夜の双子
※ ※ ※ ※ ※
その、密やかな声は、どこからともなく漂って、私の耳に忍び込んできました。
気づくと私はいつもの風景の中に、突っ立っています。ここは一面、砂の世界。四方八方どんなに目を凝らしても砂しか見えません。またここにきてしまった、と落胆した私の耳の中に、早速、彼らのお喋りが、ふわりふわりと忍び込んできたのでした。
春先、王城の庭に漂う綿毛のように漂うその声は、やがてはっきりとした輪郭と明確な意思を持って、私に嫌がらせを始めるのです。
「目玉は2個ある」
「耳と手と足も2個」
「心臓は1個だね」
「脳みそも1個だからね」
「失敗したね」
「失敗してしまったね」
そんな言葉の綿毛の束が、小さい矢になって私の後頭部に突き刺さってくるので、ああもう、と振り返ると、いつの間にかすぐ真後ろに彼らが張り付いているものだから、私は驚いて、あっ、と声をあげてしまいました。意地悪な双子は、私が驚いたことに嬉しそうな表情で見上げてきます。
「今夜はどんな御用なんです?」
と問いかけると、
「お前をどうやって半分こにするか、相談中なんだよ」
「喧嘩しないように、半分こにするんだよ」
双子はそう言いながら、ちょこんとしゃがみこむと砂を握り、その手で私に砂をぶつけてきます。投げられた砂は小鳥に突かれるよりも痛くないけれど、私が痛がる素振りをしないと、嫌がらせはいつまでも終わらないでしょう。
「痛い、痛い、やめてください」
私のこれが演技な事は、双子はよくご存じなのです。この一連の流れは3人の中のお遊びともいえました。最も、この双子は無邪気なのか邪気の塊なのか、未だに判断つきかねるので、お遊びと思っているのは私だけなのかもしれません。
「ああ痛い、やめてください」
私が一層大袈裟に演技をしました。すると双子は砂をぶつけることに、あっという飽きてしまったようで、
「心臓はどうやって半分こしようか?」
「脳みそはどうやって半分こしようか?」
と、相談を再開するのでした。
そう、ここは夢の中なので、実際は私も眠っているものだから、残念ながら頭の回転が鈍くなっています。夢の中でも寝ぼけているとは、可笑しな話です。ご期待にそえるような、面白いお相手ができなくて、双子には申し訳ない。
「退屈だなあ」
「退屈だなあ」
双子は黒目ばっかりの大きな瞳をギョロっとさせて、今度は私の両の腕にぶら下がり始めました。私は貧弱だから、彼等2人のその重みだけで、へたへたと倒れてしまうのです。演技ではなく、本気で倒れこんだ私の上に、双子がキャーと笑いながら、砂を被せてきました。ああ、これでは本当に埋まってしまう。やめてください、やめてください。
「早くお前を喰いたいな」
双子が声を揃えて、空腹を訴えてきます。
「ばりぼり喰ってやる」
「びちゃびちゃ喰ってやる」
双子が歌うように、空腹を訴えてきます。
「砂まみれだと、美味しくないですよ」
少し抵抗してそのように言うと、それが癇に障ったか、双子たちはいよいよ激しい勢いで、砂を被せてきました。
「後もう少しのご辛抱でしょう。いい子にしてお待ちなさいませ」
「生意気な」
「生意気な子供だ」
私に口答えをされた彼らはむっとした表情になり、更に砂をかぶせてきます。乾いた砂が私の口の中に流れ込む。困ったな、これでは息ができなくなってしまうではないか。でも、ざらざら、ざらざらと、口の中に注がれる砂は何故か甘くて、私はなんだか、もうこれで喰われても良いような心持になってしまうのでした。
「ほら、ほら、もうすぐ、もうすぐ、お前もおんなじになるんだよ」
※ ※ ※ ※ ※
ぱちり、と瞳が開き、ヒュリは楽しくもなんともない夢の世界から、解放された。
唐突な覚醒の為、自分が砂の空間から飛ばされて、今どこで何をしている状態なのか、すぐに把握できずに混乱した。フウ、フウ、と浅い呼吸を繰り返して暫く、夢と現実の境目が、ようやくはっきりする。
そっと寝台の上に起き上がり、あの双子がシーツの裏に隠れていないか、毛布の奥に潜んでいないか、確認の為にぱたぱたと手で払ってみる。ヒュリの寝台は、何回転寝返りをしても落ちない程に広大で、遠い向こう端までは容易に手も脚も届かない。確認する為にそこまで移動するのは、正直面倒だ。それに今宵は、久々に肌寒いくらいの気温だった。だから、たとえ寝台を囲む天蓋の向こう側を双子の影が走り向けていったとしても、気づかないふりをして、狸寝入りをしようと決心した。
それにしても、寝つきが悪いヒュリが、珍しく早く入眠したこの夜を狙って嫌がらせをしにくるなど、やはり双子は意地悪だ。
明日は早起きをしなくてはならないから、早くに床についたというのに。また眠れるだろうか、と不安を抱きつつ、ヒュリは柔らかい毛布を身体に巻き付けた。
と同時に、何者かの影が天蓋の外に揺らめいた。しかし、差し込む月光に映し出された影は、双子のものではなかった。ヒュリは、一瞬毛布を握りしめた手の力を緩めた。
「ヒュリ様」
マライカの低い声が、ヒュリの名を呼んだ。
「はい」
と、返事をしたヒュリの声は掠れていた。
ヒュリの名前を呼んだ影は、一旦寝台の傍を離れて、また直ぐに戻ってきた。
「開けてもよろしいですか」
「はい」
返事をすると、レースの天蓋がそっと開き、マライカが顔を覗かせた。 月の光を背にこちらをのぞき込むマライカの顔は、いつもより一層浅黒く、そのせいで白目の部分が際立って見えた。あの双子と大違いだ。
「水を飲まれますか」
マライカが身を乗り出して、長い腕で水のグラスを差し出してくる。そのグラスを素直に受け取って、一口水を含んだ。肌寒いと思っているくらいだから、実は水は欲しくなかった。けれど、せっかくのマライカの心遣いを無駄にしたくない。水を断ったからといって、がっかりするようなマライカではないが。
「どうもありがとう」
殆ど減っていないグラスを返すと、マライカは深く頭を下げ、また天蓋の外へ姿を隠した。
夜、いつもマライカは次の間に控えてくれている。それが心配して寝室までやってくるとは、よほど自分はうなされていたのだろうか。とぼんやり考えながらマライカの影を見送る。大きな影がゆらゆらと寝台から遠ざかっていくのが無性に不安に感じられた。
窓から差し込んでいた月光が雲に遮られたのだろうか、不意に途切れてしまったので、寝台が暗い湖の底に沈んでいるように感じられた。
ヒュリは慌てて、遠ざかる影に声をかける。
「マライカ、待って」
「はい」
「添い寝をお願いできせんか」
「かしこまりました」
黒い影がくるりと振り返り近づいてくる気配がする。待つ程の事もなく、天蓋の隙間から大柄な姿が現れた。
マライカが寝台の上に半身を乗せると、重みで寝台が波打つ。ギシ、と少し軋むのが、それがマライカと一緒に眠れるなによりの証拠なので、ヒュリはそれだけで嬉しくなってしまう。ヒュリにとっては小ぶりな庭くらいにも思えるこの寝台は、マライカの一人や二人余裕で寝転がれる。それでもスペースを開けようと、ヒュリは少し移動した。とたんに敷布の冷たさを感じて、足を縮める。
マライカがするりと寝台の中に体を滑り込ませてきた。ヒュリの隣に横たわり、頭の下に腕を差し入れてくれる。枕にしては固すぎるその腕に頭を乗せると、闇夜のように黒いマライカの髪がさらさらと流れ、先程と同じく、瞳が僅かな月光の残り香を反射して、キラリと輝いた。
夜のマライカは、いつものいかつくて硬い革の上着ではなく、柔らかな襦袢を羽織っている。だからヒュリは、安心してその体に抱き締められた。ヒュリの細い身体は、マライカにすっぽりと包まれる。 ヒュリはいつでも体温が低い。その冷たい身体にマライカの温かさがじんわり染み入ってくるのが、真冬に浸かる風呂のようで、心地良い。
マライカはいつもよりほんの少し優しげな顔をして、腕枕のついでように頭を撫でてくれた。それがとても慈しまれているようで、ふふっ、と思わず笑ってしまう。
「明日の謁見の為に、早起きをしなければなりませんよ」
マライカの低い囁きが、吐息と共に耳元をくすぐる。
「はい、わかっています」
「明日お目見えの新しい隊長は、『白獅子』と呼ばれているそうです」
ヒュリを寝かしつけるための寝物語のつもりか、マライカは小声で話しを続ける。
「しろじし?」
「美しい白い獅子のような青年で、優秀な上に腕も立つのだとか」
「ふうん」
美しくて強くて優秀、全て私と正反対。
「もう、いいのに」
「なにがです?」
「私を護ってくれる人は、マライカだけでいいのに」
「儀礼ですから、しょうがありません」
「じゃあ、今度は仲良くなれるといいな・・・」
マライカは、それには無言を返した。そして、もう寝なさい、というように、頭を撫でてくれていた手が、ぽんぽんと心地よいリズムを刻み始めた。もっとマライカと話していたいけれど、本当に眠らないと、明日が辛い。寝不足でもそうでなくても、城の大広間に出てゆくことが辛いのは、変わりないのだけど。
ヒュリは眠ることに集中しようと、そして、ふたたび双子が嫌がらせに現れませんように、と願いながら、マライカの胸に顔をうずめた。
To be continued・・・→