能面男のサバイバル、始まる 7
紐作りを終えた翌日、思いの外疲れていたのか、ウサ子が顔面に乗って無理矢理起こされるまで起きれなかった。
「…悪かったな」
取り敢えずテントを開けてやると、そのまま飛び出していった。
「いい加減、野生に帰してやらないとなぁ」
というか、何時も自由にさせてるのに一向に野生に帰ろうとしないのは、ホーンドラビットの毛皮の効果なのだろうか。良く分からないが、まぁ取り敢えずウサ子は放っておこう…いつか野生に帰るだろう、勝手に。
…さて、まずは顔を洗わないと…のそのそ寝床から這い出る…寒い、日に日に寒くなってないか?これは雪対策もしないとまずいな、本格的に。兎に角テントの強化、もしくは雪に耐えられるような小屋の建築…か、いや、サバイバル的にはいつかは…とは思っていたがなぁ…
ちょっと考えている場所もあったりはするが、個々からは少し移動しなくてはならない。全部片付けて、また向こうで作って…うーん…生活しながら少しずつやることにするか。何せ、やらないといけないことが多すぎる。
取り敢えず俺が最初に手を着けたのは、群生していたと思われるシナノキの残っている繊維層を干す所から始めた…物干し台に引っ掻け、また作る時間、例えば夜にでも、ちまちま作ろう…水に戻せば、また加工しやすくなるようだし。次に、またシナノキの伐採と、同時に粘土質の土探しも行う事にした。水筒に水を満タンに入れ、飲む以外にも粘土質の土の確認の為に土にかけたりする為に持っていく。ついでに罠の確認もしよう…かかっていれば、先にその処理からになるが。
シナノキが生えているエリアまで来た…が、罠はハズレ、粘土質の土は見つからない…今のところは収穫ゼロ。だが、この木だけは伐って帰らねば…切り倒し、倒木も纏めておく。一度にそれほど運べないが、分かりやすく纏めておけば後で取りに来るのも楽になる。片側を自分の肩に乗せ、引き摺って運ぶ。何となく運び方も分かってきた所で、1つ発見した事があった。テント裏、河原と森の境目付近に、一部崩れたのか俺の身長より少し低い位…恐らく、170センチ強の崖というか段というか、そういった場所があるのだが、その崩れた土が、粘土質だったのだ。
これは非常に運が良い、ここを掘り返し、拠点を作る予定だったからだ。1から柱やらを作るより、壁面を掘って屋根だけ乗せられるようにした方が早く作れる。伐採してきたシナノキを置き、川で手を洗って…んん?何だこれ…生け簀の所に何かヒラヒラしたのが…
「…これ…Tシャツ…?」
素材なんざイマイチ分からんが、タグもないし…恐らく、この世界の誰かの物なのだろう。
「…人、いたんだな」
この世界に来て出会ったのは、デカイ角生えたウサギ(死体、美味しく頂いた)、イノシン(美味しく頂いた)、ウサ子、後は魚たちやミミズ、植物位なもんだ…と、いかんいかん、これは干しておいて、畳んでおこう、持ち主が来たら返せばいい。物干し台に干して、それから拠点予定地の準備を始める。まずはどのくらいまで奥行きを作るかを決める…しっかり足は伸ばしたいし、荷物も置きたい。
「…こんなもんか」
大体寝転んで図った自分の身長より余裕を持って奥行きを決めた。恐らく…奥行きも幅も2メートルくらいだろう。
「…上に生えた木を伐採して、土を掘って…」
木を加工して壁を作り、床を張り、天井を作る…大工さん達は偉大だなぁ…と、心から思う。
兎に角、木を切らないと始まらない。範囲内に生えている木を伐ってどかす…と言っても、3本程の枯れ木だが。
「…これ、建材にしちまうか」
次に、木の根っこを掘り出す…これがまぁ終わらない。大して太くない木だったのに、根はしっかりしているからなかなかに抜けない。結局、全部終わった頃には太陽は頂点から傾き、空は僅かに赤くなっていた。
「やべぇ…お、終わらねぇ…」
何時しか、ウサ子は戻ってきており、近くにいた。そんなウサ子が急に川上の方を向き、角を付き出すような体勢を取って固まる…威嚇してるのか?今までそんなこと無かったのに…何か来るのか?慌ててテントの外に立て掛けていた角槍を取りに戻り、構える。
一気に緊張感が身体を包んでいく…角槍を握る手には力が入り、喉は一気にカラカラだ。ぐっ…と足を踏ん張り、敵への一撃を入れる為の体勢を取る。
魔物か?それとも人か?何かは分からんが、そう簡単にはやられる気はないぞ…!
「おぉい、そこの人」
現れたのは、背の低い、だががっしりとした体格の、髭の立派な爺さんだったら。
「おっ、と…ワシは何もせん、武器を下ろしてくれんか」
両手を上げて、敵意が無い事を見せてくる…しかし、俺には誰かをそんな簡単に信用出来るような精神は持ち合わせていない。
「困ったのぅ…ワシの名前はゼノ、この川上に住んどるドワーフのジジイだ」
名乗られた…え?ドワーフ!?…っていうか、川上に住んで…?そこまで聞いて、漸く構えと緊張を解く。
「俺は真上、真上 健太郎です」
「ケンタロウか、宜しくのぅ…ところでお前さん、召喚者か?」
「召喚者…?あー…多分そうです、何か女神様…ヴェーリンク様って人に送られました」
女神様の名前を聞いた爺さん、ゼノは目を見開いた。
「ほぉ!ヴェーリンク様に会ったのか!そりゃ凄いのぅ」
凄いんだな、やっぱり。
「何でも、最初に勇者召喚の為の儀式をしたら、魔力が残っているうちにたまたま向こうで死んでしまいまして。それで此方に引っ張られたらしいです」
「あぁ、そういえばウチのばあ様がそんなこと言ってたな…魔力が異常に大きいから、何か弊害がー、とか」
「その、弊害です」
「災難だったのう」
カッカッカ、とゼノは笑う…まぁ、死んだ事は笑い事ではないが、タイミングといい引っ張られた事といい、笑い話にしかならない。
「ところで、そこのホーンドラビットの子供はケンタロウが連れておるのか?」
言われて後ろを見ると、まだ警戒態勢のままのウサ子がいた。撫でて抱き上げてやると、すぐに大人しくなったが今度は俺にしがみついてくる。
「怪我してたのを治療してやったら懐かれまして」
風呂も一緒に入ってる、とは言えないが
「凄いのぅ…ホーンドラビットは、警戒心の強い生き物なんじゃが」
警戒心の強い?一緒に風呂に入ってされるがまま洗われる、コイツが?
「余程ケンタロウを気に入っているんじゃろうなぁ」
またカッカッカ、とゼノが笑う…良い人、かは分からないが、敵意は無いと思えた。ウサ子を地面に下ろしてやり、構えた角槍を下ろした理由とも言うべき事を聞いてみる。
「ところで、ここに来た理由って…」
「おお!そうじゃった…ケンタロウ、川上からシャツが流れて来んかったか?」
ビンゴ、大正解だ。
「やっぱり、今干してます」
物干し台を指差す。
「おー!あれじゃ!いやぁ、わざわざ干してくれたのか…すまんかったのぅ」
一緒に物干し台まで向かい、手製のハンガー…最初に作った物から改良したものから、シャツを触って確認する。
「まだ全然乾いてないですけど」
「あー、ええんじゃよ、回収してくれただけで助かった!」
と、ゼノは辺りを興味深そうに見回す。
「えと、何か?」
「あぁ、すまんすまん…ワシは、こういった手作りの物とか見たこと無い物に興味が湧いてしまうんじゃよ」
漫画やらアニメやらでも、ドワーフというのは手先がやたら器用で、鍛冶職人やらに描かれていたりする。あと、やたらパワフルな戦士としても。
「これはアレか?ケンタロウの世界のものか?」
テントを指差して聞いてくるゼノの目は、キラキラ輝いているように見えた。
「そうです、テントですよ」
「素材が全く見たこと無いもんじゃな…ちょっと触っても良いか?」
「ええ、どうぞ」
あまりにも触りたくてウズウズしていそうな目の前のドワーフの老人が微笑ましくて、つい拠点も無いのに住みかを初対面のゼノに触らせてしまった。
「ほほぉ…随分と薄いが…布とも皮とも違う…触り心地もスベスベしとるのぅ…」
そうか、当たり前だがこの世界にはナイロン繊維やらビニール、ポリエチレンなんか無いのか。
「これ、水を弾く素材なんで、これだけでいいんですよ」
「何と!?それは凄い!普通はテント生地には防水魔法の紋章を施すか、蝋をしっかり塗ったり、油を幾度も染み込ませた布を内側に張ったりせんといかんのじゃが、これはこの一枚で済んでしまうのか…凄いのぅ…」
いちいち驚いてくれると、別に俺が発見した訳でも、作った訳でも無いのだが…少し誇らしいような気分になる。
「ところで、そこの壁に刺してあるスコップなんじゃが…」
「ああ、それは…」
目に写る全てが珍しい、とばかりに、ゼノは色々な事を質問責めしてきた。俺は俺で、分かる限り、説明出来る範囲で何とかかんとか説明を続けていく。
知的好奇心旺盛なドワーフの老人ゼノと俺の受け答えは、本人達の気付かない間に時は過ぎていたらしい。
「あなた、何をしているの」
という、怒気を含んだ声に二人で「ハッ!?」として振り向く。そこには、背筋は未だシャキッとし、長い耳にいくつかのイヤリングをした白髪のお婆さんが立ってい…長い耳?
「ローザ!?」
ローザ?この人?の名前か…
「ゼノ…あなた、流された洗濯物を取りに行ったんじゃなかったかしら?」
「おお、そうじゃった…」
あ、そうだった…俺も忘れてた…
「全く…ところで、そちらの方は?」
ローザという女性は、1つ1つの所作、というか、言動がとても優雅で、それこそ貴族かのような雰囲気をしている。
「彼はな、ケンタロウじゃ!ま、ま…なんじゃったか?」
対してゼノは、何というか、実に豪快で好奇心旺盛な子供のような人…ドワーフだ。
「真上、マガミです」
「おお、そうじゃったな…すまんすまん」
「マガミ ケンタロウ…貴方、まさか召喚者、かしら?」
少し探るような感じがした…そりゃそうか。
「らしいです、恐らく」
「恐らく?」
「いや、何と言いますか…向こうの世界で死んだらしいのですが、その瞬間すら分からずに死に、此方に引っ張られたみたいでして」
と伝えると、ローザと呼ばれたお婆さんは眉間を親指と人差し指で抑えるようなポーズで溜め息をつきながら、首を横に振った。
「全く…!だから前から常々気を付けなさいと言っていたのに…あの子達ったら…!」
とてもお怒りだ…あの子達…召喚の儀、とやらに関わりでもあるのだろうか?まぁ、普通なら此方が怒る所なのだろうが、二度目の生きるチャンスも貰ったし…いや、しかし今までの常識が通じない世界にいきなりというのも、確かに何というか…。
「きゅう」
足元にウサ子がすり寄ってきた…知らない顔ばかりで怖いのだろうか…抱き上げて、背中を優しく撫でてやる。
「あ、ごめんなさい…ところで…」
眉間を抑えていたローザが此方を見るなり固まった…あ、魔物なんだっけ、ウサ子って。
「えっと、コイツ大人しいから魔物らしいですけど平気で」
「まぁ可愛い!」
平気ですよ、と言わせて貰えなかった…あまりのテンション差と声のトーンに、ウサ子がビクッと反応する。
「おいローザ…落ち着きなさい…」
ゼノがいつの間にかローザの横に付いていた。
「すまんのぅ…えと」
「あ、ウサ子です」
「そうそう、ウサ子や、驚かせて悪かったな…彼女はローザ、ワシの妻でエルフじゃ」
やはり…しかし、ドワーフとエルフの老夫婦とはまた…また一段と出てきたな、異世界感が。
「あらいけない、私ったら自己紹介もしてなかったのね…ごめんなさいね、ケンタロウ」
ペコリと頭を下げてくるローザ、その簡単な礼ですら貴族の振る舞いが感じられてしまい、此方も畏まってしまう。
「あ、いえ…お気になさらず」
「…で、あなたは何をしていたの?ゼノ」
老夫婦の奥さんが旦那さんをジロリと見る…これはあれか、尻に敷かれているというアレか。
「いや、異世界から色んなものを持ってきて使っておったのを見てな、つい…な?」
確かに、色んな物に興味を示していたし、俺が作った物干し台や皮を干していた干し台、角槍や風呂なんかも、いちいち感心したり褒めてくれたりしてたな…大人から褒められた事なんて殆ど無い記憶だから、恐らくは嬉しかったんだろう、俺。
「…そうね、見る限り…あなたの興味を引きそうな物ばかりあるもの…でもね?晩御飯が冷めてしまうし、ここは基本的に平和な森だけれど、やっぱり心配にもなるわ」
やっぱり夫婦、心配するんだな。俺は今まで殆どそんな事が無いから分からないが…他人を心配なんてしてる余裕無かったから。
「…すまなかった」
「もういいわ、珍しい物に惹かれてしまうのも、ドワーフ族の…その中でも特に貴方の性格だもの」
「いや、面目無い…」
夫婦の、長年連れ添った夫婦の会話か…荒んでた俺を最後に引き取ってくれた父方の親類の爺ちゃんと婆ちゃんを思い出すな…就職してすぐに逝っちまったけど。
「あー…あの、ところで洗濯物ですが、此方に干してありますので…もう乾いてるかな…」
夫婦の会話に割り込むのは気が引けるが、恐らくこのままだと長くなりそうだし、ゼノの興味を引いた物への説明が長引いたのには俺にも責任がある…初めて異世界でまともに話したから、ちょっとだけテンションが上がっていたのかもしれない。俺は夫婦の当初の目的である洗濯物を渡す為、物干し台へ歩き出す。
「まぁ、わざわざありがとう、ケンタロウ」
「これです…うん、乾いているし、皺も殆ど無いや」
手製のハンガーから外して、畳んでローザに渡す。
「本当、助かったわ…ところでなんだけどね?」
俺は、何か嫌な予感がした。
それから、まさかの色んな物の説明が二週目に入るという嫌な予感は当たり、また俺による拙い知識を使った説明会が開かれた。ウサ子は途中から警戒心も薄れたのか、ローザに撫でられたりしていた。
そんな中、ゼノはハンドアックスやナイフ、テントのペグやスコップなんかに、ローザはテントや物干し台、パラコートやテントそのものに興味を抱いていた。
ゼノが金属製品に興味を持つのは、何となくイメージしやすい、金属そのものの性質や加工の仕方に興味を抱いていたが、生憎そういった知識に疎い俺には説明が出来なかったのは、少々申し訳なく思う。
で、だ…気が付けばウサ子は勝手に飯を食いに行き、いつの間にか辺りは夜になっていた。
「…いけない!晩御飯作っておいてあるの、忘れてたわ!」
ローザも案外うっかりさんなお婆ちゃんだ。
「ワシは同じ説明聞いたのに、また楽しくなって忘れてしもうていたわ」
もっとうっかりさんなお爺ちゃんが頭をポリポリかいていた。
「ごめんなさい、ケンタロウ…こんな、夜になるまでお話してしまって」
「いえ、お気になさらず…俺も久しぶりに誰かと話せて良かったです」
「ケンタロウ、これからもこのテントに住んでいくのか?」
「うーん…決めてません…雪が降る前には、新たな拠点をすぐ近くにでも作りたいなとは思っています」
そうだ、俺は早く拠点の準備をしないといけなかった…忘れてしまうほど、老夫婦との会話は楽しかったのだ。
「そうか…ここいらには凶悪な魔物はおらんから大丈夫じゃろうが、何かあったらウチを訪ねるんじゃよ?この川を暫く川上に向かって沿って歩いてくれば、ワシらの家があるからのぅ」
「そうね、ここで出会えたのも何かの導き、私達に手伝える事があったら言ってね?」
老夫婦は、底抜けに優しく感じられた…誰かの優しさに触れたのなんて、何年降りだろうか
「ありがとうございます」
もっと気の効いた事を言えれば良かったが、あまりに久しぶりの事に言葉が続かなかった。そうだ、この老夫婦は俺に悪意しか向けず、両親の残してくれた金を食い潰した親戚連中とは違うのだ、と思う気持ちと、まだそれでも信じられない気持ちと、ごちゃごちゃだった。反射的というか、咄嗟にお礼だけは出来た、社畜万歳だな。
「しかし、随分長々と話し込んでしもうた…真っ暗じゃな」
ゼノの呟きに気付いた俺は、松明用に薪を渡そうとするが、それよりも早くローザが自分の胸くらいの高さに手のひらを上に向けて広げ、短く何かを呟いた。すると、眩しいほどでは無いが、足元を照らすには十分な明るさの光を放つ玉が現れ、浮かんでいた。
唖然とする俺を余所に、二人は「また来る」だの「これから寒くなるけど気を付けてね」だのと言い残し、川上へ歩いていった。
「あれ、何だ…?まさか、魔法ってやつか!?初めて見たぞ!」
唐突な来訪者達は、最後に強烈な異世界要素を糸も簡単に見せながら、自分達の家に帰っていった。説明もなく、当たり前のように魔法で夜の闇を照らしながら帰っていくドワーフとエルフの老夫婦…既にテント内の毛皮の上で丸くなっているウサ子といい、異世界要素が唐突に来る展開に思考がついていかない。
「…取り敢えず、飯を食うか…」
いちいち考えても仕方ない、何せここは異世界なんだから、ドワーフもエルフも魔法も魔物もいるんだよ、という事だ、此方では当たり前の事なんだろう。
「まぁ、いいか…いるんだし、あるんだから…いちいち気にしても仕方ない」
取り敢えず、食いそびれた飯を食わないと。驚こうが納得出来なかろうが、生きてる以上腹が減るんだ、まずはそれを何とか充たそう…