そぞろ話
カダルフィユとガイコが登城して後、しばらく平穏な日々が続いた。
厄介かと思われた近衛隊メンバーとの確執は少しずつ薄れていた。組織から言えば、カダルフィユとガイコは近衛隊のトップなのだ。いつまでも、部下達にそっぽを向かれている場合ではない。
力づくでも従わせるべきか、と思い悩んだのもほんのつかの間だった。
全近衛隊員から信頼を寄せられるまでには及ばないだろうが、カダルフィユはトップとしてなんとか、隊を動かせるようにはなっていた。
ともすれば硬くなりがちな空気を醸し出すカダルフィユを、ガイコのさり気ないフォローが支えたのも功を奏したのだろう、隊のメンバーとは、軽い世間話ができる程度には、距離は縮まっていた。
副隊長のザザ・ユウマは、口数は少ないながらも漏れなくしっかりと支えてくれており、情報通のミー・ハーフィーからは城内の噂話を教えられたりしていた。特に、元来が人懐こい性格のミー、はすっかりカダルフィユと、特にガイコに心を許したようで、夕食に同席ついで酒を酌み交わす事もあった。
近衛隊に馴染みゆく一方で、登城初日以来、ガウディウムと話ができていない。
カダルフィユの叔父上は王城の政の中枢として大層忙しく動き回っており、顔を合わせること自体が少なかった。たまに廊下ですれ違うと、いつも誰かと一緒で何事か論じ合っている様子だったり、早足で慌ただしそうな様子が常だった。
自分たちのミッションを忘れてはいない。王を狙った者の本意と、その黒幕であろうものの行方を調べる事。それは常に頭の隅にあり、よい機会があればいつでも動ける体勢は整えているつもりだ。ただ、肝心のガウディウムがそのように多忙なもので、なんとなく、まだ先送りにしてもいいか・・・まずは近衛隊を円滑に治められる様になる方が先決だ、と考えていた。
同様に、ヒュリ王との交流もこの上なく穏やかなものだった。
カダルフィユの周りには平和で温い湯のような毎日が続いていた。うっかりすれば国と王の運命など忘れてしまう。
しかし改めて思うのは、近衛隊という任務ながら、王を警護するという仕事が殆どない事だ。なぜなら、ヒュリ王御自身に仕事がないからだ。仕事がなければ、ヒュリ王は部屋から出てくることはない。従って、近衛隊が王の周囲の守りを硬くし、神経を張り詰めて警護をする事自体がないのだ。
とはいえ、王は一度襲撃された御身である。王の私室の周辺には、カダルフィユの就任と同時に哨務の者が一日中張り付いていた。
それにしても、と、カダルフィユは木刀を振り下ろしながら、王に思いを巡らせる。
今宵はぐっと暑い夜であった。一時の冷えた空気はまるで幻のように消え去り、湿り気のない乾燥した空模様が戻っていた。
相変わらず、ヒュリ王と邂逅したあの木立の中の小空間で素振りは続けている。
あの夜以来、王が忍んでくることはなかった。
カダルフィユはヒュリ王の元へ、昼の内必ず一度は顔を出すようにしていた。
空白のスケジュールを持て余しているだろう王は、カダルフィユ、そして時折帯同するガイコの訪れを大層喜び、それは一日の僅かな時間であったが、穏やかで心地よい一時を共に過ごしていた。
「子守り」と揶揄されれば、そのとおりだ。だが決して、嫌ではない。
ヒュリは引き続きカダルフィユとガイコがお気に入りで、そうでなくとも、ヒュリ王と一緒にいて不快な気持ちになる事はないので、その「子守り」は全く苦になるものではない。
仕事も無く、カダルフィユ、ガイコ、そしてマライカ以外とのふれあいも無く、ただただ、広く豪奢な自室に留め置かれているだけの王について、これは体のいい軟禁だ、とも感じていた。
これからは王のお姿を露わにしてゆく、とガウディウムは言ったが、それとて、そのような行事が頻繁にあるわけではない。
むしろこの頼りなげなヒュリ王のお姿は、逆に民衆の不安感を煽ってしまうのではないか、と心配にもなる。
など、つらつらと取り留めなく考えながら、カダルフィユは素振りを続けていた。
時刻は深夜に近い。
この空間には毎夜忍んでいるが、あの最初の夜のヒュリ王以外、ここを訪れる者はいなかった。
庭園はいつも変わらずひっそりと静まり返り、聞こえてくるのは微かな水音、そして自分の振り下ろす木刀が奏でる風の音のみである。
木刀を上げ下げすると、両腕の筋肉の盛り上がり、産まれた力が筋を移動してゆく様が、よく分かる。宵闇に映える、白い腕だ。「白獅子」と呼ばれている自分が色白であるのは分かっている。髪色ほぼ銀色の白金色だから、カダルフィユ自身も王の事ばかり言えないくらい、白いのだ。
ヒュリ王と自分が並び立つ様子は、きっと雪が降り積もった針葉樹が大小二本、ひょっこりと立っているような光景なのではないか。
せめてもう少し、ヒュリ様のお背が伸びてくれた良いのだが、などと余計な世話を考えながら、素振りを続ける背中に、急に「カダル」とヒュリ王当人の声がかかったので、カダルフィユは驚いて、木刀を取り落としそうになった。
「ヒュリ様」
つい直前まで考えていた対象者がいきなり現れたので、素直に驚いた。とりとめない考え事に没頭しており、背後の気配に気づきもしなかった。不覚である。
「ヒュリ様、ご機嫌よろしゅう。いかがなされました?」
ヒュリは最初の夜と同じく、白い絹の襦袢を羽織っていた。直前まで思い描いていたものと寸分違わず、白く細く儚げな姿だった。
「カダルがいるかもしれないと思って、部屋を抜け出してきたの」
「マライカ様は?」
「マライカは、今夜はいません」
またか。前回も、マライカ不在の隙にヒュリ王は部屋を抜け出し、ここに来たのだ。不在とは、どういう意味なのだろうか。
寵姫であろうものが夜に寝床から抜け出すとは。そして寵姫であるマライカは、側近の護衛でもあるのだ。また王の命が狙われないとも限らないではないか。
カダルフィユは眉を潜めたのに気付いたのか、ヒュリは慌てた声を出した。
「怒らないで。私がマライカに、自由に外へ出ていいと言ったのだから」
「そういう問題ではございません。マライカ様は一体どちらに?」
ヒュリ王を咎めてもせんない事だが、つい責めてしまうような口調になってしまう。
「怒らないでください。マライカは久しぶりに恋人のところに」
口に出してしまってから、ヒュリは、あ、という表情で唇を噤んだ。
「恋人ですって?」
「ご、ごめんなさい」
ヒュリ王は自分が叱られたように、首をすくめて縮こまった。
「申し訳ありません、決してヒュリ様をお咎めした訳ではありません」
しかし、寵姫マライカに恋人とは。ヒュリ王にその続きを聞きたいが、そんな事を赤裸々に問うてもよいものか、カダルフィユは狼狽えて、言葉に詰まってしまった。
「マライカにこの事は言わないでください。マライカは悪くないんだから」
「はあ」
なんとなく、向かい合って黙り込んでしまった二人は、どちらからともなくその場に座り込んだ。いつも通り脱ぎ捨ててあったシャツに腕を通しながら、カダルフィユはさり気なさを装って、問いかけた。
「マライカ様の恋人は・・・ヒュリ様なのではないですか?」
下草にをかき分けてちょこんと座っていたヒュリは、「え」と小さな声を上げた。
「ええと。マライカは私の寵姫と呼ばれているけれど、そういう、恋人同士のような関係はないのです」
妙には、感じていた。
ヒュリ王とマライカの関係はどう見ても、王とその愛人には見えなかった。外見の取り合わせを抜きにしても、ヒュリ王とマライカの間からは少しの色恋の甘い香りは嗅ぎ取れなかった。
それをカダルフィユは、自分がそういった事柄に鈍感だからなのだな、などと勝手に納得していたのだった。正にそれこそが鈍感であった、と、カダルフィユは少しだけ自分にがっかりした。口には出さないが、ガイコもとっくに気が付いているのだろう。
ヒュリとマライカは、例えるなら幼い姫とそれを護る騎士、または屈強な姉と弱い弟、という様相だった。
どのような言葉を返してよいか分からず、微妙な顔をして黙っているカダルフィユに向かって、王は話を続けた。
「マライカは私の大事な人で、私を護ってくれる人なんです。マライカは仕事だからずっと私と一緒にいてくれるけれど、そのせいで恋人に会えないのは可哀想でしょう?でも、これが誰かにばれたらきっとマライカは怒られるから、お願いだから誰にも言わないで」
「畏まりました。誰にも、言いません」
カダルフィユが誓うと、ヒュリ王はその隣で安心したように、ふう、と息を吐いた。
「ヒュリ様とマライカ様は、ご即位の時からご一緒なのですか?」
カダルフィユは、話題を変えようとしたと同時に、この際聞きたかった事を聞いてしまおう、という気持ちになった。
「そう、です」
ヒュリは木々に囲まれた夜空を仰いで、見えない星を探しているような表情になった。
「私がここに連れてこられたのは七歳の頃で、もちろん一人じゃなんにも分からないから、お付を選びなさいって、何人かと会わせられたんです。その中いたのが、マライカ」
「ほう、何故マライカ様をお選びになったのですか?」
「五、六人の女の人がぞろぞろやってきて、さあ好きな人を選べって言われて、それって相手に凄く失礼だよね。私は全然選べなくて困っていたのだけど、皆ニコニコ愛想笑いをしてる中で、マライカ一人だけ笑ってなかったの。私の事をじっと睨みつけてた」
「はは、成程。想像がつきますな」
「でしょう?だから、私はマライカを選んだんです」
「何故です?優しい人のほうがよかったのでは?」
「いいえ」
ヒュリは細い足を投げ出して、ぶらぶらと揺らしている。
「だって、見ず知らずのちっぽけな子どもが、いきなり王様です、って連れてこられて、しかも失礼な事をされて、それにニコニコしている人の方が、怖いと思わない?」
カダルフィユははっとして、ヒュリに視線を向けた。ヒュリはまだ、夜空を見上げている。その琥珀の瞳には、今何が映っているのだろう。
「だから、私はマライカがよかったの。それにマライカも朔月の出身だったから。そんなのだから、最初は凄く気まずくて。仲良くなるのには結構、時間がかかりました」
クス、と小さく笑って、ヒュリはカダルフィユに視線を寄越した。それでね、と続く思い出話に耳を傾けながら、カダルフィユは意外な発見に心を躍らせていた。幼子のようだ、と思っていたヒュリ王の、聡明な部分を見つけた。
「ヒュリ様がご即位された時の事を、伺ってもよろしいですか?」
「はい、なんでも」
「どのように、ご登城されたのですか?」
「ある日、突然お城から沢山の人がきて、貴方が王様ですって言われて、ああ、はい、って」
「ご自身で、迎えが来ることが分かっていらっしゃったのですか?」
「ええと、なんとなく。お城とは言わないけれど、私はどこかに旅立つのだ、とは思っていました。でも、さすがに母親はびっくりしていました」
「お母上は、その時どうしたのですか?驚いて、それから」
ヒュリは口をつぐんだ。しまった、踏込過ぎたか、と少し後悔する。もしかしたら、良い別れではなかったのかもしれない。
「答えにくければ・・・」
「いえ、そうじゃないのだけど」
ヒュリ王は、思い出を反芻して懐かしむ顔になる。それは至極、穏やかな表情だった。
To be continued・・・→