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カントリーガール  作者: julie
Chapter. 3
14/46

田舎の少女と大伯母様

「……ごめんなさいね、キャサリン」


 シャーロットを客間に案内しながら、イザベラがため息をついて詫びた。


「まさか、大伯母様が降りていらっしゃるなんて。いつもはお休みになっている時間なのに」


 言いながら客間のドアを開け、シャーロットに入るよう促す。


「大伯母様は若いころ、社交界に女王として君臨していた方なの。気難しくてとても気位が高くて、今でも大伯母様に逆らえる人なんてほとんどいないのよ」


「その通りさ」


 老婆がずかずかと部屋に入ってきた。着がえると言ったのはどうやら上に羽織っているガウンだけ取りかえるということだったらしい。先ほどは白だったのが、今はおよそ似合わない砂糖菓子のような甘いピンクだ。


「気難しくて気位が高くて悪かったねえ」

 そう言ってイザベラを睨みつける。


「そんな」

 青くなって弁解しようとするイザベラを無視し、老婆はくるりと後ろを振り返ると、ティーセットのトレイを手についてきた女中を睨みつけ怒鳴った。


「ほら、何をぐずぐずしてるんだい、さっさとお茶の用意をおし! ケーキとクッキーも忘れるんじゃないよ! まあ、それっぽっちで足りるものかね! どうしてもっと持ってこないんだい? それにケーキとクッキーと言われたら、気をきかせてサンドイッチとタルトも持ってくるくらいの心配りが欲しいもんだよ、まったく!」


「大伯母様、こちらへどうぞ」

 イザベラが慌てて傍のソファを勧める。


「何だって? どこへ座るかは私が決めるよ。どうしてあんたに指図されなきゃならないのさ」


 老婆は鼻を鳴らし、三人掛けのソファの真ん中にどさりと腰を下ろした。テーブルの上に並べられてゆく菓子皿にさっそく手を伸ばし、レモンクッキーをつまみ上げてぽいと口に放り込む。


「ほら、あんたたち二人も突っ立ってないで座ったらどうだい」


 シャーロットとイザベラは急いでソファに腰かける。


「やれやれ。この歳で階段の昇り降りはきついよ。こんなことならお前たちに私の部屋で話をするよう言うべきだった。まあいい。それで、あんたキャサリンだったかね? 十四年間も田舎で農夫に育てられたって? それじゃ、せっかくだから田舎の話でも聞かせてもらおうかね」


 言われてシャーロットは目を丸くした。都会に来てから、田舎のことは早く忘れろと言われることはあっても、田舎の話をしてくれと人に言われたのはこれが初めてだ。


 口ごもりながらも父や母やロジャーや農場のことを話すと、老婆は小さく鼻を鳴らした。


「ふん。退屈そうなところじゃないか」


「行ったこともないのに、どうしてそんなことが言えるのよ?」


 けんか腰で言い返すシャーロットに、


「それもそうだ」

 意外にあっさり頷くと、老婆は肩をすくめて紅茶を飲み干した。すでにシャーロットが話している間に、大きく切り分けたチョコレートケーキと、フルーツタルトを三つも平らげている。さらにクッキーをひと掴み取って貪りながら、


「だけど、私にゃ都会の暮らしの方が性にあってるね。第一、家の窓から畑と草っ原しか見えないなんてさ。つまらないじゃないか。ど田舎にもほどがあるよ」


「でも自然に囲まれて暮らすなんて素敵だわ」


 イザベラがとりなすように口を挟んだ。


「とてもきれいな所なんでしょうね。だけど、毎朝乳しぼりをしなきゃならないなんて。手が荒れたりしないのかしら?」


「手は荒れるわよ」

 シャーロットはそっとため息をつく。やはり都会と田舎では価値観が違う。


「でもイザベラ、手が荒れると何か困ることがあるの?」

「あら!」

 尋ねられ、イザベラは漆黒の瞳を丸くした。

「そうねえ……荒れているよりは美しい方がいいと思うけど」


「くだらないね」

 老婆は軽く舌打ちして言うと、もうそれきり二人の会話に興味を失ったように、眼鏡をかけて傍にあった雑誌をめくり始めた。その合間にクッキーやタルトをつまむのも忘れない。


「とにかくね、キャサリン、ここ、社交界でうまくやっていくためには、味方をつくることが肝心よ」


 イザベラが紅茶を飲みながら話題を変えた。シャーロットは農場の思い出から、都会の社交界という現実に引き戻される。


「社交界には、敵に回すと厄介な人たちもいるから。他人を貶めるのが大好きな人たちよ。気をつけないとひどい目にあうわ」


 イザベラはそう忠告した。


「まず、パターソン家とは仲良くすることね。それからディクソン家の人たちとも。今、社交界を動かす権力をもっているのはあの人たちなの。それから、噂好きのコールマン一族。あの一族の機嫌を損ねると、あることないこと噂を流されて、気づかないうちに破滅させられてしまうのよ。注意してね。もしパーティを開くなら、ジミー・ベネットは絶対招待しなくてはならないわ。ひどくひがみっぽいのだから。ロビンソン夫人も忘れずにね。あと、アッシャー家の人と一緒になったときは、とにかく相手を褒めちぎっておくこと。あの一族は崇められるのが好きだから」


 シャーロットはクッキーを一枚つまみ、一口かじってイザベラに言った。


「このクッキー、おいしいわね。作り方教えてくれる?」

「あなた、聞いてないわね?」

「聞きたくないんですもの」

 シャーロットはため息をついた。それから、ふとラリーの顔を思い出し、


「あの、ハミルトン家のローレンスってどんな人なの?」


「ローレンスね」

 イザベラは頷いて言った。


「社交界の花形、ハミルトン家の一人息子よ。父親のアーネスト・ハミルトン氏は法律の仕事に携わっておられるのだけれど、本当は仕事などしなくても、先祖代々の遺産で十分生活していける、由緒正しい家柄なの。だから仕事は暇つぶしの趣味みたいなものよ。ここのところ体調を崩していらして、社交界には姿を見せないけれど。ローレンスはその嫡男で、いずれはハミルトン家を継ぐことになっているわ。膨大な遺産と一緒にね」


「だからあんなにのらくらしているわけね」

 ならず者のような格好で公園をぶらぶらしていたラリーを思い出し、シャーロットは小さく呟く。


「それに加えてあの外見でしょう? 社交界の女の子たちの憧れの的なの。特にレッドモンド家のドリスは完全にお熱」


「らしいわね。婚約者候補ですって」


「そうね。レッドモンド家は新興で、社交界に入ってまだ日が浅い。娘が良家の子息と結婚することが目下の命題になっているのよ。ハミルトン家の嫡男なら、家柄、財産、容姿、すべて申し分ない。何よりドリスがぞっこん惚れこんでいるもの。レッドモンド夫妻も、ドリスをローレンスと結婚させるためなら、手段を選ばないつもりでいる」


 そう言うと、イザベラはシャーロットに微笑んで、


「あなた、あの晩、晩餐会が始まる前に、レッドモンド家の広間でローレンスと親しげに話をしていたでしょう? あのときのドリスの顔を見せてあげたかったわ。視線で人を殺すことができるなら、あなた軽く十回は殺されていたわよ」


「そんな、私は別に」


 言いかけたシャーロットは、ラリーがそんなに若い娘たちに人気があるのならと、イザベラに問いかけた。


「イザベラはローレンスのこと、どう思ってるの?」


 イザベラは小さく肩をすくめ答えた。


「いい加減で不実な男性は好きじゃない。それに、私には婚約者がいるのよ」


 シャーロットは目を見張る。ラリーのことをいい加減で不実と評したことにも驚いたが、何よりイザベラに婚約者がいるという事実にもっと驚いた。


「婚約者? 誰?」

「フィリップ・アルマン氏という方よ」

「六十過ぎのじじいさ」

 横から老婆がアーモンドタルトを頬張りながら口を挟む。

「私より年上のよぼよぼの老いぼれ」

「まさか!」

 シャーロットは唖然となった。


「嘘でしょ、イザベラ?」


「嘘じゃないのよ」


「だって、それって歳が離れすぎているじゃない」

「そんなことは問題ではないの」

 イザベラは言った。


「アルマン氏は、お父様と懇意にしていらっしゃる。それに、フランス貴族の血を引いておられるの」

「要するに、お家のための政略結婚ってわけさ」

「そんな」

 シャーロットは目を見張る。

「政略結婚なんて、イザベラは嫌じゃないの?」

「私は、お家のためならば、喜んでアルマン氏のもとへ嫁ぐわ」

「どうだろうね」

 老婆にじろりと見られてイザベラは目を伏せたが、落ち着き払った声で言った。


「大伯母様、私はもう決めたのよ」

「あんたも相当頑固だからね」

 老婆は鼻を鳴らした。

「若い頃の私によく似てる」


「とにかく、政略結婚なんて上流階級では当たり前のことなのよ」

 イザベラは肩に掛けていたショールの前を掻き合せてシャーロットに言った。


「キャサリン、あなたもシルヴァートン家の娘なら、いつかお家のために意にそまない結婚をしなくてはならない時がくるかもしれないけれど。その時は甘んじて受け入れなくては」

「私が?」

 シャーロットは思い切り首を横に振った。

「嫌よ、そんなの。好きでもない人と結婚するなんて」


 老婆が喉の奥で低く笑った。

「まったく。お母さんそっくりだね、あんた」

「え?」

 怪訝な顔をするシャーロットに、


「ああ。あんたは覚えていやしないだろうけど。私は一度、赤ん坊の頃のあんたに会ったことがあるんだよ」


 眼鏡の奥の目を細め言う。


「ちょうど、あんたが行方不明になる少し前にね。きれいな赤ん坊だったよ、あんた。大きくなったら絶対、母親によく似た可愛い娘になると言ってやったものさ。私の予想はあながち外れでもなかったわけだ。外見だけじゃなく、仕草まで母親によく似てる」


「ちょっと待って」


 シャーロットは困惑して老婆の言葉を遮る。たしか、レッドモンド家の晩餐会に呼ばれたときも、自分を見てそのように評した人たちがいた。お母様によく似ているわ。お母様の髪は栗色で、私は金色。目の色だって顔立ちだって違う。なのにどうして似ていると言われるのだろうと、疑問に思ったのを思い出す。


「私、お母様にはそれほど似てないと思うのだけど」

 解せない顔で呟くと、老婆は勝ち誇ったようにイザベラを見た。


「やっぱりね。シルヴァートンは話していないと思っていたよ」


「何をですか?」


「大伯母様」

 イザベラが口を挟んだ。

「そんな。シルヴァートン氏が話していないのなら――」


「黙っておけというのかい? いや、この子には知る権利があると思うね。どの道、遅かれ早かれわかってしまうことさ」


「ですが――」


「一体何なの?」

 シャーロットは割り込んだ。

「教えてください」

「いいとも。お前がそう望むんならね」

 老婆は頷くと、ベルを鳴らして女中を呼んだ。


「サリー、私の部屋からアルバムを持っておいで。それからケーキをもう一切れ。胡桃入りのバター風味のものをね」


 まもなく運ばれてきたアルバムを受け取り、老婆はページをめくり始める。


「ええっと、どこだったかねえ……おっと、あったあった、懐かしいねえ」

 そう言うと、イザベラによく似た美女のポートレートを示して、

「私だよ」

 得意げに言った。

「どうだい。若い頃は美人だっただろう?」

「それとさっきの話とどう関係があるの?」

「いや、関係はないけど。あんた、かわいくない娘だねえ」

 老婆はぶつぶつ言いながらさらにページをめくる。


「ほら、これだ」

 再び手を止めると、一枚の写真を指差した。


「エリザベス・シルヴァートン。あんたの本当の母親だよ」


 そこにはサマードレスに身を包んだ一人の婦人が写っていた。活き活きと輝く瞳に、少女のような悪戯っぽさを湛えた口元。きれいに結い上げた長い髪は、モノクロームなのではっきりとはわからないが、光の辺り具合からしておそらくブロンドなのだろう。


 見たことのない女の人だった。だけど、とシャーロットは思う。私によく似てる。目鼻立ちはそっくりだ。


「どういうことなの?」

 尋ねると、イザベラが老婆に代わって答えた。


「あなたの本当のお母様――つまり、そこに写っているエリザベス嬢は、あなたが行方不明になって、ほどなく病で亡くなったのよ。そのあと、しばらくしてシルヴァートン氏は、別の女性と再婚した。それが今のシルヴァートン夫人なの」


「それって……じゃあ」


「今のシルヴァートン夫人は後妻、あんたとは何の血の繋がりもない」


 老婆は肩をすくめて言った。


継母(ままはは)ということになるね」

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