田舎の少女と刺客
時計の針が深夜十二時をさす。
シャーロットの寝室のドアが、そっと音もなく開いた。
暗闇の中、何者かが部屋に入ってくる。手にはナイフ。足音を忍ばせ、寝台に近づく。
「ナイフを下ろして」
背後からの声に、侵入者はぎょっとしたように振り返った。
さっと窓のカーテンが引かれる。淡い月明りが部屋に差し込み、カーテンの後ろに立っていたシャーロットの姿を照らし出した。
曲者は覆面で顔を隠していたが、
「無駄よ。わかってるんだから」
シャーロットは固い声で言った。
「コリンズ、あなただったのね?」
曲者は一瞬硬直し、それからかすかに苦笑したようだった。ナイフを持っていない方の手で、ゆっくりと覆面を脱ぎ捨てる。
「どうしてわかったんです」
「聞いていたのよ」
シャーロットは言った。
「初めて社交界に顔を出した晩、とても遅く屋敷に戻ってきて……夢うつつにあなたが誰かと話している声を聞いたの」
あの晩は馬車の中で眠り込んでしまい、コリンズに抱き上げられて自分のベッドに戻ったのだった。その途中、途切れ途切れに耳に入ってきた言葉。
――ありえないよ。ハミルトン家の……。お嬢様は、カントリーサイドから来たばかりで……
「あなたは私が眠っているのだと思ったんでしょうけど、私は半分起きていたのよ。あの時あなたが話していた相手。あれは、あの声はジョーンズだった」
シャーロットは続けた。
「ジョーンズはローレンスの従者だけれど、レッドモンド氏にお金をもらってローレンスとドリスを近づけようと画策している。そのジョーンズを夜中に屋敷に招き入れ、こそこそ話しているなんて。あなたもレッドモンド氏と関係があるとしか思えない」
「そう」
コリンズは微笑んだ。
「まったく鋭いですね、お嬢様。おっしゃる通り、私もジョーンズ同様、レッドモンド氏に雇われているのです。レッドモンド氏は最初から、シルヴァートン氏があなたを引き取ったのはハミルトン家の子息を誘惑するためだと知っていたから。この屋敷の執事である私を買収して、あなたが娘にとって脅威になる存在ではないか、逐一報告させていた」
小さく肩をすくめ続ける。
「恐れながらお嬢様、あなたはとても名門ハミルトン家の子息に気に入られるようなレディには見えなかった。なにしろ田舎から出てきたばかりで、教養もなければ礼儀作法もなっていない、ダンスのひとつもうまく踊れない。ですが、信じられないことですが、ハミルトン氏の気持ちはあなたに傾いた」
「それは違うわ」
「違いません」
コリンズは首を振った。
「ハミルトン氏は、父親の葬儀が行われた日に、レッドモンド嬢を振ったのですよ」
それは初耳だった。シャーロットは目を見張る。
「でも、それはローレンスが私を好きだからじゃないわ」
「どうでしょう。私にはわかりかねますが。レッドモンド氏はあなたのせいだと思っている。あなたさえいなければ、ハミルトン氏の気持ちは自分の娘に傾くと」
シャーロットは深く息を吸い込んで尋ねる。
「ひとつ訊くわ。昨日レモンパイに石炭酸を入れて、フラッフィを殺したのはあなた?」
「いえ、あれは事故でした」
ほっと息をつくシャーロットに、コリンズは苦笑して、
「本当はあのパイはあなたが食べるはずだったんです。まさか猫が先に食べるとは思わなかった」
ショックに青ざめるシャーロットの顔を見て、コリンズは肩をすくめる。
「とにかく、猫まで殺すつもりはなかったんです」
「今朝、私を階段から突き落としたのも」
「ああ、あれには驚きましたよ。都会育ちのか弱いレディなら、頭から落ちて首をぽっきり折っていたでしょうが。空中で体勢を立て直すなんて、まるで猫みたいな人だ。さすがは田舎育ちですね」
「どうして?」
シャーロットは声を震わせ尋ねた。
「コリンズ、あなたは私がこの屋敷に来てから、ずっと傍にいてくれた。味方だって思ってた。なのに――」
「私がレッドモンド氏にいくら貰っているか知ったら、納得してもらえるでしょうね」
コリンズは小さくため息をついた。
「あなたのようなお嬢様にはわからないでしょうが。農夫の娘からいきなり良家の令嬢となったあなたには。まるでおとぎ話のヒロインだ」
「ヒロインですって?」
シャーロットは引きつった笑い声を上げる。
「破産しかけている家の道具として引き取られたことが?」
「たとえそうでも。ハミルトン氏と結婚すれば、あなたは社交界一裕福なレディになれる。シルヴァートン家も破産を免れる。めでたしめでたしというわけです」
「私はローレンスと結婚なんかしないわ」
「いいえ。あなたにシルヴァートン家を見捨てることはできない。この家の一人娘なのですから。家のためにハミルトン氏と結婚するでしょう」
コリンズは、ふ、と優しく微笑んだ。
次の瞬間、ナイフを閃かせ斬りかかってきた。
シャーロットは反射的に身を捻って躱した。カーテンの陰からロジャーが飛び出してくる。
コリンズは一瞬面食らったが、シャーロットを背後に庇うロジャーめがけてすぐにナイフを突き出した。
「ロジャー!」
ナイフがロジャーの頬を鋭く掠める。ロジャーは怯まず踏み込んで、ナイフを持つコリンズの手を掴んだ。バランスを崩したコリンズは、飛びかかってきた勢いそのままに暖炉の方へ突っ込み、派手に頭を打ち付ける。
コリンズは気を失ってその場に倒れた。
「ロジャー、大丈夫?」
「ああ」
ロジャーは小さく息をつき言った。
「この人、そんなに力は強くないよ」
それに、これくらいお前を庇ってクマと対決したときと比べればね、と、青ざめ震えているシャーロットを安心させるように微笑んでみせる。
「血が出てるわ」
「大丈夫だよ」
頬を伝う血を拭うと、ロジャーはぐったりしているコリンズを見おろした。
「何か縛るものを」
シャーロットは急いであたりを見回し、カーテンをまとめるための飾り紐を取って兄に手渡す。
「おっと。一足遅かったようですね」
開けっ放しの窓からローレンスが顔をのぞかせた。
「ローレンス」
ロジャーがコリンズを縛り上げながら呆れ顔で言う。
「もう少し早く来てくれれば、もっと楽にこの男を取り押さえることができたのに」
「ご冗談を。私は都会育ちの軟弱者ですから」
木を登ってここまで辿り着くのも一苦労だったんですよ、とハミルトン家の当主はため息をつく。
「ローレンス?」
シャーロットは目を見張った。
「どうしてあなたまで?」
「シャーロット、僕はハミルトン家に泊めてもらってるんだよ」
ロジャーが言った。
「屋敷を抜け出すところをローレンスに見つかって。事情を話すと、自分もついてくると言ってきかなかった」
「話はロジャーから聞きました」
ローレンスは髪に絡みついた木の葉を払いながら言った。
「あなたが、昨日から使用人に二度も命を狙われたと。それも私が原因で。放っておけないでしょう」
「あなたには何の責任もないわ」
「いいえ」
ローレンスは首を横に振った。
「これはハミルトン家の問題です」
「え?」
「父の書斎で探していたものがようやく見つかったので。いい機会だから今夜のうちに、すべてのけりをつけてしまいたい」
「何を言ってるの?」
「すぐにわかりますよ」
ローレンスはならず者の格好をしているときよく見せる、あの凄みのある笑みを一瞬浮かべた。
「これからです」
そう言って、部屋のドアの方へ視線をながす。
廊下が騒がしくなっていた。シルヴァートン夫妻が一連の騒動に目を覚まし、駆けつけてきたらしい。
「キャサリンっ?」
部屋のドアが勢いよく開き、片手に銃、片手に燭台を持ったシルヴァートン氏が姿を現した。
壁際に立っているシャーロット、窓辺のローレンス、縛られて倒れているコリンズと、その傍にしゃがんでいるロジャーを見て、呆気にとられた顔になる。
「キャサリン、これは一体――」
「こんばんは、シルヴァートンさん」
ローレンスは恭しく一礼してみせた。
「おっと、銃を下ろしてください。見ての通り、怪しい者ではありませんから」
「ローレンス? こんな夜中にどうしてこんなところに――」
「ええ、実は」
ローレンスは手を伸ばすと、シャーロットの肩を抱き寄せ言った。
「お嬢さんをいただきに参りました」
土日お休みして週明けに幕引きします




