第50話 八咫の心情
エンリケの開いてくれた宴は、それはそれは素晴らしい物だった。集落のど真ん中に築かれた宴会場には所狭しと料理が並べられている。周りに促され、一つずつ食べていくが、とてもじゃないが食べきれない。この白骨平原のどこにこれだけの種類の食材があるのだと尋ねたくなるくらいの豊富な料理の数々は、そのどれもが絶品だった。
しかし僕の心に空いた大きな穴は、それだけでは埋まることは無かった。
八咫の様子を見る。アイザのお酌でちびちびと酒を飲んでいるようだ。八咫と目が合うが会話するでもなく、しばらく見つめ合い、互いに話し掛けられて逸れた。
「これも美味しいぞ!」
「あぁ、うん。そうだな。せっかくだし、いっぱい食べろよ」
「うん!」
今朝のことなんてすっかり忘れて呑気に僕の隣で料理を平らげていくヴァネッサからは悪気なんてものは微塵も感じない。そりゃそうだ。彼女は部屋を間違えて寝てただけ。悪いかと聞かれれば、怒る程悪いことではないとしか言いようがない。
ただ、彼女の色欲という属性が勘違いを加速させた。思えば出会ってからそういった面は一切見ていないのだが、人は言葉に踊らされる生き物だ。それは神様も同じなのかもしれないな。
「あっちのも食べてくる!」
奔放な彼女はハドラー達の方に置いてある料理を食べる為にさっさと離れていく。その姿を目で追っていると、ハドラーとブルーノの間に無理矢理座ったヴァネッサが料理を片っ端から口の中に詰めていた。
ハドラーもブルーノも話していた最中だったようだが、突然割り込んできたヴァネッサに困ったように笑いながらも、手元にある料理を勧めて餌付けしていた。
こうして見ている分には害のない生き物なんだけれどなぁ……。
「こうして見ている分には害のない生き物に見えるな」
「八咫……」
いつの間にか、空いた僕の隣に八咫が座っていた。それに同じ感想を抱いていたようで、まるで心の中を見抜かれたような気がして驚いた。
酒の入ったカップだけを持って移動してきた八咫が僕にカップを突き出す。
「王様に酌させるのか?」
「当たり前だ。こっちは神様だぞ」
「ちょっと仲違いして気まずいのに酌させるのか?」
「当たり前だ。私は別に仲違いしたつもりはない」
溜息を吐き、手元にあった酒瓶を手に取り、八咫のカップに酒を注ぐ。ラベルとかないからマナーは分からないけれど、いっぱい飲みそうだったからいっぱい入れてやると、全部一気に飲み干した。
「あれで仲違いしてないは無理がないか? 正直、こうして話すのもきつい」
「それは貴様が勝手に落ち込んでるだけだ。大体、貴様だけが落ち込んでると思うなよ」
「え……?」
思いもしなかった言葉に、思わず八咫の顔を見る。その顔は今まで見たことがない表情だった。無表情でも、半ギレでも、凄惨な笑みでもなく。
「拗ねてんのか……?」
「……っ」
何にも言えなかった。馬鹿みたいに口を開けたまま、ぼーっと八咫の顔を見ていると、立ち上がった八咫に首根っこを掴まれ、引き摺られていく。
「痛いって、おい!」
抗議するが何を言ってもまったく取り合わない。そのまま宴会場からも離れ、連れていかれた先はエンリケの家。八咫に用意された部屋だった。そのまま捨てるようにベッドにぶん投げられる。
「ふぐっ……」
ちょっと良い匂いがする……じゃなくて。ギシ、という音に起き上がると八咫がベッドの際に座る。僕に背中を向けているから表情は分からない。
「私が何で怒ってるか分かるか?」
「……怒ってるのか?」
「怒ってる。神の怒りだ。神罰執行も辞さない」
正直、怒っているというよりは呆れられているという認識だった。しかしそうだな。偉そうに説教した癖にこれではどの口がと言われても何も言い返せない。何もしてないのに。
「お前に偉そうに説教した癖に、あんなところ見られたら、そりゃ怒るよな……本当にごめん」
でも本当に何もしてないんだ。そう続けようとして、怒ってる相手にはただの言い訳だと思い口を噤む。
「私というものがありながら……あんなぽっと出の鳥に」
「鳥?」
鳥だけど……鳥としては見てはいないんだけど……。
「やっぱりあれか? 黒い鳥より白い鳥の方がいいのか? あっちの方が大きいし、私は足が三本もあるし」
「ちょ、ちょっと待って。何の話?」
「大体私の方が付き合いは長いのに、一度もそんな目で見てくれないし……私だって、神様である前に鳥なんだぞ?」
「八咫、お前、酔ってんのか?」
よく見たら顔が真っ赤だ。潤んだ目で僕を見つめ、吐く息は酒臭い。アイザに相当飲まされたか、そもそも酒がきつかったか……多分、この様子だと鳥扱いされなくてヤケ酒に走ったというのもあるだろう。
思えば八咫は最初から不機嫌だった。ヴァネッサを一目見た途端から嫌そうな顔しかしていなかった。だからかもしれないが、僕がヴァネッサを引き入れようとしたときも反対したし、仲良く話すのを睨んでいた気もする。
そうか、相手が鳥だからこうなってしまったのか。アイザに誘われてあたふたしていた時は饒舌になっていたし、実際自分も情が湧くくらいだからそういう知識はあるのだろう。
けど相手が鳥になった途端にこれだ。一人ぼっちの期間が長すぎて自分でも色々と感情の制御が出来なくなっているのかもしれない。アイザの時点でその片鱗は見えていた。
「酔うさ! 酔わなきゃやってられるか……我が王が別の鳥にうつつを抜かす様を見せつけられて……」
「わかった、わかったから。もう横になれって。僕が悪かったから」
「本当にそう思ってるのか?」
思ってると言えば思ってるし、思ってないと言えば思ってない。不安にさせたことは申し訳ないと思ってるが、鳥目線で詰め寄られても鳥じゃないのでどうしようもなかった。
「思ってるよ。不安にさせて悪かったよ。本当にごめん」
「……ヴァネッサを引き入れることには業腹だが賛成してやる。あれの力は強大だ。味方に引き入れられれば戦力にもなる……業腹だがな。だが一番の理由は、お前が謝ってくれたからだ……それを忘れるな?」
「あぁ、わかったよ。ありがとう、八咫」
ベッドから下り、八咫をそこへ寝かせる。掛け布を首元まで掛けてやると、まるで風邪を引いた子供のような顔で僕をジーっと見つめてきた。
「それじゃあ僕はもう行くよ。王として顔を見せておかないと……」
「駄目だ。私が寝るまでそこにいろ」
なんて、服の袖をぎゅっと掴むものだから、僕はベッドの際から動けなくなってしまった。目を閉じた八咫はゆっくりと呼吸を繰り返す。
思えばこいつと出会った時から圧倒されっぱなしだったが、こうして面と向かって、腹を割って感情的な、お互いの関係性を確かめるような会話はしたことがなかった気がする。
乱れた前髪を整えてやると、心なしか微笑んでいるように見えた。
「もっと撫でろ」
「まだ起きてたのかよ……しょうがないな」
八咫の吐息が寝息に変わるまで、僕はゆっくりと何度も、絹のような、でも闇よりも黒い髪を優しく撫でていた。




