盤外戦 1
「それがどうしたッ!」
「いやあ、誤解されちまうんじゃねえかと思ってな。空手ってのは、こう……真正面からのブン殴り合いでは勝てねえ、なんて風にな」
「その通りだろうがッ! 打撃系に限っても、空手が異種格闘で勝った大会がいくつある!」
「打撃系の大会? ああ、肘も膝も掴みも頭突きもなく、手にはグローブはめて叩き合うやつかい」
「減らず口をッ!」
キム・グオインが踏み込んだ。三メートルほどの距離が一瞬で詰まる。
だが、詰まり過ぎた。我終院もまた踏み込んでいたのだ。
キム・グオインが足を振り上げる前に、近距離での我終院の左中段下突きが、寸分たがわずキム・グオインの右アバラに突き刺さる。
「せええいッ!」
我終院が気合いを吐き、二発、三発、更に続けて中段突きを入れる。
キム・グオインが反撃を試みたのは、二発目までだった。
三発目からは戦意に逃避衝動が勝り、体が委縮し固くなった。この時、キム・グオインの勝ち目が消えた。
どの道、アバラを痛めて出せる技は、テコンドーには多くない。
左のアバラと右鎖骨にもヒビが入った時、キム・グオインの体が崩れ落ちた。
「おや、どうした。肘も膝も掴みも頭突きも使ってねえのに、もう終わりかい」
何を言われても、キム・グオインが立ち上がる様子はない。ただ、地面を向いてぐんにゃりと座ってうめいている。
「そこまででいいでしょう。次は僕だ」
マイク田之上が歩み出た。両手にはボクシンググローブをはめている。
「僕の持論ですがね。ボクサーというのは、グラブをはめた方が強い。人間の顔面――頭蓋骨というのは、急所ではあるが大きな骨の集まりだ。それに、拳などという細かい骨の集合体を叩きつけるのが合理的とは思えない。実際、顔面を殴る格闘技のパンチはほとんどが手打ちだ。自分が骨折しないようにね」
「まァ、一理あるな」
「これから教えてあげますよ。合理的打撃というものを」
「そういうセリフ吐く奴は、不合理に負けるぜエ」
マイクがステップワークを刻み出す。
対する我終院は、左足と左手を前に軽く突き出して僅かに腰を落とした。フットワークなど度外視した、極端な半身の構えである。
「カラテカさん。それは、古くて、少なくとも僕を相手にするには向かない構えですよ」
「ああん? 坊主、本気で俺に勝てると思ってんのか」
マイクが、小さいジャブと、ジャブのフェイントを入れる。
「いやあ、やってみないと分からないんじゃないですか」
「ねえよ、万に一つも。お前みたいなガキ、車に積んで枡で計るほどブチのめして来たんだぜ。お前も今からそうなるぜ」
マイクは不敵に笑っていた。とても今から、百戦錬磨の猛者と一戦交える――いや、既に交え始めている顔には見えない。
マイクが、浅い弧を描きながら我終院に接近した。拳の触れる距離である。
マイクは更に探り針を入れた。まだ当ててはいない。
その時、我終院が動いた。マイクは、おやと気付いた。いつの間にか、我終院の重心が前に出ている。
そう思った瞬間には、我終院に懐に入り込まれていた。空手家の頭が、マイクの胸についている。
「何だとっ!?」
その時、一回戦の治療を終えていた榮倉雅心が横合いから叫んだ。
「館長が膝を抜いた! 無拍子の一歩目を高速で踏み出して、一瞬で接近する技術だ!」
二人の体がほとんどクリンチのように重なる。我終院の太い左腕は頭部を守っていたが、ここから体を離しつつ我終院の頭部を打ち抜くパターンが、マイクの頭には瞬時に七種類浮かんだ。
だが、空手の方が速かった。
我終院の右拳が、マイクの左の太腿に真上から打ち下ろされ、着弾する。
マイクは、まるで鋼鉄の杭が打ち込まれたような激痛に、一時自失した。我終院の拳の出所とマイクの胴体は密着していて打撃不可能に思えたが、マイクの胴や頭ではなく腿までならば、我終院には打撃可能な距離が空いていたのだ。
そこから瞬時に、我終院の両腕が役割を入れ替える。右腕が頭の急所をかばい、左腕は低空の鉤突きを、これも打ち下ろし気味に打つ。それがマイクの右太ももに、外側から突き刺さった。
体はややかがんでいても、我終院の両足はしっかりと地面を噛み、拳は腰から始まる回転の威力を満々と湛えている。マイクは、素手で足を強打されたことなどない。初体験の、異常な痛みだった。
「ぐおおおッ!」
「わりいなァ。個人的には、ボクサーの脅威ってのは拳よりもむしろ足の方でね。とは言え、俺も神滅館の館長だ。両足もがれた敵には、こっちも蹴りは使わねえでおいてやるよ」
待て、何を勝手なことを言っている、とマイクは胸中で叫んだ。
蹴りを使わないとは言っても、空手だろうとボクシングだりうと、拳での打撃というのは、根本的には下半身からその威力を生む。
しかし両足が効かなくなれば、ボクシングのフットワークはおろか、体重移動もできない。全てのパンチが手打ちになってしまう上に、ろくに防御もできない。かがみ込みものけ反りも、上半身だけで成立する技術ではないのだ。
足が死んでしまうなど、聞いていない。これでは合理的な打撃など不可能ではないか。
「行くぜ」




