10話「半間ニナと泡沫リリィ」
──防音ブースのドアが閉まる。
外の喧騒が一瞬で切り取られ、世界が柔らかい布に包まれたみたいに静かになる。
「さて‥‥」
リリィが椅子をくるりと回した。
「最近、元気ないでしょ。配信」
ニナは視線を逸らす。
モニターに映る自分の顔が、思ったより疲れている。
「……わかるんですか」
「配信者舐めないで。コメント欄より先にわかるわよ」
軽い調子で返すリリィ。
だが、目の奥は真面目だった。
「何かあった?」
少しだけ迷ってから、吐き出すことにする。
「配信、どうすればいいのか……わからなくて。あと……修験者と、ちょっと」
「あー、彼ね」
ニナの言いたいことを察したのか、リリィがにやっと笑う。
「喧嘩?」
「……価値観の違い、です。向こうは喧嘩とすら思ってないかも」
「あはは。何それ、バンドマンの解散理由じゃないんだから。それを喧嘩って言うのよ」
リリィは口元を手で押さえながら笑う。
彼女の整えられたネイルが光に照らされる。
「修験者は、正論なんです。いつも。間違ってない。でも……」
「でも、刺さるのよね」
ニナは小さく頷く。
図星だった。
でも、修験者の時とは違う。
柔らかい視線だった。
「配信も、ビジネスも、魔術も。全部『正しく』やろうとする。でも私、そんなに器用じゃなくて」
リリィは背もたれに体を預けると、両手を上に伸ばす。
まるで観念するように。
「実はね、私も手探りなのよ。デビューしたての時じゃなくて、今でも」
「え?」
「視聴者のことだって、ある程度は割り切ってる。ニナちゃんから見たら私はうまくやってるって思うかもしれないけど、全然そんなことはない。好きって言ってくれる人はいる。でも、全員がそうじゃない」
さらっと言う、リリィの目は遠くを見つめていた。
どうやらニナを励ますための言葉ではない。
「と、言うか全員が自分を好きになるんて無理。それは、私も一緒。全員に寄り添うことなんてできない。私は私を好きな人を大事したい」
紛れもなくリリィはVtuberの中ではトップアイドル。
そんな彼女の言葉は、思ったより地に足がついていた。
「……苦労、してるんですね」
「当たり前。毎日炎上と隣り合わせよ? ほら」
彼女は懐からスマホを取り出し、ニナに見せる。
そこには配信のコメントが表示されていた。
多くはリリィを賞賛するコメント。
しかし、その中にいくつか彼女へのアンチコメントがあった。
『媚び売り』
『頭弱そう』
『尻軽』
ニナは眉をひそめる。
見ているだけで不快だ。
「こんなの……」
リリィはスマホに表示されたそのコメントを見ている。
その眼差しからは彼女が何を思っているのかは分からない。
「逆にね、そう思ってる人がいるってことは、そこに需要があるってことよ」
「需要?」
「そういう言葉を投げたくなる人たち。逆に彼らを囲えたら強いと思わない?」
ニナは考え込む。
確かにそれは理想だ。
だが、このようなコメントをする視聴者の気持ちなど想像できない。
彼らを納得させる物語など描けそうにない。
「でも……そういうコメントする人って、どんな人なんでしょう」
だが、それを理解しているのか、リリィがにやにやと笑っている。
「いるじゃない。近くに」
「……え?」
「こう言うコメントしそうな『斜に構えた』ヤツが」
一瞬間が空く。
だが、すぐにその意図を読み取り、ニナは思わず吹き出す。
「違いますよ、修験者はこういう視聴者みたいな感じじゃ──」
「いやいや。『男』なのよ、彼」
「男……?」
修験者は確かにニナの神経を逆撫ですることがある。
だが、それは彼独自の考えがあってことだと理解していた。
「魔術とかビジネスとか正論の場では生き生きするタイプ。でも、感情、というか、人への気遣い? 空気とかタイミング? みたいな部分、ああいうの、たぶん苦手」
ニナは思い出す。
淡々とした視線。揺れない声。
確かにアンチコメントをするような視聴者に通じるものがある、かもしれない。
だが、彼は論理だけと言うわけではない気がする。
「でも修験者、私を異世界教に誘いました。論理で考えるなら、普通『諜報軍』の私を誘ったりしますか?」
「そこよ」
リリィがご名答と言わんばかりに指を立てる。
「彼、感情で動かないタイプでしょ? でもニナちゃんを誘った」
沈黙が流れる。
今一要領を得ない。
リリィの意図が分からない。
「なんでだと思う?」
ニナは答えられない。
首を横に振る。
リリィが、少しだけ諭すような顔になる。
「彼はね、『芯がある人』が好きなのよ」
「芯……?」
「世の中の嫌なところを知っちゃってて、それでもちょっと自虐的な。‥‥私とは真逆ね、少なくとも私が演じるキャラとは」
ニナの胸が、少しだけざわつく。
確かに、ニナはリリィの言うタイプかもしれない。
曲がったことは嫌いだし、会社で嫌なことを思い知らされた。それを誤魔化すために笑ったり。
でも、それは果たして本当に魅力なのだろうか。
「……でも、そんな性格、配信映えしないですよ」
「だからこそ好きなんでしょ、彼は」
しかし、そんな不安を飛ばすようにリリィは笑う。
「ニナちゃん、あなたはありのままでいいのよ」
「え?」
「自分のまま。無理に明るくしなくていい。光にならなくていい」
静かなブースの中で、その言葉だけが柔らかく響く。
「私は光。でも光が当たらないところ、影の隅っこにいる人たちを拾いきれない」
ニナはモニターの黒い画面を見る。
光と影。
リリィは圧倒的なスターだ。
明るい光で視聴者を導く。
社会との契約に失敗した人間は、彼女のその明るい光に誘われるだろう。
だが、そうじゃない人間もいる。
光を嫌い、現実的で、それを少し上から眺めたい人間。
光の外から光を見る影。
──影に手を差し伸べるのがニナの役割だ。
「私は……泡沫リリィの影」
ぽつりと言う。
「明るい光が当たらない人を、救えれば」
リリィは優しく笑う。
「いいわね。それ、ちゃんと武器になる」
「自分の性格、活かせそうです」
「でしょ?」
少し沈黙してから、リリィが悪戯っぽく言う。
「それにさ」
「はい?」
「修験者、見返したくない?」
ニナの口元がわずかに上がる。
ここで逃げたくない。
修験者に言われっぱなし終わりたくはない。
「ですね。‥‥なんせ私、芯があるので」
「ふふ。いいわね。よし、じゃあ決まり。がんばろっか」
二人で顔を見合わせて、同時に叫ぶ。
「修験者のバカやろー、絶対バズらせてやるからな!!!」
ブースの吸音材が、声を飲み込む。
静寂が戻る。
でも、胸の中はさっきより軽い。
方向性が見えた。
無理に笑わなくていい。無理に強くならなくていい。
芯があって、ちょっと拗れていて、世の中に疲れている人へ。
「やってみます」
「うん。自分のためにね」
ニナは頷く。
自分のため。
少しだけ、修験者を見返すため。
そして──
影の中で、ちゃんと誰かを掴むために。
配信の方向性が、ようやく定まった。




