その11
「この石、なんだろう」
ノアがスタッフを持ち上げて、天井の光る石を軽く叩く。コツコツと軽い音がした。
「俺も初めて見るなぁ。キーランは?」
「俺もだ」
ウォーレスの問いにキーランも首を捻った。
「話には聞いたことがある」
ラグナルの言葉に皆が彼を見る。
「昔、まだ人間の国が一つか二つしかなかったころ、光苔と水晶を合わせて石にする錬金術師がいたそうだ」
この大陸に現在存在する国は大小合わせて三十ほど。その昔が、どれほど昔の話なのか想像がつかない。
「錬金術って、眉唾じゃなかったの!? 嘘でしょ。じゃあ貴金属が作りたい放題ってこと? 一生スタッフの素材に困らないじゃん」
錬金術で作るのが、金じゃなくて、スタッフの素材。ノアらしいと言えばノアらしい。
「お前……なんだかんだで発想がボンボンだな」
同じ感想を抱いたらしいウォーレスがくっくっと笑う。
「うるさいよ、ウォーレス」
そんなウォーレスを横目に見ながら、ノアはくるりとスタッフを回すと細い先端で光石の縁を突く。
「これ取れないかなー。一つ持って帰って研究したい」
やはり姉弟である。
「お前ね。さっきルツに崩れるかもしれないから、やめろって言ってたよな?」
いつもなら制止に回るルツは、気まずげな顔で視線をそらしている。
「踏んだら発動するような地味な罠と、これの価値は天と地ほど違うと思うけどね」
言いながらもノアはスタッフを持ち直した。
「ルツ、術の気配はどうだ?」
「今のところはありません」
キーランがルツの答えに頷く。一行は再び歩き始めた。
壁面のレリーフは様々なものをモチーフにされていた。
草花や、動物、船、人間、魔獣。そのなかに二度と見たくない姿を見つけた。
狒々神だ。立派な角の生えた狒々神が威嚇するように二本足で立っている。
その隣には短杖を持った魔術師らしき人の姿。短杖を狒々神に向け、こちらも戦闘態勢に見えた。
最初、それは魔術師と狒々神の戦いを描いているのだと思った。
でも、だとしたら、狒々神はなぜ、魔術師ではなく、正面を向いて描かれているのだろう?
明らかに魔術師は狒々神になんらかの術をかけているのに、狒々神はそれを気にすることなく前を向いている。
「イーリスどうした?」
狒々神のレリーフで足を止めた私に気づいたラグナルが背後に立つ。
「この狒々神と魔術師の構図がおかしくない?」
振り返ると、ラグナルの後方でウォーレスが思い切り嫌な顔をしていた。
「おいおい、イーリスさん。よりにもよって狒々神の彫刻とは物好きだな。それよりもっといいものがあるぜ」
手招きされて近づくと、そこには産まれたままの姿の男女が描かれていた。とはいっても、裸なだけでいやらしさはない。花輪を持っていたり、踊っていたり、果物を口にしていたり。皆、くつろいだ表情を浮かべなんとも楽しそうだ。このレリーフに題名をつけるとしたら「楽園」あたりがぴったりくる。
「このライン。たまらんな」
このいやらしさのかけらもない像に、エロスを見出す男、ウォーレス。
明るく器用で、剣の腕は確かだし、キーランとは阿吽の呼吸。さらにはノアの暴走を止めてくれる頼れる男だ。……が、酒好きなのと女好きなのが玉に瑕。それがウォーレスである。
「これで感触が石じゃなきゃいうことはないんだが……」
言いながらウォーレスは踊る女の像の胸に手を伸ばす。
指先が膨らみに触れた。その途端、にやけた顔が強張った。
「すまん。やっちまったかもしれん」
なにを? と問い返す間も無く、横手から伸びた腕に腰をさらわれる。それがラグナルの手だと認識すると同時に、ウォーレスの指がわずかに胸に食い込んでいるのに気づいた。硬い石像の胸に、である。
「キーラン! 退避だ!」
ウォーレスの叫び声に混じって、ズズズンと遠くで重たいものが動く音がする。
魔術師兄弟はスタッフとワンドを構えるが、音は遺跡内を木霊し、出どころが掴めなかった。
「まずい、道が塞がる」
そんな中ラグナルだけは音の発生方向がわかったらしい。私を左腕で抱えると、来た道を走り始める。揺れる腕の中、下ろしてと言うこともできず、舌を噛まないように歯を食いしばった。背後から皆の走る足音が追いかけてくる。
「くそっ」
ラグナルが悪態をついて足を止める。その前方で通路が閉じようとしていた。
隙間はもうほとんど残されていなかった。私を置いて走れば間に合ったかもしれない。しかし、ラグナルは私を腕に抱えたまま、踵を返した。今度はたった今来たばかりの方向に向かって走り出す。
「走れ! まだ動いている! 閉じていくぞ!」
キーランたちとすれ違いざまにラグナルは声をあげた。
ラグナルにしがみつきながら、肩越しに背後を見ると、彼の言う通り、道は順に閉じていた。
右手の壁が通路にせり出したかと思うと、次は少し手前の左手の壁が動く。その次はまた右手の壁が。という具合に互い違いに重なり合いじわじわと通路が閉ざされていく。
重いものを引きずるような音がひっきりなしに聞こえた。それが帰り道を塞いだあの壁以外からも聞こえていたと知ったのは、踊る女の像の前まで戻ったときだ。
「道が……」
そう呟いたのは誰の声だったか。
先ほどまでは確かにあったはずの奥に伸びる通路はなく、代わりに横手に穴が空き、下方に続く階段が伸びていた。
「行くしかないな」
背後からは壁がせり出す音がひっきりなしに続いている。キーランの声を合図に、皆は階段に飛び込んだ。
それが、狒々神が描かれたレリーフの場所であったことに、私は言い知れぬ不安を覚えていた。




