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能面男、居候生活へ 19

ルーシーは頬擦りに満足したのか、無言で佳菜子のベッドの上にそっと置いた。置かれた佳菜子は、続いてアーシャを慈愛に満ちた目で見た。アーシャは頷くと、恐る恐るウサ子を抱き上げると…やっぱり頬擦りした。満面の笑みで。

暫くすると、アーシャは佳菜子のベッドの上に戻す。次に佳菜子は、エリーの方をアーシャの時と同じように慈愛に満ちた目で見た。


「いや、何ですかこれ」


エリーからのツッコミが炸裂し、他の部屋の回診を終えた医師は、やっと入れると思ってノックした。




宿屋に帰ってきた俺は、後に看護士や先生から聞いた「ウサギ教の儀式」が行われているとは露知らず、恐らく俺は浮くな、と思って宿屋に帰ってきていたのだった。そして今日は…おじさん、いないし。全く…今日は空回りしてるな、やりたい事が1個も進まない。


「おっ、おかえり」


宿屋の主人が迎えてくれた。


「戻りました」


「そういえば、ゼノ様が「帰ってきたら工房地域にあるジェイクの工房に来てくれ」だと」


「折角帰ってきたのに…タイミング悪いな」


「伝言頼まれたのは夕暮れ前だから、まだそんなには経ってないし…まぁ、他に伝言頼める相手もいなかったんじゃないか?」


「あー…」


ふと思い浮かぶ、ルーシーの顔と来訪タイミング…まさかな。

その頃、ウサギ教の儀式を終えたルーシーは「あ、伝言伝え忘れた…」と思い出し、1人「あちゃー…やっちゃった」と思っていた。


「兎に角、行ってきますよ」


「おいおい、忙しないな…夕飯、どうするんだ?」


「あー…戻ってくる時間次第でお声掛けします。残ってなかったら残念、という事で」


「そうか…ちょっと待っててくれ」


そう言って主人はカウンターの奥、厨房に引っ込むと…少ししたら戻ってきた。


「ほら、簡単なもんだが…小さいバゲットが余ってたから、適当に羊肉のスライスと野菜挟んでおいたぞ。腹の足しになるか?」


「充分に。助かります」


お礼を言ってバゲットサンドを掴むと、改めて工房地域へと食いながら向かうことにした。


「あー、あと宿泊日数の更新が明日だってのも伝えておいてくれ」


という宿屋の主人の言葉に頷いて返し、宿屋から出る。普通のパンよりは頑丈だが、バター香るバゲットサンドの1口目を頬張りながら歩き出した。…本当、何食っても美味いな、この店は。

しっかり目の軽食、という謎の単語を思い浮かべながら、工房地域へと歩いていきながら思う。ジェイクの工房、看板とかかかってるよな?と。また聞いて回るのは面倒臭い。


「ま、行ってみてから考えるか」


わざわざ呼ぶということは、何かしら井戸用ポンプの進展があったのだろう。そもそも、それが当初の目的ではあった。


「何が起こるか、分からない物だ」


本当にそう思う。本来の井戸用ポンプのプロジェクトの前に、まさか9人もの女の子を救い、1人の男を怒りに任せて斬り、スラムを支配していた連中の組織を壊滅状態にし、懸賞金まで出る事になり、しかも助けた女の子の内の1人は同郷でこれから少ししたら一緒に住む事になった。その上、プロジェクトの方は立案したものの、それ以降は役立たずという有り様だった。


「分からんもんだ、本当に」


商業地域を抜け、噴水の交差点を曲がる頃にはバゲットサンドも食い終わっていた。


「いや、結構腹に貯まる、助かった」


何せ、昼飯のサンドウィッチのレタスはウサ子に奪われていたからな…というか、この世界の野菜は美味い。何だか知らんが、美味い。


「さて、と…ジェイクの工房、ねぇ」


工房地域に入った俺は、入り口の看板をチラチラ見ながら進んでいた。どこも作りは無骨でしっかりとしていて、大きな煙突があるのが特長だ。凄い量の薪…いや、木炭やら石炭が使われるんだろうなぁ…炭鉱とかが何処かに無いなら大変だろうな。

ただ、何かで見た記憶があるが、木炭は大体1000°、石炭から作るコークスは1500°にまでなると言われていて、石炭を燃やした際に出るガスは可燃性で、それらが都市ガスとして使われていたとか何とか…詳しい方法こそ覚えてないが、確か燃やした石炭から出たガスを、管を通して各世帯だかに回してたとか。

その辺りは専門ではないから分からないが、刀鍛冶の人達は木炭を好み、鋳造なんかではコークスじゃなきゃ温度不足になる、とは聞いた事がある。

木炭は乾燥させた薪を無酸素状態にして蒸し上げる…だったかな?それで完全に水分を飛ばした物。

石炭は昔から何万年と堆積した草木や生き物の死骸やら何やらから出来ていた気がする。コークスの作り方は確か木炭と同じで蒸し焼きだっかたかな?その際に出るガスが都市ガスだ、と聞いた。

勿論、この世界でどうなのかは知らないのだが、恐らく同じなんじゃないかな、と。だから石炭は地中深くにあるとか何とか。


「まぁ、俺がどうこう出来る代物ではないかな、多分」


木炭は何となく作れる気がするが、地中に埋めて作るだけでは効率が良くなく、やはり粘土質の土で竈を作って焼く方が多く取れるようだが…そもそも、サバイバルで使うとしたら焚き火くらいで、焚き火なら薪でも良い、となってしまう。ブッシュクラフトのレベルになれば、木炭作りや金属製品の為に玉鋼から作り出すなんて事もあるだろう(玉鋼は日本刀作りでも使っているが、金属抽出の1つのやり方で、今も続く文化である)


「おっ、と…ここか?」


考え事をしていたら、危うく通り過ぎる所だった。全体的に歴史を感じる古い建物の、所々を直しながら使われている、ただ骨組みは未だ健在、という感じの、それ程大きい訳ではない工房…入り口の上にかけられた看板に「鍛冶工房ジェイク」の文字が。良かった、分かりやすくて。

扉をノックすると、中から「はいよー」と男の人の声。扉を開けて中に入ると…そこは、ゼノ、ジェイクの他に2人、職人が設計図を拡げてにらめっこしていた…何か問題が発生したのだろうか?


「おお、ケンタロウ、良い所にきたのぅ」


ゼノが手招きするので、俺も同じように設計図を覗き込む…すげぇ、俺が走り書きした図が、とんでもなく精巧になってる。


「で…何か問題でも起きた?」


俺の問いにジェイクが


「ん?いや、至って順調だ。今、ポンプの上部分の鋳造が終わってな?今冷やしてる」


「え?もう?」


「聞いてからすぐに試作品作ったからな。前にも作ってたし、その辺はちょいと改造したら済んだからよ」


職人の1人がジェイクに続く。この人が鋳造の職人さんなのか。


「今よ、内の工房でゆっくり冷やしてっから、それが済んだらミスリルパイプとつないで試作品の完成だ」


「は、早いですね」


「おう!あんな面白い考え、乗らねぇ方が損だしな!」


鋳造職人さんが豪快に笑う。その横にいるもう1人の職人さんは…


「私はネジ担当だよ。あのボルトとナット…だっけ?あのアイディアを元に、試作品を作ってみたんだ」


そう言って俺に見せてくれたのは、頭のサイズ4ミリくらいのボルトと、その先のネジ部分2ミリ位に合わせたナットだった。


「こんな感じのが、君のいた世界にはあるんだろう?これはミニチュアサイズだけどね」


「完璧です、もう文句のつけようが無い程に完璧です」


それは、本当に日本の街中に溢れているボルトとナットそのものでしかなかった。凄いな、話と走り書きの図だけで、こうも完璧に仕上げるなんて。


「これもまだ試作品だけどね。荷重の計算とか耐久とか、色々課題はあるけど…君がそこまで言うなら、一歩前進だ」


そう言って、ネジ職人さんはニコニコしていた。


「凄いな…あっという間に…ゼノや皆さんのお陰です」


心からの感謝の現れか、自然と頭が下がった。こんな得体の知れない存在の俺が適当に言っただけの事が、想像を超える速度で、想像を遥かに超える仕上がりになりつつある。職人さんっていうのは、本当に凄いな。


「男が簡単に頭下げちゃいけねぇぜ?それによ、うちの母ちゃんの苦労が無くなるってんだ、やらねぇと怒られちまうしよ」


鋳造職人さんがまた豪快に笑う。


「正直…私の場合は色々行き詰まっていたのに光が差したので、此方こそ感謝を言いたい程です。貴方のお陰で、ネジ職人の需要が増えそうなのと、新たな物が出来そうでワクワクしています」


ネジ職人さんも笑っていた。


「このアイディアはよ、人を傷付けねぇ。俺は確かに武器も鎧も打つがよ、そんな事しなくても良くなるのが一番いいんだよ。俺達職人の力が多くの人の為になる…いいじゃねぇか、そりゃ乗り気にもなるぜ」


ジェイクも笑っていた。本当なら感涙してもおかしくないんだろうが、ここで泣けない俺の感情どうなってんだよ。今は逆に生きてろよ、揺れ動けよ、俺の感情。感動してない訳じゃないのになぁ…


「そうそうケンタロウ、お主に渡しておこうと思ってのぅ」


と、ゼノがポケットをゴソゴソとし、中から取り出したものを俺の手に置いた。


「ワシらの家の合鍵じゃ。これからカナコの為に部屋を掃除するんじゃろ?ワシは暫く手が離せんから、お主に任せる」


俺は掌に乗った小さなカギをポケットに仕舞うと、


「取り敢えず、ローザには一緒にきてもらうよ。それで、もしその時にゼノがいなかったら、ゼノの物は別にしておく」


「んー?いいぞ、全部処分してしもうても。古くて埃被った道具しかないじゃろうしな」


「そうはいかないよ。思い出の品もあるだろうし、別にしておくから」


「ふむ、分かった分かった…手伝えそうなら手伝うからの?」


俺は首を横に振り、


「こっちに集中して欲しい。俺には鍛冶の事は分からないし、ゼノが指揮を取って欲しいんだ。ミスも少なくなりそうだし」


と、伝えた。


「そうか、分かった!ワシに任せておけぃ、必ず良いものを作ってみせるわい!」


俺の言葉に豪快に笑って返すゼノの心の竈に火が入った。目は輝き、活力に満ちた顔になっていく。


「…じゃあ、俺は宿に戻るけど…皆さん、あまり無理しないで作業して下さい」


俺の言葉に、「楽しすぎて約束出来ねぇなぁ!」と笑うジェイクの言葉を背に受けて、俺は宿屋へと良い気分で戻り始めた。外はもう暗く、何より寒い。


「くぉお…は、早く帰ろう」


暖かい布団が俺を待ってくれているはずだ。ところで、ルーシーは帰ってきてないが、まだ病室にいるんだろうか?夜道は危ないぞー、などと、夜道を丸腰で歩きながら思った。




宿屋に着くと、もう1階には殆ど客はおらず、酔い潰れてるおっさんと、そのおっさんを何とか連れ帰ろうとするおばさん、1人で酒を楽しむお爺さん、何か本を読みながら酒を飲む女性…殆どいない客も様々だ。


「おっ?おかえり」


「ただいま…はぁ~」


色々と歩き回ったせいなのか、色々起こったからなのか…カウンター席に座ると、つい溜め息が出てしまった。


「おいおい、まだ若いのに溜め息か?幸せが逃げちまうぜ?」


宿の主人がカウンター奥から呆れ顔で出てきた。そうは言われてもね…


「いやぁ…色んな所をウロウロして、大した成果は得られないわ、ゼノを初めとして職人連中の凄さを見せ付けられるわ…ちょっと、自分に

何が出来るのか…悩んでました」


「悪漢をぶった斬ったじゃないか」


「まぁ…それはあくまでも流れの中での事ですから…」


「いいんだよ、それでも。助けた女の子達はきっと感謝しているんだから…全く、若いモンがしょげるな…待ってろ、余り物で何か作ってやるから」


宿の主人はそういうと、奥に引っ込んだ。感謝…か、佳菜子ちゃんはしていたな。それ以外だと…レベッカ位か会えたのは。今は精神的に大変だろうが…いつか会えたら、その時は何か懸賞金で奢ってやろう。それ位しか出来ないし、その先に何を望むか知らないが、きっと俺には無理だというか、分からないからしてやれない。気の効いた言葉な思い付かないし、誰かの言葉1つで変われるような浅い傷ではないだろうからな。


「ほいよ、基本的に余り物だから味は保証出来ねぇけどな」


そういって宿の主人がカウンターに置いたのは、バターの塗られたトーストに目玉焼きが乗せられたものと、レタスと細切りにしたパプリカに、フライドガーリック、それと…何か肉っぽいものを細かくして焼いたものがパラッとかけられたサラダ、そして紅茶。いや、超美味そうなんですが。


「パンは今日の残りでな、野菜も残ってたもんだ。フライドガーリックは作り置きのもんだし、それは肉の筋とか脂身なんかの外しておいたもんを細かく叩いて焼いただけだ。恐らく、ちょっと固いだろうが我慢してくれ」


「わざわざありがとうございます…いただきます」


目玉焼きトーストを一口…うんめぇ…もうシンプルにうめぇ。続いてサラダは…そりゃうめぇわ、肉とフライドガーリック、パプリカ、レタス…まとめて食うと更にうめぇ。あー…本当、材料とか味付けは凄いシンプルだけどめちゃくちゃ美味い。止まらない…あっという間に平らげてしまった。そして食後の紅茶…うん、これも良い香りだ。


「腹減ってたんだな、もっと作ってやれれば良かったんだが」


「いえ、大丈夫です。美味しかった…御馳走様でした」


「おう、お粗末様でした…そうそう、ちょっと待ってろ」


そう言って主人はまた奥に引っ込むと、布の袋に何か入れて持ってきた。


「俺が趣味で作ってる、鹿肉のジャーキーだ。ちょっとは腹も膨れる。袋ごとやるから、持っていって食っていいぞ」


「これはまた美味そうな匂いが…ありがとうございます、いただきます」


試しに1枚、袋から出して噛んでみる…おぉ、意外とソフトに作ってある…あ、肉と調味料、それに何より胡椒の良い香りが凝縮して…あー、これはお酒なんだろうな。俺はあまり飲まないから分からないが、これは美味い。手が止まらなくなりそうだ。ありがたく頂いて、持ち歩いてちまちま食べよう。


「じゃあすいません、これもいただきます」


そう言って、袋を持って立ち上がる。


「おう、明日も何か色々出掛けるんだろ?早めに寝とけよ?」


宿の主人に「そうします、おやすみなさい」と会釈し、2階の部屋へ。ゼノは当然ながらおらず、誰もいなかった部屋はひんやりとしていた。


「うー…寒い、早く寝てしまおうかな」


ゴソゴソと布団に入り込む…当然ながら最初は冷たいが…その内温かくなってくると、すぐに瞼が重くなってきた。それに逆らうことなく、俺はそのまま眠る事にした。




時間は平等だ。王様にも英雄にも聖人にも、

一般人にも小悪党にも極悪人にも、全ての物に対して朝は訪れ、日を照らし、夕焼けで世界を紅く染め上げ、そうして夜の闇と宝石のような星空、淡い月明かりで照らしながら、また眠るのだ。

そんな訳で、俺にも平等に朝が…来てはいるが、時間止まってない?スズメだか何だか分からんが、鳥が空中で停止してるんだが。


「どういう事だよ」


朝からの怪現象に思わずツッコミも出る。


「すみません、私です」


「貴方でしたか、ヴェーリンク様」


朝イチ、窓を開けて怪現象を目撃して、いつの間にか後ろに神様が顕現する追加現象。これで世界が破滅する!とかまでいったら、某怪奇調査漫画もビックリだ。


「大丈夫です。世界は破滅しません」


「で、どうしたんです?こんな朝から…といっても、貴方には時間の概念は関係無いか」


「ええ、眠る事もありませんし…それでですね、貴方と同じ召喚者である、鈴白 佳菜子について、1つ貴方にお願いがあります」


「佳菜子ちゃん?どうかしました?」


すると、少しヴェーリンク様は悲しそうな顔をした。


「今回、彼女にはとても辛い時を過ごさせてしまいました。更なる悲劇を止めてくれた貴方には、感謝致します」


いえいえ、どういたしまして。まぁ、運が良かった、としか言えないが。


「それで、私から直接会いたいのですが、彼女の周りには定期的に人がいてしまうため、今のように時を止めるタイミングが掴めず、私が彼女の前に姿を見せるのが非常に難しいのです」


「つまり、人払いしてくれ、と?」


「ええ…それと、彼女にスキルを追加で与えようと思います。これは、私が出来る範囲内での最大限のお詫びです」


「スキル…ただ、あの頭痛は…」


「安心してください、その頭痛も起きないようにします」


「…なら、俺には…」


「貴方は自身でかなりの速さでスキルの成長をしていますので」


「あー、はい、確かに」


「では、お願い出来ますか?」


「いいですよ。俺が朝飯食ったら行きますので、そこで人払いしておきます。出来たら頭の中でお呼びすれば?」


「それで構いません」


「そういや、ウサ子…ホーンドラビットの子供はどうしましょう?」


「あの子はいても構いません。より強い魔物であれば私が行ってしまうと致死に近いダメージを受けてしまいますが、あの子は殆ど野生動物で、角だけは身を守る術として進化した魔物です。問題ありません」


「分かりました」


「お願いします。貴方には苦労ばかりかけてしまって、申し訳なく思っております」


そう言って、ヴェーリンク様の姿は消え、時間は動き出した。この前は俺も言い過ぎました、と心の中で謝っておいた。さて、そうと決まれば善は急げ、まずは朝御飯を食べに下に降りよう。今日も美味しい焼きたてのパンにスープ、それと今日は鹿肉のハムという俺にとっては珍しい物まで食べる事が出来た。そして言わずもがな、めちゃくちゃ美味くて朝から幸せな気分になれたのは言うまでもない。

なお、今日はギルドのおじさんは来ていなかった。休みの日や泊まりがけだと来ない事がある、と宿の奥さんは言っていた。泊まりがけ、という事は無いはずなので、恐らく今日は休みなのだろう。わざわざあのギルドに行かなくて済んだのは助かった。

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