その6
その日の夕食時、私は食堂へ行かなかった。
昼に寝ていた間に、部屋に届いたパンを食べて一人で過ごした。ラグナルと顔を合わせるのが、どうにも気まずかったのだ。ところが帰ってきたルツの話によるとラグナルも姿を見せなかったらしい。
自分のことを棚上げして、そんなに私の顔を見たくないのかと、軽く凹む。
結局、私がラグナルの顔を見たのは、深夜になってからだ。
夜半、ルツの部屋を訪れたノアは何も言わなかった。ただ視線で、解呪をやめる気はないのかと問いかけてきたのに気付かぬふりをして、私はラグナルの部屋へ向かった。
今日もラグナルはぐっすりと寝入っていた。
とはいえ、倒れこむほどの衝撃を与えると起きてしまう。
同じ轍を踏まぬよう殊更慎重に解呪を進めた。終えると、そっと血液混じりの金平石を拭う。
これで、金平石は残り一つ。
私はベッドに腰掛けたままラグナルの寝顔を眺めた。
小さく頼りなかった背中は、ぐっと広くなり、幼かった横顔はすっかり青年のそれに近づきつつある。おそらく、もうノアの年には追いついただろう。
明日解呪を終えれば、彼の印は解ける。記憶は戻り、戒めから解き放たれるのだ。
溢れそうになったため息を飲み込み、来た時と同様に、足音を忍ばせ部屋を出た。
翌日、私は朝食時にも昼食時にも食堂に足を運ばなかった。
また一つ大人に戻ったラグナルを見たい。そんな気持ちに蓋をして、ルツの部屋に籠って過ごした。
迷う私の気持ちを汲んでか、ルツもノアもゼイヴィアも何も言わない。
調剤師としての仕事もなく、ただただ選ぶ道を考えるのみの時間。
はっきり言ってさっぱり気持ちが定まらない。
考えれば考えるほど、思考はこんがらがる。
夕食の時間も部屋に残った私は、テラスに出てヘリフォトの街を眺めていた。
夜の闇の中に浮かび上がる、街の灯りは憧憬を抱かせるほど美しい。
決断の時間は迫っている。
私は懐に忍ばせた金平石を服の上から握りしめた。
その時だった。
バルコニーの手すりに指がかかる。
驚きに目を見張ったと同時に、ダークエルフが姿を現した。手すりの上に片膝を突き、こちらを見下ろしている。
なめらかな褐色の肌。長く尖った耳。銀の髪はかすかに波打ち毛先が首筋にかかって跳ねていた。
昨日よりもさらに幼さが消えた顔。まだ大人とは言えない。しかしもう少年という言葉も似合わない。
「ラグナル……」
呆然と名を呼んでから、思い出す。
彼が膝をついているのは、決して太いとは言えない手すりの上。そしてここは三階だ。
「何やってるの!」
「おいっ」
ラグナルの腰にしがみついて、手すりの内側に引きずり込み、そのままベランダの石床の上に倒れこんだ。
両手は彼の腰。受け身などとれるはずもなく、それなりの衝撃を覚悟して目を瞑る。
しかし思ったような衝撃はやってこなかった。
恐る恐る目を開けると、視界いっぱいに広がるラグナルの顔。その眉が痛みを耐えるように寄せられているのを見て理解した。体の位置を入れ替えて庇ってくれたのだ。
「ごめん、大丈夫?」
あわてて身を起こそうとする。しかし、腰に回ったラグナルの腕がそれを阻んだ。
「え……ちょっと、離してくれないと」
起き上がれない。そう言うより早くさらに腕に力が込められる。
私は為す術もなく、再び彼の胸に顔を突っぷした。
「あの、ラグナル?」
誰もいない部屋のベランダに二人きり。しかも相手は不幸な出来事が重なって私に惚れる羽目になったダークエルフである。
――これ、マズイんじゃ……
必死に海老反りになって距離を保とうとすると、もう一本の腕が肩を抑え、それも叶わなくなる。
すっぽりと私が収まるぐらい広くなった胸板が、呼吸に合わせて上下する。
「イーリスが俺をいらないって言うなら……。俺との約束なんていらないって言うなら、記憶にない故郷とやらに帰ろうかと思った」
ラグナルは強く私を抱きしめたまま話し始めた。
「俺は人間が嫌いだ。目にするだけでいらいらする。イーリスも俺の嫌いな人間なんだって思い込もうとしたんだ」
耳から、頰から、密着した体全体から、ラグナルの速い鼓動が伝わる。
「でも無駄な努力だってわかった」
そう言うとラグナルは、腕の力を抜く。
私はそろそろと体を起こした。一刻も早く離れなければ。そう思ったのに、今度は両腕を掴まれてラグナルの上に馬乗りになった状態で固定されてしまう。
否応無しに視線が絡まる。
「どうしても好きなんだ。お願いだ、イーリス。俺を見て。弟じゃなくて、男として」
二回目\(^o^)/




