その4
ホルトンに残る?
住居も店もギルドも飲み屋も全てが雑多に混じり合った街、ホルトン。
外壁に囲まれたそこを、最初は窮屈に感じたこともあった。
けど住めば都とは良く言ったものだ。まだ一年しか経っていないし、生計を立てるのに必死でまだまだ知らないことだらけだけど、私にとっては自分で選んで決めた第二の故郷とも言える街だ。
人のいいバートにはお世話になってばかりで恩返しも出来ていない。ホルトンで活動を始めたころは胡散臭そうに遠巻きに眺めていた調剤師の皆とは、愚痴を言い合えるようになったばかりだ。
誰も出迎えてはくれなくても、あの小さな家は私の帰る場所だった。
――あそこで調剤師を続けられる?
でも待って、何か大事なことを忘れてる。
そう考えた瞬間「好きなんだ」と訴えかけるように口にする褐色の肌のダークエルフが脳裏に浮かんだ。
「うっ……」
私はその場にしゃがみこんで頭を抱えた。
なぜよりにもよってあの場面を思い出してしまったのか。頭を振って追い出す。途端に「イーリスなら、俺……いい」と掠れた声が響いて、今度は目の前の床を手で打ちつけた。そっちはもっと駄目なやつ!
「何してんの」
羞恥と訳のわからない感情に悶える私の頭上から、冷めた声が降ってくる。
恐る恐る顔を上げると、ノアと目が合った。隣にはルツもいる。どうして二人が、なんて考えるまでもない。ここはもともと二人に割り当てられた部屋だ。
あの後、「一人で考える時間が欲しいでしょう」と言われ、私は二人の部屋にお邪魔していたのだ。姉弟は話があるからとランサムと共にゼイヴィアの部屋に残っていた。なんでも金の契約印を結ぶのに細かな規定を詰めるのだそうだ。
それ、もう私が断るって想定はされてないよね? と心中で突っ込んだものだが……。どうやら話が終わって戻ってきたらしい。
「あのさー。なんで迷うのか分からないんだけど。ランサム様は抑え込めるし、ホルトンに住んだままでいいし、収入も確実に上がる。何が不満なのさ?」
「不満はないよ」
あるのは不安だ。
「どうして、そこまでしてくれるのか聞いても?」
金の契約は私にとって有利なことばかりなように思う。
「は? さっき言ったでしょ。聞いてなかったの?」
ノアは不満気な顔になって腕を組み、いまだ床にしゃがみこんでいる私を見下ろす。
「聞いてたけど、ロフォカレはもともと討伐専門のギルドでしょ? 別に無理に遺跡に潜らなくても、魔獣の討伐で十分潤ってるんじゃないの?」
そう言うとルツとノアは顔を見合わせた。ルツは軽く嘆息し、ノアは肩を竦める。
「それがそうでもないんだよねえ」
いや、羽振り良さそうだったじゃん。
「実は討伐を専門とするギルドがここ最近増加傾向にありまして……」
そう話し始めたルツの言うことには、この国と同じく冒険者に魔獣の討伐を頼っていた隣国が体制を変えたらしい。兵を増員し対魔獣戦の訓練を積み、組織的に魔獣を狩るようになったのだとか。その過程で兵士に鞍替えした冒険者も大勢いたそうだが、アウトローな生き方を好む冒険者は少なくなく。そういった冒険者が近隣の国々に散った結果、現在討伐を請け負う冒険者が過剰気味である、と。
「深霧渓谷に接してるコールの森は、いい狩り場だからねえ」
深霧渓谷。そう呼ばれる谷はコールの森の北に位置する。しかしコールの森からその谷にたどり着いた冒険者は歴史上数えるほどしかいない。その名の通り常に濃霧に覆われており、その霧は隣り合うロロ山の頂からも視認できるほど濃い。その深霧渓谷から魔獣が湧いで出るのを見た、と森を突破した冒険者の一人が証言したのだが……。何せ行ける人がほぼ皆無なので確かめようがない。なんとなーく、渓谷から魔獣が湧き出てコールの森に生息しているんじゃないの? という認識なのである。
「ロフォカレとかアガレスとかの強豪ギルドがコールの森で狩りすぎると、他のギルドからあんまり良く思われなくてさあ。落ち着くまで遺跡探索をメインにしてみるかってことになったんだけど、これが結構楽しくて」
ノアはスタッフを握りしめ興奮気味に語る。
その楽しい気持ちのままつっぱしって呪いにかかったんだろうな……。っていうか初めて潜った遺跡で腰を抜かしてキーランに背負われて帰ったんじゃなかったの?
「古語に関する書物が出てきたり、魔人に関係するんじゃないかって品が出てきたりしてね。ゼイヴィアもすごく乗り気なんだよね」
「古語の研究はモーシェにとっても重要ですから、私としましても魔獣の討伐より有益だと考えています」
そう言ってルツはちらりとノアを見る。ノアは顔をしかめてふいとそっぽを向いた。
ノアをモーシェに戻すことをまだまだ諦めていないらしい。
「話を戻すけど、その遺跡の探索で一番困るのが罠の解除なんだよね。遺跡を住処にする魔獣とか術の掛けられた自動人形とかは別に問題ないんだけど、呪印の類が厄介でさ。せっかくお目当てのものを見つけても呪に守られてちゃ手が出せない」
その昔、印術はどの大陸でも今より盛んだったと聞く。現在見つかっている遺跡は古代の都市だったり、何かよく分からない施設だったりするけれど、一番多いのは墓だ。死者の眠りの守りとして解く方法のない印術を用いていたらしい。
「イーリスがどうしてイーの里を出たのか知らないけどさあ。他の土地に移ったってマーレイみたいな奴にまた会わないとも限らないでしょ」
私が里を出たのは本当に力がないからだ。顔も覚えていない父はそこそこ優秀だったと聞く。その息子である兄は先祖返りと言われるほどの力の持ち主。腹違いとはいえ私にも当然期待が集まった。なのに金平石がないと解呪もできない役立たずで、周囲の落胆は大きかった。叔父をはじめとする一族は、そんな私の利用方法を考え、その結果とんでもない方法を思いついてくれた。あれは兄がまだ少年の域を出ない頃だったか。告げられた将来にさすがトヨ・アキーツの子孫だな、と子供心に変な感心さえしたものだ。
「同情や親切心の提案じゃないって分かるでしょ? それでもきっとイーリスは僕らのことを信用しきれないだろうってキーランやゼイヴィアが言うもんだから、金の契約印を結ぼうってこうして申し出たわけなんだけど。あと何が足りないのさ」
そう言うとノアは疲れた表情で嘆息する。
お手上げだと言わんばかりに肩をすくめるノアの後をルツが引き継ぐ。
「イーリス。ゼイヴィアが半分建前だと言ったでしょう? 本当に半分なんですよ。討伐ギルドには危険が伴います。信頼に値しない人物とチームを組もうだなんて誰も思いません。どうですか、ここはひとつ試してみては。契約の細かい内容はイーリスが納得できるように詰めさせていただきますから」
ルツさん、貴女どこの商売人ですか。
いつもの静かな口調で、しかし握りこぶしを作って詰め寄る彼女に圧倒されそうになる。
私は身を引きつつ答えた。
「申し出はとても有り難いと思ってます」
根無し草の生活は辛い。ホルトンにたどり着くまでの1年でそれは身にしみて実感した。しかもホルトンには私的に大枚をはたいた家もある。たとえ解呪の力目当てだったとしても、絶対に里に帰るわけには行かない私にとって、有り難い申し出には違いなかった。
「ただ、ずっとホルトンを出ることだけを考えていたのと、あと……」
「あと?」
ルツとノアが同時に首を傾げる。
「ラグナルが問題なんです」
名前を口にしただけで、思い出すと悶絶確実の光景が蘇りそうになり、私は再び頭を抱えた。




