後編:恋や愛で強くなる。
◇◇◇◇◇
楽しかった朝の掃除の翌日でした。
お休みだったこともあり、朝食を終えてのんびりしていると、部屋の扉がノックされました。
「来たか」
私の向かい側で足を組み紅茶を飲んでいたグエル様が立ち上がり、扉に向かいました。そして、招き入れたのは、爽やかそうな見た目の黒髪ショートの青年騎士様。
「今日からこいつが室内警備担当になる」
「え?」
「お初にお目にかかります。室内警備の担当、レイノルです」
「え……はい。あの? 室内警備ですか?」
意味がわからず、グエル様のお顔をじっと見て説明を待ちましたが、スッと視線を逸らされてしまいました。
「そういうことだ。あとは頼んだ」
「グエル様はどちらに?」
部屋から出ていこうとするグエル様を引き留めようとしたのですが、グエル様は「溜まった執務がある」とだけ言って去ってしまいました。
なぜか心臓がギリギリと締め付けられます。
それとともに、小さな怒りのようなものも湧き上がってきました。
「聖女様?」
今日から室内警備になったらしいレイノル様の心配そうな声で、ハッと我に返りました。
「あ……その、よろしくお願いいたします」
「はい。光栄な役職を賜り、感謝しております」
――――私は望んでいませんでした。
そう言えるはずもなく、ただ笑顔を貼り付けて頷くしか出来ませんでした。
室内担当のレイノル様が来て一ヶ月。彼は、とても爽やかでいて明るい青年でした。年齢は私のひとつ下。
騎士団での色々な話をしてくれ、たくさん笑いました。でも、なんとなく寂しさがつきまといます。
グエル様と過ごしたような、静かなのに満たされていた無言の空間が懐かしいです。
グエル様は、治療院に向かうときや式典などには必ず同行してくださるものの、室内で二人きりなることがないため、以前のように素を出しておしゃべりするタイミングがありません。
「……ふぅ」
「ラウラ様?」
「あ、ごめんなさいね」
治療院から戻って部屋のソファに座ると、自然と溜め息が漏れてしまいました。
隣に座っていたレイノル様が青い瞳を揺らして、心配そうに覗き込んで来ます。レイノル様はいつの間にか私を名前で呼ぶようになっていました。
ソファではいつも隣に座られます。ちょっと、距離が近いような気もしますが、なんとなく言えないままです。
「――――ラウラ様」
妙に近付いてくるレイノル様からソッと距離を取るのですが、また近付いて来られます。
そうやってじわじわとソファの端に追い詰められら時でした。
「何をやっている⁉」
部屋に入ってきたグエル様が、私とレイノル様を見て眉間に皺を寄せると、ズカズカと近付いて来て私の手首をグッと引っぱり上げました。
「っ?」
慌てて立ち上がったものの、バランスを崩してグエル様の胸に飛び込むような形になってしまいました。
「レイノル、何をしている?」
「グエル様こそ。聖女様の部屋にノックなしで入ってこられたり、そのように粗雑に扱われていますが、ご自身の地位はご理解されているのですか?」
「あぁ、理解しているさ。俺は、女神に聖騎士に選ばれた。お前は、どんなに親の地位が高くとも一介の騎士だ」
「「……」」
お二人が無言で睨み合っていました。
私はグエル様の腕の中から抜け出そうと藻掻くのに、グエル様は一向に離そうとしてくださいません。
「聖女様が嫌がられていますが?」
「――――嫌か?」
耳元でグエル様に嫌かと囁かれて、心臓が跳ねました。
嫌ではないのです。ただ、恥ずかしいだけでした。私が藻掻くせいで、グエル様が不利になるのなら、止めます。
ぷるぷると首を横に振り、グエル様にそっと身体を預けました。
「他薦も自薦もあったからお前にしたが………俺のミスだな。ラウラ、すまない」
「っ!」
グエル様にキュッと抱きしめられて、アワアワとしていましたら、レイノル様が何やら小声でグエル様のお生まれのことやご両親のことを蔑んでから部屋から出て行きました。
「………ふぅ」
レイノル様が出て行って数秒。少しの沈黙の後にサッと体を離されてしまいました。
「すまなかったな。穢らわしかったろう」
「え……」
グエル様のご出身は平民だとは聞き及んでいました。
レイノル様の怨嗟の言葉をまとめれば、『お父様がおらず、幼い頃からお母様と二人きりで過ごしていた』だけです。
穢らわしいなど、誰が思うのでしょうか?
「そうか? 娼婦だぞ?」
「そうです。ご家族お二人で支え合って過ごして、騎士様になられたのですよね?」
「――――っ、ん」
グエル様のこのときの柔らかな微笑みは、初めて見るものでした。そして、ずっとその笑顔を向けて欲しい、ずっと抱きしめていて欲しいと思いました。
「グエル様、好きです」
「……………………俺は……俺には、そういう感情はない」
「っ、はい。ごめんなさい」
振られてしまいました。涙が溢れそうですが、グッと我慢のときです。
笑顔を貼り付けて、「忘れてください」と言うと、寂しそうな笑顔で頬を撫でられました。
なぜ、いま、触れるのですか?
なぜ、いま、そんな表情をされるのですか?
また、グエル様と二人きりの生活に戻りました。
相変わらず口煩いのですが、グエル様の優しさを感じるので嬉しい口煩ささです。
「ほら、もっと食え」
「もっと食べて、メリハリのある身体になったほうが、グエル様の好みでしょうか?」
「――――っ、バカなこと言ってないで、食え!」
あの日、私はグエル様が好きなのだと気付きました。
一ヶ月経っても、二ヶ月経っても、グエル様への思いは消えません。
そんなある日、教会で女神様にお祈りを捧げ終えた時、グエル様が警備の中から消えていました。
聞けば、祈りの最中に教皇様の執務室に呼び出されたとか。
私の予定に何か変更等があるのかと思い、教皇様の執務室へと向かいました。
「――――それはありません」
「だが、一部の者から報告が上がっている」
「ですから、一切ありえません」
「ラウラは思いを寄せているようだが?」
「彼女は幼い。一時の気の迷いでしょう。私は契約を違えることはありません」
――――契約?
「恋や愛で、神聖な儀式や治療を疎かにされてはたまらないのだよ」
「承知しております」
「また報告が上がれば、室内警備を増やす」
「聖女様の心労になろうとも、ですか?」
「当たり前だ」
――――あぁ。
聞いてはいけなかった。でも、聞けてよかった。
私の思いは迷惑だったのですね。
私のせいで、グエル様は余計な仕事が増えていたのですね。
この思いは捨てなくては。
⚜ ⚜ ⚜ ⚜ ⚜
元々打診されていた室内警備を配置した。
侯爵家の次男で、身元がしっかりしていると、他薦と自薦があった。だから採用した。なのに――――。
ソファでレイノルに迫られ、怯えたような表情になっている聖女を見て、頭に血が登った。
聖女を抱きしめると、思っていた以上に細い。それとともに、甘く柔らかい。
レイノルを追い払うために、抱きしめ続けた。
そうしたら、聖女が――ラウラが好きだと言った。俺のことを。
娼婦だった母親は、父親は誰か分からないという。
俺を妊娠したことで娼婦は止めたが、それがいつまでも付き纏い、母親はろくな仕事に就けなかった。それでも二人で支え合い必死に生きてきた。
聖女はそれらをすべて知っているかのように、微笑み包み込む。
――――俺も、好きだ。
絶対に言えない言葉。
聖騎士になって、教会と交わした契約。それは、『聖女と恋仲にならない』。
聖女ラウラは貴族出身なこともあり、結婚するのであればなるべく地位の高い者と。そう教会側が決めているようだった。
そこに聖女の意思はない。
わかってはいるが、母親の入院費を稼ぎたい俺は、頷くしかなかった。
聖騎士は、教皇か聖女が女神に祈れば交代できる。ただ、一代に一回しか出来ないらしい。
だからこそ、俺も教皇も言葉で牽制し合うしか出来ない。
聖女は市民の治療をしている。だがそれは、王都のみ。
地方の者は、病や怪我を押してて王都に来なければならない。
母親には、無理だった。
幸いなことに、入院し投薬さえ続けていれば、穏やかに過ごせる。聖騎士の給与は、一介の騎士の五倍だった。俺は、聖騎士を辞めさせられるわけにはいかない。
だからこそ、この思いは隠し通さなければならない。
ラウラの部屋の外では、ラウラへの接し方は気をつけていた。彼女も外では室内で見せてくれている、ぽわぽわとしたおっとりさは隠しているようだった。
それなのに、教皇が呼び出してくるということは、犯人はレイノルだろう。
「――――それはありえません」
面倒な呼び出しを躱して、礼拝堂に戻るとラウラは部屋に戻ったという。
なんとなくいつもと違う空気感。
妙な焦りを覚えつつ、ラウラの部屋に向かった。
「よかった。ちゃんと戻っていたな」
「……はい。部屋に戻るくらい、できます」
この日から、ラウラは俺を突き放すような態度に変わった。
◇◇◇◇◇
教皇様の執務室の前で聞いてしまった会話。
脳内で反芻しながら、足早に部屋に戻りました。
付き添ってくれていた騎士にお礼を言い、部屋に閉じこもっていると、グエル様がセットしていた赤い髪を少し乱しながら部屋に入ってこられました。
少しだけ息が上がっているように見えます。
「よかった。ちゃんと戻っていたな」
「……はい。部屋に戻るくらい、できます」
つい。
言葉がきつくなってしまいました。
初めて抱いた思いを消さなければならない苦しさにイライラとしていたのか、大切なことを話してくださらなかったグエルさまにイライラとしていたのか、何も知らずのうのうと生きていた自分にイライラとしているのか。
お腹の中の黒い渦がどんどんと大きくなっていくような気分です。
「ラウラ、近ごろ笑顔が少ないと市民たちが心配していますよ。何かあったのかな?」
教皇様が好々爺の笑顔で聞いてきます。
あの日から一ヶ月。私、笑えていなかったのですね。
「……気をつけます。お話はそれだけでしょうか?」
「ラウラ? どうしたんだい?」
心配そうに見つめてくる教皇様。
教皇様様が心配なのは、何に対してなのでしょうか?
わざわざ、グエル様がいない時に呼び出してくるのは、何を聞きたいのでしょうか?
「治療に専念します。式典も、礼拝も、全てそつなくこなします。笑顔も絶やしません。ですから、そっとしておいて下さい。私の心は、私のものです」
カーテシーをして教皇様の部屋から立ち去りました。後ろで教皇様が名前を呼んでいますが、いまは何も聞きたくありません。
部屋に戻りソファで膝を抱えて横になっていると、グエル様が部屋に飛び込んできました。
「ラウ――――っ、聖女!?」
「何でしょうか?」
「っ……体調が悪いのか?」
「いえ」
「それなら、何で泣いている」
わからないです。
ただただ、溢れ出るのです。
抱いた思いは消えなくて、どこにも行き場がなくて、苦しくて。
「聖女でいるのが、辛いです」
人を癒やすのは好きです。
皆の笑顔を見るのが好きです。
でも、自分の笑顔が保てなくなりました。
「自分の心を殺せません。私は聖女失格です」
「っ、すまない。俺のせいだな……」
グエル様がそっと抱きしめて下さいました。
久しぶりに触れたグエル様は温かくて、荒んだ心が落ち着きます。
「全部話そう――――」
グエル様から語られたことは、少なからず教会に対しての不信感を抱くことになってしまいました。
それとともに、自身の無力も痛感しました。
「いますぐには無理かもしれませんが、いつか必ずグエル様のお母様を治療しに向かいます」
王都以外に治療に出られるよう教皇様にお願いしましょう。
もっともっと活動的になりましょう。
私が動かなければ、世界は変わりませんから。
――――いつか。
心から笑顔で『愛してる』と伝えるために。
恋や愛で疎かになんてならない、世界を幸せにできる。と、教皇様に知ってもらうために。
―― fin ――
お付き合いありがとうございましたぁ!
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