生きて欲しい詩
伝える手段は文字だけだけど、十分伝わるような文字を伝えたい。
中身のないことを言ってごめん。
でも中身の少ない俺でも生きてる。
内側からカラカラと笑うような音を響かせながらも今日という日を終えて明日という日に首を突っ込んで、往生際悪く引っ掻き回そうとしている。
引っ掻き回した挙句にその爪は他の人を傷つけてしまうことだってある。
でも誰かの首輪を掻き切って荒っぽく解き放てもするかもしれない。
痛々しい爪痕を見た誰かがその先へは踏み込まないかもしれない。
かもしれない、っていうのは便利で乱暴な言葉だ。
意図せず奇跡を起こしたがる人間の強欲さが滲み出ている。
でもそれでいい。
いや、むしろそれがいいんだ。
強欲にもがいてあがいて苦しみを咀嚼して苦かったら吐き出せばいい。
それが人間だし、君はまだ、いやずっと人間だよ。
それは檻でもあるかもしれないが、ヘルメットだ。
頭がおかしいことにならないか、心配した両親から先祖まで。
みんなが作って受け継いで合わさって、そして今かぶっているのは君だ。
ヘルメットを取った姿は開放的で恰好いいだろう。
取りたいならば取ればいい。
事故にあったときに壊れない強さを持っているならば、それはもう君のじゃあないから。
それはもう、君が未来の可能性に託して守ってやるもんだ。
そして未来のヘルメットには君の足掻いて生きた爪痕がくっきりと残るんだ。
全部諦めるのは人間には難しいんだ。
難しいことは考えなくていいと思っているもの。
自分の力量で跳び越えれるハードルは跳んで、越えれないなら横のコースに入ればいい。
そこには越えれるハードルと誰かがいる。
その誰かがハードルを越えれなくなったときには、一緒に跳び越えるか、教えてやるなり何かしてやれるはずだから。
ハードルを蹴倒してもいい。
走りきってその先を見られたら何でもいい。
そこでよかったと思っても思わなくても、走って走りきったんだから、そこで補給をして、次の人の頑張りをぐったりと応援してやればいいんだ。
そしてたどり着いたかつての自分と似たそいつに言ってあげるんだ。
お疲れ様、まだ頑張れよって。
あの明るさを、もいちど見たい。
輝く日々は変わっていった。
でもそれが人の一生だから。
後ろを確かめつつ、進んでいく。
追記:思った以上に評価よくってびっくりしました!