1.夫に隠し子がいたらしい
その日、夫を見かけたのは偶然の出来事だった。
偶然なんてあっても嬉しくない事は多い。
私はバラレシア国の王都にあるギルドのサポーターとして登録し、呼ばれた時だけクエストに同行している。
夫が王国騎士で月の半分は家を不在にしている間の期間のみだ。
結婚して五年、私たちの間にはまだ子はいない。
月の半分いないのだから仕方ないのかもしれないけれど、子がいない分暇を無駄にしない為にもお金を稼ぐ事にしたのだ。
この日はたまたま、人手が足りなくて応援に駆けつけた。
ちょっと離れた場所にあるマルセーズという街の近くにいる魔物を退治して、無事にクエストが終了し、今日はこの街に泊まって翌日帰還するとリーダーが言ったので従う事になった。
街の宿屋にチェックインして、各自自由に食事を取ることになった。
大抵はパーティーで親睦を深めたり進捗を報告するからみなで食事したりするが、今回は私ともう一人を除けばリーダーとその他ハーレムパーティーだった。各自自由に、とは言ってもリーダーとハーレムメンバーは自然に集まるだろうし、もう一人は寡黙な変人だったので私は一人で食事をする事にした。
まだ体力もあったし、陽も高かったし、あまり来る事が無い街並みを散策したくて私は宿を出た。
この街は道沿いに屋台が沢山並び、香ばしいにおいに包まれている。宿屋に入るまでに気になっていた屋台に立ち寄っては食べ物を買い、頬張る。
味付けも私好みで食が進む。
辺りはまだ明るくて賑やかで、王都とはまた違った雰囲気に私の気持ちは浮き立っていた。
「……え」
そんな人の波の中、いるはずのない人の姿を見つけて固まった。
その人は小さな子を肩車していて、隣の女性の腰に手を回していた。
似た人だ、よくある他人の空似だ、と言い聞かせ、震える足を叱咤しながらその親子に近付いていく。
「パパ! あれほしい!」
「分かった分かった」
「もう、リリアったらパパに会えて嬉しいのね」
「俺だってシアラに会えて嬉しいよ」
「私だってリオンに会いたかったのよ」
「パパとママはらぶらぶー!」
「こらっ、リリ、上で暴れると危ないぞ」
それは紛うことなき幸せそうな親子の姿だった。
呆然と聞きながら、ゆっくりと後をついていく。
幸せそうな夫の顔、何度も子の母の頬にキスをしながら愛し合っている事を見せつけるような行為。
子どもも嬉しそうにはしゃいでいる。
何かの間違いだ。きっとこれは夢なんだ、と思っても、頭の中で警鐘が鳴る。何故ならあの子がパパと呼ぶのは、間違いなく私の夫であるはずのリオンだった。
私といた時の夫はどんな顔をしていったけ。
最初の方は二人で仲睦まじくしていたような気がする。でも最近はいつも疲れた、飯、寝る、って会話もロクに無かったと思い出す。
まあ、そうか。
こっちに家族がいるなら、幸せがあるなら、私となんている必要ないもんね。つっかえていたものがすとんと落ちたような錯覚がした。
それから親子はいくつか買物をして、夫が女性に耳打ちをして、女性が顔を赤らめてしなだれたのを見て何だか気持ち悪くなってきて。
慣れたようにある家に入ったのを見て私は踵を返した。
「ありゃ現地妻ってやつですかねー」
「うわぁっ!?」
振り返った瞬間、急に声がして変な声が出てしまった。
全く気付かなかった顔と声がいきなり降ってきたら誰でも驚くだろう。
だが声の主はにっこり笑った。
「あれって王国騎士団の人でしょ? ギルドで回復薬貰ってんの見たことある。騎士って遠征多いから現地妻がいる確率高いって言ってたけど、そうなれば子どももいる可能性もあるんだねぇ」
夫が入って行った家を見てデリカシーの無い言葉を吐いていく。無性にイライラして、先程見たのを思い出して胃がムカムカして、私はその場を離れた。
「あ、ちょっと待ってくださいよ~! シーラさん!」
そう言われて文句の一つでも、と振り返ったけれど屋台からにおう普段なら何てことないにおいで更に気持ち悪くなって、咄嗟に口元を押さえた。
それに気付いた彼は私の手を引き何かを唱えると瞬時に身体が移動して、気付けば私は宿の自室の手洗い場にいた。
すぐさま不浄場に駆け込み胃の中のもの全てを吐き出す。
せっかく食べた屋台の食べ物も全て逆流してしまった。
生理的なものか、裏切られた悲しみか、涙が止まらず全てが流れていった。
出し終えて、げっそりした私はまだいた男に気付く。
「ねぇ、さっきのあの人もしかしてシーラさんの夫さん?」
吐き終えて体力を奪われた私は力無く睨んだ。
「まだそうと決まったわけじゃないわ。他人の空似かもしれないし」
「でも声も似てたし、名前だって同じだった」
「……仮にそうだとしても、あなたに関係ないわ」
冷たく言い放つと彼――アスティは顔を顰めた。
だって本当に関係ない。アスティは今回のクエストで一緒になったのが初だったし、それまでも面識は無いはずだ。
「どうします?」
「どうするって……」
アスティは構わずにお腹を指差した。
それに気付いて思わず顔が歪む。
「処置するなら早いうちがいい。再構築するにしても」
「処置なんて……!」
この男は今回のパーティーメンバーの一人で魔法に関してオールマイティーな賢者だ。私の身に何が起きたかなんて一目瞭然なのだろう。
そんな彼に言われて現実が一気に押し寄せる。
結婚して五年。
最後にしたのは遠征前にいつもの処理として抱かれた時の事だ。
『またしばらくできないから』
と、義務のように抱いていた。それがこのタイミングで実るなんて何の冗談だろう。
「さっきの人、夫さんでしょ? 夫さんに言う? 今から連れて来ようか?」
「いい。いらない」
きっと今頃あの親子は笑いながら一家団欒を過ごしているのだろう。何故だかそれを邪魔する気にはなれなかった。
「シーラさんはこれからどうしたい?」
矢継ぎ早に質問責めにあい、混乱する中で何を答えたらいいのか分からない。
「どうしたい? って聞かれて、どうするとか今は言えない。私だって何が起きたかなんて分かってないの。だって、まさか……」
その先は口にできなかった。
口にしてしまえば現実になってしまいそうで怖くなる。
「目を逸らしても現実は変わらないよ」
「……っ分かってるわよ!」
叫んで、また気持ち悪くなって不浄場に駆け込む。もう胃の中は空っぽで、それでも身体は絞り出そうとして強い吐き気に見舞われる。
苦しくて胃が捲れそうになるくらいに辛くて、孤独で、惨めで。
どうしてこんな時に私は一人なんだろうと悔しくて。
そんな時に私の背中を擦る手の存在に安心して。
「辛いよね。俺デリカシー無くてごめんね。シーラさんがもし騎士の夫さんと別れるならさ、俺協力するし」
彼の言葉に心臓が跳ねる。
夫と、別れる。
そのフレーズに無意識でお腹に手を当てる。
このタイミングで?
でも、彼は浮気している。しかもパパと呼ばせる隠し子までいる。
月の半分遠征と言っていたのは、本当はこの街であの母子と会っていたから……?
だから、私との子はいらなかった?
もし、もしもこの子の存在を疎まれたりしたら……
「シーラさん、大丈夫。俺が守る」
「……」
「もし夫さんと別れて、一人で生むってんなら協力する。全力で逃げさせるし夫さんから隠す。シーラさんも、子も、守る」
アスティの言葉が救いのように聞こえて、涙が出てくる。
「シーラさんがやりたいようにやって。これも何かの縁だし」
「……どのみち、夫に話してみるわ。別れるにしても、生むにしても、この子の父親はあの人だし」
アスティは真面目な顔をして頷いた。
そして立ち上がると部屋を出て行った。
一人残された部屋を静寂が支配する。
「リオン……どうして……」
夫の名前を口にする。
いつからだろう。
夫の肩に乗ったあの子はもうしっかり話もできる子だった。
三歳、四歳くらいだろうか。
結婚する前から夫の遠征はしょっちゅうあったし、いつの、なんて特定するのは難しい。
ただ、数年という長い間、裏切られていた事が重くのしかかる。
私と離婚する道もあったはずだ。
どうしてそれをせずに隠し子なんて……
いや、まだ隠し子と決まったわけではない。もしかしたらあの女性の子で、夫は騎士として母子の安否を確認しているだけで。
万が一、他人の空似という事もあるし、夫の口から確定を聞くまでは。
そう思うけれど、腰に回された手を思い出して乾いた笑いが漏れた。
裏切るくらいなら、裏切った時点で別れを告げて欲しかった。
「うぅ……ぅあ……ああ……」
顔が歪んで嗚咽が漏れる。
楽しかった思い出がぐちゃぐちゃに踏み潰される。
真っ黒に染まり、粉々になっていく。
砕けた欠片が全身に刺さって痛い。抜けない棘が次々に深く突き刺さり、傷口が拡がっていく。
「リオン……どうして……どうしてよ……」
誰も答えることの無い問いが虚しく響く。
しばらくそうして彷徨っているうちに、私は意識を失ってしまった。
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