7.過ちの始まり【side リオン】
騎士として人々を守るのは当然だった。
なりたての頃から遠征はよく行っていた。地方は人手不足で魔物に脅かされているから守りたい気持ちが強かった。
だから結婚してもそれを変える気は更々無かった。
シーラがくれた剣帯を身に付けてからは活躍の場が増えた気がする。
付き合い始めて初めて遠征に行く時、お守りだと言ってくれたこれはシーラの魔力を編み込み作ってくれたらしい。周りの奴らも貰っていたからすごく嬉しかったのを覚えている。
これを貰ってからは疲れ知らずで、誰よりも戦果を上げることができた。
仲間たちに感謝され、持て囃され、シーラに感謝して、剣帯のおかげだと言えばそんな素晴らしい物をくれる女性を大事にしろよ、とどやされた。
王都に帰って来ると必ずシーラが笑顔で出迎えてくれ、それがホッとして、ずっと一緒にいたいと思った。
だからシーラにプロポーズをして、結婚の書類をギルドに提出してから正式に一緒に住みだした。
「リオンは結婚したから遠征は控えるだろ?」
同僚から言われた言葉は寝耳に水だった。
「いや、金も貯まるし遠征は続けるつもりだ」
「え、でも……」
仲間が心配する気持ちも分からなくはない。
遠征する多くの騎士には娼館に通い詰めだったり現地に女性を囲っていたりするからだ。
それを快く思わないパートナーが殆どだから、遠征するのは独身でパートナーがいない者が優先される。
「心配するな。俺はシーラ以外に目を移したりしないよ。シーラとの将来を考えてるから今のうちに金貯めときたいしな」
なおも言い募ろうとした同僚の肩を叩き、俺は遠征志願にサインをした。
結婚して一年くらいはシーラ一筋だった。
だが破竹の勢いで活躍を続ける俺は街で一番感謝され、若い女性が群がるようになった。
ただの酒の酌をする程度だったのが、両手に華を抱え、彼女たちの色香に傾いた。
それでも最後の一線は越えなかった。
そんな時だった。
キラキラした目のシアラに出会ったのは。
「騎士さま、街を守ってくださりありがとうございます」
期待の眼差しと笑顔を向けられ、いつものだとあしらうが名前を聞いて胸の奥が疼いた。
シアラという名前がシーラに似ていて、雰囲気も出会った頃のシーラのようで。
でもシーラとは違い少し抜けてて守ってやりたくなるような空気に次第に俺は傾いていった。
最初は、仲間たちと街の酒場には行かずシアラの家に行き食事をするだけの仲だった。
街を守る騎士にお礼がしたいから、と食事を出してくれたとき指先に巻かれた包帯を見れば彼女は恥ずかしそうに手を隠す。
「苦手なんですが、一生懸命作りました。よかったら食べてください」
健気な彼女が愛おしくなって、気付けばその唇を奪っていた。
「あ、あの、騎士さま……」
「リオン、だ」
潤んだ瞳、濡れた唇が「リオン」と動く。
それを見て俺の理性はプツリと切れて、シアラをベッドに押し倒していた。
微かに震える身体で、痛みを堪えながら瞳を潤ませ、全てを捧げるようにしがみついてくる彼女を飽きもせずに貪った。
初めてだと言われて責任のようなものを感じたが、嬉しさが勝り事後も彼女を労り何度もキスを贈る。
疲れて一眠りして夜も更けた頃、冷めた食事を食べた。
シアラを膝に乗せ食べさせ合って、口付けて触れ合って。
最初は恥ずかしそうにしていた彼女も大胆になり、互いを求めるようになっていた。
朝、家を出る時泣きそうな顔をしながらも笑顔で見送ってくれた彼女に「また来るから」と口付けて駐屯地へ向かう。
「昨夜はお楽しみでしたか?」
若い騎士に茶化され、苦笑いで誤魔化したが次に言われた言葉に冷水を浴びせられたような感覚をおぼえた。
「リオンさん、奥さんいるんだからハメ外し過ぎないようにしないとですよ」
心臓がドクンと嫌な音を立てた。
そうだ、俺にはシーラがいる。
駐屯地の更衣室に置いていった剣帯を見て、冷や汗が止まらない。
俺はシーラを裏切った。
シーラと結婚したのに、シーラではない女性を抱いてしまった。
「そんなんじゃ、ないよ」
力無く呟いた言葉は誰に言ったものだろうか。
その遠征中、シアラの元へは行かずに帰還した。
「お帰りなさい」
シーラの笑顔を見ると罪悪感が湧いてきて真っ直ぐに見れなくなった。
相変わらず労ってくれる彼女に申し訳なくて、「疲れた。飯食って寝る」と素っ気なくなった。
シーラの眼差しが俺を責めているようで居心地が悪い。
逃げるように遠征志願にサインをし、シーラが起きる前から準備して遠征に行って、帰還してからはシーラが寝た後に帰宅した。
しばらくすればほとぼりも冷め始め、それでもシアラのいるマルセーズには行かないようにしよう、と決めたがどうしても欠員が出て行かざるをえなくなった。
同僚からは「そろそろ遠征は控えた方がいい」と言われたがどうしようもなく、これを最後に遠征は止めようと思っていた矢先の事だった。
約半年ぶりくらいに街に行くと駐屯地にシアラが来ていた。
目当ての騎士に会いに来る女性はいるから、何ら不思議ではないが少し出ているお腹を見て目を見開いた。
「お仕事が終わってからで構わないのでお話があります」
鋭い眼差しに息を呑む。断れる雰囲気ではない。
十中八九そのお腹に関する事だろう。
その日の訓練は気もそぞろで、剣帯をしたままシアラの元へ行った。
テーブルを挟んで対面する。まともに見れず、家の中を見回した。シアラは一人暮らしであまりきれいとは言えない家だとその時に感じた。
それなのにあの時俺に料理を振る舞ってくれたのか、とつきりと胸が痛む。
「一応、あなたにも言っておかなければならないと思いまして」
ごくりとつばを呑む。
「あの時、あなたの子を授かりました。どうしようか悩んだんですが何かの縁だと思って生むことにしました」
顔が引き攣るのが分かる。目の前の現実が嘘であってほしくて、拳を強く握り締めた。
「それは……俺の子……」
シアラの表情が歪んでいく。蔑むような、呆れたような。
「私はあなたと以外にそんな行為をした事はありません」
どこかで身持ちの軽い女だといいと思っていた。だがシアラはあの時初めてだったし、初々しい反応が琴線を刺激した。
腹にずんと重たい物がのしかかる。彼女に言わなければならない事があるのに、鉛を飲み込んだように重苦しい。
「俺は……俺には……王都に妻がいるんだ……」
それでも振り絞って言葉にする。
自分が言ったセリフが返ってきて胸を抉っているようで痛くなる。
重い沈黙が流れ、口を開いたのはシアラだった。
「……それは何となく分かっていました。騎士の恋人たちの話では……独身と言ってても王都に恋人や奥さんがいるのはよくあるって、聞いたから……でも……」
顔を上げて見れば、シアラは唇を噛み締めていた。俯いて肩を震わせて、必死に泣くのを堪えているような様子に思わず近寄り抱き締める。
「あなたは、あなたはそんな、人じゃないって。あなただけは、違うって、思ってた。だから、子どもができたって分かった時嬉しかったし、あなたがまた来るって言ってくれたから、私……っ」
我慢できずに嗚咽を上げて泣きじゃくるシアラの頭を撫でる。
一時の気の迷いなんかじゃない。
あの時はシアラを愛しく思い欲情し、全てを欲した。後悔したのは一瞬で、目の前の彼女を守らなければ、と思った。
「すまない。ごめん。産んでほしい。ちゃんと責任はとるから……」
そう言った俺の頭の中からは、シーラの存在はすっかりと抜け落ちていた。