能面男、居候生活へ 25
「ところでゼノ様、井戸の事で何か色々とやってるって聞きましたけど」
「もう知っておるのか」
「これでも工房に嫁いだ身ですからね、そういう話は工房に嫁いだ主婦の情報網ではあっという間ですよ」
凄いもんだ、その情報網は、と思う。同時に、そこから何かヒントは無い物かとも思う。
「何でも、井戸の水汲みを楽にしてくれるとか?」
「そうじゃのぅ、こう…井戸の水をな?ポンプで汲み上げるんじゃよ。わざわざ桶を下ろして…という手間が省けるし、井戸の水が枯れぬ限りは、簡単なメンテナンス以外不要で、ポンプ以外は蓋をしてしまう予定じゃから、枯れ葉やらが堆積して水を汚したり、誤って子供が滑落せんようにもなる」
まだ構想段階なんじゃが、とは言わなかった。主婦はその話を聞いて、ふぅと一息吐いてから井戸を見る。
「そうだねぇ…子供が落ちるのは…防げるなら防いでもらいたいねぇ」
その主婦の雰囲気に、ゼノは「しまった!」と思ったが、主婦は続けて、
「あ、いや…うちの子じゃないんだけどね…近所の子がさ…そこの奥さんと旦那さんのやつれっぷりがね…もう可哀想で可哀想で、見てられなくてねぇ…結局、工房も畳んで、他の街に行っちまったんだよ」
と、悲しそうに教えてくれた。
「そうじゃったか…何とも、言えんのぅ…」
「だから、出来たら早いとこ井戸に蓋が出来るようにしておくれ…蓋をしただけじゃ、開けて落ちちまう子もいるだろうからさ」
主婦はそういって、また自分の家族の洗濯物に取りかかる…と、すぐ側に見慣れない道具が置いてあるのにゼノは気付いた。
「んん?それは?」
「ああ、その…引っ越した家の旦那さんが作ってくれたんだけどね。こう、洗濯物を挟んでハンドルを回すと」
それは、大きさで言うと550センチほどの幅の2つ上下に付いた、石で出来た円筒型の筒を金属の棒で繋ぎ、ハンドルが付いていた。その石の筒が回って洗濯物を挟み込むと…
「ちょいと力とコツがいるんだけど、ね」
主婦がハンドルを回すと、洗濯物はどんどん2本の筒の間を通り…水が押し出されていく。そうして、通り抜けた衣服はまるで平らな板のようになり…それをもう一度「パンッ!」と音をさせて広げると…絞るより簡単に水分が抜けていた。
「ね?これなら水分抜けるから、絞るより早く、あんまり服を痛めずに水が抜けるのさ」
「ほぉ~!便利なもんじゃ、うちのにも1つ欲しいくらいじゃわい」
「あー、生憎なんだけど、これの作り方が広まる前に引っ越しちゃったから」
「ふむ、そいつは残念じゃ………ん?」
ゼノの頭に、何か光が差したような、何か電気が走るかのような…何かに気付く。所謂、閃きという、半引退状態のゼノにはここ何十年と訪れていなかった衝撃だった。
「のぅお前さん、ちょっと、使い終わったらでいいんじゃが、それをジェイクの工房まで持ってきてくれんかの!?」
「え!?き、急になんだい?あげないよ?」
「いやぁ違う違う、構造を調べたくての!」
「壊したりしないだろうね?」
「ワシを誰じゃと思うとる!枯れとるとはいえ、名工と呼ばれたゼノじゃぞ!?安心せぇ!何なら、量産出来るようにもしてやるわい!」
あまりの迫力と勢いに、主婦は気圧されながらも、「分かったよ、後で届けるよ」と約束してくれた。
「よし!じゃあワシはジェイクの工房に戻る!頼んだぞ!」
そう言い残し、ゼノはドタドタと主婦の前から走り去っていった。残された主婦の頭の上には、大量の「?」が浮かんでいたが、あの老いたゼノの目が…工房の娘達が、職人達が皆憧れた、「名工ゼノ」の目に戻っていた。ギラギラ輝き、この世の全ての物を己の両手で作り出してしまうかのような、あの強い輝きを持った目に。
「…重いから、旦那と2人で運ぼうかね」
普段、使い終わったら布をかけて共用として使っているそれを、ジェイクの工房に届ける事を決めたのだった。
「ジェイクぅ!」
戻ってくるなり息を切らしながらも怒鳴るゼノの声に驚き、慌てて奥からジェイクがすっ飛んでくる。カウンターの看板娘のルーシーは飛び上がって小さく悲鳴を上げた程だ。
「…あ、すまんすまん」
未だ固まるルーシーに謝ると、ジェイクに
「見えたぞ!希望の光が!」
と、肩をがっしり掴んで言う。あまりの興奮に力が入っていたのか、ジェイクが
「あいだだだだだ!?師匠!肩!肩砕けちまう!」
と叫ぶほどに。
「おぉ、すまねぇすまねぇ…」
と慌てて手を離す。ジェイクがルーシーを呼んで肩を見てもらうと、ルーシーが「凄っ、手の形に真っ赤」と驚いていた。
「す、すまねぇ…つい興奮しちまってよ」
「あたた…どうしたんですか、師匠…急に大声出して駆け込んできて…」
「おぅ、そうそう…もしかしたら解決するかもしれねぇぞ!?」
「解決って…例のパイプですか?」
「それ以外に何があるんだよ!」
「いや、確かに…で、どんな解決作ですか?」
「パン生地と、脱水機だ!」
「…はぁ?」
師匠はたまに訳が分からない事を言うのは、何かしらが起きる前触れだ。しかし、今回は特に分からない。混乱したまま、ジェイク親子はゼノの解決作というのに期待する他無かった。
◆
ローザは今日も忙しい。城に行って革袋を返して、大金を持ち歩いて届けさせて、持ち歩かせた事へ一言言い、今はこの街の片隅にある教会兼孤児院に来ていた。フォーテッド王国の重要人物の突然の来訪に、庭先を掃除していたシスターは大慌てで院長兼牧師の部屋へと丁重にお通ししたのだった。
「すみません…突然のご来訪で、何の準備も出来ておりませんで…」
牧師はまだ若く、青年であった。
「あら、いいのよ。私が突然来たのが悪いんだから」
緊急事態に大慌ての青年牧師達に申し訳ない事をした、と思いつつ、ローザはサクッと来訪目的を切り出した。
「実はね、今日はそちらにお願いがあるのよ」
「お願い…ですか?」
「そう、お願い。実はね、人を雇ってほしいのよ」
「雇う…ですか?」
「そう。貴方も聞いているかとは思うんだけど、ルードって悪党が死んだでしょ?その時に囚われていた女の子達の中でね、子供が好きな子がいるの。その子…レベッカっていう子は、もう故郷に帰っても身内がいないらしくてね。なら、孤児院で働けないかしら、と思ったのよ」
「うちで、ですか?…正直言いますと、新しい人にお給料を支払えるほど、うちの経営は良くありません。先も名前が出ましたが…ルード一味が、何者かは分かりませんがとある貴族がこの土地を欲しがっていたらしく、嫌がらせをされたり、子供に怪我をさせたり、建物を一部破壊されたり…元からあまり裕福ではなかった所なのに、そういった出費で…正直、赤字続きでもう限界ではあるんです」
牧師の青年は悔しそうに、膝の上に乗せた拳を強く握り締めた。
「そう…まぁ、お金は何とかします。どこの貴族かは調べたらすぐに分かるでしょう。私はね?子宝に恵まれなかったの。だから、子供に仇為す輩が大嫌いなのよ」
表には見せないが、ローザは怒っていた。もう1つ、離れた所にある孤児院は…既に閉院しなくはならなくなっており、老齢のシスター長は最近病で亡くなってしまったそうだ。そこの子供達と、働いていたシスターは新たな場所が見付かるでもなく、ここの牧師が引き取ったそうだ。
「はは…僕もです。神に支える身として、結婚や子供はもう考えられもしませんが…幼い子供達が辛い目に会うのを黙っていられず…孤児い院を開いたのですが…」
それから数年ですぐに嫌がらせが始まったという。今は、一部の強面の冒険者を用心棒にしたその貴族の男がここにたまに来ては、立ち退きを迫ってくるのだという。
「提示されたお金の額ではどうしようも無いですし、そもそもここにいる子達はこの場所が好きでいてくれます。節約の為に始めた畑も一生懸命やってくれていますし、皆が兄弟姉妹のように…家族のように思って暮らしているのです」
説明しながら目に涙を溜める青年に、ローザは何かしてやれない物かと悩んでいた。金銭的な支援は出来るだろうが、それでも永続的ではない。となると、何かしら別の支援なり、何かを考えなくてはならない。
ローザが何か解決策は無いかと考えていると、1人の少女が部屋に飛び込んできた。
「せんせー!」
「どうしました!?」
慌てて立ち上がる青年牧師に、少女は
「また、あいつらが」
その言葉に、ローザが立ち上がる。
「お嬢ちゃん、ここにいなさい。牧師さん、貴方もここにいて、皆を守ってあげて」
そう伝えると、牧師が止めるのも聞かずに外へと向かった。ローザが外に出ると、何やら叫んでいる男達3人組と、倒れ込んでいるシスターの姿が目に入った。
「あぁん?何だババア、ここの関係者かぁ?」
左端の男が、下卑た目でジロジロ見てくる。非常に不愉快に感じる。
「いえ、関係者ではないはね、まだ」
「はぁー?なら引っ込んでろ!」
この左端の男はペラペラと良く喋る。本当、自分の夫や引き取った息子がこんなのじゃなくて良かったと、ローザは心から安堵した。
「そういう訳にもいかないわね。シスター、たてる?此方にいらっしゃい」
「おいおいおい!ソイツはこの土地の代わりに頂いていくって決めてんだよ!関係無いババアは引っ込んでろ!」
ローザは深い溜め息を吐いた。コイツらは、誰を相手にしているのか分かっていないようだ。
「…私を怒らせる前に消えなさい?」
「ああ?ババアが1人で何が出ぎゃっ!?」
言い終わる前に、左端の男は後方にふっ飛んでいた。
「がっ!?ぎゃあああ!?」
続いて、右端の男が突如火だるまになって転げ回る。
「は?えっ?」
何が起きているか理解出来ていない真ん中の一番装備が派手な男に、
「一応、私が誰か教えてあげましょう。貴方の雇い主に伝えなさい。元魔法師団長ローザが、今後ここに手を出したら相手になる、と」
「魔法師団長のローザ!?あ、あの天才魔法使いの!?」
「あら?知っていて喧嘩売ってきたのね?いいわよ、相手になってあげるけど…貴方、上級魔法は受け止められるかしら?私は、貴方が一歩踏み出す前に無詠唱で貴方に暴風竜巻を叩き込めるけど?」
暴風竜巻とは、風属性魔法の上級魔法で、人はおろかエルフでも訓練が必要で、更に詠唱による魔力の溜めはほぼ必須とまで言われる魔法だ。竜巻を惹き起こし、広範囲の物を空高く巻き上げ、地面に叩き付ける。その力はとてつもなく、術者の力によっては身長3メートル以上の巨人族ですら、いとも簡単に吹き飛ばすという。
「そ、そんな魔法使ったら、このシスターや孤児院もどうなるか…」
「分かるわよ?凝縮して貴方のその首だけ吹き飛ばす位、造作もない」
魔法は、その現象をある程度絞ったり広げたりが出来る。勿論、これも術者の実力に左右されるが、冒険者の中で上級魔法の操作を、しかも無詠唱で行える者の話など聞いたことがない。
「は、ハッタリだ!そんな事が…」
言いかけた男の両頬に、突然痛みが走り赤い線が走る。
「いま気付けたかしら?空刃と石弾を、無詠唱かつ貴方の頬ギリギリ掠める位で放ったのだけれど?」
空刃、石弾は、共に下級魔法ではある。だが、下級魔法の中では難易度の高い魔法だ。それを同時に、たった1つの動作も、詠唱もせず、同時に発動させ、コントロールした。男の脳内に警鐘が鳴り響く。
目の前の老婆は、間違いなく自分が戦って、万に1つの勝ち目もない。それどころか、1歩踏み出した瞬間、自分の肉体はこの世に存在していたという誰かの記憶と冒険者ギルドの記録以外は消し飛ぶだろう。
勝ち目どころの話ではない。今この瞬間も、自分の命はこの老婆の気紛れ1つでどうとでもなってしまうのだ。それは比喩でも冗談でもなく、紛れもない事実として。
「あ、う…」
「聞こえなかったかしら?次は音速の衝撃波を貴方のその安物の剣にたたき込んでへし折りましょうか?何なら、大地槍で、その革のブーツを貫いて足の指の爪でも剥いで欲しい?」
中級魔法にランクが上がる…この老婆は、本気だ。そして、天才魔法使いローザであることは、疑いの余地もない。これ程に圧倒的な力の差と恐怖は感じた事がない。ドラゴンの相対したら、恐らくこんな感覚なのかもしれないが、下手すればそれより質が悪いかもしれない。
もう、先程から恐怖で震えが止まらない。歯はカチカチと鳴り止まず、自分の意思では止められない。自分の仲間は、既に意識を失っているし、助けは恐らく来ない。
倒れているシスターを人質に、と一瞬考えたが、チラッとそちらに視線が動いただけで、目の前を石の弾丸が通過していった。しかも、わざとギリギリ見える位の速度で。
「こういう時、普通なら選択肢を与えたりするんでしょうね。私はしないけど。貴方は、今すぐここからその仲間達を連れて雇い主の所に帰りなさい。ああ、なんなら雇い主の名前を吐いても構わないわよ?その後は結局変わらないけれど、手間を省いてくれるならその貴族の所で消し飛ばすのだけは勘弁してあげなくもないわ」
「や、や、雇い主はこの街の貴族の1人で、ゴーヴァスとかいう奴だ!」
「ゴーヴァス?ああ、最近金の力で貴族にのしあがった奴がいたわねぇ」
「そ、そうだ!ルードの旦那の所に女の奴隷を売り飛ばしたりして、裏で幅を効かせてた奴だ!」
その言葉に、ローザの怒りが1段階ギアチェンジして上がる。
「ほう…そうか、それは良い情報を聞いた」
口調が変わった。それは、かつて魔法師団長を務め、冷酷で厳しく、敵や魔物に対して一切の優しさを見せず、敵国の砦を数分で更地に変えた、冷酷な師団長の時の口調。こうなると、もうローザは恐らく誰にも止められない。ゼノは別として。
「ひぃっ!?」
空気の変化に、男は更なる恐怖が己の身に迫っている事を感じた。それは、倒れていたシスターは勿論感じていたし、孤児院の中にいる青年牧師や子供達ですら、「外に、何か恐ろしい存在の気配がする」と感じ取れた程に。
「お前らも人身売買に手を染めていたのか?」
氷が毛穴全部から体内に入り込んだかのような冷たさと恐怖は、普通ならばそこに倒れているシスターのように意識を手放していてもおかしくない。だが、それでも男がギリギリ意識を保っているのは、恐らく意識を手放しても無理矢理引き戻されると理解していたから。ただ、男は首を横に振った。口を開く事すら出来ない。
「そうか、後でお前の人相を冒険者ギルドに問い合わせる。もし万が一そういった過去があるとしたら…明日を迎えるのは諦めろ」
男は、何度も頷くと、「行け!」と言われて走って逃げていった。勿論、ちゃんと仲間を引きずってでも回収して。
「…ゴーヴァス、か…シスター、起きなさい」
声をかけると、シスターはガバッと飛び起きた。
「すぐに教会に戻って、暫く外に出ないように」
そう伝えると、シスターは涙目でコクコクと頷いた。
「安心しなさい。貴方達に危害を加えようとは思っていない」
ローザはそれだけ言い残して、歩き出した。暫くその背中を呆然と見送っていたシスターは、
その背中が見えなくなった位で地面にへたり込み、動けなくなってしまっていた所を牧師に救出されるのだった。
それから数十分後、成金貴族ゴーヴァスの屋敷は、誰も命を落としていないにも関わらず…地獄のような雰囲気だった。食事を広く豪勢な広間で取っていたゴーヴァスの目の前には、たった1度だけ姿を見た事がある、だがその時とはまるで別人の、ローザの姿があった。豪勢な絨毯の敷かれた床にへたり込むゴーヴァスは、その醜く膨れた腹が別の生き物かのように揺れ、ガタガタと震えていた。
ローザは実に優雅に、ゆっくりと近くの椅子を持ってくると、音もなく座って足を組み、ゴーヴァスを見下ろしている。
豪勢な絨毯の上のはずなのに、まるで吹雪の中で氷の上に座らされているような気持ちでいるゴーヴァスに、ローザは
「やあゴーヴァス。君に少々話があって来させてもらった。食事中に突然の来訪、悪かったね」
と、突然の来訪を謝罪した。ローザは、一切動いていない。だが、言葉の1つ1つが、まるで氷の針で突き刺されているかのように冷たく痛い。
「さて、まずは…君は何故、あの若い牧師のいる孤児院を欲しがる?いや、正確には…あの土地が、か」
「そ、それはですね、色々と複雑な」
「下らない嘘や御託は結構だ。私は何故かを聞いている。何だ?金品を置く倉庫か?それとも女を囲う別荘か?はたまた…」
ローザはゴーヴァスの薄い頭髪を鷲掴みにし、顔を近付け睨み付けると、
「死んだルードや捕まった愚か者の代わりに卑劣な手段で奴隷に落とした女達でも連れてきて、娼館でも作るつもりか?ルードの側近の婆さんがやっていた宿屋のように」
視線だけで人は死なない、だが、その視線は心臓を止めかねない程に冷たく、恐ろしい視線だった。ローザは乱暴にゴーヴァスの頭を払い除けるように離し、何か汚い物でも触ったかのように、近くのテーブルクロスで手を拭いた。
「お前があの宿屋に女を奴隷として連れてきて、売り込んだのも知っている。そして、ルードと繋がっていたのもな。どうする?国に捌かれるか…私の提案を飲んで命だけは助かるか…さて、お前はどちらを選ぶ?」
ローザは、また先程の椅子に足を組んで座り直して…自らの運命を他人に任せる他無くなった哀れな男を見下ろしていた。
「し、質問、宜しいでしょうか?」
「ああ、どうぞ?」
「ろ、ローザ様の提案、とは?」
「お前の持つ資産の99%を貰い孤児院や助け出した女達への支援に使う。お前はこの国からは出ていってもらう…ああ、旅費位は片道分は残してやろう。その上で99%「しか」取らないでおこう」




