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三流調剤師、エルフを拾う  作者: 小声奏
第二部 三流調剤師と真紅の印
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その8

 ラグナルは短く息を吐くと、黒剣を腰のベルトから外す。次いで上着とシャツを脱ぎ捨てた。ベルトを緩めズボンを寛げると、ベッドの上に乗ってうつ伏せになる。

 以前は二人で寝ていたベッド。しかし今はラグナル一人でも窮屈そうだ。幅もそうだが長さが足りておらず、つま先がはみ出す有様だ。

 ――ん?

 露わになった背中を見て私は首を傾げた。

 印が全く見当たらない。

 背中側の腰近くにあったが、私の手のひらほどの大きさがあり、以前ならズボンを履いた状態でもいくらか見えていたのに。

 不思議に思いながらズボンに手をかけて、ゆっくりと降ろす。

 ラグナルの身体がびくりと震えた。

 寒いのだろうか? 


「肩に毛布をかけようか?」そう聞こうとして耳の端が赤く色づいているのに気づいた。


 顔は伏せられていてわからない。けれど耳と同様に染まっているのだろうことは想像がつく。

 ――もしかして、結構とんでもないことしてる?

 今の今までなんとも思わなかったのに、急に恥ずかしさがこみ上げる。

 まるでラグナルの羞恥が伝染したようだった。

 一旦、意識してしまうと思考は染まってしまうもので。

 滑らかな褐色の肌と、引き締まった腰のラインに思わず目が釘付けに……

 ――って何やってんだ。

 これはあくまで解呪師としての施術である。

 言うなれば医術師に肌を見せるようなもので、意識するようなものではないのだ。

 これは解呪。これ解呪。これは解呪。

 そう自分に言い聞かせながら私は再びズボンに手をかけた。

 降ろし過ぎないように、必要最低限で済むように慎重に下げていく。

 それはすぐに姿を現した。

 印は以前よりずっと小さくなっていた。掌サイズから親指と人差し指で作る円ぐらいまで縮んでいる。

 封印は確かに解呪に成功しているらしく、青味が一切なくなっている。

 外側は薄いピンク色、文字には所々ほつれが見られる。

 しかし中心にいくに従って印は赤みを増し、中心部分は禍々しいまでの真紅だった。


「これは……」


 私は短刀と、ロフォカレに所属してから念のために持ち歩いている金平石を取り出した。指先を刃で切り、血と金平石の粉末を混ぜる。

 赤と金に染まった指で、周囲から内側へと縁をなぞるようにくるくると指で辿っていく。

 中へ向かえば向かうほど、深く強固になる術。封印と混じっていた時には気づかなかった側面が見えてくる。


「ラグナル、この印を受けたのはいつ?」


 なるべく平静を保った声で尋ねた。


「子供の頃だ。5歳だったか、6歳だったか、これを受けた時のことはよく覚えていない」


 そんな幼い頃に。

 ラグナルの答えを聞くと私は目を閉じた。

 意識を印に集中させる。印の中心の深く深くへ……

 真紅の印は藁半紙に垂らされた墨汁のように、ラグナルの体の中に染み込んでいた。無数に枝分かれしながらその体を侵している。

 かつて奴隷制度があったころ、非道なことに子供へ印が施される例もあった。

 子供にかけられた印は成長に合わせて深く根を張り、より強固なものへと変異することがあったらしい。

 そうやって人体と同化した術の解呪は、今のイーには不可能。先祖返りと言われた兄が、普段は使わない金平石をもってしても解けない。

 重いまぶたを開けると、血と金平石で汚れた背中が目に飛び込んでくる。

 薄くなりほつれた周囲だけを見れば、すぐに解呪できてしまいそうなのに。

 私は泣きたい気持ちで印をなぞった。

 ぬるりとした血の感触に、金平石のざらりとした指ざわりが混じる。

 ノアのワンドに仕込まれていたような大ぶりで質の良い金平石を使えば?

 指先ではなく心の臓に近いところから出る血を使えば?

 解決策をさぐるものの、どれも成功する絵が想像できない。

 ――兄にできないものが私にできるはずがない。

 たとえ無理に剥がすことができたとしても、彼の体が損なわれてしまいそうだ。

 この大陸の魔女はなんの恨みがあって幼いダークエルフに、印術をかけたりしたのだろうか。

 イーの故郷である東の大陸に在る魔人は、情の深い性質であったらしい。おかげで私たちイーは絶えさせられることもなく、力を封じられ放逐されるだけで済んだ。

 それにひきかえこの大陸の魔女ときたら!

 段々と腹がたってきた。

 ――だいたい、センスがゼロだっての。これが魔女の印? 

 自慢するのはおかしいが、イーの臍に刻まれた印は洗練されており文様も美しい。代を重ねても変異することも、子供の体を侵すこともない。それでも解けない。そんな術だ。

 それがラグナルの体に刻まれたものときたらどうだ。力任せに刻んだ印は荒削りもいいところ。繊細さの欠片もない。

 ――こんな印、ぽろっと取れちゃえばいいのに。

 私は腹立ち紛れに指先でかりかりと印を引っ掻いた。


「イ……リス」


 印に怒りをぶつけていると、ラグナルが声をあげる。それは息も絶え絶えといった弱々しいものだった。


「あ、ごめん。痛かった? あの、ごめんね。言いづらいんだけど、これ、私にはどうにもできそうにない。方法は探してみるけど、あんまり期待しないで」


 ラグナルは顔を枕に埋めていた。その枕を握りしめる腕が小さく震えている。

 余程ショックだったのだろう。


「……たのか?」


 ラグナルの声は小さくて聞き取れない。


「え? なに?」と聞けば「終わったのかと聞いている!」と、くぐもった怒声が返ってきた。

 怒りが湧く気持ちはわかる。


「うん。力になれなくてごめん」


 ラグナルは勢いよく体を起こす。


「そんなことはどうでもいい!」


 言うなり目にも止まらぬ速さでズボンを引き上げる。


「どうでもいいって、そんなわけないでしょ。愚痴ぐらい聞くし、弱音をはいたって……」

「うるさい!」


 私なりに気遣ってかけた声は、容赦無く切り捨てられた。


「見立て終わったらならさっさとそう言え。こっちはもともとこれ以上の解呪は期待してないんだ。それを、あんな……引っ掻いたり……」

 

 ラグナルは早口でまくし立てながら上着に腕を通す。シャツはベッドの上に放り投げられたままだ。


「惚れた女に体を触られるこっちの身にもなれ!」


 黒剣に手を伸ばしてそう吐き捨てると、ラグナルは秒で鍵を外し、脱兎のごとく家から出て行った。


「………………え?」

 

 十一回目の質問の答え、今ですか。

 思わぬ形で聞かされた告白。一人家に残された私は喜びを感じるよりも、呆気にとられることになった。

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