かべている。
「だが、分かったぜ。異世界教。お前、術式が練れねぇんだろ」
「……え?」
九條の突飛な言葉。
ニナを無理解が覆う。
想起される修験者の言葉。
魔術は、術式と魔力で契約される。
魔術には術式が必要不可欠。
「う、そ。だって、修験者。魔術には術式が必要だって……」
「……」
だが、それを裏付けるように修験者は無言を貫く。
同時に思い出す。
これまでニナは修験者が術式を使用しているのを見たことがなかったことに。
最初の出会いの時。彼は魔力を使って魔物を祓っていた。
地下神殿で魔術を披露した時。彼は信者に魔術を使わせていた。
今まで、彼が術式を使っているところを一度も見ていない。
「図星、か。『異世界教』、ねぇ……」
九條は水をまた飲む。
「お前ら、そんな『中期経営計画』でよく俺らに歯向かおうと思ってんな」
九條は鼻で笑う。
「無理だろ、普通に」
勝利を確信したように、ペットボトルのキャップを締める。
「計画が立てられねぇ信者に、魔術の使えねぇ信者。俺らは『日系企業』のトップだぞ。こっちは社会を背負ってんだ」
九條の目からは熱を感じる。
酔った時特有の話しぶりだ。
必要以上に声を荒げ、まるで演説するように語る。
「一つの考慮不足で百人の生活が終わる。一つの曖昧さで百万人の利用者に影響が出る。そんなプレッシャーの中で働いてんだ。俺らは」
九條はペットボトルを握りつぶす。
怒りを載せるように。
「お前らは甘い。やると言ったらやる。やれと言われたらやれ。やりきる覚悟もねぇなら、お仲間で社会の愚痴でも言い合ってろ。負け犬が」
正論だった。
ニナたちは罠だとわかっていてここに来た。
だが、分かっていてもなお、無策だった。
何とかなる。どうにかなる。そういう思いが根底にあったのは事実だ。
九條の言葉で胸が詰まる。
だが、
「君たちは『計画』かもしれない」
修験者がニナを庇うように立つ。
傷が修復されたその背からは確信が見える。
「──でも、僕たちが語るのは『物語だ』」
そう言うと、修験者は耳につけたチェーンピアスを引き抜く。
「物語には、一回ピンチを演出する序章が必要だろ?」
ようやくボスを登場させることができました!
ブラック企業らしいキャラクターなので是非楽しんでください!




