田舎の少女と都会の紳士1
「あなた、こんな所で何してるのよ!」
「あなたこそ」
紳士は小さく笑った。
「いや、農夫に育てられたシルヴァートン家の令嬢が出席すると噂に聞いて来てみれば。なるほど。あなただったのですね」
「そんなことより、どうしてあなたがここにいるの?」
「招待されたのですよ」
ラリーは微笑んで答えた。
「公園をぶらついている方が性に合っているんですけどね。一応、名門ハミルトン家の嫡男なもので」
「冗談でしょ?」
シャーロットは噛み付きかけたが、
「やあ、ローレンス、お前が晩餐会に顔を出すなんて珍しいな」
通りかかった紳士の声に、次の言葉を飲み込んだ。
「いや、父に出るよう言われましてね」
ラリーがにこやかに答える。
「ふうん。で、そちらのお嬢さんは……?」
「シルヴァートン家のご令嬢です。先ほどシルヴァートン氏に紹介されまして」
「これはこれは。初めまして。ティモシー・ニューランドと申します。よろしく」
紳士はシャーロットに恭しく会釈をしてみせる。それから再びラリーに視線を戻し、
「ローレンス、たまにはうちの晩餐会にも顔を出してくれたまえ。うちとは長い付き合いじゃないか。父がお前の好きなワインを用意して待っているぞ」
「それは楽しみだ。機会があれば、喜んで。お父上によろしく」
紳士が行ってしまうと、ラリーはシャーロットを見て微笑んだ。
「と、いうことです。信じていただけましたか?」
「最低!」
シャーロットは低く罵り声を上げた。
「あの時はただのならず者だって言ったくせに! あなたも上流階級の人間だったなんて! 騙したのね?」
「あなたもただの田舎娘だと言っていたじゃないですか、シルヴァートン家のお嬢さん」
ラリーは相変わらず丁寧な口調で軽く受け流すと、シャンパンを一口飲んで、
「さて、何とお呼びしましょうか。シルヴァートン嬢? それともキャサリンですか? シャーロット?」
面白そうな顔で問われ、シャーロットはラリーを睨みつけて言った。
「それで? 私はあなたを何と呼べばいいの? ハミルトン氏? ローレンス? それともラリー?」
ラリーは吹き出した。
「ラリーでかまいませんよ」
言いながらポケットから煙草を取り出し、
「吸ってもかまいませんか?」
公園ではあれほど私にかまわず吸いまくっていたくせに。シャーロットが呆れ顔で頷くと、ラリーは煙草をくわえて火をつけた。
「さて。シルヴァートン嬢、と呼ばせていただきますよ、礼儀上。聞けば、あなたは十四年間農夫の家庭で育てられていたとか。都会の暮らしには慣れましたか?」
あまりにも白々しい会話を、相変わらず丁寧な口調で続ける。シャーロットは顔をしかめ言った。
「もういい加減に演技はやめて」
「あいにく、社交界ではこれが地なのです」
ラリーは微笑んで答える。その笑顔はどこから見ても礼儀正しく洗練された紳士のもので、公園で出会った時のならず者めいた雰囲気は微塵も感じられない。まるで別人。シャーロットが戸惑った顔をすると、ラリーは唇の端にふと小さな笑みを閃かせ、思い切り低くした声でささやきかけた。
「……で、今日はコルセットを緩めなくていいのかい、お嬢ちゃん?」
「なっ……」
シャーロットはソファから飛び上がりそうになる。一気に耳の先まで血が昇るのを感じた。
「茂みから出てきたとき、ワンピースの衿が乱れていました」
ラリーは穏やかに微笑んで言う。
シャーロットはレモネードで喉を潤すと、まじまじとラリーの顔を見つめ言った。
「おかしな人ね!」
「自覚しています」
ラリーはにこりと微笑む。
シャーロットは困惑顔で、
「それで、どちらが本当のあなたなの?」
「さあ。私にも時々わからなくなりますね」
ラリーははぐらかすように言うと、煙草の煙を吸い込んだ。
「シャーロット、というのは偽名ですか?」
「違うわ。本名よ。というか、農場にいたときはそれが私の名前だったの」
「なるほど」
「で、あなたはどうしてあの時あんな格好で公園にいたのよ?」
「言ったでしょう。社交界に顔を出すより、公園をぶらついている方が性に合っていると。ときおり屋敷の者の目を盗んで、ああやって抜け出しているのです」
「良家の子息のくせに?」
「あなたも人のことは言えないのではないですか?」
切り返されてシャーロットは憮然と答える。
「私は違うわよ。カントリーサイドで育ったんだもの。好きでこんな所にきたわけじゃない」
「私も別に好きで良家の子息として生まれついたわけではありませんよ」
ラリーは肩をすくめて言うと、にこりと笑顔になって、
「さて、今宵のあなたのエスコート役には誰が当たるのでしょうね?」
「え?」
シャーロットが首をかしげ問い返すと、
「ローレンス様」
目立たないスーツを着た影のような男が、ラリーの前に現れた。
「カードが」
「ああ」
ラリーはわかっているというように頷く。男はシャーロットをちらと見て、
「お話中のようですから、私が引いてまいりましょう」
「任せるよ」
男がそっと離れてゆくと、ラリーはシャーロットを見て言った。
「あの男は、ジョーンズといいます。私の従者です」
「従者つきでパーティに来ているの?」
尋ねるシャーロットに、ラリーは苦笑した。
「従者というのは表向きで、本当は私のお目付け役なのですよ。私がここから逃げださないよう監視しているのです」
「お目付け役」
シャーロットは呆れ顔になると、
「それで、カードって何?」
「ああ、もうすぐ晩餐会が始まるのでね」
ラリーは煙草を傍の灰皿で潰し、広間の中央に視線をやった。つられてシャーロットがそちらに目をやると、晩餐会の主催者であるレッドモンド家の従僕が、小さな白い封筒をたくさん乗せた銀の盆を持って、客の間を行き来している。
「男性客は、みなあの中から封筒をひとつ選ぶ。その中にはここに集まっている女性客の誰かの名前が書かれたカードが入っている。もちろん、あなたの名前を書いたカードもあの中にあるのですよ。男性客は、自分が引いたカードに書かれている名の女性を、エスコートすることになるわけです」
「エスコートって」
「晩餐会の間、となりの席に座り、絶えず話しかけ、もてなし、楽しませるということですね」
ラリーの説明に、シャーロットは一気に憂鬱になる。まったく面識のない上流階級の紳士の隣りに座り、食事の間中、横から話しかけられることになるのか。
「それ、あなたなら気が楽なんだけど」
「さあ。私もあなたなら気が楽ですが」
ラリーはくすくす笑って言った。