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19.失った場所【side リオン】


 シーラの後ろ姿が玄関の扉の向こうに消えた。

 俺を掴んでいたダガートさんは厳しい顔をしている。


「ダガートさん、離してください。シーラが行ってしまう」

「そうだな」

「このままだと離婚の書類がギルドに渡ってしまう」

「だろうな」


 淡々と一言だけ返すダガート団長にイライラしながら、しかし掴まれた手をなぜか振り払う事もできない。

 こうしている間にもシーラが行ってしまうというのに。


 離婚したら俺はどうなる?

 明日から誰も――シーラがいない家に帰らなければならないのか?

 そんなのはありえない。この家を守るのはシーラだ。シーラ以外ありえないのに。


「離婚とか、考えてなかったんです」

「そうか。じゃあ今から考えろ」


 シーラと結婚して、シーラとずっと一緒にいると思っていた。シーラから貰った剣帯がそう思わせた。

 剣帯を貰ってから力が漲り誰よりも成果を挙げることができた。回復薬なんか飲まなくても小さな傷はすぐに治るし疲れも無い。

 剣が軽くていくらでも振るえる。

 窮地に陥った仲間を助け、感謝される。

 街に帰れば人々から賞賛され女性たちが群がる。

 手を振り返せば黄色い声援が送られ、年寄りから有難がられ、小さな子どももキラキラした目で見てきた。


 結婚する前やした当初は俺の成果じゃないから、シーラが剣帯をくれたからシーラのおかげだからと感謝していた。

 だがいつしか俺がいなければ全滅していたかもしれない、だから俺に感謝するのは当たり前だという驕った考えが頭を占めていった。

 騎士たちにありがとうという街の人の賞賛は俺がいたからだ。女性たちは一番の功労者に感謝し、一夜を求めてやって来る。

 俺は強い、偉い、最強だ。だから群がるのは当然で、仕方ないから相手してやる。

 それでも最後の一線だけは越えていなかった。


 そんな中でシアラだけは陰から見つめて満足するような女性で、それを如何にして落とすかと始まったものがいつの間にか家族になった。


 それでもマルセーズにいる間だけの仮初のものだった。

 英雄だから遠征先で恋人がいようが子どもがいようがそれは勲章のようなものだ、と笑っていた。

 騎士に遠征先に恋人や馴染みの娼婦がいるのなんて当然だ。

 だから俺も、それが悪い事とは思わなかった。


 シーラが本命で、王都の本家にいるのが当たり前で、いくら遠征先で現を抜かそうがシーラだけはここに帰れば「お帰りなさい」と笑ってくれる。

 子どもがほしい、というシーラの気持ちは無視して、ただ、寝床を整え美味い飯を食わしてくれるシーラがいたから安心して留守を任せられたのだ。


 離婚の書類にサインしている間も、した後も、それを持ってシーラが出て行った事も、全ては夢で、寝て起きて食卓に着けば温かい料理が出てくるんじゃないかって思ってる。


「これは夢だ」


 言った瞬間、ガスッと殴られた。痛かった。

 殴られた頬だけじゃなくて、心臓鷲掴みにされたみたいに苦しくなって、小さな棘がチクチク刺さるみたいに痛かった。


「痛かったろ? 夢じゃねえよ。お前に隠し子がいて、それを見た嫁さんに離婚を言い渡されて、書類にサインしたこと全部、なかった事にはできねぇ現実だよ」


 ダガート団長の冷めた目線と棘のある言葉がジクジク痛む胸を貫く。

 どこかふわふわして現実を受け止められず呆然としていた。


「あ、良かった、まだここにいましたね」

「わっびっくりした! アスティお前どっから、って移動魔法かよ」


 先程の裁定員の男がいきなり現れ、俺に書類を手渡した。


「おめでとうございます。シーラさんとの離婚が成立しましたよ」

「――っ!?」


 引ったくるようにして書類を受け取り確認すると、確かに離婚が成立した事が書かれていた。


「それと、慰謝料の預け先なんですが、分割か一括か選んでいただいてギルドに、って事でした」


 シーラは慰謝料として金貨八百枚と言っていた。

 相場がどれくらいなのかは分からないが、今の俺に払えない額では無い。


「一括だとシーラとの接点がなくなってしまう」


 分割にして、払う度に会って、再び戻って来てほしいと願えばシーラは絆されてくれるんじゃないか。またあの笑顔で迎えてくれるんじゃないかと思ってしまう。


「シーラさんは一括が良さそうでしたけどね。リオンさんの貯金に余裕があるのは知ってますし。まあシアラさんたちとの生活もありますからね」


 金貨八百枚は一年分の給金だ。遠征込みのもので、そこから生活費を折半して残りは自由だった。

 五年間、シーラがやりくりをして貯金してくれていたのだろうか。

 何の為に――


『ねえリオン、私たちもそろそろ子どもが欲しいと思わない? だから遠征を少し減らして欲しいの』


 シーラの言葉が蘇る。

 子どもがいればシーラと別れなくて済んだのだろうか。

 シーラがほしがっていた子ども。

 それさえいれば、俺の元から去らなかったのだろうか。


「シーラと……子を作らねば……」


 シーラが戻って来てくれるなら、何でもする。

 子どもも、シーラがほしがっていたからシーラと作らねば。


「リオンさん、もう離婚は成立してますからね。変な気は起こさないでくださいよ」


 警戒したような声は俺を素通りしていく。


「リオン、お前マルセーズに転勤しろ。シアラとリリアが待ってるだろ。ザインさんには言っとくからよ。ここにシーラさんは戻らない。もう王都は引き払え」


 ダガート団長の言葉も耳に入らない。

 俺はシーラを取り戻さねばならないのだから。


「シーラが帰って来るかもしれないからここは引き払わない。それよりシーラを迎えに行かなきゃ」


 一歩前に出るとダガート団長が引き止め、裁定員が俺の前に立ち塞がる。


「リオン落ち着け。今日はもう遅い。シーラさんがどこ行ったか分からないだろう? 明日にでも……」


 邪魔に感じたダガート団長を振り払うと勢い良く吹っ飛んだ。それを見た裁定員が驚愕の目を見開き、すぐさま俺の足元に陣を描く。


「……っ、ぐっ……」


 重力がかかり思わず膝を突いた。だがシーラの剣帯を身に着けた俺は足を踏ん張り立ち上がる。


「嘘だろマジかよ……」

「これのおかげだ……」


 腰に巻いたままのそれに触れる。シーラと付き合いだして初めての遠征の時にくれたお守りだ。


「ダガートさん!」

「アスティ、飛ばせ!」


 重力を無視して歩き出した俺を、ダガート団長が後ろから羽交い締めにした。


「だが!」

「シーラさんの邪魔になっちゃいけねえ。俺ごと飛ばせ! できればマルセーズに!」


 そんな事をしたらマルセーズから王都に帰還するまでにシーラがどこかへ行ってしまう。


「邪魔……する、なぁっ!!」

「アスティ!」


 咆哮のような叫びをあげ、ダガート団長を振り払おうとするが裁定員は指を動かし俺に向けて魔法を放つ。


「シーラさんの邪魔になるのは……あなたの方です!」


 裁定員の叫びが脳内を覆うと同時に、気付けば俺が見ている景色は王都の自宅内ではなく、マルセーズの駐屯地の官舎前だった。


「ダガート団長、なぜ邪魔をしたのですか」


 俺から離れた団長は痛むのか腹を押さえていた。


「リオン、お前はもうシーラさんとは無関係になったんだ。現実を受け入れろ」

「受け入れてますよ。離婚の書類にサインしたじゃないですか。だからまたシーラとやり直すんですよ」

「シアラとリリアはどうするんだ」


 またその二人。

 俺の足枷になる二人。シーラとの仲を邪魔する二人。二人がいなければ。


「家族なんだから分かってくれますよ」

「リオン……」


 痛ましいものを見るような眼差しに目を逸らす。


「家族、なんだから……」


 シーラとも家族だったはずだ。

 分かってくれると思っていた。シーラなら、仕方ないと許してくれると思っていた。


 ――そうじゃなかった。

 シーラを無視して裏切った結果が今だ。

 頭では分かっているのに気持ちが追い付かない。

 王都に帰還してもシーラはいない。

 家族じゃなくなった。それがどうしても受け入れられない。シーラの笑顔、シーラの泣き顔、温もり……思い出しては空気に溶ける。


「……とりあえず、今日はどうする。寮に泊まるか? それとも……」


 帰りたい場所なんて一つしか無かった。

 それを失ったなんて分かりたくなかった。

 どれだけ大きな存在か、失って初めて実感する。

 誰にも代わりはできないのに。


 ダガート団長は座り込んだままの俺に何も言わずにその場に置いて行った。


 冷たい空気に頭が冷やされて落ち着いて、けれどもシアラたちの家に行く気も起きずにそのまま寮に足を向けた。寮では既に温かい食事と整えられた寝床が用意されていた。


『リオン、お帰りなさい。ご飯できてるよ』


 その温かさに触れてもう二度と触れ合えない事を理解し始めた俺は、食べながら嗚咽を漏らした。


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