前編:聖女ラウラ
私――ラウラは、本日の式典を以って、晴れて聖女の一人となりました。
この国には何人かの聖女と聖女見習いがいます。
聖女たちは皆、女神様の加護があります。女神様の加護は奉仕活動などを通して成長してゆき、人の身ながら癒やしの力を得ることができます。
その力を使い、怪我人や病人を治すのが聖女の仕事になります。治癒能力はかなり貴重なもので、女神様が認めた聖女しか使うことが出来ません。そのため、聖女には聖騎士様がお世話係として付きます。
「よぉ。今日からよろしくな」
彼はぶっきらぼうな挨拶をすると、私の部屋のソファにドカリと座りました。
私専属の聖騎士様は、平民出身でグエルと名乗られました。
真っ赤な髪の毛と金色の瞳と無精髭が印象的な二八歳。
名称として『お世話係』にはなっているものの、基本は日常的な護衛兼雑用係です。
聖騎士様は国の騎士の中から女神様の神託で選ばれます。聖女と相性の良い人物が。
新たな聖女が生まれれば、新たな聖騎士が選出される仕組みです。
「よろしく、お願いいたします」
◆◇◆◇◆
伯爵家に生まれてすぐに女神の加護が発覚した私は、聖女見習いとして幼い頃から教会に通い、国民の皆さまへの奉仕活動を続けていました。
そうして十八歳になったある日の朝、いつも通りに教会の庭の枯れ葉を集めていましたら、急に魔力が体の奥底から湧き上がってくる感覚がしました。
『ラウラを聖女と認める』
脳内に響いたのは凛と響く女性の声。
辺りを見回しても誰もおらず、聴こえた声が頭の中で響いていたような気がして、違和感を覚えましたが、取り敢えず掃除を終わらせようとホウキを動かし始めたときでした。老齢の教皇様が、バタバタとこちらに駆け寄って来られます。
「ラウラ! ラウラ! 今の宣言は聞こえましたか!?」
「教皇様?」
このときの私は、女神様の『聖女認定宣言』は全国民の頭の中へと轟くものと知ってはいたのですが、前回の宣言がかなり幼い頃だったこともあり何も覚えておらず、国や国民がどうなるのかなど考えてもいませんでした。
それからは急展開に急展開を重ねたような慌ただしい日々。
一言でいえば、熱狂的。
教会の周りにも我が伯爵家の屋敷の周りにも人だかりができ、外出もままならぬようになりました。
「来週には式典を行えるだろう。その直後、聖騎士が選出される。それまでの辛抱だよ」
教会に籠城するような形になってしまっている私に、教皇様が申し訳無さそうな笑顔でそう言われました。
そうして執り行われたのが今日の式典。
普段は黒を基調としたシスター服を着ているのですが、今日からは白と金を基調としたレースが幾重にも重ねられているドレスに近いワンピース。
くすんだ麦藁色のストンとした髪の毛は、美しく編み込まれシニヨンにまとめてもらいました。
国王陛下をはじめとした国の重鎮たちが集まる教会の礼拝堂の中を通り、女神像の前にゆっくりと跪くと、教皇様の教え通りに祈りを捧げました。
『聖女ラウラ、私の意志を継ぐものよ。人々を癒やし救いなさい』
そのお言葉に心の中で返事をすると、天から眩い光が降り注ぎ、全身がカッと熱くなりました。
それは私の中で聖女の魔力が完全に開放された証拠。大量の魔力が溢れ返り魔力酔いを起こしているようです。
まるで高熱を出したように視界が歪み、身体が鉛のように重たくなっていきました。
『聖騎士を選出する――――』
女神様のそのお言葉の次の瞬間には、私の隣に騎士姿の赤髪の男性が立っていました。
聖騎士様は、式典の当日に国内の全ての騎士の称号を持った者の中から選ばれ、呼び出される。と聞いていたのですが、まさか転移で呼び出されるとは想像もしていませんでした。
「――――チッ。まじか」
隣から小さな舌打ちが聞こえてきました。
私の聖騎士様は、もしかしたら聖騎士にはなりたくなかったのかもしれません。
聖騎士様が小さな舌打ちをした直後、笑顔を貼り付て聖騎士に選ばれた誉れや宣誓をされていたのですが、高熱を出したような状態の私は、ただ必死にその場に立っている事しか出来ませんでした。
ふと気付くと、式典は終了。
聖騎士様に手を引かれて教会内の私の部屋へと戻りましたが、道中は無言でただしずしずと歩いているだけでした。
部屋に入り、聖騎士様がドアを閉めた瞬間、ハァァァと大きな溜め息が聞こえてきて、少しだけビクリと身体が震えました。
「よぉ。今日からよろしくな。俺はグエルだ」
グエルだと名乗った聖騎士様はドカリとソファに座ると、ビシリと整えられていた真っ赤な髪の毛をグシャグシャとかき混ぜ始めました。そして、ふんわりとしたオールバックにセットし直されました。
きっとそれが普段の髪型なのでしょう。
「よろしく、お願いいたします」
「おう。アンタも座ったらどうだ? 顔色が良くないぞ?」
「あ、はい。ありがとう存じます」
私の部屋なのですが、何故かお礼を言ってしまいました。
グエル様と人一人分空けて、ソファに浅く腰掛けると、「いや、もっとくつろげよ……」と言われてしまいましたが、どうくつろげばいいのかわかりません。
グエル様は室内をぐるりと見回すと、「なんにもない部屋だな」と呟かれました。
清貧な生活を心掛けるよう教義にありますので……と言っても、華美に飾り立てる趣味もないので、生活に困らない程度であれば私は気にしませんでしたが。
「で、なんでそんなに顔色が悪い?」
「さきほど魔力が完全開放されたので、魔力酔いを起こしています」
「おいおいおい……何を普通に答えてんだよ!? 魔力酔いならベッドに寝ろ!」
怒鳴られてしまい、身体がまたもやビクッと震えてしまいました。
グエル様が気まずそうな顔をして真っ赤な髪の毛をグシャッとかき混ぜたあと、ソファに座っている私の正面に移動して来られました。
「ちょっと我慢しろよ」
「はい?」
両脇に腕を差し込まれ、何をされるのかとキョトンとしていましたら、子供のように抱え上げられ、縦抱きにされてしまいました。
グエル様はそのまま歩き出して私の寝室へと入って行きます。そして、ベッドに私をそっと寝かせてくださいました。
「ほら、しっかり休め」
バサッと掛布を投げつけられましたが、グエル様の優しさが感じられたので、嬉しくなりました。
お礼を言うと、なぜか「煩い早く寝ろ」と怒られてしまいました。
翌日には、部屋のお引越しをしました。
運ぶ荷物が本が十冊程度と着替えの服のみだったので、片付けが直ぐに終わってしまいました。
「広い部屋ですね」
「聖女用だからな。つか、荷物は本当にこれだけかよ……」
「はい」
「まぁ、時間が無いんだろうが。せめて本棚が埋まるくらいには本を買ってきてやるよ」
本を読むのは好きだと、本棚に入れながら話していました。ただのおしゃべりだったのですが、グエル様はしっかりと拾ってくださっていて、心がほんわりと温かくなりました。
「ありがとう存じます」
「っ……この部屋が勿体ないだけだよ」
「はい。それでも」
「っ! ほら、まだ顔色が悪い! 寝室に行け!」
シッシ、といったふうに手を振られました。グエル様のお耳が少しだけ赤く見えたのは気のせいなのかもしれません。
それから、毎日のようにグエル様に怒られています。
「もっと飯を食え」
「肉を残すな」
「体力を付けろ」
「歩くのが遅い、筋トレしろ」
「もっと休みを増やせ」
「少しは遊びに行け」
なんだか、口うるさいお母さんといった感じです。
それを伝えると、蟀谷を拳でグリグリとされてしまいました。
「いたいいたいいたい!」
「全く。ほら、ちゃんと食え」
聖女になり、教会で人々を癒やし続けていく中で、聖女とは体力と気力勝負なのだと気づきました。
毎日のように怪我人や病人からお話を聞き、心を込めて癒やす。これが本当に疲れるます。魔力を使うことによる疲れと、辛い話を聞き続ける心の疲れ。
それでも、笑顔で感謝されることがほとんどなので、辛くはないのですが、体重は落ちていきます。
高栄養のものを食べるようにと勧められるのですが、グエル様のようには食べられません。
「お肉はもういらないです……フルーツがいいです」
「フルーツも食べさせてやるから、まずはおかずを残すな!」
「…………はぁい」
グエル様は、口煩いお母さんのようです。
「あぁ?」
「何でもありません」
グエル様に睨まれながら、せっせとお肉を口に運びました。
グエル様と過ごすようになり、毎日がとても楽しく感じるようになりました。
良くも悪くも今までは淡々と過ごしていたような気がします。
「アンタ、読書以外に趣味とかねぇの?」
「趣味ですか?」
部屋でグエル様と向かい合ってお茶休憩をしている時でした。
はて? と考えましたが、特に何も思い浮かびません。グエル様が「やってて楽しいと感じたり、熱中してしまうようなことだ、何かねぇの?」と言われますが、本当に何にも思い浮かばないのです。
そもそも、いままで毎日何をしていたんだっけ? と考えていて、ふと教会のお庭を掃いているときは、楽しかったなぁと思い出しました。
「は? 庭掃きが?」
グエル様が変な生き物を見るような目で、私を見つめます。私、そんなに変なことを言ったのでしょうか?
「はい。朝の澄み切った空気、日々成長する草花、木の上のリスや小鳥たち。落ち着く時間でした」
「朝の散歩でもするか?」
「っ! はいっ! できれば掃き掃除もしたいです!」
つい立ち上がり、前のめりになって大きな声を出してしまいました。
グエル様が金色の瞳を見開いて、ちょっと仰け反っています。
「あ……。失礼しました」
「アンタ、そんな顔も出来るんだな」
そんな顔とはどんな顔なのでしょうか?
グエルがケタケタと笑いながら教皇様と騎士団に確認してやるよと言ってくださいました。
ただし、期待するな、とも。
なので、すっかり忘れていたのです。
ある日の早朝にグエル様に叩き起こされました。
「――――え!?」
「だから、いいってよ。庭掃除」
ベッドで寝ていたのですが、ガクガクと揺すられて目蓋を押し上げると、目の前にはグエル様。そして、急に言われる『庭掃除』。
一瞬、なんのことか分からずキョトンとしてしまいましたが、ジワジワと脳内に言葉が届いて来ました。
「いいん、ですか?」
「そう言ってるだろう? 早く着替えろ」
「はい!」
慌てて起き上がりクロークに向かっていると、後ろから「オワッ」とか「ちょっ!」とか変な声が聞こえました。
なんだろうと振り返ると、グエル様が寝室から急いで出ていくような後ろ姿でした。
――――どうしたのかしら?
着替えを済ませて上から茶色のローブを羽織り、早速お庭に向かいました。
キンと冷えた空気。太陽が出たばかりの時間特有の、小鳥たちの鳴き声。
「はぁぁぁぁ、素敵な静けさですね」
「おい、マフラーと手袋はいらないのか!?」
お掃除するのに邪魔だと言うと、風邪がとか手荒れがとかグエル様が何やらブツブツと独りごちていましたが、それよりもお掃除です。
掃除用具を持ってきて、今までやっていたように掃き掃除をしていると、肩に濃紺の小鳥が止まりました。
「あら? おはよう?」
ぴちゅぴちゅと耳元で鳴いたり、耳たぶをツンツンと突付いてきます。
「んふっ、擽ったいわ」
「チッ。ここは木じゃねぇよ」
「あっ!」
ちょっと不機嫌そうなグエル様が、小鳥を追い払ってしまいました。
何で? とお顔を見つめていると、グエル様の耳がポポポと赤くなって行きました。
「どうされました?」
「なんでもない。ほら、しっかりと掃け」
「はい!」
グエル様はなんだかご機嫌斜めのようですが、それでも掃き掃除をする間ずっとそばにいてくださいました。
話しかけるとお返事もしてくださいます。
今まで無心でやっていた朝の掃除とはまた違うものでしたが、これはこれでとても穏やかな時間でした。
これからは週一にはなるけれど、朝の掃除をしていいとのことでした。
来週が楽しみです。
⚜ ⚜ ⚜ ⚜ ⚜
聖騎士に任命され、生活が一変した。
おっとりとした聖女は、毎日なにを楽しみに生きているんだろうと思うほどに、淡々とした生活を送っている。
女神に無理やり呼び出され、イライラして尊大な態度を取っていたが、聖女は気にする様子もなく丁寧に受け答えし、怒るとなぜか楽しそうに微笑んでくる。
「アンタ……こんな態度されて怒らねぇの?」
「へ?」
ミルクティーのような髪の毛をサラリと揺らし、首を傾げた聖女のオレンジ色の瞳からは、困惑しか見えなかった。
「俺の態度だよ」
「えっと…………その、嬉しいです」
そう言った直後、聖女の顔が真っ赤になった。
これはまずい、そう思うのに、聖女の顔から目が離せなかった。
聖女が庭掃除をしたいという。
教皇と騎士団に相談し、休日前の早朝のみならば聖女の体力にも影響が出ないだろう、ということで朝礼時に許可を得た。
ただし、翌日の休みはなるべく室内で過ごすようにとも。
――――って、今日じゃねぇか!
慌てて聖女の寝室に向かった。
すやすやと眠る聖女を叩き起こし、早く着替えろと急かすと、キラキラとした笑顔になった。
そして、聖女が起き上がって気付いた。
身体に張り付いた薄い夜着。
聖女の細さを強調するような、腰の細さ。
思ったよりもあった、ふくよかな胸。
「オワッ、ちょっ!?」
そんな格好だったのかよ、普通に起き上がるなよ。つか、寝室に入ってきたことに怒れよ!
…………俺、男なんだけど?
慌てて寝室から出ながら、ふと思った。
心臓が激しく鼓動しているが、これはどっちなんだろうか、と。
予想外の状況に驚いているだけなんだろうか? それとも?
嬉々として庭掃除を、している聖女を見守っていたら、小鳥が聖女の耳たぶを喰みだした。
その瞬間の聖女の声は妙に艶めかしく、さっきの肢体が脳裏に浮かぶ。
――――これは、不味い。
慌てて小鳥を追い払った。
そして翌日、騎士団に室内警備の騎士を申請した。
今までは俺が楽するためもあり、警備は部屋の外にしか置いていなかったが、こうなっては仕方ない。
聖女を護るのは、聖騎士の役目だから。
後編は明日の朝に。