田舎の少女と晩餐会
晩餐会は、目を見張るほど豪華なものだった。
案内されて入った食堂には、長方形の巨大なテーブル。その上にはダマスク織りの白いクロスがぴしりと掛けられ、給仕が席についた招待客のもとへ、次から次へと料理を運んでくる。キャビアのカナッペとオイスターに始まり、スープは青海亀のポタージュに鶏のコンソメ、続いてひらめの煮込みに海老のムース、牛のフィレ肉に子羊の背肉、脂ののったローストチキン、トリュフにアスパラガスにアーティチョーク、焼きたての菓子パンにふかふかのロールパン、キノコのサラダにロブスターのゼリー寄せ、そしてデザートはチーズ菓子にケーキ、それにクリームを添えた苺や桃のコンポート。あまりの量にテーブルがぎしぎし軋み始めるのではないかと思うほどだ。
唖然としているシャーロットの隣りで、生真面目な彼女のエスコート役、フレデリック・スペンサー氏が絶えず話しかけてくる。
「貴女がしているその真珠のネックレス、とてもよく似合っていますよ」
「ありがとう」
「本当に、白く輝く真珠のように、美しく可憐な方ですね」
「ありがとう」
ためらいもなく言われる歯が浮くような世辞に、シャーロットは逃げだしたくなるのを必死で堪えた。その場に自分をつなぎ止めるかのように、牛のフィレ肉にフォークを突き立てる。
「このフィレは、マディラ風味ですよ」
間髪をいれず、生真面目なスペンサー氏が解説してくれる。
「そうなの」
シャーロットは料理を口に入れて沈黙した。何やら恐ろしく凝った風味で、作るのに相当手間暇かけたと思われる。この味に慣れるのにも相当時間がかかりそうだ。
「おいしいわ」
「こちらの子羊の背肉は、クルージェット添えですね。シルヴァートン嬢は、特にどういう料理が好みなのですか?」
「草原ライチョウの蒸し焼きとか」
無意識に母の得意料理を挙げたとたん、生真面目なスペンサー氏が小さくむせた。
「ええと」
くすくす笑いを耳にしてそちらに視線をやると、斜め前の席に座っている婦人と紳士が、こちらを盗み見ながら何やら小声で囁きを交わし、忍び笑いを洩らしている。シャーロットは憮然となって目をそらした。この二人に限らず、席についた時から回りの人間が自分にちらちらと好奇の視線を向けてくるのを感じ、シャーロットは居心地の悪い思いをしていた。皆自分が何者か知っているのだ。都会育ちの紳士淑女には、田舎で育った人間がよほど珍しいと見える。まるで服を着たチンパンジーにでもなった気分。
「これは何かしら?」
とりあえず話題を変えようと、シャーロットはちょうどやって来た給仕係がグラスに注いでいった飲み物を指差して言ってみる。
生真面目なスペンサー氏はグラスを取り上げ、一口飲んで、
「モエ・エ・シャンドン・グラン・クレマン・アンペリアル・マグナムですよ」
「そう」
シャーロットはため息をつき、グラスの液体を一口すする。よくわからないがアルコールの味がする。シャンパンの一種か何かだろう。おそらくとても高価なものなのだろうが、シャーロットにはわからない。
「それで、あの、シルヴァートン嬢は、ニューヨークにいらして、まだ日が浅いのですよね」
スペンサー氏が努めて何でもないことのように切り出した。ためらいを含んだ口調から、彼がこの話題に触れていいのかどうか迷っているのがわかる。
「そうよ」
シャーロットは屈託なく頷いた。
「ここからずっと離れた所にある草原の真ん中の農場でずっと暮らしていたの。とてもきれいなところよ。特にこの季節はね、野バラがたくさん咲いていて」
何気なく口にしたとたん、緑の草原を眩しく彩るピンクや深紅の野バラの輝きと、その甘い香りを鮮明に思い出し、シャーロットは胸に痛みを覚える。ロジャーは今年も野バラを母のために摘むのだろうか。毎年一緒について行ったものだが。あの草原の暮らしには自分はもう二度と戻れないのだ。
「そんな田舎で育ったとは」
スペンサー氏が同情を滲ませた声で言った。
「しかも、貧しい農夫の家で。さぞかし苦労なさったでしょう」
「そんなことないわ」
シャーロットは首を横に振る。
「あなたも一度来ればきっと好きになるわよ」
「とんでもない!」
スペンサー氏は身震いをした。
「田舎で暮らすなんて、考えただけでぞっとする」
シャーロットはため息をついた。
食事の後は、男性は喫煙室に、女性はパーラーにそれぞれ集まり、おしゃべりを楽しむことになっているらしかった。
スペンサー氏に礼を言って別れ、食堂を出たシャーロットは、母であるシルヴァートン夫人に手を引かれ、断固としてパーラーへ連れて行かれた。
紫のサテンのカーテンが掛かった窓、光沢のある臙脂色の肘掛け椅子、床に敷き詰められたトルコ絨毯、壁を埋め尽くす金縁の肖像画。その他、凝った形の銀の燭台や、数え切れないほどたくさんの置時計や、刺繍を施したクッションや、東洋風の衝立などで、ごてごてと飾り立てられたパーラーは、すぐに女性客でいっぱいになり、シャーロットは様々な香水と白粉が入り混じった濃厚な匂いにむせ返りそうになった。
紅茶とフィンガークッキーが運ばれてくる。
都会の上流階級の暮らしには、色々と我慢できないこともあるけど、少なくともお菓子はおいしいわ。シャーロットはそう胸の中で呟き、自分を慰めた。作り方を教わって、母さんにレシピを送ってあげたい。
それからたっぷり二時間半、シャーロットはシルヴァートン夫人の隣りに座らされ、彼女とその友人が社交界のゴシップに花を咲かせるのを行儀よく聞いていなくてはならなかった。ジュディ、あなたの娘は今誰とお付き合いしているの? セオドア・グラームスよ。いい子よね、彼。でもちょっとお堅いところがあるのよ。そりゃグラームス家の息子ですもの。女が賭け事をするなんてとんでもない事だと言ったんですって。まあいまどき! ところでねえ、クララ、先週のパーティは失敗だったんじゃなくて? ああ、あれはジョージの失敗よ。わたくしのせいじゃないわ。わたくしはもともとシモンズ夫人を呼ぶつもりは全くなかったんですもの。でもあの方のせいでパーティは台無しになってしまったわね。まったく。ホント退屈な方って我慢ならないわ。一人が辛気臭い顔をしていると場の空気が一気に盛り下がるのよね。来たくないのなら断ってくれればよかったのに。常識を疑うわ、ほんと――
シルヴァートン夫人がようやく仲間にさようならの挨拶をして腰を上げ、帰りの馬車にシルヴァートン氏と乗り込んだときには、シャーロットはぐったり疲れきっていた。
「今夜は楽しかったかい、キャサリン?」
喫煙室で他の紳士たちと愉快なひとときを過ごしたらしく、上機嫌で話し掛けてくる父親に、
「ええ」
シャーロットは頷いて答え、馬車の背もたれに身を沈めた。とにかく早く帰ってベッドに入りたかった。走り出した馬車の振動に眠気を誘われ、ぼんやりしているうちに目を開けていられなくなる。
そうやって、いつの間にか、深く眠り込んでしまったらしい。
「キャサリン」
軽く肩を揺さぶられるのを、夢うつつにシャーロットは感じた。
「キャサリン、着きましたよ」
「起こすことはない」
父親の声。
「疲れたのだろう。もう十一時過ぎだ。執事を呼んでベッドまで運ばせよう」
しばらくして誰かにふわりと抱き上げられる。コリンズだわ。まどろみながらシャーロットは思う。私、最近太ったんだけど――意識が眠りに落ちてゆく。
「……まさか」
遠く、コリンズの声がした。
「ありえないよ。ハミルトン家の……が……」
眠くてはっきり聞こえない。
「それに、お前だってそんなことは信じていないだろう?」
相手の名を呼ぶ。聞き覚えのある名前。今夜晩餐会で耳にした名前だ。
「……お嬢様は、カントリーサイドから来たばかりで……」
誰の名前? 誰の声?
「ああ、わかってる……心配いらない……」
考えるには疲れすぎていた。シャーロットは再び眠りに落ちた。
-----
「父上」
ラリーは父の枕もとの椅子に腰をかけ、まどろんでいる父にそっと声をかけた。
「父上のご命令どおり、シルヴァートン嬢に会ってきましたよ」
「そうか」
父が瞼を開き、かすれ声で呟く。
「母親似ですね、あれは」
ラリーは小さく微笑んだ。
「まったく。厄介なことになったものだ」