能面男のサバイバル、始まる 1
◆
…ふと、まるで眠りから目を覚ました時のように唐突に、俺の意識は戻ってきた。
「………何処だ、ここ」
周りにあるのは、自然。
「森の中…なんだろうな、恐らく」
見上げると、木々の合間から光が溢れている…朝か昼か、兎に角、目が覚めた以上は動くべきだ。
「そういえば、あの神様は俺の荷物も一緒に送る、と言っていたが…」
大枚叩いて、本当に使うか分からないようなものまで買って入れてある、100リットル大容量のリュックサックは…
「…うん、多分中身は全てある、はず」
すぐ傍らにあったそれの中身は、自分でも把握しきれていない程に大量の荷物である。更にテントやらまでくっついているんだ、神様も大変だったろう。
「兎に角、移動してみよう」
中肉中背の同僚曰く、「こんなもん背負ってたら腰と膝やられる」というリュックサックを背負い、辺りを見回す。当然ながら、あるのは自然のみ。元いた世界の植物に似ている物もあれば、良く分からんものまで、視界に入る全てが真新しく感じ、珍しく気分が高揚してはいるが、それより何より、今は必要な物がある。
「まずは水を探そう、無かったら死ぬ」
川があれば良し、湧き水でも良し。兎に角、飲料水に使えそうな水を探そう。耳を澄まして、水の流れる音を聞き逃さないように歩き出す…が、恐らく歩き出して数分で、お目当てのものは見つかった。
「川だ…さほど大きな川では無いが」
透き通った水の流れる川を見付けられた…が、この水は飲んでも大丈夫なのだろうか。流石に水質検査キットのようなものは持ち合わせていない…ふと、頭の中に何かが浮かんだ…小さく、白い、見たことの無い花…
「貴水草…?なんだ、こんな花知らないぞ?…だけど分かる、この花が咲いていれば…」
飲める水だ、間違いない。知らない花なのに頭にその姿も名前も浮かぶのは、気味が悪い。ただ、これが神様のくれた知識なんだろうなぁ…と、そんな事を思いながらも河原を探すと、川を発見した場所から数メートル先にその花は可憐に咲いていた。
「あった…つまり、この川の水は、飲めるのか」
貴水草…川の周辺に根付いて花を咲かせる植物で、塩分がある海水では勿論のこと、有害な物に汚染されている水では花が咲かずに枯れてしまう、水質汚染を見極める為の目印とされている植物だ。
「飲める…!」
そう思った途端に喉がカラカラに乾いていた事に気付く。自身の体の異常に気付けない程に張りつめていのか、高揚していたのか…良くは分からないが、兎に角自分の渇きは限界だったようだ。
躊躇なく川の水を手で掬い上げ、そのまま飲み下した。
「う…美味ぇ…水がこんなに美味く感じるなんて…」
喉が渇いていた事も当然ある。あるだろうが、それでもこの水は美味いと感じる…何故だろう。正直、水の軟かいだの硬いだのと言われても分からないような人間ではあるが、この水は喉を通った瞬間も、染み渡っていくその時も、幸福を感じた。
別にヤバめのお薬がどうの、という訳ではなく、これが本当の渇きが満たされた時の感覚なのだろうか?それとも、本当の自然の水とはこれ程にシンプルに美味いのか。
「…の、飲み過ぎたな…」
つい感動のあまり、水を飲み過ぎた。
「マズイ、動けなくなる前に…ここにテントを張ろう…」
河原から少しだけ離れた位置にテントを張れそうな場所を探すために立ち上がる。貴水草がある以上、この川は安全なのだろうが…どうしてもこの花の下流に向かう気が失せる。
「これも、サバイバル能力って奴かな」
花より下流で汚染が無い、とは思えない。水は当然ながら上から下に流れていく、ならば貴水草は上流からの水を吸って、咲いているはずだ。つまり、この貴水草を起点にして上流は水が安全だ、という事だ。
「ここまでの知識や危機管理能力は、あっちじゃ無かったはずだな…っと、後はしっかりとロープを結んで…と、良し」
別の事を考えながらも手が動く。無表情ながらも淡々と仕事を処理していくから能面先輩…か、上手いもんだ。当時の後輩達に感心しながら、テントは完成した。流石に終の住処とはいかないが、当分はここをベースとして動こう。
テント内にリュックサックを入れ、寝袋を広げる。夜、どれだけ気温が下がるかは読めないが、割としっかりした物を買っているので大丈夫だとは思う。何より、自分の無駄にデカイ体に合うサイズを見付ける方が大変だった。結局、テントは二人用のサイズ、寝袋も海外の大きなサイズの物を選ぶ事になったが。
「後は…火を起こさないといけないか…」
長袖でちょうど良いという事は、日が落ちたら恐らく寒いのではないか?と、このタイミングで気付いた。我ながら、あらゆる事柄への感心が薄い。
「ウッドストーブ…は、今回はまだやめておこう、普通に焚き火を起こすか」
ウッドストーブとは、太い木の丸太を四分割にし、四分割を合わせた中心部、組み合わせた時に真ん中に小さな円筒型の穴が出来るように削り、それから四分割を元の形に合わせて針金や紐で縛る。立てて置いた時の下部の1ヵ所を削り、空気穴を作ったら、後は上部を削ってスキレット等が置けるようにすれば完成。
円筒型の穴に削った木屑、枯れ木などを詰めて着火すれば、後は中が燃え尽きるまでコンロにもストーブにもなるという物。本来は、空気穴からも火が出る事があるため、燃えない針金が一番良い。が、例えば麻縄に水をたっぷり染み込ませてから使ったり、木の蔓等でも良い。木の蔓は、乾燥していないものを使えば中に水分が含まれているので、意外と燃えない、との事。
木の蔓は、他にもシェルター作りで木材を縛ったりにも使える。勿論、麻縄を持っているならそれを使えばいいが、麻縄は着火材にも使えるので、あまり乱用すると後で困るだろう。
「…取り敢えず、焚き火の為には枯れ枝と薪か…
暫く雨が降っていなければ良いけど…の前に、土台を作るか」
幸い、河原に石はゴロゴロ転がっている
ある程度大きさの近い石を選び、円形に並べていく
知識では知っているが、実際はやったことが無かった…という割には、なかなか綺麗に出来た
「さて、暗くなる前に集められるだけの薪と、あるなら木の実やらも手に入れておきたいな…流石に、食料は殆ど無いし」
テント内に入れたリュックサックのサイドポケットに入れてあるハンドアックスを取り出し、ベルトに差し込む
更に同じく、中からサバイバル用のナイフも取り出した
これはカバーにベルトに取り付けられるボタン式のループが着いており、背中がノコギリ刃になっている優れものだ
「…2泊3日程度の予定のキャンプだったのに、何でここまで揃えたんだろうな、俺」
正直、珍しくテンションが何時もより上がっていたのだろう
ハンドアックスにナイフもそうだが、パラシュートの紐として使われる非常に頑丈なパラコートや、100円ライターの2個セットもあるのにファイヤースターターまで買ってたり…
因みに、ファイヤースターターってのは、金属のスティックって芯を付属されてる物やナイフ等で削って、火花を飛ばして解した麻縄や乾いた松葉、着火材の綿なんかの燃えやすいものに火をつけて種火を作るものだ
正直、一発で出来る自信はなかったので練習はしてみたが、難しかった
最初から焚き火でやろうとしていたので炭なんかも無く、今思えばスキレットとキャンプ用の組み立て式の小さなコンロ、取手の折り畳める小さな鍋、水筒なんかはあるが、箸を忘れていたり…
「あ、水筒…忘れてた」
そう、さっきまでの喉の渇きを癒すのに最適な物があったのも忘れていた
普段ならあまり無い単純なミスをするのは、やはり違う世界、知らない土地に緊張しているのだろうか…
いや、サバイバル生活への高揚感もあるかな
◆
森に入ってすぐ、凡そ自分の腕?いや、太股くらいの太さの倒木を見つけた
少なくともこの世界のこの森では、ここ数日は雨も降っていないようだ、乾燥もしている
改めて、ハンドアックスのカバーを外す
真新しいその刃は、当然ながら良く切れそうな輝きを見せていた
「…上手くいくだろうか…兎に角、やってみるか」
生まれてこのかた、刃物はカッターや鋏、自炊の時の包丁位しか持った事がない
山奥にでも暮らしてなければ、現代社会で都心で暮らしている人間がハンドアックスを持つ事など、なかなかに無い
「…ふっ!」
気合いを入れて振り下ろしたハンドアックスは…乾いた木の表皮を切り裂くザクッという音と共に、倒木に刺さった
「…おぉ…こ、こんな感じなのか」
初めての感覚だ
手が痺れているのは、力が入りすぎていた上に、倒木が固いから衝撃が手に伝わったのだろう
「…ん?」
ふと、頭の中を何かが過る
…斧は力だけで振るわず、刃部分の重さを利用して降り下ろす…斜めにも刃を打ち込み、木の表面、平面に対して三角形になるように…
「…これは…確か、動画で見た…」
サバイバル能力ってのは、こんな過去の知識まで掘り起こしてくれるのか?
何て便利な脳味噌になったんだ、俺の脳味噌は
まるでPC内検索をしたかのように答えが出てくる
「…やってみるか、何事もやらなきゃ始まらん」
普段なら無感動無関心、何かを自主的に動いてやろうとはしない性格だったはずなのだが…これは、完全に高揚感に飲まれているな
…これが、日常になっていき、慣れるのだろうか…
「ダメなら諦めるか」
こんな事だけ、受け入れるのは早い
◆
苦戦はしたが、何とか倒木を切ることに成功した
ただ、流石にそれだけで持ち運ぶには長かったので更に幾つかに切り、担いで自分のテント前に運んできた
「…想像通りにはしんどいな」
木は、重い
当たり前だが、このサバイバル生活への高揚感が確かに揺らいだ瞬間でもあった
それから、改めて倒木を伐って作った丸太だけではどうしようもない事に気付き、転がって川に落ちないように石を積んで引っ掛かりを作ってから、今度は小枝や落ち葉を探す為に再度森へと入る
ハンドアックス、ナイフの他に、今度は細々したものをまとめていたビニール袋もポケットに入れてきた
枯れ葉や小枝を持ち運ぶのに使えるだろう
穴が空いて、破けて使えなくなったら…上手いことビニール紐にでも使えないか考えよう
「…ふむ…」
歩きながらも、頭の中にはナイフの正しい使い方や、焚き火をするときの木の組み方なんがが脳内のハードディスクドライブから検索、引っ張り出されてくる
いちいち「なるほどなぁ」と感心しながら、乾いた小枝や枯れ葉なんかを拾い集め、ビニール袋に放り込んでいく
割と大きめのビニール袋が満タンになった頃、ふと空を見上げると真上にあった太陽(異世界なので違う物かもしれないが、敢えて太陽と呼ぶ)が傾き、夕焼け空が近付いてきているように思えた
「…急ごう」
夜になったら、作業がしにくくなる。今はLED式のランタンも懐中電灯もあるが、電池が無くなればその先は無用の長物になる。
そうなったら、いよいよ暗い中では何も出来ない。急いでテント前に戻ってきた俺は、さっき作っておいた焚き火のベースとなる円形に並べた石の中に枯れ葉を敷き詰める。さらに小枝を置き、これで第一段階は終了。
続いて、伐った丸太の皮を剥ぐ。当然ながら、これも脳内から自動検索された知識で、危ういながらも出来た。剥いだ木の皮を斧の背で叩いて柔らかくして解す。それを着火材代わりにして、余っていた木の枝を着火材代わりの木の皮を完全に隠さないように上に並べる。
「さて、薪割りだな…」
此方も当然ながら、自動検索された知識でトライ&エラー
丸太を立て、そこにハンドアックスの刃を落とす
上手く刺さったら、近くの石で斧の背を叩きながら丸太を割く
「なるほど」と1人納得しながら、今度は石を使わず、刺さった状態で木ごと振り上げ、土台代わりの石に叩き付ける
乾いた音を立てて簡単に割れる木に、高揚感が少し戻ってきた
いつしか、切った丸太は全て薪になっていた
箸ほどに細い薪から、ペットボトルくらいのものまで、色々と切り分けておいた
続いて火だが…100円ライターを暫くは頼ろうと思う
まだファイヤースターターを使うのは俺には早すぎるような気がしたのだ
木の皮に火を近付けると、直ぐに煙が上がり、そして火が着いた
そのまま、風で火が消えないように手で覆い、小さく息を吹き掛ける
直ぐに火は枯れ葉と小枝に燃え移り、小さく爆ぜるような音もし始めた
「よし…」
続いて、細い薪をくべる
折角着いた火を絶やす訳にはいかない
だが、急いで薪を入れすぎても火は燃え移る前に消えてしまう…意外と難しいもんだ
順調に火は薪を燃やし、太い薪にもキチンと燃え移ったのを確認して、続いて飯の支度だ
テント内のリュックサックの中から取手付きの小鍋と、折り畳み式で直火で1人バーベキューなども出来る網型の五徳を取り出す
昨今のキャンプブームで色々の物が出てきている
大きさの都合で持ってきてはいないが、薪を燃やすことで発電出来る持ち運びストーブなんていう優れものまである
「あー、それがあればランタンの電気が切れて困る心配も…」
そこまで考えてから思い出し、慌ててリュックサックを漁る
「あった、忘れてた…」
大量にあれやこれやと持っていて忘れていたが、ソーラー充電式のバッテリーも買っていたのだ
これならランタンの電気どころか、スマホも…
「…圏外だった。流石にWi-Fiも飛んでないだろうしな」
だが、それでも使い道はある
後でスマホ内にダウンロードしてあるアウトドア用アプリを幾つか試してみよう
「と、水汲みしなきゃな」
テントから這い出すと、空気は更に冷たくなってきている
焚き火の火も小さくなっていたので薪を足し、急いで川辺に移動し、水を掬って焚き火前に戻る
五徳を広げて出来るだけ平行になるようにセットしたら、上に水を汲んだ鍋を乗せた
「今日はこれで」
そうしてリュックサックから取り出してきたのは、忙しい現代人の味方にして麻薬の如き中毒性、そして身体への影響も心配される皆の心の友、カップラーメンだ
最近は影響の少ないタイプや、それこそ販売されてきた全ての味を知るのは不可能なのではないかと思われる程に種類があるカップラーメンだが、俺はシンプルな醤油味が好きだ
蓋を開け、お湯が沸くまでの間にスマホ内のアウトドア用アプリを試す
方位磁石アウト、潮位アウト、月の満ち欠けアウト、星の位置アウト、万歩計…は、セーフらしいが、電源を入れてなければ当たり前だが役には立たない
ようは、通信&人工衛星で位置特定しながら使う物は大半アウト、と
万歩計のみ、スマホ内蔵のジャイロ機能を使うらしいので大丈夫なのかもしれない…兎も角、方位磁石が使えないのは痛い
電波を使わないゲームなんかは出来るらしいが、そもそも殆どダウンロードもしていないので意味もない
「ああ、カメラやメモは使えるか」
それだけでも便利な物だろう、この世界では
沸騰した鍋の水を蓋の開いたカップラーメンに注ぎ、蓋を閉じた上に持ち歩き用の塗り箸を乗せる。割り箸なら食い終わった後に薪になったなぁ…でも次に困るからこれでいいのか…そもそも、伐ってきた薪を削って箸を…いや、薪も貴重だし…などと考えている内に、3分を知らせるアラームが鳴った。
時計の機能も、その内ズレたり使えなくなるのだろうか…今は日本時間で昼間らしいが、そもそも正確な時間が分からないので、この世界が何処の国に近い時間帯なのかも分からないので、そこに合わせようもない。
「まぁいいか、明るければ朝か昼、暗いなら夕方から夜、以上だ」
ズルズルと麺を啜りながら、正確な時間を知ることを諦めた。しかし、カップラーメンは美味い。美味いし手軽、まさに我らの世界で産み出された奇跡の発明品…だが、これももう食えなくなるのか、と寂しくもある。もう1つだけ残してあるが、これは暫くは宝物として残しておこう。
「そうか…もう、あっちじゃ俺は死んだんだな」
葬儀を進める親戚がいるだろうか
下手したら無縁仏に…いや、まぁ会社の連中が捜索願でも出すかな?
「まぁ、あっちの事はあっちでやってもらうか」
我ながら、執着心の薄い奴だと思う
それよりもカップラーメンが食えなくなる事の方が寂しく思う辺り、根本的にズレているのだろう
名残惜しさからか、ゆっくりとチビチビ飲んでいたスープもあと僅か
最後の名残の短い麺をスープと共に飲み干して、異世界生活初回の食事を終えた
鍋や五徳、カップラーメンの空容器を川で洗い、良く水を切ってから置いておく
カップラーメンの空容器はそんな簡単に自然に分解されない事も知っているし、燃やせば有毒ガスも出るだろう
なので、今後はこれはボロボロになって使えなくなるまでは暖かい飲み物を飲む容器にでも使おう
ふと見回すと、辺りはもう焚き火の周り以外は深い闇に覆われていた
焚き火に少し残った薪を全て放り込むと、テントに戻る
どうせ朝まで持たないが、暫くは野生動物避けにでもなれば良い
「そう考えたら、早めにシェルターは作るべきなんだろうなぁ…」
寝袋に体を入れて横になってから、ぼんやりと考える
野生動物…やはり、狩りもしなければならないだろうし、肉以外の何かしら、栽培なんかもしなればならないだろう
「大変だな…やることだらけだ」
大変だ、という言葉とは裏腹に、ワクワクしている自分もいた
こんな気持ちはいつ以来だろう?
何せ、子供の頃から殆ど全てに期待せず、諦める事と受け入れる事で生きてきた
面倒になっていて、面倒を嫌っていて…一歩踏み違えば、犯罪者になっていてもおかしくない思考回路なのかもしれない
そんな取り留めもない考えは、冷たかったナイロン製の寝袋の中が暖かくなってくるのと同時に、疲労感と眠気に飲み込まれていった
明日は起きたら何をしようか…という考えが纏まる事もなく、あっという間に俺の意識は睡魔に飲み込まれて、消えていったのだった