その17
サールスペーリの樹皮や葉には、狒々神の角の強すぎる力を弱める効果がある。
『実験場もしくは処刑場』
ノアの想像のどちらが正しいか分かった気がした。
ここはきっと実験場だったのだ。
狒々神にたいする印術の効果の検証と、その体の一部を素材とした薬の研究をしていた。
ここはそのための薬草園なのだろう
私は懐剣を取り出すと、サールスペーリの樹皮を剥いだ。
扉をこじ開けるのに使ったせいで刃はひどい有様になっていたが、剥がれかけの樹皮を割くのに問題はない。
角が入った鞄に入れる。
これで、万一ノアやルツやラグナルが魔力を使いすぎても対処できる。
それにしてもよくもこれだけの植物が枯れずにいたのものだ。
植物を育てるのに欠かせないのは、光と土と水。
どうやって水を供給しているのか、という疑問はすぐに晴れた。
土中から水が湧き出している場所を見つけたのだ。
そこ以外にも、所々に明らかに他よりも土中の水分量が多い場所がある。
なんらかの方法で地下の水脈から水を汲み上げ、植物園全体に行き渡るようになっているのだろう。
こんな状況でなければ植物をじっくり見て回りたかったが、そうもいかない。
出口と、灯りをとれるものを探してまわる。
壁を覆うツタを払いながらぐるりと壁を見て回る。
その途中に薬の研究が行われていた証拠をみつけた。
さじに釜に薬研に乳鉢、植物の絵が描かれたつるつるとした紙のような資料。ぱらりとめくって、興味深い絵をみつけた。文字は読めないから、絵だけで推測するしかないが、私の推測が正しければこれはキノコの栽培の様子だ。
妙に弾力があるその紙をくるくるとまいて鞄にしまう。
それからまた出口探しだ。
結論からいうと出口はなかった。
大量に狒々神が眠る部屋を探索しなければならない。
手頃なサールスペーリの枝を一本拝借すると、枯れ枝を集めて蔓で固定する。
旨い具合になっていたたっぷりの油を含むマッツ草の種をとり、道具を借りてすりつぶすと、枯れ枝に染み込ませた。
ルツとノアがいれば簡単に火をおこしてもらえるが、一人だとそうはいかない。
樹皮の一部を細かく削ると、火打石を取り出す。
「あら、火がいるの? まかせて」
さあ、火をおこすかと石を構えたところで、背後から聞こえた軽やかな少女の声。
ぼっと音をたてて燃えた松明から、目を離し、振り返る。そこにいるはずのない人……魔女を認めて、目眩がした。
「あの……リュンヌ?」
「お礼ならいいわよ。火をおこすぐらいなんでもないもの」
そりゃあ魔女からしたら呼吸をするより易しいでしょうよ! じゃなくて!
「なぜ、ここに……」
「貴女たちの帰りが遅くて、ちょっとした騒ぎになってたから、見に来たの」
見に来たのって、そんな簡単に……。いや、うん、魔女にとっては鼻歌を歌いながらこなせてしまうことなんだろうけど。
「明日には捜索隊が入るみたいよ。アガレスとバアルからも派遣されるそうだから安心ね」
安心?
アガレスのバアルも名うての冒険者を抱えるギルドだが、そう簡単にここにたどり着けるとは思えない。
「あとは、救助が来るまで彼らが持ちこたえられれば大丈夫よ」
彼ら。は考えるまでもなくラグナルやキーランたちのことだろう。
「持ちこたえる……とは?」
恐る恐る訪ねた問いに、リュンヌは笑顔で答える。
「それはもちろん、狒々神からね」
「すみません、ちょっと失礼します!」
リャンヌの言葉を聞くや否や、私は松明を手に駆け出した。
数十体の狒々神が眠る部屋に戻る。
「……え?」
さっきまで真っ暗だったその部屋は明るく照らされていた。
皆がいる下層の部屋や、植物で溢れかえっていた隣の部屋と同じ、光石が天井に埋め込まれており、それらが光を放っていたのだ。
しかし、光っているのは全体の三分の一ほどで、それらも時折不規則に点滅していた。
呆然と立ち尽くしていると、遠くで音がした。
見れば、狒々神が眠る透明な容器が一つ、下がっていく。
「だ、だめだめ。待って」
松明を放り出すと、私は走った。
この場所へ来る羽目になったあのとき、狒々神を送り込むための8個の容器は全て一緒に天井の中に戻っていた。だから、終わったのだと思っていたのだ。
実際、この部屋にきてからは、仕掛けが動く音は聞こえなかった。
「とまって! とまりなさい!」
床へ吸い込まれていく容器を拳で叩くがビクともしない。
あっというまにそれは私の目の前で床下に消えた。
「ついさっき動力がもどったの。不安定だけど」
リュンヌの声が少し離れたところから聞こえる。
「イーリス、こっちにいらっしゃい。彼らの健闘でも見物しましょ」
彼女は部屋の中央に立って、足元を覗き込んでいた。
倒けつ転びつ、そこに向かう。
いったいどういった絡繰なのか。中央の石のいくつかが透き通り、下層の部屋が見渡せるようになっている。
私がそこにたどり着いたときには、すでに狒々神は屠られていた。
角を折られた首が剣を構えた、ラグナルの足元に転がっている。
左の羽は切り落とされていた。しかし右翼がだらりと背中から垂れ下がっている。
その横ではウォーレスが抜き身の刃を睨みつけていた。
剣が、もう限界なのだ。
いや、剣だけじゃない。彼らの体力も気力も無限ではない。
救助を待っていたのでは間に合わない。
透明な石を叩いた。
「ラグナル! キーラン! ルツ! ノア! ウォーレス!」
名を呼んで石を叩く。しかし、硬い感触が返ってくるだけで、下層の皆に気づかれもしない。
「これね、たしか下からは見えないのよ」
便利よね。と呑気なリュンヌの声。
「みんな! 気づいて!」
リュンヌの言葉を無視して、私は石を叩き続けた。
剣を鞘に戻した、ラグナルが腕をのばし、掌を頭上にかかげる。
もしかして、気づいたのだろうか? と思うもどうもおかしい。
彼は私がいる場所ではなく、今しがた狒々神が降りてきた天井に掌を向けていた。その中央に白い光のような球がうまれる。かと思えばそれは勢いよく天井に向かって打ち上げられた。
音はしなかった。振動もない。
それでも彼が黒魔法を放って天井を壊そうと試みたのだとわかる。
2発、3発、続けて放たれる魔力球。
ノアが口を大きく開けて、ラグナルに何か言っている。
恐らくラグナルを止めているのだろう。
キーランもまたラグナルに向けて抑えるよう指示する手振りをしていた。ウォーレスはうんざりといった表情をうかべ、祈るように胸の前で短杖を握りしめるルツの隣に移動する。
階下をよくよく見渡せば、数多くの石が変色していた。
高音で焼かれたあとのようなそれらは、きっとラグナルによって付けられたのだろう。
そのおびただしい数を見れば、手当たり次第に黒魔法を放ったのがわかる。
人間の魔術師ならとっくに魔力切れを起こしている。
ヘマしてはぐれといて、なんだけど……
やっぱりダークエルフこえええええええ。




