その14
中心にいくほど深い。
ノアの言葉に私は殴られたようなショックを受けていた。
「あの、ノア? 支配の印って中心にいくほど深いの?」
隣に立って、小さな声で尋ねれば、「はあ?」と大声で返される。
「当たり前でしょ。常識……って、知らなかったの?」
ノアは信じられないという顔だ。ルツもまた驚きに目を見張っていた。
「イーリスって、イーの一族、それも当主の妹だよね?」
呆れ顔のノアから確認するように言われて「一応」と頷く。
イーの一族の悲願。それは臍に刻まれた支配の印の解除である。
でも私はそんなものには興味がなかった。解けなくていいと思っている。だから支配の印について深く学ぼうとしなかったのだ。
しかも解術師としての力は兄とは月とスッポン。単純な契約印の解除にもいちいち高価な金平石を使わなければならない。支配の印の解呪に挑んだのはラグナルのあれが初めてだった。ラグナルの印が特別な構造だと思っていたのに……
「対狒々神戦の対処法とか知ってんのに、印術の基本知らないとか……。知識偏ってない?」
反論できない。
暇を持て余し、蔵書を読み漁った時期があった。けれど、解呪の本ならいざ知らず、力を封じられているため行使できない印術の本よりも、魔獣や神話、文化、風土を記した書物のほうが読んでいて楽しかったのだ。
「素材、どうする? 拾っとくか?」
ウォーレスが切り落とされた角に手を伸ばした。重さを確かめるように、二度三度、宙に放る。
「このぐらいなら、邪魔にならんか。イーリスさん」
私にその角を投げてよこす。
「魔力回復薬になるんだろう? 持っていてくれ」
なるにはなるけれど、今は器具と素材が足りない。細かく砕いて、薬草と共に煮込み、効能を薄くしなくてはならない。狒々神の角は人には強すぎるのだ。
あまりに貴重な素材なので、ジーニーの元で扱ったのは一度だけ。サルースペーリの樹皮と煮込むのが一番だが、枝が無ければ葉でも代用可。ただし摂取量には細心の注意が必要だ。
角を鞄にしまいながら、手持ちの薬草を思い出すが、代用できそうなものはない。
「戻ったら生成できるけど、この中じゃ無理だよ。ラグナル、ルツ、ノア、魔力回復薬はいくつか持ってきてるけど、これは期待しないで」
三人は揃って首肯した。
「それにしてもさぁ……」
広い空間をぐるりと見渡しながら、ノアが口を開く。
「ここ、なんなんだろうね?」
眩く輝いていた石は光を失い、今の光源は魔術師姉弟が作り出した魔力の明かりのみ。
ゆらゆらと明滅する、その光に照らし出された場所はより一層不気味に見えた。
「俺の記憶が確かなら、階段が現れたのは狒々神のレリーフがあった場所だ。イーリスさんよ。あんた確か、レリーフを見て言ってたよな? 構図がおかしいって」
ウォーレスの問いに私は頷く。
あの時感じた得体の知れない違和感。今、それがはっきりとした形になって目の前にある。
「魔術師は狒々神に術を放っているようだったのに、狒々神は正面を向いていた」
私は言葉を切ると、狒々神の印術の痕に視線を落として言った。
「あれは、短杖を持った魔術師……印術師による狒々神の使役の様子なんだと思う」
ありえないと何度も否定した。
けれど狒々神の背に、はっきりと証拠が刻まれている。
狒々神を使役した印術師が、かつてこの大陸に存在したのだ。
かつて、今よりも高い技術を誇った時代があったのは確かだ。
現存する印術は小動物を操るのが精一杯。
しかし遺跡には、侵入者を排除するための絡繰が存在する。数百年、下手をすれば千年以上の時を経ても作動する呪はとうに失われた技術である。おそらく今の大陸の言語では発動不可能で、それゆえルツは古語の研究のため、遺跡探索に熱心だった。
それでもこれまで見つかったのは、意思のない絡繰に、侵入者の排除という単純な命令を施したものや、触れたものに呪印を発動するといったシンプルなものにすぎない。
意思をもつ魔獣、それも狒々神を使役するとなれば、禁忌を犯したイーの一族に優るとも劣らない力といえるだろう。
「何言ってんの? 狒々神を使役だなんてありえない――って言いたいとこだけど、目の前に印術のかけられたこいつが転がってたんじゃ否定する余地はないね」
ノアは忌々しげに舌打ちをして、言葉を続ける。
「ここはさしずめ、実験場。もしくは処刑場ってところかな」




