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王のサンクチュアリ  作者: 北乃 一
7/10

会遇

 カダルフィユは木刀を握り、早速素振りを開始した。踏込を意識しながら何度か続けると、次第に身体が温まってくる。ひんやりした夜風が心地よい。


 振り上げ、振り下ろすのにあまり力を使わない。肩と肘に気を使い、重心の移動を意識する。木刀とやはり真剣とは違う。たまには真剣を手に取りたいけれど、城内で振り回すことはやはり気が引けてしまう。

 それにしても、長い事使用してきたこの木刀も、大分年季が入ってきたものだ。毎日握る柄には、自分の手あかと汗が染みこんで、黒ずんでいる。身も傷だらけだ。そういえば、刀の柄の巻き直しをしたいと思っていた・・・など、あえて今日の出来事を関係ないことを考えた。

 本日起こった様々な出来事と全く関係がない事を考える。こうして、一日の一瞬でも無になる瞬間がカダルフィユには必要で、心が安らぐ時間帯でもあった。


 とりとめなく考え事をしながら、木刀を振り下ろす。シュ、シュという風を切る音が、宵闇の庭に響いた。微かに水の流れる音も聞こえてくる。庭の中央に据えられた噴水の音だろうか。この水不足が叫ばれているご時世に、贅沢なものだ。

 水音は耳に優しかった。刀を振り下ろすのに集中するにつれ、此の世の中で自分以外存在しないかのような心持になる。その感覚が、カダルフィユはとても好きだった。


 その集中を、何者かが破った。

 カダルフィユの背後で、ガサガサと庭木が揺れた。振り返り、植えこまれた灌木を確認すると、その不審な物音は右から左へと移動しているのが見てとれた。明らかに何かが植え込みに潜み、姿を隠して移動している様子である。

「何者だ」

動く何かに、声をかける。

 こんな夜更け、城の庭に、一体何がいるのだろう。ガサガサと庭木を揺らす音は止まったが、不審者はまだ奥で息を潜めているようだった。犬か猫なら結構だが、怪しい者であるなら一大事だ。


「何者だ」

再度声をかけたが返事はなく、カダルフィユは大股にその場所に近づいた。

このあたりに、何かがいる。

 目星をつけて、木刀を灌木の中に突き入れてみると

「あっ」

と小さな声が聞こえてきた。

「誰だ」

 今度こそカダルフィユは枝をかき分け、そこに隠れている者の正体を確かめようとした。


 覗き込んだカダルフィユの目に飛び込んできたのは、一人の銀髪の子どもである。その子どもは小さく身を縮めて、枝が払われた空間の中で、尚も隠れ場所を探して、あたふたしている。

「そこでなにをしている」

相手が子どもだったので、少々柔らかい声になった。だが油断は禁物だ。なにしろ近衛隊長による王暗殺未遂事件が起こったくらい物騒なのだから、子どもと思って軽視できない。


 カダルフィユは身を乗り出して、しゃがみ込み丸くなった子どもの襟首を掴んだ。

 子どもは白い襦袢を羽織っている。掴んだ襟首の、つるりとした感触から絹と分かった。高級な絹の襦袢を着用する子どもなど、どこぞの華族の子が紛れ込んだのだろうか。訝しい気持ちになりながら、掴んだ襟首を思い切り引き上げる。その子どもは驚くほど軽く、少し手足をばたつかせ抵抗を見せたものの、あっけなくカダルフィユの前に吊るされたのだった。


 だが、しかし、大人しく襟首を掴まれて吊るされた子どもの顔を見て、カダルフィユは驚愕した。

どこかで、この銀髪に出会っている。もがく細い身体の、白い首筋に見覚えがある。

 これは昼間、あの大広間で最後に見送ったものと同じではないか。その子どもは、これは、ヒュリ・ユヒ、ヒュリ王ではないか?

「これは、もしやヒュリ王・・・?」

咄嗟にどうしてよいものか分からず、カダルフィユは自分の主の襟首を掴んだまま、二の句がつげなかった。


「はい、私はヒュリ・ユヒです。どうか、離してくれませんか?」

「失礼いたしました!」

放り出すように王を手放し、カダルフィユはその場に平伏した。

 なんということ。まさかヒュリ王がこのような場所にいらっしゃるとは。猫の子の如く、王の襟首をひっ掴んで、吊るし上げてしまった。

「大変な御無礼を、申し訳ございません」


 続く謝罪の言葉を探して焦っていると、庭木をかき分けて、王が姿を現した。

 平伏したカダルフィユの前に、王の爪先が近づいてくる。王は襦袢の色と同じ、白いサンダルを履いていた。首筋と同じくらい、足首も細く白い。足首だけが宵闇の中で浮いているような錯覚を覚える。

 一体、何故こんな夜更けに、こんな場所に、王がいるのだ。

「本当に、申し訳ございません」

「こんばんは、あなたは、ええと、カダウフィ、レーカーズ?」

「カダルフィユ・レイカースと申します」


 カダルフィユはそのまま、王の爪先を見つめたまま、平伏を続けた。

 不意に風が吹きこみ、自分が上半身裸であった事に気付く。裸であるのに、稽古でかく汗とは違う汗を、じっとりとかいていた。このまま跪いているのが正解か、シャツを羽織るのが正解か、この場合、どちらが不敬ではないのだろう。


「見苦しいものを晒しまして、重ねて失礼いたしました。大変申し訳ございません。どうぞそのまま、お捨て置きださいませ。明日改めて、お詫び申し上げます」

 ところが王の爪先は、中々動かない。小さな足は、恥らっているような、じれているような様子で、小さく、まるでウサギのように足踏みをした。

 王がなにを求めているのか、わからない。

 これは、自分が先にこの場を下がらねばならぬのか、とカダルフィユは少しだけ顔を上げた。上げた目前には、襦袢の袖から覗く細い腕が、時計の振り子のように落ち着きなく揺れていた。


カダルフィユは決心して、

「失礼いたしました、私が先にここから下がらせていただきますので、処罰は明日、いか程でもいただきます」

「あ、あ、待ってください」

王はごく小さな声で、カダルフィユを引き留めた。少し掠れた、蝶の羽音のような声だった。

「あの、それは、刀ですよね?」

「はい」

「あの、触らせていただけませんか?」

「は?」

 予想外の返事に、カダルフィユは顔を上げてしまった。


 真正面から、こちらを見るヒュリ王と目がかち合ってしまう。ヒュリの琥珀と視線が絡み合い、カダルフィユは慌てて、視線を逸らす。

「申し訳ありません」

「全然、よいのです。・・・あっ、では、お詫びはいらないから、刀を触らせていただけませんか」


 再度叩頭したカダルフィユは、自身の横に、無雑作に転がっている刀に目をやった。木刀であるから、切れるものではないけれど、刀といえば刀である。はたして、これを王に触らせてもよいのだろうか。

 戸惑い、しばし無言でいると

「やっぱり、ダメでしょうか」

と頭上から降ってきた声が、益々消え入りそうに小さく、そして哀しみを伴った声音になったので、カダルフィユは、木刀にそっと手を伸ばした。

「汚れておりますが、よろしいでしょうか」

跪いて叩頭したまま、カダルフィユは両手を揃え、捧げるように木刀を差し出した。

「嬉しい!ありがとう」

王は先程の哀しげな声から打って変わり、今度は喜色に溢れた声を出す。音量は小さいが、その意外にも感情豊かな声に、カダルフィユは少し驚いてしまった。


 刀を受けとって、王はそれを構えるポーズをとった。

「これで合っていますか?」

 顔を上げると、目の前の小さな王は、それはきっと正眼の構えのつもりなのだろう、両手で握った刀を前方に突き出したポーズがまるでへっぴり腰なので、思わず吹き出しそうになるのを、カダルフィユは必死でこらえた。

「合っております」

伏し目で答えたが、それに対し王は、今度は不満を滲ませた声を出した。

「嘘ですね。あなたは笑いそうな顔をした」

「とんでもございません」

「正しい構えを教えてください」


 ここまで、短いやりとりだったが、先程無礼を働いたことを忘れ、カダルフィユは妙に楽しい気持ちになっていた。今まで感じていたものと、王の印象が全く違っていたからだ。

 こんな短時間でなにがわかるものでもないが、それでも目の前で嬉しそうに木刀を握るのは、ただの小さい少年だった。それは少し、カダルフィユを気安くさせた。


「では、失礼いたします」

王の間近に並び立つと、その背の低さ、細さが改めて実感できる。

 王の頭はカダルフィユの胸元までしかない。木刀を持つ両手も、ふっと一息吹きかけただけで折れそうな程、か細い。襟足から覗く首筋も柳の枝のようで、確かにこれでは、あの大きな礼冠を被るだけで頭がぐらついてしまっても無理はない。着用している白い襦袢や、月光を照らし返す銀糸の髪が、余計に華奢さを強調しているようだ。


 ヒュリ王は御年十六歳。来年に十七歳になるのだ。なのに、この小ささはどうだ。成長期であるから、来年にいきなり背が伸びる・・・などということはあるだろうか。

 カダルフィユはそんな事を考えながらも、最大限に気を配り、木刀を持つ王の手に触れた。木刀を持つ王の両手を包み込むようにして、柄の正しい持ち方に直す。触れた手は、予想通りひんやりとしている。そしてへっぴり腰に突き出しているものを、背筋を伸ばすよう、姿勢を正す。王の腰に添えた手から、その骨ばった細腰の儚い感触が、直接的に伝わってくる。


 ガンダルフィが構えの各所を修正しているその間、握りしめられた木刀は、もう支えられないという様に、ぐらぐらと揺れた。

「両手の間は拳ひとつ程の間隔を開けるように、体の中心と両の親指が一直線になるように、です」

「正しい握り方をするのは、とても難しいですね」

「慣れれば簡単です。本当はそれぞれの指に込める力の強さも違うのですよ」

「カダーふィはいつもこれで、剣の稽古をしているのですか?」

「稽古はまた別で」


そこで、王に聞かなければならない事があることに、ようやく気が付いた。

「ところで王様、一体、何故このような夜更けに、こんな場所にいらっしゃるのですか?」

そう問われたヒュリは、途端にばつの悪い表情になった。構えに気を取られている振りをして、都合の悪い問いかけが聞こえない風を装っているのが丸わかりだ。

「ヒュリ様、何故こちらにいらっしゃるのですか?」

「・・・今夜はマライカが、不在なのです」

「マライカ様が」

「はい、だから、ええと・・・」

王はもごもごと口ごもる。


 カダルフィユは王の答えを待った。

 回答に窮し、俯いた王の姿は臆病な草食動物を連想させた。ウサギ・・・先程連想したウサギに、やはり似ている。

 目の前のヒュリ王は、本当にウサギのような、か弱い少年だった。

 真偽の程が定かではない、禊の話。この少年が禊によって、厄災を祓い、吉事をもたらすのだという。この、細くて弱々しい少年が。指先で弾いただけて倒れこんでしまいそうな、この子どもが。

 もしかしたら稀代の大詐欺師かもしれない、この、ヒュリ・ユヒという、子ども。


 少し強めの風が吹き込み、カダルフィユは身震いをした。そういえば、未だに上半身裸のままである。このままでは本当に、無礼にも程がある。

「失礼します」

そう告げて、地面に放ったままのシャツを取りに行く。カダルフィユが湿気たシャツを羽織り戻ってくるまで、ヒュリは木刀を持ったまま、ぽつんと立っていた。

「お寒くはございませんか?」

ヒュリは、なにやら不思議な事を聞かれたかのような顔をした。

「いえ、あ、いや、少し寒いです」

「それではもう、お部屋に戻りましょう。お風邪を召すといけない」

「待ってください。もう少しだけ、ここにいさせてください」

「しかし」

「私は今夜、久しぶりに外に出られたのです」


「どういうことでしょうか?」

 ヒュリは、しまった、という顔をした。それをカダルフィユは見逃さない。

「このように、夜にお部屋を抜け出すことは、初めてではないのですね?」

「それは、はい。それは、ごめんなさい・・・」

 どういうことだ。マライカ・キキという側近の護衛は、一体なにをしているのだ。この王の様子だと、部屋を抜け出したことは、二度三度ではないのだろう。しかも、今は暗殺未遂事件直後ではないか。無責任、不用心にも程がある。そして、王が城内をうろついていることに、誰も気づいてないのか?不在のマライカは別として、他の警護の者は木偶人形か。

 ぐるぐる考え始めて無言になったカダルフィユを、ヒュリは不安そうに見上げた。


「あのう、マライカを怒らないでください」

「どういう意味ですか」

「マライカにも、自由はあります。いつでも僕の傍に控えているのは、気の毒です」

「しかし、危険ということをお自覚なさってください」

「でも、今日は貴方と会ったから、危険ではないでしょう」

 予想外の返事に、カダルフィユは絶句した。そういう問題ではない。

「このお話は、また今度します。今日のところは、これで終わりです」

ヒュリはまた、意外な程きっぱりとした口調でそう告げた。

「だから、もう少しだけ、剣を教えてください」

カダルフィユは、それに負けてしまった。


「これ、この刀は戦には使わないのですか?重いですね」

ヒュリは再び、へっぴり腰で木刀を振るい始めた。

「これは、ただの木刀です。戦には真剣を使うので、もう少し重量があります」

「これより重いの?ではこの次は、真剣を持たせてもらえませんか?」

ヒュリは、屈託ない笑顔をカダルフィユに向けた。

「いいでしょう?」

「しかし、真剣は危険ですから、できれば竹光を用意いたしましょう」

「あなたがいてくれれば大丈夫でしょう、カダ、カダルひユ」

何度目かの王の滑舌の悪さに、カダルフィユは思わず、プッ、と吹き出してしまった。

「あっ、笑いましたね」

ヒュリは夜目にも分かる程顔を赤くし、抗議をする。

「大変申し訳ございません。私の事はお好きにお呼びください。私の名は呼びにくいので」

「じゃ、じゃあ、私はあなたを、カダル、と呼んでもよいですか?」

「畏まりました」

「では、カダル。次は真剣を見せてもらえますか?」

 カダルフィユはしばし、逡巡した。この様子だと、はい、と返事をすれば、また明日にでも王は部屋を抜け出してここへやってくるだろう。マライカにも注意を入れなければならない。可哀そうだが、王の夜の徘徊を容認してはいけない。


「ヒュリ様、また夜にお一人でここまでこられるのは、近衛隊長として反対いたします」

途端に世にも哀しげな風情になった王へ、

「ですので、明日、私がお部屋に伺って、改めてのご挨拶と一緒に刀をお持ちするのはいかがでしょう」

そう言うと、憂いた表情は吹き飛び、あっという間に嬉しい笑顔となる。本当に、意外な程、表情豊かな少年だ。

「本当?わかりました!では私は、お部屋でお待ちしています」

カダルフィユは慌ててヒュリを引き留めた。

「お待ちくださいませ、お部屋までお送りいたします」

「大丈夫です。僕しか知らない、秘密の通り道から帰るので」

「しかし」

「では、明日!」

ヒュリはくるりときびすを返し、木立の中に向かってパタパタと駆けていった。襦袢の袖をひらひらさせたその後ろ姿は、薄宵の明かりの中で白い小動物が駆け抜けてゆくようだった。また、ウサギ、だと連想した。チイサナウサギは、植え込みに姿を消す前に、こちらを向いて小さく手を振った。


 後に残されたカダルフィユは、暫く、ぽかん、立ち尽くしていた。

 思いがけない会遇だった。赴任一日目にして、まだ対面でのご挨拶を済ませてもいないのに、ヒュリ王と出会ってしまった。


 なんとなく釈然としない気持ちもありながらも、自室に戻ると途端に睡魔が襲ってきた。身体を拭きもせずに、寝台の上にごろりと寝ころぶと、直ぐに瞼が閉じられた。

 心身ともに疲れていた。馬車に揺られ、ガウディウムの驚くべき話を聞かされ、謁見式に挑み、近衛隊に挨拶をし、王と出くわすという、なんと濃厚な一日だったか。

 明日はまず近衛隊と、今後の確認と打ち合わせをして、午後に王へ改めてご挨拶と御所望の真剣をご覧にいれて、それから・・・。

 少し考える間もなく、カダルフィユは深い眠りの底に沈んだ。


                    To be continued・・・→


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