能面男、また一人暮らし(居候)へ 10
急いで服を着て、湯船の湯を抜く…ああ、明日は風呂掃除しないとな。そのままお湯が抜けていくのを放置し、台所に戻って、溜めておいた水を飲む。それから暖炉に薪を放り込み、木の皮に火をつけて燃え上がるのを待つ。そういえば、降るやら積もるやら言われている雪が降り積もるとどれくらいの高さになるのか、検討もつかないが…その対策もしておこうか、とも思う。
「どっかに穴でも掘って、積もったらそこに放り込むか…」
多分、すぐに満タンになるだろうが、しないよりは…いや、しかし、生半可な穴では意味がないだろう。雪国生まれではないので、対応策が思い付かない。ただ、前に東京的には大雪だった時に北国出身の同僚から
「お湯なんか使うならすぐ冷めて氷るから、滑るし溶けにくくなる。融雪溝も無いし、こっちは大した量も降らないんだから、適当に1つに纏めて積んどけ」
と指示されながら雪掻きしたことを思い出した。正直、あのくらいならそれでも良さそうだが…実際にどのくらいになるのやら。
「ま、なるようにしかならんか…」
面倒臭くなって寝袋に入り、毛皮をかける。明日はまた何をしようか。
◆
「おー…ここがディアナさんの…」
話は遡る事、ゼノ達の家に佳菜子のベッドが届いた日の昼前に、漸く退院した佳菜子はこれから世話になるディアナ宅へと来ていた。ウサ子は、佳菜子のトートバッグの中からヒョイと飛び出すと、辺りの匂いをフスフス嗅いでいた。
「スズシロ様は此方の部屋をお使い下さい」
そう言って佳菜子とウサ子を案内した部屋から出ようとするディアナを引き留め、佳菜子は
「これから私の方がお世話になるんですから、敬語も様を付けて呼ぶのも止めてください」
と提案してみた。ウサ子も「うさ、うさも」と言っている。するとディアナは「そうですね」と、少し考えた後で、
「ではカナコ、と呼ぶわ」
と、切り替えた呼び方をした事で了承とした。それから屈み混んで、「貴方はウサ、よ」と頭を撫でてやる。ウサ子はちょっとくすぐったそうにしていたが、満足そうだ。
佳菜子は案内された部屋を見回す。ディアナから案内された部屋は2階で、入院していた部屋よりは小さいものの、窓もカーテンもあり、ちゃんとベッドもある。
「ここ、使っていいんですか?」
「ええ、私もこの家を買ってから、部屋が余ってしまっていてどうしようかと思っていたの。丁度良かったわ」
「じゃあ…遠慮無く使わせてもらいます」
適当な所に荷物を置き、ベッドに腰掛ける。ウサ子も佳菜子に続いてベッドに飛び込んで…ポイン、と跳ねる。それを見て、2人ともつい笑ってしまった。ベッドは診療所の病室よりも柔らかい。
「ベッドはどうしたんですか?わざわざ購入していただいた、とか…?」
「そのベッドも私の部屋のベッドも、どうも以前ここに住んでいた親子が置いていった物らしいです。ただ、整備と清掃は為されていたので問題ありません。所謂、備え付けで最初から配置されてあったの物ですね」
元メイド長を長いこと勤めたディアナのチェックはさぞ厳しかっただろう、と佳菜子は思った。メイド服で無いと、彼女はとても美しい女性だ。そんな女性だが…残念な程表情を変えるのが苦手らしい。なので、一見すると冷たい印象を覚えるのだが…本人に意図は無くとも、それが威圧的に見えてしまいがちだ。
ふと、真上 健太郎の顔が過る。あの人も、高身長…確か、189センチと聞いた。この世界ではかなり大きい部類に入る、とローザから聞いた。実際、街中を歩く人達や兵士の人達でさえ、健太郎よりは背が低い。相当背が高く、まるで某ゲームの超美麗CGのゲームの主人公かと思える程の美形のアークも、健太郎より背が低い。「着れる服を探すのが面倒で、スーツも殆どオーダーになるし、休みは大概ジャージだった」と、本人が言う位には大変なようだったらしい。
「ほぇ~…ベッドが最初から備え付け…便利ですね…」
日本ではそんなことは1度も無かった…そもそも、実家から出てきて最初に一人暮らしした時は何にも無い部屋で、色々買い揃えよう!と思って色々やっている内に時間は過ぎ、そうして一人暮らしを始めて冬になった頃には此方の世界にいた。経験値が少なすぎる。
「さて、カナコ。これから買い物に行きますが…どうしますか?」
「行きます!色々見て、覚えたいので!」
「うさもいく」
ディアナが自室に荷物を置きに行く。佳菜子は部屋を見回して、それから思った。これから少しずつ自立していこう、これから少しずつお金を稼ぐ方法も見付けて…兎に角、頑張ろう。自分はもうこの世界に来てしまったのだ。両親も、友人も、知人も…自分が前の世界で物心ついた時からあった物、知った事は大半はここではオーバーテクノロジーであり、当たり前ではない。だからこそ、知りたい。知らないとやっていけない。
「まずはお金を稼がないと…!」
ぐっ!と両手を握り締めて誓う。自分の荷物を取り敢えず前の世界で使っていたバッグに放り込み、新しくプレゼントされた大きめのトートバッグを持っていく事にしよう。その中にウサ子が飛び込んで入る。そうだ、ウサ子の餌も何とか自分でしてあげたい。その為にも…何かしらお金を稼ぎたい…但し、健太郎に助けだされる前にさせられそうになっていた事以外で。
「えっと、スマホ…はいらないや。お財布…は、どうせ中のお金は使えないからいいや…あれ?」
持っていく物が…無い。そう、自分がこの世界でまだ、「自分が手に入れた物」が1つも無い事に気付いてしまった。このトートバッグも、冬の寒さをもろともしないローブも、自分の手に入れた物ではない。
「…あぅ…」
ちょっと、いや割と悲しくなったし情けなくなった。この世界に来て、割と経つ。だが自分には何も無い…いや、友人達はいるけれども。
「こ、これは急いがないと…」
と、先も見えていない焦燥感に包まれながら、その実、対策は何も浮かばない。どうしたら…と悩んでいると、ディアナが部屋をノックした。慌てて「あっ、今出ます」と答えると、「慌てなくてもいいわ」と答えが帰ってきた。
まぁ、だからと言ってこのまま悩み続けて待たせるのも違うだろう、取り敢えず空のトートバッグにいつもの癖で財布だけ放り込んで、立ち上がってローブを羽織る。このローブ、羽織ると何時も思うが…まるで眠っている間体温で暖かくなっている触り心地の良い…元いた世界で言うところの総シルク仕上げのような感じがする。つまり、最高なのだ。いつも「ふぁ…」と声が出そうになるのを我慢するのに必死だ。
今日も声を我慢したら、扉を開ける。ディアナもお揃いのトートバッグを肩にかけて立っていた。本当、まるでモデルか何かのようなプロポーションと、嫉妬も沸かない程の美形だ。
「準備出来た?」
無表情なのだが、気遣いと優しさの感じられる声と雰囲気。こういう人…いや、エルフ…ダークエルフをお嫁さんに出来る人は、生涯幸せなんだろうな、と思う。
「はい、大丈夫です」
「うさもだいじょぶ」
「じゃあ、行こう」
ディアナと共に外に出た。新生活、はじめの一歩、という奴だ。色々な人に助けられてきたが、これからはちょっとは自分の足で歩き出そう…決意新たに、第一歩目を…
「ああ、そうだった」
「んぇ!?」
踏み出せず。急に何かを思い出したのか、ディアナが声をかけてきた。
「ど、どうしたんですか?」
「カナコ、貴方に頼まれていた異世界の品物コレクターの件だけど…見付けるには見付けたわ」
「えぇっ!?は、早い…」
「仕事は迅速かつ丁寧に。メイドたる者、当然の事よ…もうメイドじゃないけど」
「あはは…そ、それで、見付かったんですよね?」
「ええ…ただ、あまり評判は良くないわね」
「…と、いうと?」
「どうも珍しい物のコレクターなんだけどね…そこに「生き物」も混ざっているのよ」
「生き物…?み、密猟とかですか!?」
「それだけじゃなく…人身売買ね」
それを聞いた瞬間、佳菜子の目の前が一瞬暗くなる。何故なのだろう、どうしてこうも、そういう犯罪は減らないのだろう。
「しかも腹が立つのがね、私が前に使えていた肉塊…じゃない、生ゴミ…もとい、前の主人が関わっていた、」
物凄く、嫌悪感剥き出しで、その美しい顔の眉間に皺まで寄せて、ディアナは吐き捨てるように言った。初めて見るその姿に驚いたが、それほどなんだろう。
「嫌いなんですね…」
「願わくば、ぶん殴りたいわね」
「めっちゃ嫌いだー!」
「ま、兎に角…そんな噂もあるようなゴミだから、関わりたくはないのよ」
「…正直、私も嫌だなぁ、と」
「決まりね。個人的に、そういった…コレクターの類いって、イカれてる場合が多いわ。取り敢えず、もう少し調べてみるわ」
「でも、危ない事はあまり…」
「安心なさい。少なくとも、ローザ様には敵わないけれど、それ以外の相手には魔法でなら勝てる自信あるもの」
恐らく、本当なのだろう。ディアナは相当の使い手である。エリーとアーシャも言っていた。「ディアナさんは優秀な魔法使いだ」と。ならばそうなのだろうが…心配ではある。
「大丈夫、無理はしないわ」
そう言ってディアナは家の扉を閉めた。本当に無茶しないで欲しい、と佳菜子は心から願う。もう知っている人が大変な目に会って欲しくない。
「カナコ、まだ暫く暇だから…魔法の訓練も後でしましょう」
「はい!」
そうして、2人は商業地域に向けて歩いていった。
商業地域についたディアナは、まずは食材を買おうと考えていた。佳菜子はというと、分からないから着いていく、という感じだ。因みにだが…当面の生活費に関しては、暫く何もしなくてもいい程の退職金を前のあのゴミ屑…もとい主人から自主的にも、ローザや執事さんからも貰っている。更に、佳菜子の為、とローザとゼノから少しずつお金を預かっている。
最初に額を聞いた時に、思わず「貴族の暮らしでもさせるおつもりですか?」とツッコミをする程に渡そうとしてくる老夫婦の親馬鹿っぷりに、少し呆れもしたが。
「そうですね、コレとコレ、ああ、あとそちらの籠に入った…ええ、はい」
と、青果屋台でテキパキと買い物を済ませていくディアナに、佳菜子は付いていくのと覚えるのに必死だ。実際、料理は小さい頃から親に習っていたし、料理はお手の物…とまではいかないが、好きだし得意だ。ただ…洋食はそこまで得意な方では無いので、少しずつディアナに教わろうと思う。ただ、ベッタリと張り付いてもらって教わるのも悪いので、材料から何から、目で盗みながら覚えよう、と思っている。
異世界なこの世界において、野菜の名前や表記は恐らくは違う。だけど、便利な機能を神様はくれたらしく、自分達の知識に合わせて自動翻訳が為されていた。
「恐らく、言語もそうなんだろうな」
佳菜子は店主とやり取りをするディアナを眺めながらそう思っていた。因みにウサ子は、屋台の店主がくれたキャベツの外側の葉っぱをモシャモシャと一足先に食べている。やはり外側の葉は剥がす事が多いらしい。別に古くて溶けてなければ食べられるのに…とか思ってしまう佳菜子だが、もしかしたら何か前の世界と違う理由でもあるのかもしれない。農薬、とは流石に考えにくいのだが。
青果屋台での買い物を済ませたディアナは、次に肉屋へと向かう。ディアナ自身はそんなに好んで肉類を食べることは無いのだが、佳菜子は食べるだろうと考えたからだ。
一方の佳菜子だが、1頭の豚が頭を落とされただけで丸々開きでぶら下がる様に圧倒されていた。悲鳴を上げたりはしないが、流石に「えっ」と驚いてしまう。
「肉は食べませんか?」
「ああ、いえ、食べます。その、前の世界ではこう、1頭丸々吊るして売っている事は殆ど無いので」
「そうなんですか?いまいち想像が付きませんが、まぁ慣れていきますよ、その内」
「そうですね…うん」
慣れないと、生きていけない。当たり前だ、この世界で生きていくのだから。それに、生きているのを締めた訳ではない分、まだ平気だ。
「油の少ない部位を500」
ディアナが言ってから思い出したように佳菜子の方を向くと、
「脂身、少なくて大丈夫?」
と聞いてきた。元々脂身をそこまで好んで食べる方では無いので頷く。頷いてから、ふと思い出したように「あっ」と思い出した。それからディアナに
「ごめんなさい、またさっきの八百屋さん…えーっと、野菜を売ってた屋台に戻ってもらっていいですか?」
と聞いた。突然の申し出に驚きながらも
「どうかしたの?忘れ物?」
と聞くディアナに、
「ちょっと思い出した事がありまして」
と答える。ディアナは不思議そうな顔をしながらも頷き、切り分けた肉を受け取ると「行きましょう」と佳菜子を見た。佳菜子はふと、日本にいた頃に豚肉の美味しい食べ方を動画サイトで見ていて、母親に頼んで一緒に作った事がある。それを実践しようと思ったのだ。
青果屋台に戻ると、佳菜子はお目当ての野菜を2つ選ぶ。それからディアナの方を見て「食べられます?」と聞く。ディアナは「問題無いわ、生で丸かじりじゃないなら」と答える。それを聞いて安心した佳菜子はそれら2つを選び、ディアナに会計を済ませてもらう。
「後は…底の深いお鍋と、熱に堪えられる器、砂糖とお塩が…」
「全部うちにあるわ、大丈夫」
「そうですか…良かった…後は調味料…探してみていいですか?」
ディアナはそんな佳菜子を少し微笑ましく思った。 自分の意思で意見を言ってくれるようになった…付き合いはそんなに長くはないが、彼女の境遇も知っている。少しでも明るく、出来ればこれから生きていかなくてはいけないこの世界を好きになって欲しい、とローザもゼノも言っていた。
それは佳菜子だけでなく、あの背の高い、自分と同じ表情に乏しい男性、健太郎にも同じ思いを持っているという。ただ、とディアナは思う。あの人は妙にこの世界に馴染み始めていたような気もしていたが。
「…ええ、構わないわ、行きましょう」
「はい!」
それから、スパイス系のお店や屋台を数件周り…驚愕の事実を佳菜子は知る。
「し、し…」
「ん?どうしたの、カナコ」
「醤油ー!?」
「えぇ…どうしたの、急に大きな声出して」
「えっ!?いや、だって、醤油…」
「ああ、確かにこの辺りでは珍しいかもしれないわね。ここから遠く離れた地では割とポピュラーな調味料として使われる地域もあるわ」
「そ、そうなんですか…し、知らなかった」
「…好きなの?これ」
「はい、私や健太郎さんのいた国…日本では殆どの人が愛用していたと思います。勿論、苦手な人もいたとは思いますが…主にお魚とか…お刺身なんかは醤油で食べてましたね」
「おさ…?」
「あぁ、お刺身。生魚です」
「なっ、生、魚…!?」
「あ…そうでした、文化の違い、ありますもんね」
「あ、いえ…そうではなくて…髪の色から思っていたけど…貴方、まさか300年前の勇者と同じ土地の出身なのかしら?」
「さんびゃく…ああ、確かお金の単位を定めた?」
「そう、サクラという花にちなんで付けられたオウカという単位、その土地の子孫なのかしらね」
「そこが日本…日ノ本と呼ばれていたならそうですね。オウカ、というのも桜の花と書いてオウカと読むのが恐らく正しいのかと思います」
「ヒノ…そう、貴方はヒノモトの国の人なのね…実はね、私は昔、魔王側に付いていたの。と言っても、住んでいた村が支配されて、暗い魔力でこう、ダークエルフになってしまったのだけれど」
ディアナは、一先ず商店の立ち並ぶ場所から少し離れ、道沿いのベンチに座った。佳菜子もそれに続く。
ディアナはそれから昔話を語り出した。当時、まだエルフだった頃に魔王軍に村を攻撃され、支配下に置かれた。当時まだ幼かった自分は見逃されたが、戦った大半の村のエルフは戦死した。それから魔王の「暗い魔力」と呼ばれる魔力の中でもより濃く、邪気の込められた力に村は包まれた。
エルフという種族は、人のような肉体よりも魔力によって構成された妖精、精霊にかなり近い
存在の為に長命で、より魔力の影響を受けやすい。よって…その魔力によって体は浅黒く変色し、髪の色も金から銀へと変化、得意だった大地の魔法よ植物へ影響する魔法の力は少しずつ失われ、呪術や炎、破壊の魔力を扱う力に体の中で変えられていったという。
「そんな…酷い」
「ええ、酷かったわ。好きな花や木、草…大地から拒絶されてしまったように思えて」
そうして、変えられはしたものの、更に村から逃げて隠れ住み、争いを避けるように暮らした。拒絶されたとしても、自然と共に生きてきた歴史は消えない。だから、日に日に自然の声が聞こえなくなっていく大人達の中には、発狂する者もいた。そんな中で、数少ない子供の1人だったディアナは保護魔法をかけられ、変質を遅らせられていたのだという。
そうして暮らす日々の中で、大人達は減っていく。もう隠れ住んだ地に大人が1人もいなくなった頃に…勇者の別動隊に保護された。
「と、いう訳。それから、保護された先で生活して、流れ流れてこの街の貴族に仕え、メイド長に…という訳」
「大変だったんですね…私、何か恥ずかしいです」
「…何故?」
「アーシャもそうですけど…住んでる場所を追われたり、魔王の支配で…なんて、私より全然大変なのに…私1人辛そうな顔して」
「どうかしらね。貴方は貴方で、身の上聞く限り大変でしょ。一度死んでるし、全く自分が生きてきた常識の通じない世界に放り出されて、仕舞いには極悪人に捕まって身売りさせられかけた。そこから運良く救って貰えたけれど、救って貰ったのはさっき貴方が名前を上げたアーシャもだし、私もよ」




