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5.アスティの謎


 まだ薄暗い朝の街並みを歩いて行く。

 昼間に見た雑然とした賑やかな雰囲気は静けさに代わり、澄んだ空気が肺を満たしていく。


 リオンはこの街に来てどれくらいなのだろう。

 私と結婚する前から来ていたのだろうか。

 あの母子とはいつ頃知り合ったのだろう。

 幾夜をあの母子と過ごしたのだろう。

 妊娠を知った時、どんな気持ちだったのだろう。

 ――帰宅して、私を見た時、どんな気持ちで会話をしていたのだろう。


 空を見上げながらいくつも疑問が浮かんでは吐き出した息と共に消えていく。


 いつからだろう。リオンが私を見なくなったのは。

 思い出してみるけれど、やはり結婚してから一年から一年半が経過した頃からのように思えた。

 それまでは遠征から帰宅して「おかえり」と言えば「ただいま」とホッとしたような表情を見せてくれていた。

 いつからか、「ただいま」が「ああ」とか「うん」に変わり、「疲れたから飯食って寝る」に変わって、会話らしい会話は無くなった。

 食事をする時も黙々と食べる。

 何かを話かけても億劫そうにしていた。


 あの女性に会って、私への愛情は減ってしまったのだろう。


「シアラさん、って言ってたっけ」


 よりにもよって似たような名前の人を選ばなくてもいいじゃない。

 更に子どもの名前も――


『もし子どもができたらどんな名前にしたい?』

『んー、まだ先の話だからなぁ。でもリかオかンの字は入れたいかな』

『えー。じゃあリリとかオンとか?』

『ぶはっ、なんだそれセンス無いなぁ』

『とりあえず言ってみただけでしょう』


 膨れっ面をした私を宥めるように抱き締め、口付けをした。


『愛している。シーラ』


 真面目な顔をして見つめて、深く口付けて。

 慈しむように情熱的に愛してくれた。


 頬からぽたっと雫が落ちる。

 私だけを愛してくれていたのは嘘だった?

 帰って来た時、私が心配して声をかけても上の空だった。子どもが欲しいと話してもまともに話もできなかった。

 いつからリオンが帰るべき場所はマルセーズになったのだろう。

 私が守っていた家は何だったんだろう。


 考えたくもないのに、次から次へと疑問が浮かび頭の中をぐるぐる駆け巡る。

 いつからが嘘で、なにか真実はあったのだろうか。


 大きく息を吸って、吐いてみる。

 あの時のアスティを思い出して、目を閉じる。


『シーラさん、大丈夫。ゆっくり息吐いて』


 そんな声がした気がして、ゆっくりと息を吐く。


『うん、上手。今度はゆっくり息を吸って。そう、さすがだね』


 ふっ、と笑みが漏れる。ただ息を吐いて吸っただけなのに、さすがだね、はちょっと言い過ぎだ。

 でもアスティがやらなきゃいけない事、やるべき事を次々に言ってくれるから楽でもある。


「うん、頑張らなきゃ」


 ぱちんと頬を叩いて気合を入れる。

 もう、泣いてはいなかった。



「シーラさん、こっち」


 あの家に近付いた時、アスティの声がして辺りを見回す。

 家から少し離れた空き地に腰を降ろし、玄関の方を伺っていたようだ。


「監視魔法は解いたの?」

「まだだよ。彼らはまだ寝てるぽい。あ、シーラさんはここに座って。冷やすといけないから俺お手製のポカポカ魔法陣付。朝はちょっと冷えるから」


 ぽんぽんと叩いたそこにはクッションが置かれている。私のとこだけでアスティの下はシートだけだ。

 こういった気遣いはありがたい。座ってみるとじんわりと暖かい。


「これ羽織ってね。遠くを見れるメガネいる? 喉が乾いたらお茶もあるよ」


 空間魔法からぽいぽいと色んな物を取り出すアスティを見ていると、浮気の調査というよりピクニックにでも来たような感じがする。

 気合を入れたけどちょっと抜けてしまった。


「アスティ、ありがとう。何かあなたがいてくれて良かったわ」


 彼にお礼を言ったのは何度目だろう。

 こうして調査をする事も、一人ではできなかったかもしれない。

 辛いとき、誰かがそばにいてくれるのは心強い。

 アメリとかなら私より怒って突撃しそう。


「役に立ててるなら良かったです」


 彼が目を輝かせて笑うと、本当に犬みたいでつい頭を撫でてしまった。

 すぐに正気にかえってパッと手を離す。


「ごめんなさい、つい」


 何故手が動いたのか分からないけど、たぶん犬を撫でるような感覚なのだろう。

 思わず撫でた手をさする。


「や、大丈夫で、す。はい。あっ、監視魔法鏡見るでしょ。ちょっと待ってくださいね。あっ、しまった」

「え」


 その時、けたたましい程の警報音が鳴る。その音はニワトリを絞めたときのような甲高い音だった。

 何事かと思って見やれば、夫のいる家から鳴っているようだった。

 ご近所の方々も何だ何だと出て来て音の発生源を探している。

 その家から慌てて出てきた寝間着姿の夫も辺りをキョロキョロ見回していた。


「間違えて警報鳴らしちゃった」

「え?」


 アスティが指先をくるくる回し呟くと音はパタリと止んだ。

 人々は発生源だった家から出て来た夫に小言を言いながら自宅に戻って行った。

 その間何がなんだか分からないままペコペコ頭を下げている夫を見て、思わず肩を震わせて笑った。


「あれ、アスティがやったの?」

「すみません。監視魔法に警報魔法を重ねがけしてたんですが、間違えてそっちを作動させたみたいです」


 魔法の重ねがけなんてしてたら魔力の減りが早くて疲れそうだけど彼にそんな様子は見られない。

 そして間違えてくれたおかげであの人が近所の人に睨まれて謝罪しているような光景も見れた。


『もう何だったのよ今の音は』

『分からない。だがこの家から鳴っているみたいだったぞ』

『はあ? 何でよ。あんたなんか持ち込んだの?』

『音が鳴る物なんか持ってないぞ』

『じゃあなんであんな音が鳴るのよ』

『俺が知るわけ無いだろう? 月の殆どこの家にいないのに』


 どうやら先程の音の発生源で揉めているらしい。

 些細な事で腹を立てるなんて、とは思うけど、まあ寝ているところを起こされれば誰でも怒るよね。


『殆ど家にいないって……そう言えば離婚はいつするのよ。リリアだって待ってるのに。本当は言ってないんじゃないの?』

『そんな事はないよ。リリアにも悪いと思って話はしてるんだが、向こうが嫌がってるんだ。絶対に別れてやらないって。だからすぐにはできない』


 私は眉をひそめた。

 今までリオンからそんな話は一度も出た事は無い。

 今までの私なら話されても理解し難くて引き止めたかもしれないけど、裏切りが発覚した今ならそれもしない。むしろ喜んで離縁の書類にサインをしてやる。


『本当は奥さんが好きなんでしょ』

『違うよ。あいつに愛は無い。俺が唯一愛するのはシアラだよ』

『本当に……?』

『嘘だと思う?』


 甘くて囁くような低い声が口付けをする音に変わる。朝から盛り上がる気らしい。


『ん……リオン、ここじゃ……』

『分かってる。寝室に行こう』


 衣擦れの音に痛む胸を押さえ、深呼吸をする。


「ねぇ、アスティ。これ映写されてるの?」

「されてます。ばっちりです」

「とはいえ家の中の事を映写すると犯罪だよねぇ……」


 立派な不貞の証拠ではあるが、他人の家の中での出来事だ。その映像は使えないかもしれないな、と溜息を吐いた。


「んー、監視魔法の設置は他にもしてあるんで音は撮れてるかと。例えば寝室の外とか」

「え」

「玄関の中の映写は使えなくても、寝室の外の録画は景色を撮ってただけだから。そこにたまたまちょっといかがわしい音が入り込んでもそれは偶然の産物なので」


 いつの間にか後出しの設置魔法の存在をサラッと明かすアスティに思わず顔が引き攣った。

 確かにオールマイティーな賢者だけど、そこまでできるの? と。

 そんな私に気付いたのか、目を見開いて慌てた様子を見せた。


「あの、仕事で探偵みたいな事やって、依頼は完璧にこなしたいから魔法を編み出して、そしたらそれ系ばっか来るようになって」


 なるほど。だからこういうのに慣れてるのかもしれない、と妙に納得がいった。


「じゃあソロばかりなのは……」

「そうです。単発で終わるはずが何か評判良くて」


 それだけ仕事が完璧だったんだろうなぁ。

 改めてアスティの凄さを思い知る。


「あ、じゃあアスティに依頼するわ。私の夫の調査をお願い。報酬は」

「いりません。これは俺が助けたいからやってるだけです。普段は一日中監視魔法とか使わないしもっとサクッとやっちゃいますから」

「でも……」

「じゃあ、今度離婚してからでいいんでご飯行きましょう。デートってやつ、してみたいから」


 伏し目がちに言う彼に鼓動が小さく跳ねる。

「分かったわ」とパッと家の方に向き直り、集中する。


 今はまだダメだ。ちゃんとしないと。


 それから二人の間に沈黙が訪れ、長い時間言葉を発することができなかった。気まずいかなと思っていたところへあの家の扉が開いた。


 出て来たのは夫と女性と小さな女の子だった。



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