第三試合 サンボVSボクシング 1
第三試合。
E威武鋤雷太。サンボ。二十六歳。身長一八四センチ、体重八十キロ。青のカラー道着。オープンフィンガーグローブ。
Fフェメニコ・ディモランテ。ボクシング。二十二歳。身長一七九センチ、七十キロ。トランクス。ボクシンググローブ。
『さあ、第三試合です! これも打撃VS組技ですが、これまでとは違い空手ではなくボクシングとサンボ! 今――始まりました! 色白の威武鋤と浅黒い肌のフェメニコ、非常に対照的です! 体つきも、がっちりとした威武鋤に対しフェメニコは筋肉質ながらも細い!』
サンボの威武鋤は、顔面を守りながら姿勢を下げた。タックルの予備動作で、体を小さく揺すっていく。
(行くぜ……向こうはたかが腕二本での殴りっこだ。勝てる。勝てるぞ)
大してフェメニコは警戒にフットワークを刻みながら、威武鋤から距離を取る。
(いい体だ。ボディではそう決まるまい。いかに頭を打てるか、だな)
『しかしよお、ボクシングってのは組まれちまったらどうやって脱出するのかね』
『一度捕まると、かなり難しそうに思えますね! その辺りが勝敗の分かれ目でしょうか! 威武鋤は、いかにフェメニコのパンチをかいくぐって組み付けるか!』
『かいくぐれるかねエ。ボクサーのパンチが、他競技者に』
『それでは、かわせずとも二三発耐えて食らいつく、となりますか?』
『耐えられるかねエ。ボクサーのパンチが、他競技者に』
組んでしまえばどうにかなる。威武鋤には自信があった。
先ほどの空手家の滅茶苦茶な脱出方法には面食らったが、種が知れてしまえば対応は可能だ。しかも今の相手においては、手に綿入れを着けている。組んだ状態から反撃されることはまずあるまい。威武鋤はそう踏んだ。
フェメニコのことは威武鋤も知っている。
自分よりも二階級も上のボクサーを、スパーリングで瞬殺したらしい。それも、そこら辺のザコではなく、世界ランカーだと言うではないか。しかも、初めてではないという。
だが、だからといって異種格闘が強いかといえば別問題だ。タックルの隙を窺いながら、威武鋤は顔面を意識してガードした。
フェメニコにも、当然危機感があった。体格で勝る相手に捕まれば、少なくとも無傷では済むまい。タックルの外の間合いを守りながらサークリングし、試合場を広く回る。
威武鋤が、間合いを詰めた。顎先のガードを更に強く固める。
打撃系との格闘は、組技が有利だとよく言われた。数発を耐えて懐に潜り込めば、打撃系にできることはない。そしてある程度の体格の人間が突進すれば、大抵の相手には組み付けるものである。
だが素人ならばいざ知らず、このレベルになればその数発が命取りになることもあるのだ。
組む前には必ず、打撃の展開を踏まなければならないことも、また事実である。
威武鋤も打撃の練習はしている。だが、ボクシングのトップランカーレベルには遠く及ばないだろう。
下手に手を出すより、捕まえるその瞬間までは、両腕は防御に徹することにした。
威武鋤は、一足飛びにフェメニコを捉えられる距離まで近づいた。そこは、ボクシングのリードブロウの射程圏内でもある。背中を冷汗が流れた。
フェメニコもまた集中している。このサンビスト、ジャブで止められるか? いや、そんなに甘いタックルではあるまい。アッパーで起こせるか? いや、この体格、この低さでは撃ち抜けないだろう。ならば……
『高まる緊張感! 二人の戦術は、今どのように頭で描かれているのか! おおっと、ここで動いたア!』
威武鋤が前へ跳ねた。
フェメニコの両足を刈り取るようなタックル。ボクシングでは想定すらされない技。
だが、小さなアクションで隙なく抱えに行ったはずの、威武鋤の両腕が空を切った。
(馬鹿な)
にわかには信じられなかった。サンビストである己の突進よりも、フェメニコのバックステップの方が速かった。
そして威武鋤の両腕は、この試合で初めて自分の顎を離れている。
いけない、と思った時には顎先を下から打ち抜かれていた。ショートアッパーか、と悟る間もなく、顔面にジャブが刺さる。必死で体をよじると、顔面のすぐ前を右ストレートが吹き抜けた。かわせたのは、勘というより偶然に近い。
「ぐおおっ!」
全力で跳びすさり、再びガードを固める。
両者の距離が開いた。威武鋤は肩で息をしていた。下手をすれば、今ので終わっていた。顎先と頭の後ろが熱く痺れている。
一方フェメニコにすれば、決めに行ったコンビネーションだった。仕留められなかったことに、胸中で舌打ちする。
『い、一瞬の交錯ーッ! 速い! 速いフェミニコ! これは、威武鋤には捕まえようがあるのでしょうか!? さすがボクシング! 優勝候補筆頭です!』
威武鋤はまたもタックルの体勢に入った。間違っても打撃で勝負できないことは、今思い知った。
ここに来て、威武鋤は己の不利を悟っていた。ボクサーには道着がない。掴んで手繰りたい腕は、敵の全身のうち最も速く動く部分だ。足のスピードも桁が違う。おまけに向こうは着衣など関係なく殴りたい放題。顔面に入れられれば意識が飛ぶ。
(どこが組技有利なんだよ、えっ)
苦笑いが顔に出た。
そうしているうちに今度は、フェメニコの方から距離を詰めていく。
(ダメージがある内にたたみかけたい。あの体格のサンビストは、やはり脅威だ。軽い奴なら、今の二発でも意識を飛ばせていた)
小さくステップを刻みながら、フェメニコが寄る。その中で細かく肩や拳を動かし、パンチの出始めがいつなのか、タイミングを読ませないようにフェイントを入れた。
威武鋤には、フェメニコのグローブが、綿入れどころか大砲の弾のように見えていた。素手の空手と戦ったことは何度もある。だが、どんな素拳よりも、このボクサーのグローブの方が脅威に感じる。それが、いつ何発飛んでくるのか分からないのである。
(かわそうなんてのは、無理だ。耐えるしかない。そして狙うのは――あそこだ)
フェメニコが、リードブロウの左を出しながら飛び込んできた。
威武鋤は己の左肘の裏を顎先に添えた。顎以外は全て、タフネスで耐えるつもりだ。前傾して少しでも打たれる場所を狭めながら、己の狙いはフェメニコのある一点に絞っている。
(フェメニコの――ボクサーのコンビネーションが始まれば、顎だけを守っていても耐えきれまい。そして、奴の速さに速さで対抗しても捕まえられない。ならば狙うのは、ボクサーの生理だ。つまり――)
フェメニコの左は、距離と打点を探るように、威武鋤の額を打った。
その拳が戻る時。
コンビネーションの起点。踏み込んだ瞬間は動けないという人間運動の構造。パンチは出した場所に引き戻すというボクシングの決まりごと。
全てを満たすチャンスが、その一瞬に重なった。
威武鋤が右腕を伸ばす。ただ一点を狙った大きな手のひらが、あやまたずその目標――フェメニコの左肩をガシリと掴んだ。
まるで鉛でできた網に絡み付かれたような感触に、フェメニコの汗がすっと冷える。
(何だ! こいつは何を狙っている!)
『掴んだ! 威武鋤が掴みました! しかし裸の肩です、ここから入れる技などあるのか!? そもそもグリップできるのか!?』




